上 下
58 / 173
<大正:英国大使館の悪魔事件 後編>

前大使の降霊会 【前編】

しおりを挟む
「では、小町ちゃん。この魔法陣の描かれた布を、さっきの男に巻き付ければ、正気に戻す事が出来ると云う事?」
「いいえ、諏訪さん。残念ながら、この魔法陣では無理だと思いますわ。魔力が込められていると云っても、微弱なもですし、もう既にかなりの魔力は蒸発してしまっているわ。それに……ここに描かれている魔法陣自体、不完全なものよ。多分、眷属の男が正気に戻らない様に、えてそうしているのですわ」
「なんとも……そこ迄計算ずくで……悪質な相手ですな……」
「しかも、刺客として放った眷属の男までも、まるで道具の様に……」
上村さんも、諏訪さんも、相手のタチの悪さに言葉を失ってらっしゃるわ。
とにかく、眷属を使ったトラップに関しては、この後にでも、憲兵司令部の泰治やすはる叔父様に報告しておいた方が良さそうだわ。

「それで、玉山さん、次にお聞きしたいのは、此方こちらの名簿なのですが、何か心当たりは?」
諏訪さんが、例の降霊会名簿の写しを玉山さんに見せる。
「ああ、これでっか。確かにワシらがやっとった降霊会の名簿ですわ」
「ですが、ここに描かれている名前は架空の人物なのでは?」
「ハッハッハ、お恥ずかしい話、降霊会では皆、自分の身分とか仕事とかしがらみ見たいなもんを忘れよう言う事でな、自分の好きな小説やら怪談やらの登場人物の名前を、偽名にして呼び合おう言うて付けとった名前ですわ」

「それでは、玉山さんは、誰がどの名前を名乗っていたかお分かりと云う事ですの?」
「ええ、小町ちゃん、ここに描かれとる人達やったら、みんな分かります」
やっとだわ!やっと生きて、かつお話を聞くことの出来る関係者だわ!
間一髪でしたけれど、誰かさんの一歩前に出る事が出来ましたわ♪

「因みにでっけど、この金碗大輔かなまりだいすけ言うんがワシですわ。南総里見八犬伝に出て来る八犬士を導く、丶大ちゅだい法師言うのがおましてな。その丶大ちゅだい法師の出家前の名前ですわ。ええ役でっしゃろ」
「先ほど、大熊さんや酒井さんと言う方も降霊会の参加者と、お伺いましたけれど」
「大熊はんは、田宮伊右衛門ですわ。そんで、酒井はんは、萩原新三郎。それぞれ、四谷怪談と牡丹灯籠の登場人物ですわ」

「では、前英国大使は?」
「ああ、前の大使はんでっか。あの方はダンテ・アリギエーリを名のっとりましたわ。ワシらはダンテはん呼んどりました。あの人はホンマええ人でしたわ。この降霊会も、元々はあの人の人柄で、趣味人が集まったみたいなもんやったんですわ」
「詳しく教えて頂いても良いかしら?」

「ええ宜しおま、お話しします。さっきも言いましたけど、元々はダンテはんを中心に集まっとった仲間内で始めた降霊会なんですわ。正式に名簿作ったりして、会にしたんは、三年ぐらい前やったかな。みんな、お金と時間を持て余しとる、代わりもんの趣味人ばっかりでしたわ。ハハハ。そんで、降霊会言うても、たいそうな事する分けやうて、チョット名の知れた、霊能者や魔術師を呼んで、その術を見せてろたりするだけでしてな。蘆屋の御隠居さんにも、何べんもお願いしたんやけど、最後まで断られてしもうて、ワッハッハ」
口を湿らせる為に、湯呑を口に運び、冷めたお茶に眉を潜めてらっしゃるわ。
ここまでの話だと、想像していた様な怪しい雰囲気と言うよりは、和気あいあいとした集まりの様だけれど……。

「まあ、そんな和やかな感じの降霊会やったんやけど、雰囲気が変わり出したんは、それから一年ちょっとしてからやったかな。ダンテはんが、在る男を降霊会に連れてなはったんや。まあ、その頃には参加者の素性とか、いちいち聞くのは野暮や云う雰囲気に成っとったさかい、男の素性とかは分からんかったんやけど、四十代ぐらいの恰幅の良い白人の男性やから、まあ、多分大使館のお仲間やろと。ただ、なんちゅうんか、横柄な男で、感じの悪い男でしたわ。連れて来た手前ダンテはんも、後で皆に謝っとりましたわ。ほんで、暫くして、その男が白い覆面して来はりましてな。まあ、そん時は雰囲気が出る言うて、皆で真似して、紙袋に目と鼻と口の穴開けて被ったりして、真似したりしたもんですわ。まあ、そこまでは、良かったんです。ちょっと付き合い難い程度やさかい、ワシら商売人には、その程度の相手と付き合うんは日常茶飯味やよて。そやけど、次の集まりからやたら、その男の紹介で、身なりのええ人がいっぱい来ましてな、今までの和気あいあいと言う感じやう成って、何やら社交界見たいな感じに成りましてな。そのころから、ポツポツ古参の参加者が辞め始めましたんや」

四十代の恰幅の良い白人の男性、それと、白い覆面……。
白い覆面は多分、あの魔道金庫の中に有ったものね。
と云う事はその男は、まず公使と思って間違い無いわね。
しおりを挟む

処理中です...