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蜜花イけ贄(18話~) 不定期更新/和風/蛇姦/ケモ耳男/男喘ぎ/その他未定につき地雷注意
蜜花イけ贄 31
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盛り塩の横に寸延び短刀が突き刺さった。器が揺れ、拝香枝が倒れ、火が消える。
「俺の女に構うな」
葵は真っ白い顔をしていた。声は低く、怒気を孕んでいるが、その表情はつるりとして仮面のようだった。
すっ飛んだのは、苧環とかいう信仰家であった。尻餅をついて、格子を背にまだ後退ろうとしている。
その辺の石ころ、塵芥のようにまったく意に介されていなかった座敷牢に注目が集まる。
「はわわ、はわわ!誤解でございます!誤解でございます!」
苧環とかいう若者は頭を覆って身を小さくした。
「俺の女に構うな……」
怒りは治まったらしい。葵は俗塵防を身に纏った少年へ背を向け、寸延び短刀を回収する。
「我欲清浄の道にゆくのであれば、少しでも助力するのが野僧の務めにござりまする」
苧環は葵を縋るように見上げた。葵は紗に覆われた桔梗を見下ろしていた。さながら焼かれるのを待つ死体である。それか、巨大な蜘蛛の餌食となって糸巻きになったか……
「拝み倒すことに意味などない。病人を誑かすな。人の身で欲を捨てられるというのなら殺してやる。手前の席を開け渡してやることだ」
寸延び短刀は鞘に納まらなかった。鋒は漆塗りの平筒ではなく、若い信仰家の喉に向いた。
「ひ……っ、信仰とは…………生きてこその、ものですから……」
苧環は冷汗をかき、固唾を呑んだ。
「生きていては我欲は捨てられない。くだらない集金などやめろ。在るのは傷を舐め合う悦びだけだ」
「ち、ち、違います……我欲といかに向き合うか…………捨てることなど、きっとどんな御院居様にもできっこありません。野僧たちが目指すのは、いかに我欲と向き合うのか……生きる苦しみ、欲する苦しみ、喪う苦しみと向き合い、答えを見出すのか……」
刃が翻る。苧環は「ひっ」と跳び上がる。
「溜飲を下げ、諦めを促す。それを高尚に糊塗したのが信仰。それだけだ。腹も膨らまない。快楽も得られない。木枯らしから守ってくれるというのか!お前等は気違いだ!」
鋒が瑞々しい皮膚に接する。喉に留まる梅の実が浮沈する。軒先からは雨も一滴落ちてきた。
「ああ………まだ野僧は生にしがみついておりまする。研鑽が足らない。これが我欲………この世は苦獄………」
震えあがる手が清珠輪環を握り締める。
「希望を捨て切れぬのが、この天地を苦獄に堕としたらしめるのです。ほんのわずかにでも理性を以って苦獄をみる。雨露から絞り出せる真水のような幸福を見つけることができれば、それが救いなのです………」
「酒を飲め!小童!朱罌粟を吸え!吾妻形を握り締めろ!」
胼胝と肉刺だらけの掌が、信仰家の顎を掴んだ。
「おやめになってくださいまし、葵さま。おやめになって!こんなことになって、あたくし、お恥ずかしうございます」
回廊にいた人々の雰囲気が張り詰めたものに変わった。響き渡る春風を吹かすような声には焦燥が込められていた。急いで来たのだろう。その者は息を切らしていた。
「ああ………薺様………」
苧環の情けない声に、葵の剣呑な眼差しには正気の色が訪れる。白刃が退く。
「葵様!こんなところで人に刃を向けるだなんて、何事なんですか」
葵の妻・薺は大きな丸い目に涙を湛えていた。
「………すまない」
彼は燃殻になってしまった。妻の顔をまともに見ようともせず、寸延び短刀を鞘に納めた。
「謝って済むことでないけれど、申し訳なかった。査問するよう訴え出るといい」
蹣跚とした足取りで葵は座敷牢を出ていった。苧環は目に涙を溜め、冷や汗を垂らし、暫くそこから動くことができないようだった。やっと立ったかと思うと、この座敷牢の住人を覆う紗を捲った。
「桔梗殿……」
桔梗は何か喋ろうとした。しかし声が出なかった。唇が戦慄き、空気が漏れるのみである。樹皮のような指が、苧環の腕に掠る。若く瑞々しく、張りのある男の皮膚が、彼女の萎れた肌理にはよく合うのだった。
「脱業の道に往かれるには、まだお早いようです。まだ……結局のところ、信仰とは人の編み出した甘言蜜語。葵殿のおっしゃられたとおりなのです。この信仰を継承するにも、俗塵の金子銀子銅子が要るのです。そのためには我欲に満ちたがあまり成される子等が。人々の苦しみが………」
苧環は朽ちた枝切れのような女の手を両手で包む。
「生きてくださいまし。それはおそらく酷いことでしょうけれど……生きてくださいまし……」
若い信仰家は自身の清珠輪環を彼女の手に握らせた。
「わたしは、安寧を知りました……」
「人が生きるとはまこと苦しいものです。喜びと苦しみの丘壑の繰り返し。安寧とはなかでも岡阜にあるもの。あまりにも多様ゆえ、果てはありません。けれど桔梗殿……何度繰り返しても辿り着ける。このことに意味があるのです。辿り着こうとすることに……」
やはり信仰家の有り難い言葉には腹を満たす力も、活力の漲るようなこともなかった。
桔梗は清珠を握り締めた。
葵の姿が、見世物小屋もとい座敷牢から消えた。謹慎中にあるという話は石蕗から聞いた。皰面は消え失せたというのに、その肌は荒れていた。だがいくらかの安堵が見えた。上官がやっと妖婦から離されたのである。この若者の心労も、わずかばかり軽減されたのだろう。
身の回りのことは奉公人がやっていたが、飯だけはこの若者が持ってきた。桔梗はそれを食うようになった。粥からはじまり、徐々に元の食事に戻っていく。彼女はまだ窶れていたが、身体を起こすことはできるようになっていた。
「葵様から渡されたものは、召し上がらないでください」
彼は膳を下げに来た奉公人とともに戻って来た。隣にいた奉公人は驚いた様子である。
「まだはっきりしたことは申し上げられません。ひとつ言えることは、私に葵様を誣告するつもりはないということです。ただ、以前の葵様に戻っていただきたい、その一心のみです」
石蕗は無愛想に言った。彼は昇進した。以前の家僮としての姿とは見間違えるほどだった。茉莉は彼を気に入っている。
「葵様は、わたしを葬るおつもりなのですか」
葵の謹慎が解けるのだという。石蕗はそれを告げに来たのだった。
「分かりません。私はひとつの可能性として……いいえ………私には理解する能がないようです」
彼は俯いて首を振った。
日常的に葵から毒を盛られていたかもしれない。そしてそれが絶たれたことで、桔梗の肉体は活気を取り戻しつつあった。だがここは見世物小屋であるのだった。それは残酷なことではないだろうか。桔梗は紗を被っていた。葵が謹慎を解かれる頃には、衆目環視を意識してしまえるまでに回復していた。
肉体の苦しみは減った。だが……
紗の中で、拝香枝に合掌する。腕には苧環から贈られた清珠輪環を巻いていた。時間を忘れる。格子扉の錠が外れたことにも気付かなかった。真後ろに人が立ち、腕が伸びてくるまで。
驚きのあまり、桔梗は息が止まった。心臓が一際大きく鼓動する。片腕で羽交締めにされているようだった。紗を隔てて、肩には人の体温が乗る。背中が温まっていく。
「桔梗様」
紗の薄い繊維を彼の吐息が抜けていく。耳を擽り、彼女は背筋が痺れていくようだった。
「俺のいない時間が、貴方には滋養になるようですね」
葵は遅れて片腕も差し出し、彼女にしがみついて卑屈に言った。
「俺がいなくなって楽しかったですか。憩えましたか。安らぎましたか」
淡々とまくしたてる様は、正気のように思えなかった。冷静でありながら怒り狂っている。人語を発する人でないものを彷彿とさせた。
「ですが、戻ってまいりました。桔梗様………また孱弱になってしまいますね。桔梗様……また俺の所為で、痩せ衰えて、動けなくなって、寝たきりになってしまいますね。桔梗様!貴方にはそれが相応しいんだ!貴方みたいな女には!」
妻にするべきような抱擁をしていた男は、掌を返した。紗の上から細い首を見つけて、両手を絡める。彼は囚人を扼殺しようとしていた。
「貴方なんか死んでしまえばいいんだ。貴方を殺して俺も死ぬ……!舌を噛み切って、死にます!生きていたくない!貴方のいない天地で生きていても仕方がないのです!俺も死ぬ!死んでやる!殺してやる!」
謹慎が解けて早々、彼は座敷牢で騒いだ。見世物小屋を兼ねているために、回廊からは丸見えであったし丸聞こえであった。
多少の回復したとはいえ、まだ桔梗は万全の状態ではなく、肉体に於いては健康な男の力に敵うはずもなかった。
「俺の死体を蹴り転がしたって、貴方みたいな人は気付かないのでしょう。いいえ、俺の死体にすら気付かない。貴方の上で割腹します。貴方の上で自刎を!俺の血潮と五臓六腑を浴びて、死んでしまえば……」
首を絞める手によりいっそう、力がこもる。
「ぐ………ふ、ぅ」
「う……ううう」
真上から赤い雫が落ちてくる。頬に落ちる。彼は首を絞めながら舌を噛み千切ろうとしている。
乾いた音がひとつした。手を打ち鳴らす音だった。目の前で自害を試みる男が、はっと我に帰る瞬間を見た。
「ばか、ばかばかばかばか。よして、よして、よして、よして。はいはいはい」
忠烈な狗馬は、気が狂れようとも飼主の発する音には敏かった。女の首から手を放す。
「嘘でしょ、葵。フツーは謹慎解けたらまず最初に、おれのところに顔出すのが筋じゃないの。正気?正気じゃないね。真っ先に吾妻形人形のところで、珍棒を慰めに行こうとしてるところを見ると。まだ交合っちゃいないって?女の首を絞める悦びなんて、珍棒を扱いてるときと何ら変わらないじゃないか。それは交合いだよ。君から刀を没収しておいてよかったよ。そこはお気に入りのところだからね。また可愛い子が入ったら、閉じ込めておこうと思っていたんだから、汚さないでくれよ。血と脂は落ちにくいのだし、誰が片付けると思ってるの。君が片付けるの?でも割腹してから、君も臓腑をぶちまけてる最中に?それから自刎したって同じことじゃないの。自害をなんで推奨しないか、分かるだろう?誰が片付けるの。腐ってハエの集った蛆虫の孕み袋にさ。誰かがしてくれるって?奉公人が?奉公人にも各々の仕事があるんだよ。また雇えばいっか、って話じゃあない。自分より身分が低い奴等の事情なんて度外視してもいいと思ってるんでしょう。君は妻をもらったからね、君の財産を片付けてくれた奉公人に山分けというわけにはいかないんだよ。人々の暮らしのために、だなんて崇高な理念を持って仕官する人は多いんだけど、その"人々"のなかにすぐ近くにいる奉公人は含まれてないんだよね。いくら救っていても救った気にならないし、どれだけ搾り取っても、まだ足らないだなんて思っちゃうんだよ。見えてないから。奉公人という、最も世話になっていて、おれたちが救うべきものとして働いてる一例が。だから平気で、臓物をぶちまけ、血潮をまきちらし、脂まみれの臭汁まみれにしていいだなんて考えになる」
葵は茫然としていた。蝉の脱殻であった。どこかに羽化したのがいるのかもしれない。ぎょろりとした目で虚空を見つめている。
「俺は生きるのですか」
「山茶も君も死にたがるね。生まれてきて可哀想だよ。こだわりに縛られて。仕方がない。それでも君等は珍棒の快楽に負けて、また死にたがる子を作るんじゃないか。あれは務めじゃないんだよ。あれはおれたちの命の宿題じゃない。おれたちはただそれを当然だと思い込んで、珍棒の快楽に意義を求めてるだけなんだよ。子供が欲しいんじゃないさ。欲しいのだとしたら変化だよ。もし使命を感じているのだとしたら、それは珍棒を気持ち良くしたいだけさ。おれたちは命を繋ぐことを期待された、数射られてひとつふたつ当たれば儲けものの一矢でしかないんだから。あんまり、何のために生きているのだとか、自分の命の価値だとか、考えないことだね。それが余計に、ここを穢界苦獄にしているんじゃないの。すべて捨てられたらいいさ。理想はね。けれども人には事情があって感情があってこだわりがある。生きるのですか、と問うのならおれはこう答えよう。はい、生きなさい、とね。一矢になれないのなら労力になるしかない。一矢を一矢たらしめるね。さぁ、生きなさい。生きるんだよ。満たされない珍棒を千擦りしながらね」
葵の目から涙が一筋落ちていった。
「俺は生きるのですか……」
「おれから出向いてやるのなんて君にだけなんだからね、葵。さあ、働きなさい。身を粉にして、塵になりなさい。俗物が」
茉莉は近侍たちへ戻るよう合図した。
葵は紐が引っ張られるように桔梗の上から身を退いた。そして正座し、石像になってしまった。長い睫毛が目立たなくなるほど落ち窪み、ぎょろりとした目はどこでもないところに止まって、微かに揺れ惑っている。
桔梗は咳をしながら、恐ろしい男から離れた。
「貴方のいない数日間こそ、俺の幸せでした。安寧でした」
桔梗は下肢を引き摺るような体勢でそれを聞いていた。
「貴方を殺すことも放つこともできない。俺が出ていくしかない」
ぼそぼそと彼は喋っているが、それは返答を求めているものだったのか否か。火の消えた蝋燭みたいに座って彼が、ふと頭を外へ向けた。音も気配もなく、人がひとり立っている。逆光しているが、顔の判別はつく。頬を覆っていた赤い皰面はあったことを疑うほどに綺麗さっぱり消え失せていた。
「葵様」
「ここは俺を入れていく檻だな。彼女を放り出してくれないか」
「勝手なことをおっしゃらないでくださいませ」
「もうすぐ君のほうが俺より偉くなる。今のうちに!今のうちに俺の命を聞け!」
火の点いていない蝋燭から爆炎が上がるのである。だが石蕗は相変わらず無愛想な面を崩さなかった。否、そこには哀れみが込められている。
「それが適当ならば、真っ当な立場から真っ当な場を以って、葵様を投獄します。そして姫様をお出ししていいのですね。これは葵様のご意志ではないのですね?」
石蕗は徐ろに格子扉のほうへ動いた。把手に手を添える。すると丸まったダンゴムシみたいにそこに座ってるいた葵は目をかっと開き、御器噛のごとくしゃかしゃかと這い、今度は蟷螂となって桔梗を捕まえた。ところがその目はカラスにでも食らいついた猫に似た異様な光が差していた。
「い、痛い………」
扼殺が叶わなかった今、彼は文字どおり、女を抱き潰して圧殺するつもりらしかった。彼の腕は二本ある。だが彼は蜘蛛でもあった。
「この人のいないところに連れていってください、私を!この人のいないところに!」
煌々とした眼は虚空を凝らし、腕は女体に絡みつく。茉莉が見ていたならば、腹を抱え転げ回って笑ったに違いない。
「毒を盛ったのは葵様ですか」
石蕗は格子扉から手を放した。大仰な所作であった。桔梗はあまりにも単刀直入な若者の顔を見遣ってしまった。
「違います。いいえ、私ですが、厳密にいえば私ではありません。毒を盛ったことのみを指すのなら、白桐殿です。私の失脚を狙っているのでしょう」
淡々とした答えに無愛想は無愛想なりの驚きを見せ、大きな溜息を吐いた。それは嘆きである。
「ご存知だったのですか」
「はい」
「一切合切承知の上で?」
「そうです」
葵はにかりと口角を吊り上げる。
「白桐様が……」
石蕗は信じられないような口振りだったが、その者は桔梗の知らない人物であった。
「知っていたのなら何故、糾弾しないのです」
「私もこの女は、ここで臥しておくべきだと思ったからです」
葵の腕は、まだ桔梗の圧殺を諦めていなかった。
「あ………あ、」
「葵様……姫を放してください」
けれども葵は放さない。
「このことを茉莉様にご報告することです。白桐殿は悪くないのです。私が止められたことですから。桔梗様への殺意については!私のほうが大きいのです」
凪いでいるのか怒っているのか、彼は急に鎮まり、急激に怒鳴るのだった。
「姫様に持っていくものに何者かが隠密衆を雇い毒を盛った。奉公人は何も気付かず葵様に手渡す。それでお間違いはないですか」
「隠密衆を雇ったとかどうかは知りません。ただ、私は薬師の倅から成り上がった身ですから、一口舐めれば毒だと分かります」
薬師とは、世を忍ぶための偽りではなかったらしい。彼は本当に薬草の心得があるらしかった。
「何故、白桐様だと分かったのです」
「見たからです。厨夫が目を離した隙に、白桐殿が粥へ粉を入れるのを」
石蕗の愛想のない面には嫌悪が浮かんでいた。ただでさえ寄りがちな眉間の皺は一段と深い。
「ご存知の上で……」
「早く茉莉様にご報告なさい!ご報告なさい!俺がしてやる!」
葵は抱き締め殺そうとしていた女を放り投げ、しゃんっと立った。
「俺がこの女を殺すべきだった!あんな毒で人が死ぬか!あんな毒で……」
「おそらく毒殺が目的ではないでしょう」
ぴしゃりと石蕗が吐き捨てた。今にも茉莉のところに行きそうだった葵は、ふらふらと膝から崩れ落ちて座り込む。
「死ぬような毒ではないために、葵様もそのまま姫様に召し上がらせたのでは」
葵は項垂れ、「はははっ!」と茉莉のような高らかな笑い声を上げた。
「上様は働くよう仰せになりましたが、もう少しお休みになったほうがよいのでしょう。私から、訴え出てみることにいたしましょう」
「そうしてください!そうしてください!山奥への蟄居でも構いません。遠方に行くよう言われても………私をこの女から遠ざけてください!」
怯えている桔梗を捕まえ、彼は叫んだ。叫んだかと思うと、彼女の唇を力尽くで啄んだ。石蕗は冷ややかな眼差しをくれていた。
「ご辛抱ください」
それは声に出されたものではなかった。しかし石蕗の目はそう言っていた。目が合った途端に、彼女は押し倒された。飢えた野良狗に食われるらしかった。
放り投げられた掌にかさついた冷たい掌が重なる。指と指の狭間に指が割り入り、空くことを許さない。
「見………ないで、」
石蕗は格子から目を逸らした。そして格子の前には薄い戸があったらしいのだった。彼はそれを一枚だけ引いて、とりあえずの目隠しを作った。座敷牢の半分は隠れるのであった。
葵は周りのことなど気にしなかった。桔梗の唇を吸い、頬を擦り寄せ、首筋に潜った。
「あ……っ」
「絶対に出しません、ここから……俺と一緒にここで腐汁のシミになるまで、出られません」
静かに囁いた。直後に耳朶に噛みつく。人狼の収束宣言は早かったのではあるまいか。ここに人に噛みつく恐ろしい獣物がいる。
「痛っ………痛いです、」
「ここから出しません……ここから絶対に出しません。貴方は俺とここにいるんです。ずっと!死ぬまで!一生!」
耳朶に強く歯を立てる。
「ああ……!」
葵は彼女が身動ぐだけ擦り寄った。胼胝と肉刺だらけの掌に、いやらしい温気がこもる。今度は首元に吸いついて花痕を散らし、その上にかかる吐息は艶めいている。彼は発情していた。だがすぐに繋がろうとはしなかった。白い衣を掻き分けて、わずかばかり張りの戻った胸の周りにも赤い痕をつけていく。
「放してくださいまし……葵さまには、ご令妻が………」
「いる!俺には妻がいる。だから何だというんだ。貴方が妻と同等の女だって?ふざけたことを!貴方を犯したからといって妻に何の関係がある?貴方が妻と並ぶ女だって?よせ!」
病人の目が血走った。彼女の指を握っていた手が剥がれ、彼は自身の指を舐めると、散々弄び、堕落の汁を注いだ秘部へ突き入れた。
「ああ!」
「その卑しい口で妻のことを語るな!俺は妻を愛している!妻を抱いたさ!けれどこんな風に犯してなどいない。貴方は俺の吾妻形だ。妻でも妾でもない。俺は妻も妾も犯さない。いやらしい!」
節榑だった指二本を、すぐに受け入れることはできなかった。粘膜を押し広げられる感覚と、粘膜そのものを押し潰されるような痛みが彼女の眉間に皺を寄せる。
「犯してやる……貴方のすべてを!辱めてやる……」
暇をしていた拇が敏感な芽を転がした。硬く結ばれた部分がわずかに緩んでいく。滲み入って。
「俺の女に構うな」
葵は真っ白い顔をしていた。声は低く、怒気を孕んでいるが、その表情はつるりとして仮面のようだった。
すっ飛んだのは、苧環とかいう信仰家であった。尻餅をついて、格子を背にまだ後退ろうとしている。
その辺の石ころ、塵芥のようにまったく意に介されていなかった座敷牢に注目が集まる。
「はわわ、はわわ!誤解でございます!誤解でございます!」
苧環とかいう若者は頭を覆って身を小さくした。
「俺の女に構うな……」
怒りは治まったらしい。葵は俗塵防を身に纏った少年へ背を向け、寸延び短刀を回収する。
「我欲清浄の道にゆくのであれば、少しでも助力するのが野僧の務めにござりまする」
苧環は葵を縋るように見上げた。葵は紗に覆われた桔梗を見下ろしていた。さながら焼かれるのを待つ死体である。それか、巨大な蜘蛛の餌食となって糸巻きになったか……
「拝み倒すことに意味などない。病人を誑かすな。人の身で欲を捨てられるというのなら殺してやる。手前の席を開け渡してやることだ」
寸延び短刀は鞘に納まらなかった。鋒は漆塗りの平筒ではなく、若い信仰家の喉に向いた。
「ひ……っ、信仰とは…………生きてこその、ものですから……」
苧環は冷汗をかき、固唾を呑んだ。
「生きていては我欲は捨てられない。くだらない集金などやめろ。在るのは傷を舐め合う悦びだけだ」
「ち、ち、違います……我欲といかに向き合うか…………捨てることなど、きっとどんな御院居様にもできっこありません。野僧たちが目指すのは、いかに我欲と向き合うのか……生きる苦しみ、欲する苦しみ、喪う苦しみと向き合い、答えを見出すのか……」
刃が翻る。苧環は「ひっ」と跳び上がる。
「溜飲を下げ、諦めを促す。それを高尚に糊塗したのが信仰。それだけだ。腹も膨らまない。快楽も得られない。木枯らしから守ってくれるというのか!お前等は気違いだ!」
鋒が瑞々しい皮膚に接する。喉に留まる梅の実が浮沈する。軒先からは雨も一滴落ちてきた。
「ああ………まだ野僧は生にしがみついておりまする。研鑽が足らない。これが我欲………この世は苦獄………」
震えあがる手が清珠輪環を握り締める。
「希望を捨て切れぬのが、この天地を苦獄に堕としたらしめるのです。ほんのわずかにでも理性を以って苦獄をみる。雨露から絞り出せる真水のような幸福を見つけることができれば、それが救いなのです………」
「酒を飲め!小童!朱罌粟を吸え!吾妻形を握り締めろ!」
胼胝と肉刺だらけの掌が、信仰家の顎を掴んだ。
「おやめになってくださいまし、葵さま。おやめになって!こんなことになって、あたくし、お恥ずかしうございます」
回廊にいた人々の雰囲気が張り詰めたものに変わった。響き渡る春風を吹かすような声には焦燥が込められていた。急いで来たのだろう。その者は息を切らしていた。
「ああ………薺様………」
苧環の情けない声に、葵の剣呑な眼差しには正気の色が訪れる。白刃が退く。
「葵様!こんなところで人に刃を向けるだなんて、何事なんですか」
葵の妻・薺は大きな丸い目に涙を湛えていた。
「………すまない」
彼は燃殻になってしまった。妻の顔をまともに見ようともせず、寸延び短刀を鞘に納めた。
「謝って済むことでないけれど、申し訳なかった。査問するよう訴え出るといい」
蹣跚とした足取りで葵は座敷牢を出ていった。苧環は目に涙を溜め、冷や汗を垂らし、暫くそこから動くことができないようだった。やっと立ったかと思うと、この座敷牢の住人を覆う紗を捲った。
「桔梗殿……」
桔梗は何か喋ろうとした。しかし声が出なかった。唇が戦慄き、空気が漏れるのみである。樹皮のような指が、苧環の腕に掠る。若く瑞々しく、張りのある男の皮膚が、彼女の萎れた肌理にはよく合うのだった。
「脱業の道に往かれるには、まだお早いようです。まだ……結局のところ、信仰とは人の編み出した甘言蜜語。葵殿のおっしゃられたとおりなのです。この信仰を継承するにも、俗塵の金子銀子銅子が要るのです。そのためには我欲に満ちたがあまり成される子等が。人々の苦しみが………」
苧環は朽ちた枝切れのような女の手を両手で包む。
「生きてくださいまし。それはおそらく酷いことでしょうけれど……生きてくださいまし……」
若い信仰家は自身の清珠輪環を彼女の手に握らせた。
「わたしは、安寧を知りました……」
「人が生きるとはまこと苦しいものです。喜びと苦しみの丘壑の繰り返し。安寧とはなかでも岡阜にあるもの。あまりにも多様ゆえ、果てはありません。けれど桔梗殿……何度繰り返しても辿り着ける。このことに意味があるのです。辿り着こうとすることに……」
やはり信仰家の有り難い言葉には腹を満たす力も、活力の漲るようなこともなかった。
桔梗は清珠を握り締めた。
葵の姿が、見世物小屋もとい座敷牢から消えた。謹慎中にあるという話は石蕗から聞いた。皰面は消え失せたというのに、その肌は荒れていた。だがいくらかの安堵が見えた。上官がやっと妖婦から離されたのである。この若者の心労も、わずかばかり軽減されたのだろう。
身の回りのことは奉公人がやっていたが、飯だけはこの若者が持ってきた。桔梗はそれを食うようになった。粥からはじまり、徐々に元の食事に戻っていく。彼女はまだ窶れていたが、身体を起こすことはできるようになっていた。
「葵様から渡されたものは、召し上がらないでください」
彼は膳を下げに来た奉公人とともに戻って来た。隣にいた奉公人は驚いた様子である。
「まだはっきりしたことは申し上げられません。ひとつ言えることは、私に葵様を誣告するつもりはないということです。ただ、以前の葵様に戻っていただきたい、その一心のみです」
石蕗は無愛想に言った。彼は昇進した。以前の家僮としての姿とは見間違えるほどだった。茉莉は彼を気に入っている。
「葵様は、わたしを葬るおつもりなのですか」
葵の謹慎が解けるのだという。石蕗はそれを告げに来たのだった。
「分かりません。私はひとつの可能性として……いいえ………私には理解する能がないようです」
彼は俯いて首を振った。
日常的に葵から毒を盛られていたかもしれない。そしてそれが絶たれたことで、桔梗の肉体は活気を取り戻しつつあった。だがここは見世物小屋であるのだった。それは残酷なことではないだろうか。桔梗は紗を被っていた。葵が謹慎を解かれる頃には、衆目環視を意識してしまえるまでに回復していた。
肉体の苦しみは減った。だが……
紗の中で、拝香枝に合掌する。腕には苧環から贈られた清珠輪環を巻いていた。時間を忘れる。格子扉の錠が外れたことにも気付かなかった。真後ろに人が立ち、腕が伸びてくるまで。
驚きのあまり、桔梗は息が止まった。心臓が一際大きく鼓動する。片腕で羽交締めにされているようだった。紗を隔てて、肩には人の体温が乗る。背中が温まっていく。
「桔梗様」
紗の薄い繊維を彼の吐息が抜けていく。耳を擽り、彼女は背筋が痺れていくようだった。
「俺のいない時間が、貴方には滋養になるようですね」
葵は遅れて片腕も差し出し、彼女にしがみついて卑屈に言った。
「俺がいなくなって楽しかったですか。憩えましたか。安らぎましたか」
淡々とまくしたてる様は、正気のように思えなかった。冷静でありながら怒り狂っている。人語を発する人でないものを彷彿とさせた。
「ですが、戻ってまいりました。桔梗様………また孱弱になってしまいますね。桔梗様……また俺の所為で、痩せ衰えて、動けなくなって、寝たきりになってしまいますね。桔梗様!貴方にはそれが相応しいんだ!貴方みたいな女には!」
妻にするべきような抱擁をしていた男は、掌を返した。紗の上から細い首を見つけて、両手を絡める。彼は囚人を扼殺しようとしていた。
「貴方なんか死んでしまえばいいんだ。貴方を殺して俺も死ぬ……!舌を噛み切って、死にます!生きていたくない!貴方のいない天地で生きていても仕方がないのです!俺も死ぬ!死んでやる!殺してやる!」
謹慎が解けて早々、彼は座敷牢で騒いだ。見世物小屋を兼ねているために、回廊からは丸見えであったし丸聞こえであった。
多少の回復したとはいえ、まだ桔梗は万全の状態ではなく、肉体に於いては健康な男の力に敵うはずもなかった。
「俺の死体を蹴り転がしたって、貴方みたいな人は気付かないのでしょう。いいえ、俺の死体にすら気付かない。貴方の上で割腹します。貴方の上で自刎を!俺の血潮と五臓六腑を浴びて、死んでしまえば……」
首を絞める手によりいっそう、力がこもる。
「ぐ………ふ、ぅ」
「う……ううう」
真上から赤い雫が落ちてくる。頬に落ちる。彼は首を絞めながら舌を噛み千切ろうとしている。
乾いた音がひとつした。手を打ち鳴らす音だった。目の前で自害を試みる男が、はっと我に帰る瞬間を見た。
「ばか、ばかばかばかばか。よして、よして、よして、よして。はいはいはい」
忠烈な狗馬は、気が狂れようとも飼主の発する音には敏かった。女の首から手を放す。
「嘘でしょ、葵。フツーは謹慎解けたらまず最初に、おれのところに顔出すのが筋じゃないの。正気?正気じゃないね。真っ先に吾妻形人形のところで、珍棒を慰めに行こうとしてるところを見ると。まだ交合っちゃいないって?女の首を絞める悦びなんて、珍棒を扱いてるときと何ら変わらないじゃないか。それは交合いだよ。君から刀を没収しておいてよかったよ。そこはお気に入りのところだからね。また可愛い子が入ったら、閉じ込めておこうと思っていたんだから、汚さないでくれよ。血と脂は落ちにくいのだし、誰が片付けると思ってるの。君が片付けるの?でも割腹してから、君も臓腑をぶちまけてる最中に?それから自刎したって同じことじゃないの。自害をなんで推奨しないか、分かるだろう?誰が片付けるの。腐ってハエの集った蛆虫の孕み袋にさ。誰かがしてくれるって?奉公人が?奉公人にも各々の仕事があるんだよ。また雇えばいっか、って話じゃあない。自分より身分が低い奴等の事情なんて度外視してもいいと思ってるんでしょう。君は妻をもらったからね、君の財産を片付けてくれた奉公人に山分けというわけにはいかないんだよ。人々の暮らしのために、だなんて崇高な理念を持って仕官する人は多いんだけど、その"人々"のなかにすぐ近くにいる奉公人は含まれてないんだよね。いくら救っていても救った気にならないし、どれだけ搾り取っても、まだ足らないだなんて思っちゃうんだよ。見えてないから。奉公人という、最も世話になっていて、おれたちが救うべきものとして働いてる一例が。だから平気で、臓物をぶちまけ、血潮をまきちらし、脂まみれの臭汁まみれにしていいだなんて考えになる」
葵は茫然としていた。蝉の脱殻であった。どこかに羽化したのがいるのかもしれない。ぎょろりとした目で虚空を見つめている。
「俺は生きるのですか」
「山茶も君も死にたがるね。生まれてきて可哀想だよ。こだわりに縛られて。仕方がない。それでも君等は珍棒の快楽に負けて、また死にたがる子を作るんじゃないか。あれは務めじゃないんだよ。あれはおれたちの命の宿題じゃない。おれたちはただそれを当然だと思い込んで、珍棒の快楽に意義を求めてるだけなんだよ。子供が欲しいんじゃないさ。欲しいのだとしたら変化だよ。もし使命を感じているのだとしたら、それは珍棒を気持ち良くしたいだけさ。おれたちは命を繋ぐことを期待された、数射られてひとつふたつ当たれば儲けものの一矢でしかないんだから。あんまり、何のために生きているのだとか、自分の命の価値だとか、考えないことだね。それが余計に、ここを穢界苦獄にしているんじゃないの。すべて捨てられたらいいさ。理想はね。けれども人には事情があって感情があってこだわりがある。生きるのですか、と問うのならおれはこう答えよう。はい、生きなさい、とね。一矢になれないのなら労力になるしかない。一矢を一矢たらしめるね。さぁ、生きなさい。生きるんだよ。満たされない珍棒を千擦りしながらね」
葵の目から涙が一筋落ちていった。
「俺は生きるのですか……」
「おれから出向いてやるのなんて君にだけなんだからね、葵。さあ、働きなさい。身を粉にして、塵になりなさい。俗物が」
茉莉は近侍たちへ戻るよう合図した。
葵は紐が引っ張られるように桔梗の上から身を退いた。そして正座し、石像になってしまった。長い睫毛が目立たなくなるほど落ち窪み、ぎょろりとした目はどこでもないところに止まって、微かに揺れ惑っている。
桔梗は咳をしながら、恐ろしい男から離れた。
「貴方のいない数日間こそ、俺の幸せでした。安寧でした」
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「貴方を殺すことも放つこともできない。俺が出ていくしかない」
ぼそぼそと彼は喋っているが、それは返答を求めているものだったのか否か。火の消えた蝋燭みたいに座って彼が、ふと頭を外へ向けた。音も気配もなく、人がひとり立っている。逆光しているが、顔の判別はつく。頬を覆っていた赤い皰面はあったことを疑うほどに綺麗さっぱり消え失せていた。
「葵様」
「ここは俺を入れていく檻だな。彼女を放り出してくれないか」
「勝手なことをおっしゃらないでくださいませ」
「もうすぐ君のほうが俺より偉くなる。今のうちに!今のうちに俺の命を聞け!」
火の点いていない蝋燭から爆炎が上がるのである。だが石蕗は相変わらず無愛想な面を崩さなかった。否、そこには哀れみが込められている。
「それが適当ならば、真っ当な立場から真っ当な場を以って、葵様を投獄します。そして姫様をお出ししていいのですね。これは葵様のご意志ではないのですね?」
石蕗は徐ろに格子扉のほうへ動いた。把手に手を添える。すると丸まったダンゴムシみたいにそこに座ってるいた葵は目をかっと開き、御器噛のごとくしゃかしゃかと這い、今度は蟷螂となって桔梗を捕まえた。ところがその目はカラスにでも食らいついた猫に似た異様な光が差していた。
「い、痛い………」
扼殺が叶わなかった今、彼は文字どおり、女を抱き潰して圧殺するつもりらしかった。彼の腕は二本ある。だが彼は蜘蛛でもあった。
「この人のいないところに連れていってください、私を!この人のいないところに!」
煌々とした眼は虚空を凝らし、腕は女体に絡みつく。茉莉が見ていたならば、腹を抱え転げ回って笑ったに違いない。
「毒を盛ったのは葵様ですか」
石蕗は格子扉から手を放した。大仰な所作であった。桔梗はあまりにも単刀直入な若者の顔を見遣ってしまった。
「違います。いいえ、私ですが、厳密にいえば私ではありません。毒を盛ったことのみを指すのなら、白桐殿です。私の失脚を狙っているのでしょう」
淡々とした答えに無愛想は無愛想なりの驚きを見せ、大きな溜息を吐いた。それは嘆きである。
「ご存知だったのですか」
「はい」
「一切合切承知の上で?」
「そうです」
葵はにかりと口角を吊り上げる。
「白桐様が……」
石蕗は信じられないような口振りだったが、その者は桔梗の知らない人物であった。
「知っていたのなら何故、糾弾しないのです」
「私もこの女は、ここで臥しておくべきだと思ったからです」
葵の腕は、まだ桔梗の圧殺を諦めていなかった。
「あ………あ、」
「葵様……姫を放してください」
けれども葵は放さない。
「このことを茉莉様にご報告することです。白桐殿は悪くないのです。私が止められたことですから。桔梗様への殺意については!私のほうが大きいのです」
凪いでいるのか怒っているのか、彼は急に鎮まり、急激に怒鳴るのだった。
「姫様に持っていくものに何者かが隠密衆を雇い毒を盛った。奉公人は何も気付かず葵様に手渡す。それでお間違いはないですか」
「隠密衆を雇ったとかどうかは知りません。ただ、私は薬師の倅から成り上がった身ですから、一口舐めれば毒だと分かります」
薬師とは、世を忍ぶための偽りではなかったらしい。彼は本当に薬草の心得があるらしかった。
「何故、白桐様だと分かったのです」
「見たからです。厨夫が目を離した隙に、白桐殿が粥へ粉を入れるのを」
石蕗の愛想のない面には嫌悪が浮かんでいた。ただでさえ寄りがちな眉間の皺は一段と深い。
「ご存知の上で……」
「早く茉莉様にご報告なさい!ご報告なさい!俺がしてやる!」
葵は抱き締め殺そうとしていた女を放り投げ、しゃんっと立った。
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「おそらく毒殺が目的ではないでしょう」
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「死ぬような毒ではないために、葵様もそのまま姫様に召し上がらせたのでは」
葵は項垂れ、「はははっ!」と茉莉のような高らかな笑い声を上げた。
「上様は働くよう仰せになりましたが、もう少しお休みになったほうがよいのでしょう。私から、訴え出てみることにいたしましょう」
「そうしてください!そうしてください!山奥への蟄居でも構いません。遠方に行くよう言われても………私をこの女から遠ざけてください!」
怯えている桔梗を捕まえ、彼は叫んだ。叫んだかと思うと、彼女の唇を力尽くで啄んだ。石蕗は冷ややかな眼差しをくれていた。
「ご辛抱ください」
それは声に出されたものではなかった。しかし石蕗の目はそう言っていた。目が合った途端に、彼女は押し倒された。飢えた野良狗に食われるらしかった。
放り投げられた掌にかさついた冷たい掌が重なる。指と指の狭間に指が割り入り、空くことを許さない。
「見………ないで、」
石蕗は格子から目を逸らした。そして格子の前には薄い戸があったらしいのだった。彼はそれを一枚だけ引いて、とりあえずの目隠しを作った。座敷牢の半分は隠れるのであった。
葵は周りのことなど気にしなかった。桔梗の唇を吸い、頬を擦り寄せ、首筋に潜った。
「あ……っ」
「絶対に出しません、ここから……俺と一緒にここで腐汁のシミになるまで、出られません」
静かに囁いた。直後に耳朶に噛みつく。人狼の収束宣言は早かったのではあるまいか。ここに人に噛みつく恐ろしい獣物がいる。
「痛っ………痛いです、」
「ここから出しません……ここから絶対に出しません。貴方は俺とここにいるんです。ずっと!死ぬまで!一生!」
耳朶に強く歯を立てる。
「ああ……!」
葵は彼女が身動ぐだけ擦り寄った。胼胝と肉刺だらけの掌に、いやらしい温気がこもる。今度は首元に吸いついて花痕を散らし、その上にかかる吐息は艶めいている。彼は発情していた。だがすぐに繋がろうとはしなかった。白い衣を掻き分けて、わずかばかり張りの戻った胸の周りにも赤い痕をつけていく。
「放してくださいまし……葵さまには、ご令妻が………」
「いる!俺には妻がいる。だから何だというんだ。貴方が妻と同等の女だって?ふざけたことを!貴方を犯したからといって妻に何の関係がある?貴方が妻と並ぶ女だって?よせ!」
病人の目が血走った。彼女の指を握っていた手が剥がれ、彼は自身の指を舐めると、散々弄び、堕落の汁を注いだ秘部へ突き入れた。
「ああ!」
「その卑しい口で妻のことを語るな!俺は妻を愛している!妻を抱いたさ!けれどこんな風に犯してなどいない。貴方は俺の吾妻形だ。妻でも妾でもない。俺は妻も妾も犯さない。いやらしい!」
節榑だった指二本を、すぐに受け入れることはできなかった。粘膜を押し広げられる感覚と、粘膜そのものを押し潰されるような痛みが彼女の眉間に皺を寄せる。
「犯してやる……貴方のすべてを!辱めてやる……」
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