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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 17

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 枕代わりの丸めたタオルに、茉世まつよの後頭部は吸い寄せられていった。彼女はおそらく、半分といわずほぼ、寝ていた。わずかな官能がさらに意識の沈下を助長する。
 蓮は茉世の口から舌を引き抜いた。寝ている姿を眺め、急速に乾きつつある自身の唇をなぞった。貸したシャツが、彼女の寝間着だった。思案し、そして手を伸ばす。だが結局、引き戻される。何を掴むでも摘むでも触れるでもない。だがそれも癪だったのだろう。彼は手を伸ばし、手の甲を眠る人の頬に滑らせた。



 カーテンから差し込む光で茉世は目を覚ました。すでに開いていたらしい。辺りを見れば、蓮は机に向かって履歴書の続きを書いていた。
「お……はよう、ございます………」
「おはよう」
 彼は手を止め、顔を向けたが、すぐにふいと逸らしてしまった。
「すみません、寝坊したみたいで……」
「特に予定はない」
 相変わらずの陰気ぶりだった。しかしそのことによって茉世は目覚めて間もなく手に入れた焦燥から、平穏というものを取り戻した。相手の態度からして、それは夢だったに違いない。恥ずかしい、みだりがわしい夢だった。けれども、それは"どこまで"なのかが曖昧なのだった。
「荷物を取りに行くんだろう。その途中で何か食べる」
「今、支度します」
 ばんが茉世を三途賽川さんずさいかわから連れ出したとき、サンダルを選んで持ってきたのは幸いであった。靴下がなくても履けるのである。彼女はサンダル以外、真新しいものであった。
 喫茶店で、サンドイッチとサラダ、ミルクティーを朝飯にして三途賽川の家へと向かう。道中、蓮は無言だった。茉世もまた話すことなど何もなかった。だが考えてしまった。不思議な夢だと思うこともできるが、妙に生々しい夢のことを。虚像の蓮について考えてしまう。彼女は左手首の脇に走る傷をなぞった。高校時代、ガラスで切ってできたものだ。出血は多く、3針縫ったが茉世からすればニュースで聞いて想像するような大怪我には思えなかった。
 保健室に飛び込んできた2つ下の1年生のこともよく覚えている。野球部を彷彿とさせるスポーツ刈りの割りにはおとなしそうな男子生徒だった。茉世よりは背丈はあったのだろうけれども、男子ということを含めて、彼女の同級生男子たちと比較してしまうとまだ小柄であったのを覚えている。色白で黒髪で内気げであった。それくらいしか、蓮を見出せるところはなかった。顔はろくに見ていなかった。痛みもあったし、血の止まらない焦りもあれば、養父に迷惑をかけてしまう点について考えてもいて、誰が原因か、彼女はあまり頓着していなかった。制服も汚してしまったし、養護教諭も走り回っていた。あまり関わりのない教師が付き添っていたのも済まなく思っていた。
 あの後輩は蓮なのか、はたまた、重なる要素によって勝手に作り出された幻であるのか。
「本家の人々によろしくな」
 三途賽川の家に着いたはいいが、彼が車を停めたのは庭ではなく、長い石階段のふもとであった。
「ありがとうございます……」
「そこを曲がった駐車場にいる。1時間くらいあればいいか?」
「はい。すみません」
「俺も少し用がある。後から行くと思うが」
 夏の日差しを浴びた黒い車は、滑るように家の前を通過する。彼の実家であるはずだ。他人事として蓮を憐れんだ。だがそれは本当に他人事であっただろうか。感情移入し、勝手に消費しているだけではなかろうか。己が当事者性から目を背け、しかし切り捨てもしない。
 茉世は階段を登っていった。よい天気だった。日差しは強いが、湿気の少ないだけで幾分、涼しく感じられた。両脇でセミが鳴き、雑木林のためにこだまして、小さな世界、閉鎖的な空間を作っているようである。彼女はまた胡乱な領域に足を踏み入れたかと思ったが、玉砂利の敷き詰められた庭へと無事にたどり着いた。
 家に入る前に、禅が前を横切った。この子供は怪我をしていた。顔中痣だらけで、右腕の肘の辺りには包帯が巻かれていた。睨んでいるのか、それが素なのか分からない眼差しが茉世に向けられた。
「こんにちは」
「………ちわ」
 人見知りの偏屈といえど、挨拶に応えるだけの律儀さはあるらしかった。
 茉世は玄関扉を開いた。茶の間からすいと蘭が首を突き出し、もぐら叩きのように引き返していった。だがすぐに驚いた顔がまたもや跳び出してきた。
「茉世ちゃん!」
 彼は相変わらずだった。明るい茶髪の中から、三角形の耳も跳び出してきた。
「お騒がせしました。荷物を取りにきました」
 詳細は辜礫築つみいしづく氏が話しておくと言っていた。
「うん、うん。ごめんね、茉世ちゃん。苦労かけたね」
 彼は式台の上で腕を開いて待ち構える。茉世は気恥ずかしく思いながらも、、その抱擁に入っていった。何の色気も他意もなかった。だからこそ彼女も、夫のこのコミュニケーションに嫌気が差すこともなかった。
「蓮は、一緒?少し話があるの」
「もう少ししたら、来ると思います……」
 不穏な空気を読み取ってしまった。そしてその点について彼女は隠し通せなかった。
「大丈夫だよ。喧嘩したりするわけじゃないから」
 意外にもこの夫は敏かった。背中を摩る手は優しい。
「お手伝いさんに付いててもらおうか」
「大丈夫です。何かあったら呼びますから」
 りんは学校らしかった。靴がない。
「にいに、誰と喋ってるの?」
 茶の間から、子供が出てきた。小学生に上がったばかりか、来年かという頃合いの男児だった。成長期にどうなるのか分からないが、ありがちな、幼少期は美男子になるのが想定される可愛らしさであった。
鱗獣院りんじゅういんげんくんです。一時的に預かることになって」
 子供は夫婦の会話に遠慮もない。蘭の脚に縋りつく。
「こんにちは、諺くん」
 辜礫築氏から話には聞いていた。だが目論見もくろみどおりの感覚は抱けなかった。所詮は他人の家の子供でしかない。
「こんにちは………」
 諺は蘭の背中に隠れてしまった。
「恥ずかしがり屋さんなんだ、諺くん」
 彼は子供を後ろから引き摺り出した。
「この人は、にいにの大切な人で、茉世ちゃん。茉世お姉ちゃんって呼んであげてね」
 諺は顔を赤くして頷いた。餅のような頬がたわんで見えた。
「それと、禅くんのあの怪我は……?何があったんですか」
 この質問は賢明ではなかったらしい。緩んでいた蘭の表情が引き締まる。
「昨日、そこの石階段から落ちたらしくて……」
「昨日……ですか」
「うん」
 一族会議のために鱗獣院家に行く前か、帰ってきた後だろう。
「そうですか。怪我はされているようですけど、ご無事なほうでよかったです」
 茉世はそうして、自室へと向かった。急に懐かしい心地がした。真新しいエアコンが白く光っている。
 荷物を纏めるといっても、引っ越しをするわけではなかった。私物が少なかったし、着る物や日用品を持っていければよかった。そう長くはかからなかった。旅行用カバンを玄関へ運んでいるときに、茶の間から会話が聞こえた。扉が閉められているのは冷房のためだけではないだろう。
『大学は辞めないで』
『無理だ。今すぐに仕事が見つかったとて、学費が払えない』
 蘭と蓮だ。
『だからそれは、三途賽川で払う。医者になりたかったんでしょ?』
『安い同情ならやめろ』
『同情?どうして三途賽川じゃない人に、"オレ"が同情なんてすると思ってるの?思い上がりだよ。それかオレを甘く見てるね。だってお医者さんって儲かるじゃない。ちゃんと働いてもらって、養分になってもらわないと困るよ。もう退学届出しちゃった?撤回しなさい』
 低い声は、もう一人、その場にいるのかと思った。だが蘭だ。彼は狐の耳だの尻尾だのを被りながら、猫を被っていたのだ。
『嫌だね』
『いくら頭が良くても、高卒の人にきっと世間は甘くないんでしょ?だから大学行くんでしょ、みんな。行ける人は。お給料が全然違っちゃうから。オレもハロワに行ったときびっくりしちゃった。だから霖ちゃんに大学進学のための進路取らせたんでしょ?蓮くんも頭下げて高校行きたがったんでしょ?オレみたいに人生終了組じゃないから』
 茉世は目を見張って。耳をそばだてずにはいられなかった。
『霖ちゃんは頭が良いから、色々受けさせてあげたいな。でも無理だね、オレは稼げないからさ。ねぇ、蓮くんがお医者さんになって、オレたちのこと養ってよ。そのためには大学卒業しなきゃでしょ?投資っていうんだっけ?オレやったことないから分かんないけど、蓮くん何でもできちゃうから、悪い投資だと思わないなぁ』
 蘭がこれほど意地の悪い、腹の黒い男だったとは!彼は猫どころか虎を被っている。ライオンを。
『ふざけるな。好き勝手言いやがって。俺には関係のないことだ』
 蓮に激したところはなかった。ただ平静を崩さずにいる。しかし内心はどうなのだろう。
『悪い話じゃないと思うけどな』
『院に進んだら?』
『稼げるお医者さんになればいいよ。別にお医者さんじゃなくても、大卒のほうが稼げるって聞いた。それなら稼げるほうに投資ベットするのが、バカなり考えた答えなんだよな』
 沈黙が起こった。
『大体さ、ここで辞められちゃうと、じゃあ今まで貢いでたのは何だったの?ってなるじゃない。親戚連中の負担を今後は少し軽減する意味合いでも、是非とも卒業はしてほしいんだ。別に何か言われたわけじゃないし、一から百、全てがすべて無駄になったとは思わないけど……』
『……考えておく』
 茉世の身体に、後ろから張り付く者があった。
『妻のこと、頼んだよ。事が済んだら、そこのプレハブを使えばいい。余計な金を使わせたくないだろ?免許更新も大学の手続きも面倒だろうし』
「にいに!にいに!」
 無遠慮な音量が廊下に響いた。
「このちと、盗み聞きしてる!にいに!」
 諺とかいう子供だった。茉世を突き出そうとしている。窃聴の罪により捕縛というわけだ。
 テーブルに膝をぶつけたらしい音が聞こえた。茶が出されていたのだろう。グラスも机上で跳ねたらしい。そして痛みに喚き、足音はうるさく、やがて扉が開くのだった。
「はぇぇ、茉世ちゃん。ごめん、ごめん。暑かったでしょ。お入り」
 茶の間には、白い猫が惑いながら突っ立っていた。テーブルが蹴られたことに魂消たまげて飛び起きたとみえる。
 控えめに、茉世はテーブルについた。蓮は吸っていた煙草を灰皿に押し潰す。
「アイスあるよ、茉世ちゃん」
 茶の間を開いた途端に、蘭は茉世のよく知る蘭であった。
「にいに!この人、盗み聞きしてた!」
「あ~、あ~、諺くん。盗み聞きじゃないよ。閉めてたから、入っていいか分からなかっただけだよ。ね、茉世ちゃん」
 彼女は雑に頷いた。ふと投げた視線が蓮とぶつかる。だが逸らされた。
「荷物は纏まったのか」
「はい……」
「まだ用は?」
「もう、無いです」
 蓮は重そうに腰を上げた。
「いいのか」
 そして彼は、子供と戯れる蘭を見遣った。
「うん」
 蓮はそそくさと家を出ていく。茉世も追った。庭に傷だらけの禅が立っていた。何をするでもなく、佇んでいる。蓮が一瞥する様を、彼女は見ていた。何も声をかけることはなかった。
 小さな菜園では永世えいせいがホースで水をくれている。
「ごめんなさい、蓮さん。ちょっと蘭さんに用があるのを思い出しました」
「下で待っている。近くに駐車場があるから、案内してもらえ」
 茉世はふたたび茶の間へ戻った。蘭はまだ諺と話していたが、妻の姿を見ると、台所のアイスを餌のようにした。
「どうしたの」
「禅くんのことで……お話が」
 レースカーテン越しに、庭で所在なく立っている禅が見えた。ベランダに近い小規模な縁側と、大きな段差がある。そこに立っている。こういうとき、本人に聞こえてしまわないか慎重になる。
「禅ちゃん……?が、どうしたの」
「昨日、同級生の女の子が来たんです」
 そして禅の同級生の女の子―本地ほんじ翠花すいかが語ったことをそのまま話した。そして彼女は加害者の人物の名を告げるとき、胸が重くなった。
「え……」
 尼寺橋渡にじのはしわたりてんの名は、蘭に大きな衝撃を与えるのだった。
「どう、取り扱っていいか……」
「霑のことは、知ってる?」
 彼女は失敗した。果たして蘭は、本当に愚鈍なのだろうか。その目の逸らし方はあまり器用ではなかった。
「存じてないんですけど、なんとなく、苗字がこう……分家のものっぽくて……」
 中途半端な逃げであった。
「似てないけど、禅ちゃんの双子なんだ。大火傷を負っちゃって……不吉だからっていうので離されちゃったんだ。死んで生まれた弟がいてね、その子は生まれつき左半身が赤くて……霑の火傷も、左半身で、よく似てたんだ。その子はせんちゃんっていうんだけど……」
 茉世はどう反応するのが正解なのか分からなかった。
「ごめんね!こんな話聞かせちゃって。分かった。それはおでがどうにかしてみるよ。蓮くん、待ってるんでしょ。わざわざありがとうね」
「いいえ……」
 彼女は徐ろに立ち上がった。蘭もすいと立ち上がる。蓮と話していた頃の空気はどこへやら、情けない顔をしてへらへら笑っている。
「……蓮くんのことよろしくね、っていうのも奥さんに言うのおかしいけど…………なんだかんだで弟だからさ。一番長くいる弟だからさ」
「はい……」
「前に話した、蓮くんが高校生のとき傷付けちゃった先輩のこと、覚えてる?あのときだと思うんだ。医者になるの目指したの。ま、いくら蓮くんが頭良くても、難しいそうだからね。ズバリお医者さん!じゃなくても、夢見たとおりのこと、やってみて欲しいんだよな。おでにはそういうの、なかったからさ」
 茉世はサンダルを履きながら、夫のへらついて緩んだ顔を見た。それが本音なのか、聞かれてしまった話を取り繕っているだけなのかは分からなかった。毛尨けむくの耳がぴこぴこ跳ねている。
「お弁当、作れなくてごめんなさいと、霖くんに伝えてください」
 彼女はまったく違うことを言った。蘭も爪先を式台から下ろした。
「茉世さん」
 菜園にいた永世が玄関までやってきた。蘭の足が式台から上がっていく。
「送ります。お車は下ですか」
「近くに駐車場があるとのことでした」
「それなら、あそこですね。分かりました」
 彼は首に掛けたタオルで汗を拭き、爽やかな笑顔を見せた。
「茉世ちゃんをよろしくね」
「はい」
 永世と出ていったときも、禅はベランダ前のコンクリートの外構に腰を掛けていた。吊り目も茉世を見ていた。
「たいへんですね、禅くん……」
「雹と雨が降りましたでしょう。あのときに足を滑らせたそうですよ」
「大丈夫でしたか?雹……」
 そういう異常気象もまったく忘れていた。
「野菜が、結構な大打撃を受けてしまって……」
 鱗獣院家でのことを訊ねたつもりだった。だが夏野菜について答えられたほうが、茉世も身近なことであった。
「ダメそうですか」
「きゅうりは。トマトとナスは瑕がついてしまって。様子見です」
 社交辞令的な、してもしなくても大したことのない雑談のつもりであったが、永世にとってはそうではなかったようだ。彼は明らかな落胆を示していた。
「また頑張ります。茉世さんからいただいたお漬物、美味しいですし。ナスのピザも」
「お漬物は、素がありますから。ナスのピザも簡単に作れますよ。ナスを切って、その上にチーズとケチャップだけですから」
「じゃあ、今度、ぼくが作ってみますから、ご指導くださいね」
 アルパカめいた睫毛に囲われた目が眇められる。
 近くのコインパーキングはすぐに見つかった。
「菜園、頑張ってくださいね。また楽しみにしています」
「はい。そう言っていただけると、俄然やる気が出てきました。落ち込んでいられませんね」
 蓮の黒い車が見えたところで永世と別れた。
「すみません。お待たせしてしまって」
「別に構わん」
 クーラーが弱く点いている。夏の日差しに炙られた身体には物足りなかったが、すぐに慣れるだろう。
「あ、あの、お金……足らないですけど、朝ごはん代くらいは……」
「要らん。持っていたほうがいい。あの家の専業主婦じゃ、自由もないだろうからな」
 シートベルトを締め、車が発進した。料金が発生する時間にはまだ至っていなかった。
 入り組んだ小道から単調な大通りに出たとき、茉世はおそるおそる口を開いた。運転手なりに気を遣ったのか、小さくラジオがついている。
「蓮さん……」
「なんだ」
「あ、あの……蘭さんの、ことですけど…………」
 嫁がどこまで介入していいものか、また、介入するべきでない問題なのか迷ったままである。しかし迷っているために黙っていることも彼女にはできなかった。彼女にそのような器用さや胆力はなかった。
「誤解しないでくれ。どこからどこまで聞いたか知らないが、あれは悪役を演じてるだけさ。似合いもしない」
 彼女の懸念は存在していなかった。呆気にとられる。
「とんだ三文芝居だ。真に受けるな。貴方の旦那はそんな拝金主義でみみっちい男じゃない」
「蘭さんのことは、別に……そんなふうに思ったりしてないです。でも、蓮さんは……どうするんですか。答えを急かすみたいですけど………」
「どうする?どうすればいい?迷っているところだ。俺は夢から醒めるべきか……」
 それは会話なのか疑わしかった。独り言のようにも思えた。
「続けられるのなら、続けるのがいいと思います。蜘蛛の糸じゃないですけど、掴めるものがあるのなら。何にも残してないわたしが言うのもおかしいですけど……夢見て長年実行していくって、そういうの無い人からすると、才能なので……」
 彼女はぼそぼそと喋った。おもねっていた。気難しいこの男の機嫌を損ねはしまいかと。そして彼女は理解した。己も蘭と同類であった。夢などなかったし、ゆえにどこを向こうかという選択もなかった。それが平穏でもあった。退屈と見紛う幸福であった。ある日、突然、後戻りのできない一本道を敷かれるまでは。
「占いって、あるじゃないですか。占いってあるじゃないですか、って変ですけど……」
「ああ」
 茉世の口振りはぎこちなかった。
「あれ、ハマる人も、別に占いを信じているわけではないそうです。もう心のうちは決まってて……それで、答え合わせじゃないですけど、傾向と対策というか……後押しを欲しているというか……だから結構、意外と、人の迷いって、本音ははっきりしてるのかもな……って。そこに事情とか、プライドとか、不安とか色々あって……でもその事情がどうにかなるのなら、がむしゃらなほうが、後悔とか、ないのかもって……すみません、何言ってるか、分からないですね。でも、だから……」
 気難しく偏屈な蓮が怒り出すのではないか、たじろぎながらも口を開いてしまった以上、彼女は喋り続ける。彼の本心が分からなかった。その本心というものが、茉世の思ったものとは違う場合も多いにあるのだ。蘭の思惑とは。
「……そうか。あと半年。正直、残念だと思った。それが本音なのかもな」
 蓮に怒った気配はなかった。優しい声音に車内の冷気が強く感じられた。
 また沈黙。しかし破られる。
「そのうちに、家事代行に男を雇うらしい。用心棒がてら。前から男手が欲しいとは聞いていた。……けれど俺が渋った。こんなことになって済まなかった。俺の落ち度でもある」
「え……いいえ、けれど…………男所帯でしたものね。わたしも、男の人がまた増えていたら、戸惑ったと思いますし、気を回してくださったのでしょう?蓮さんの所為だなんて思ってません」
「すぐに、元の生活に戻れればいいが……」
「え……」
 彼は強がっていたのか。
「俺じゃない。貴方が」
 蓮もどこかで頭を打ったのであろうか。蓮はどこかで入れ替わっている?実は双子がいるのだろうか。蓮が蓮ではなかった。あの底意地の悪い、頑固者こそ、三途賽川の抱えていたしがらみなのであろうか。今は穏和な霖も、いずれは底意地の悪い頑固物になるのであろうか。
「それまでは、ご迷惑をおかけします。蓮さんも、落ち着いた生活を送れませんし……」
「夏休みだからな。俺は、別に。こういうのも悪くない。経緯が経緯だが」
 クーラーはそう強くなかった。けれど寒かった。蓮に対する人物像を改めなければならないのだろうか。
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