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ネイキッドと翼 ケモ耳天真爛漫長男夫/モラハラ気味クール美青年次男義弟/

ネイキッドと翼 11

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 永世えいせい茉世まつよにしがみつかれたまま彫像のように固まっていた。
「すみません……もう少しだけ………」
 だが、そこに足音が近付いているのだった。
「茉世ちゃん?」
 襖が開いた途端に、茉世は永世を突き飛ばした。無理矢理に距離を作る。
「永世くんいる?」
 蘭である。堅く正座する茉世を捉え、隣を見遣る。
「ああ、蓮くんが探してたよ。茉世ちゃん、今日一緒に寝るの?」
りんくんのお弁当作るので、少し早く起きますから……」
「そうだ、そうだ、目覚まし時計。ちょっと取ってくるね」
「では、ぼくは、すぐに蓮さんの元へまいります」
 永世の一瞥に、茉世は気付かなかった。彼はうやうやしい所作で立ち上がった。
「うん。じゃ、茉世ちゃん、ちょっと待っててね」
「……はい」
 ひとりになった。意地など張っていられなくなった。蓮などどうでもよくなった。彼女は寝間着の上から小さな丸みをを掻いた。
「ぁ……ああ………」
 視界が真っ白くなるような悦びが胸の辺りが上へと広がる。それでいて、腰の骨まで淫らな痺れが駆けていった。夢中になった。脳が溶けていくのは心地良いことらしかった。
「は………ぁ、ん」
 目は蕩け、唇は濡れて、滲み出る涎は嚥下を忘れられ、口の端からこぼれていった。指で弾けば弾くほど、恍惚に囚われる。
「ぁ……、あ、あ、あ、あ……」
 寝間着とタンクトップごと摘んだ。擂る。活力の怒涛が下腹部から迫り上がった。
「あああっ!」
 溺れるような快楽に呑まれた。クリームの中を泳ぐようだった。身体を引き攣らせ、余韻のなかを揺蕩う。やがて激しい疲労へと変わったが、それは心地良いものだった。目蓋が重くなる。強烈な眠気だった。耐えられない。彼女の溶けたバニラアイスみたいな意識は落ちていく。


 襖がすす……すすす……と開いた。浴衣姿でも、黒いシャツでも、日に焼けているでもない人物が、眠りけた茉世の躯体を拾い上げた。そして部屋を出ていく。
『お姉ちゃん……?』
 眠りの中で、彼女はその声を聞いた。
『違うよ』
 ジェットコースターや、危険なエレベーターに乗っているような浮遊感のなかで、真上から声が降るのだった。ざらつきのある声質だが、不快ではなかった。濁声というにはまろさもあった。


 彼女が目を覚ましたのは、薄暗い部屋だった。恐ろしい女の呻き声が聞こえたからだった。
 ぼんやりとした燈火は蝋燭の火を思わせたが、手提げランプによるものだった。
 茉世はベッドに寝ていた。すぐ下に誰かいる。髪の長い女だった。不気味な有様である。布団に座り、項垂れて、顔は見えない。生きた人間ではないかもしれなかった。
「うぅ……」
「ひっ……」
 恐ろしくなった。街全体が心霊スポットのようなものだとは、以前に聞いた。つまり、今、それを目の当たりにしている。
 ドアが開いた。蝶番の軋みが悲鳴に聞こえる。恐ろしい絶叫に。
 光源がひとつ増えた。蓮が立っている。蓮だと思った。だが華奢になった。雰囲気が少し違って見える。何よりも、その蓮は髪が長かった。
「蓮さん……?」
「―の、妹。似てるだろ?」
 蓮の骨を削いで、縮めて、髪を伸ばせば、そうなるのだろう。よく似ていた。だが声が女のものであった。骨格も女であった。しかしよく似ていた。
「え……?」
「初めまして、義姉さん。よろしく」
 茉世はまだ理解できていなかった。蓮に妹がいる。ということは、蘭の妹というわけだ。風貌からして、霖や禅よりは年上なのだろう。だが、妹或いは姉がいるなどと、彼等は一度でも口にしただろうか。
「あの……」
 新手の詐欺ではあるまいか。部外者である嫁ならば、簡単に騙すことができよう。しかしその顔、あまりにも三途賽川さんずさいかわの次男に似た面構えは、嘘とは思えなかった。
「もう1人くるからちょっと待ってろ」
 蓮の妹を名乗る女は、スマートフォンの明かりを点けていた。傍へ寄ってくる。ベッドのすぐ下の布団に座る、髪の長い女が鮮明になる。
「義姉さん。姑に会ってみたくないか」
 その口振りから、察することができた。
「その人が姑だよ。―母さん、この人が蘭の嫁だよ」
 蓮に瓜二つの女は、髪の長い、項垂れた女へと近付いて背中を摩る。病気か怪我をしているらしかった。蓮と同じ顔をした者の声音が柔らかくなる。
「お義母さん……?」
 茉世はベッドから降りた。そのときにまたドアが開いた。光を向けられて、彼女は顔の前に腕を翳した。
「ほぇえ~」
 ふざけた音吐おんとは蘭を連想させる。
「起きたんだ、蘭の嫁」
 入ってきたのは、男にしては少し高いが、女にしてはいくら低さと癖のある声をした人物だった。
「蓮の弟で霖の兄です。本当の三男っす。うっす、よろしくっす」
 おどけた、妙な人物だった。しかし服装が今風の若者らしく、俗っぽい。明るい茶髪で、兄弟の誰とも似ていないが、蘭の面影が強かった。
 茉世は戸惑う。忽如こつじょとして蓮の妹だの、本当の三男だの、訳が分からない。だが信憑性はあるのだ。その容貌である。
「あ、信じてなぁ~い」
 本当の三男だとか言い出したほうが無遠慮に顔を寄せた。
「そいつのこと知らないか?」
 蓮の妹を名乗るほうが訊ねた。
「すみません……そんな話は、聞いたことがなくて………」
「そらそうだろう。禁句だからな。あたしなんかは、多分霖も禅も知らんだろうよ」
 茉世が蓮の妹とかいうのを見遣ると、本当の三男だというのが、視界に割って入っる。
「義姉さんはあんまり、テレビとか観ないんだ」
 確かに可愛らしい顔立ちであることは否めなかったが、仕草がいちいち妙にあざとい。
「ごめんなさい。あまり観なくて……」
「オレね、オレね、アイドルなんだよ。すごいでしょ」
 自己主張の強い人物らしかった。その一言を彼女は信じなかった。アイドルと古風な価値観の三途賽川。繋がるはずもない。
「ア……アイドル………?」
 アイドル的なキャラクターであるという意味合いかと思われた。
「そうだよね、ママン。オレ、アイドルなの。今度テレビ観てね!」
 茉世は姑だという女を見た。反応は薄い。蓮の妹という女のほうへ目を遣った。
「三途賽川がそんなもん赦すわけねぇだろ?勘当かんどうされたってわけ。あたしは女だからね。三途賽川に女は要らないのさ」
「そ!つまり、オレ等は三途賽川落ち溢れの寄せ集めってこと」
 だが彼は胸を張った。そこに何の後ろめたさもないようだった。
「義姉さん。ガキは作らねぇこったな」
 同じ顔をして、反対のことを言うものだった。その顔で、子を作るなと言われるのは奇妙な心地だった。
「蓮のオニイチャンは作れって言うだろ。甥っ子ができて、一番美味いところにありつけるのは次男あいつなんだからな。媚び売っとくことだぜ。次男あいつが司令官になるんだからな」
 だとしたら、すでに失敗している。次男に嫌われるようなことしかしてこなかった。
「義姉さん。この家に女が生まれるのは罪深いんだ。次男以外は得しない。男が生まれてもな。悪いことは言わない。子供は作るな」
 夫と義弟たちを産んだという女は、背を丸めて啜り泣きはじめる。茉世は彼女を見下ろした。
「母さんはあたしを傍に置いてくれたから、こんな暮らしをしてるんだよ。本当は、女は養子に出さなきゃいけないのさ」

―うちに女児は要らん。分家の養子に出す

 蓮の言葉が甦った。
「ああ、ごめん、姉ちゃん。オレそろそろ時間だわさ」
 自称「アイドル」の自称「本当の三男」はディスプレイ型の腕時計を指で叩いた。
「ごめんね、義理の姉ちゃん。売れっ子アイドルだから、ケツカッチンで。んじゃ!会えて嬉しかったよ」
 軽快な調子で、彼は顔に掌を立てた。
「待って。お名前を教えてください」
「ロンリーハートの、元気な末っ子イエロー・バンビこと、六供園正城ろっこんせいじょうばんだよ!」
 彼は、おやゆびで薬指と小指を留め、開いた示指と長指を片目の横に添えた。
「絆さん?」
「そ!じゃ、ね!いびりに負けるなッ!」
 賑やかな風のようだった。静けさが残る。
「分家の中じゃ、まぁまぁ穏健派の六供園正城が引き取ってくれたからなんとか……」
「あなたは……?」
「あたしはじん
「どうしているんですか、あなたは……」
 弱い明かりのなかで、尽と名乗った蓮の妹は、薄らと笑った。三途賽川の次男とよく似ていた。
「三途賽川本家と分家の血筋ってのは便利だよ。義姉さん、じゃあ、また今度会いにくる」
 ランプの光がかちかち点滅した。そして消える。


 はっとして身体を起こした。扇風機が回っている。何もない、空っぽの部屋だった。青白い光は蛍光灯だった。グレーのカーペットに壁紙のない白塗りの壁と、真っ黒に塗り潰された窓。レースカーテンがついている。塗り潰されているのではなく、夜だった。
「マミーに会えた?」
 出入り口は掃き出し窓とすぐ真横にドアポストのついた扉があった。そこに蘭がこちらに背を向けて立っている。三角形の耳は生やしていなかった。オレンジに近い明るい茶髪は、記憶に新しい。
「わたし……え?」
 まったく訳が分からなかった。夢だと片付けられることだった。だが夫の一言が掻き回す。
「蘭さん……蘭さんのご同胞きょうだいは、蘭さんを除いて、3人ですね……?」
 夫が振り返る。意味深長な笑みを浮かべていた。どこか苦りきっているようでもある。
「今は、ね」
「今は……?」
「茉世ちゃんの義弟おとうとは、3人」
「蘭さんの、弟は……?」
 答えはなかった。
「行こうか、茉世ちゃん。お部屋戻らないと。ここじゃ暑いし、背中痛いでしょ」
 彼はドアを開けた。茉世が扇風機の電源を落とし、コンセントを抜いて、夫の後を追ったとき、彼はドアのすぐ向こうで腰を屈めた。それが何を意味しているのか、彼女には分からなかった。
「靴無いから背負ってあげる。乗って」
「でも……」
「電気消して」
 彼女は手を横に伸ばして明かりを落とす。
「茉世ちゃんがちょっと重くても、背負う力って結構強いから、へーき!」
 茉世は渋々、夫の背に乗った。靴がない。どうやってここへ来たというのだろう。そこは三途賽川の敷地であった。黒い車が、持主よろしく闇に溶け込みたがっている。蓮のことを想うと、急に息が苦しかった。だが正確には蓮のことではなかった。蓮と同じ顔をした女という、頭のおかしな夢を思い出すと。
「変な夢をみました」
「どんな夢?」
「蓮さんが女の子になる夢です。でも、蓮さんとは正反対なことばかり言って……」
 夫の下駄が玉砂利を踏むたびに、小気味良い音がする。
「蓮くん美男子《キレー》だもんな。女装とか似合いそうだもんね。でも骨太か!蓮くんと禅ちゃんはマミー似なんだ。あの綺麗な髪がさ、羨ましかったな。おでも霖ちゃんも、染めないとでしょ」
「蘭さんは、お耳のことがあるので、この髪色がよく似合ってると思います」
 洗髪後の明るい茶色の毛先から、うなじが晒されていた。俯いているのかと思った。
「すみません……おかしなことを言ってしまいましたか」
「ううん。確かになって。なんか、嬉しかった」
 母屋に入り、玄関ホールで下ろされる。彼は座っていた。
「重かったですか?」
「ううん。今日の夜は涼しいなぁって。でも冷房消しちゃったらさ、寝てるとき蒸し暑いんだろうね。だからちょっと、暖を取ってるの。おやすみ、茉世ちゃん。明日も早いんでしょ?」
「はい。お騒がせしました。おやすみなさい」
 夜涼みならぬ夜温みをしている夫に頭を下げた。彼は微笑していた。配偶者としては悪い人には見えなかった。ただ、家が家なのだ。信頼はできない。何より、感情も育たないまま関係を決着させてしまった。
 部屋に戻ると、すでに布団が敷いてあった。枕元には目覚まし時計が置いてあった。時間を設定する。冷房から除湿に切り替えて、これにも制限時間を設けた。
『茉世義姉さん……いらっしゃいますか?』
 そろそろ布団に入ろうという頃にやってきたのは霖だ。
「はい。どうぞ、入ってください」
 襖が静かに開かれた。兄たちには似てほしくない雅やかな所作である。
「今日はお弁当、ありがとうございました。とても美味しかったです」
 中へと入り、旅館の従業員の如く、隅へと腰を下ろす。
「いいえ、お粗末でした。明日も必要ですよね」
「お願いしてもいいですか」
「もちろんです。永世さんからも夏野菜をいただけることになりました。必要でないときに言ってください」
「ありがとうございます。自転車のことで来ました。これ、鍵です。買い出しのとき、車を出してもらえるのがいいと思うのですけど、そうもいかないこともありますから、一応渡しておきます。すみません、今日は。気が利かなくて……一悶着あったのでしょう?」
 茉世は首を振った。気落ちしたような霖の姿に、蓮が憎くくなる。
「霖くんの気にすることじゃないわ。ありがとう。大切に乗るね」
 鈴とキャラクターのラバーストラップがついた自転車の鍵を渡される。掌へ、ことりと落ちた。
「高さは好きにいじって大丈夫です。僕は別の自転車に乗りますから。それでは、寝る前にすみませんでしたね。おやすみなさい」
 頭を下げ、颯爽と彼は戻っていった。徒歩で帰ることを想定していたために、今日は冷凍食品や、かまぼこ、漬物など、加工されたものばかり買っていた。だが夏野菜を分けてもらえるらしい。霖には協力したかった。次男のようにはなってほしくなかった。
 布団へ入ると、冷気が心地良かった。意識ごと身体が溶け広がっていくようだった。今日あったことが脳裏を巡る。そして永世のことが気になった。夕食時、部屋を訪ねてみてもいなかった。けれど思い悩むには眠気に呑まれていた。




 目覚まし時計の鳴る1分前に目蓋が持ち上がった。実体のない達成感を覚える。そしてアラームが鳴った。夏の朝はすぐに明るくなる。
 台所へ向かうと、そこを寝室にしているのがいた。左右に首を振る扇風機の音が、静かな朝を知らしめた。
 茉世は忍者の気分だった。テーブルに触れぬよう、身を縮め、差し足を意識する。無人の間に扇風機が点け放しのようであった。だが、水道は無情だ。悲鳴のように軋り、シンクへ水を叩きつける。
 息の詰まったような、くしゃみが不発に終わったかのような反応を示して、台所で寝ている者が上半身を起こした。
 茉世はそれを一瞥しながら、テーブルの上のざるにある夏野菜を手に取った。俎板に乗せて、淡々と切っていく。
「手袋をしろ………手が荒れる……」
 世間でいう姑みたいな小舅は、むにゃむにゃと眠げに喋った。寝呆けても小言を諦めないらしい。
 茉世は言われたとおりに使い捨ての手袋を嵌めた。夏である。食べる物には極力、素手で触らないほうがいいのだと彼女も判断した。
 きゅうりを切り、半分はちくわに詰めるつもりだった。もう半分は浅漬けにして、永世と食うつもりでいた。
 冷蔵庫には茉世のための専用スペースが設けられていた。中にはかまぼこや、煮豆の加工食品が入っている。
「あたまいたい………」
 必要なものを出していると、寝言が聞こえた。彼女は振り返った。伸ばした腕を枕にして、酒瓶の横のグラスを指でぴんぴん弾いている。酔っ払いだ。
「お味噌汁でも飲まれますか」
 電子レンジの乗ったラックの下にはインスタント食品が詰め込まれていた。そこにはインスタントの味噌汁もある。掴んで、目の前に置いてやった。
 酔っ払いに構わず、彼女は卵を焼き、冷凍食品を電子レンジに任せ、梨を剥く。次は弁当箱に詰める作業だった。
「うう……」
 テーブルをベッドだと思い込んでいる酔っ払いがまた呻いているのを聞いていた。弁当箱の蓋を閉め、バンダナを結び、冷蔵庫に戻す。洗い物は朝に家事代行の人がやるという話になっていた。彼女は自室に戻るつもりでいたが、テーブルの上で寝苦しそうな次男の姿を気にしてしまった。
「蓮さん、お部屋で寝たらどうですか」
「………うん………」
 彼は素直に承知するが、口だけである。動く気配はなかった。
「蓮さん」
「のど、かわいた………」
「そうですか」
 元気そうである。彼女は自室に戻りたかった。しかし、見てしまった以上は気が咎めるのだった。自身にうんざりしながら、酒瓶の横にあるグラスを取って、水を注いだ。
「この時期にこんな飲み方をして、熱中症になりますよ。蓮さん!」
 グラスを傍に置いた。瞬間、引きかけた右腕を掴まれる。驚きのあまり声も出なかった。やがて恐怖に変わる。彼女は後悔した。ろくな人物ではないのだ。関わるべきではなかった。情を傾けたのは浅はかだったのだ。
「蓮さん……」
 引き寄せられた腕が柔らかいものに押し当てられる。彼は右の手首に唇を寄せた。
「ちょ……っ、」
 腕を取り戻そうとしても、蓮の力は強かった。唇に留まらず、頬擦りまでする。
 そこに、台所へ入ってくる者があった。霖ではなかった。朝から目にするのは眩しいような白いシャツに、淡いブルーのハーフパンツである。髪質のせいか朝からセットされたかのように整っているために、繊細な印象を受けた。永世だった。彼も寝呆けているのか、鈍い視線で台所を見回し、茉世と蓮の姿にぎょっとした。
「おはようございます……」
 窺うように彼が先に口を開いた。
「おはようございます……あの、夏野菜、使わせていただきました」
 人懐こい犬みたいになった小舅に纏わりつかれながら彼女は返したが、その口調は硬い。
「……お役に立てればよかったです。あの………い、一体、何を……されていらっしゃるんですか?」
「酔っ払いに絡まれてしまって……頭を痛がっているので、お部屋に連れていきたかったのですけれど……」
「では、ぼくも手伝います」
「ですが、何かご用があったのでは?」
 永世は小さな照れ笑いを浮かべた。
「少し、お待ちください」
 麦茶を飲む姿を、テーブルを隔てたところで見ていた。喉の隆起の浮沈ふちんに、猟奇的な色気を感じる。美しい男だった。養父ほど耽美で妖艶ではないが、爽やかで健やかな魅力がある。瑞々しかった。
「あ……あの、何か………その、ぼくに不手際がありましたでしょうか………」
 麦茶の失せたコップを下ろし、アルパカめいた睫毛と、日焼けに紛れながらも赤い顔が伏せられた。
「え……?」
「いや………あの、そんなに見詰められると………」
「ご、ごめんなさい」
 昨晩のことが思い出された。彼に醜態を晒しのだった。茉世も顔を背けてしまう。
「すぐに手伝います」
 永世は茉世から蓮を引き離すが、そう簡単にはいかなかった。素面しらふが強情な男だ。酔っ払ったからといって軟化するわけでもなかった。茉世の腕を放させた途端、蓮は永世を殴った。派手な音をたてて、彼は転がった。
「永世さん!」
「痛……っ」
 照れとは違う、頬の赤み。茉世は肝を潰した。恐ろしい酔っ払いから、彼女は義理のいとこを庇ったが、蓮は追撃をするでもなく、ふたたびテーブルへ伸びてしまった。
「頭を打ってはいませんか?どこが痛みます……?」
「頭は打っていませんよ。少し肩を。ご心配には及びません。平気です」
 彼はすぐに身体を起こした。だが警戒していた。茉世と蓮の間に腕を構え、立ち上がる。
「やっぱり放っておきましょう。巻き込んでごめんなさい。蓮さんはこのままにしておきましょう」
 ふと、永世が動きを止めた。頬を赤くしながら、台所の出入り口を凝らしている。彼女はそれに気付き、視線の先を追った。霖が唖然として立っている。いつからいたのだろうか。
「霖くん……」
 声をかけると、少年は急に表情を歪めた。瞳から水気を絞ったかように、普段は澄んでいる目から涙が落ちる。
「恥ずかしいよ!兄さん!自分が恥ずかしいことが、どうして分からないの!」
 霖は兄嫁もいとこも見えていないような有様だった。テーブルに近付いて、次兄へ吠える。当の本人は、まったく知らん顔をしていた。寝ているようだった。突っ伏して、顔は見えなかった。
「最悪だ!最悪だ……!」
 羞悪に涙する霖を見ると、茉世も胸が痛くなった。その横で、永世の透き通るような美貌がいかめしくなる。物腰の柔らかくたおやかな空気感を消すことはできたらしい。
「部屋に戻りますよ、蓮さん」
 力加減も違っていた。永世は蓮を連れ出した。茉世は、泣いている霖を見遣った。
「すみません、朝から、変なところをお見せして」
「大丈夫よ」
 まだ彼の感情は昂っているらしかった。上擦った声が痛々しい。
「一番恥ずかしいのは、飲んだくれてああいうことをする蓮兄さんなのに……」
 日頃から弟たちにも口煩いのだろう。
「まさか、永兄さんを殴るなんて……永兄さんが、もう来てくれなくなっちゃったらどうしよう……?帰っちゃったら……」
 彼は顔を覆って咽ぶ。茉世はこうなることを、まったく想像していなかった。永世を巻き込んだことを後悔した。
「永世さんは、大丈夫。わたしが手当をしたおくから、霖くんはお部屋に戻ろう?お茶飲みに来たのかな」
 彼の年齢の割りにほっそりした肩を抱いて、冷蔵庫のほうへ促した。
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