彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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のろのろと飯を食っている極彩の背中に張り付く。膳についてきた甘味を渡すと離れ、黙って食いはじめる。
「何の話してたですか」
 しかし静かでいたのも一瞬だった。突然話を止めた2人に敏く気付いていた。
「これからどうすっかって話」
 大男の分厚い唇が苦々しく笑う。小賢しい竪子じゅしは銀灰を気にした。
「この人、お姉ちゃんに似てないです」
「血、繋がってないから」
 桃花褐は男児の問いにいくらか気を揉んだらしかった。しかし極彩は淡々と答える。それでもまだ彼は意識の有無も曖昧な少年を見つめている。
「血、繋がってないのに弟ですか」
「そう。家の都合でね」
 目も合わせず彼女は答えた。うぐいすは爪を齧るようにして横になっている少年を見下ろしている。
「ぼくもいつか家族、作るです。血、繋がってなくても」
 桃花褐は日常的に緩んだ表情をさらに緩んだものにするが、極彩は聞いているのかいないのか、何の反応も示さない。
「明日帰るから本当について来るのなら支度をしておいて」
「はいです。ぼくはこのままで大丈夫ですよ。持ってるものなんてありませんから」
 男児は哀れっぽく目を伏せ顔を伏せた。すると室内に乾いた音が立つ。大男の大きな掌が打ち鳴らされたのだった。
「とりあえず、銀灰クンの体調を好くしてやらねェとな。俺たちがごちゃごちゃ言ってちゃ、治るもんも治らねェ。来たところで悪ィが、帰るぞ、坊主っくり」
 桃花褐は子供を抱き上げ、半ば強制的に連れ出してしまった。去り際、極彩は逞しい指に眉間を突かれる。皺が刻まれていた。
「じゃ、明日か。向こうでまたな」
 2人が帰るとそう広くもない部屋は急激に静かになる。義弟の息遣いが聞こえた。
「銀灰くん……」
 痩せこけた頬に触れる。窪んだ目元が痛々しい。痣のできた目蓋が薄く開く。
「いちごの……牛乳うしちち……」
 極彩は目を見開いた。立ち上がりかける。
「飲みたい?今買ってくるから……」
 彼女は義弟の次の句も聞かずに宿を飛び出した。萬屋よろずやが近くにあったのを目にしている。衣類の裾を乱すのも構わなかった。少年が喉を渇かしているのかと思うと、彼女の喉はひりついた。足音を鳴らし勾配を上がる。反対から馬がゆっくりと下りてきていた。蹄と石畳とがぶつかり、耳に小気味良い。その馬が曳く車とすれ違う。窓に掛かった垂幕が開く。何かを訊かれるものと思った極彩は思わず中を覗いてしまった。
 黒く長い髪とそれを束ねる大きなリボンがまず認められた。吊り気味の双眸が呼吸二拍分ほど差をつけて彼女の脳裏に甦る。口には布が噛まされ、尋常の様子ではなかった。極彩は車内にいるこの人物を知っていた。通り過ぎる。立ち止まる。踵を返した。追える速さである。凡人には分からない趣味の悪い遊びに興じているのだろうか。車窓からくつわを嵌められた子供の姿が現れたなら、目撃者は驚いてしまうだろう。何よりもその人物は、もしかすると国の行く先を担う可能性が無くはないのである。三公子なのだ。女の身の上ではあったけれど、世間ではそうではない。彼女は男子なのである。三公子は男子ということになっている。妙な悪戯はやめさせなければならない。彼女の兄は恐ろしい。簡単に弟―妹を処すに違いない。
 極彩はまったく、この国を訪れた意味、理由を失していた。いつの間にか風月国の末の担い手の身まで案じている。否、もしかすると彼女は悪逆非道な兄を持ち、民草を欺き、こうして抜け出てきた少女の身に同情を寄せていたのかも知れない。
「三公子……」
 駆け足になり車の布扉へ手を伸ばす。その瞬間に戸板代わりの厚布が開けられた。出てきた腕に掴まれる。そのまま引っ張られたのだった。転倒を恐れた足取りはそのまま馬車に沿い、やがて車内に引き摺り込まれた。反射的に框を跨いでしまった。突き飛ばされるとさらに車の奥に踏み込む。目の前には拘束された三公子の姿があった。後ろ手に縛られ、口も塞がれ、足首も封じられている。
「三公子」
 女衒ぜげんに捕まったのかと一瞬考えた。男児に身を売らせている店があるくらいだ。女を売る店があることも容易に連想できる。
「三公子だと、思うたか」
 耳元で艶めいた声がした。囁きだ。顧眄こべんしかけたが、俯きがちだった三公子が徐ろに面を上げたためそちらに意識を奪われた。はじめ極彩は、自分が見られていると思ったがそうではなかった。三公子はその後ろの人物を強く睨み上げていた。
「お前が来るのなら”三公子”に手出しはしない」
 三公子までこの耳打ちが届いていたのかは定かでない。ただ、その少女は首を横に振った。
「三公子を放せ」
 毅然とした語気で極彩は言った。
「殊勝なことだ」
「思いどおりにいかなかったら、またどこかを焼くつもりなの?」
 耳奥まで湿った質感を帯びて聞こえる。作られた声でもない。真後ろに立つ人物のおそらく地声だった。そういう者を一人知っている。
「そうすることもやぶさかではない」
 極彩は自ら席に腰を下ろした。この車内に引き入れた人物を三公子と同じく睨み上げる。顔半分を仮面で覆い、夜の渓流を彷彿とさせる冷ややかな黒髪を毛先で大きく巻いている。晒された目鼻立ちは端整だ。化粧で彫深く、目を大きく、唇は赤く強調されている。極彩の曖昧な記憶では仮面の下から火傷の痕が比較的無事な片側まで伸びているはずだったが目を凝らさなければ分からないほど薄くなっている。これもまた化粧であった。女の身形をしている。彼は干し花や艶やかに照る鳥の羽根の挿さった帽子を被った。つばが広い。そこから垂れた服飾も兼ねた透かし布によって仮面を外しても熱傷により拘縮を紛らわせるのだろう。
「三公子を……」
「不言まで帰る。どうせそこが狸穴まみあなだろう」
「信用しろと?すぐに放しなさい」
 不言通りの爆破犯の眼を見つめる。
「その娘のいましめで縛ってやる。手前の手で外せ。他人の体温は好かん」
 促され、極彩は三公子の拘束を取り外す。少女はちらと彼女に目を合わせ、その直後、今まで捕まっていたとは思えない俊敏さで車窓から飛び降りてしまった。そう長いこと捕縛されていたわけではないのだろうか。痺れも血流の滞りも感じさせなかった。城で見せていた愚鈍ぶりこそが、官吏や兄の目を晦ますためのものだったのかも知れない。
「動くな」
 跡のついた布縄を放火爆撃犯の首謀者・すずは麗らかな所作で拾った。
「今度は何が目的なの。どこを焼くつもり」
 彼は嫌味を気にしたふうもない。返答することもない。極彩の両腕を取って縛りはじめる。
「もう街を焼くのはやめて。何が目的なのか知らないけれど、関係ない人を巻き込むのは……」
 錫は口角を上げた。
「復讐を志す者は、殺戮をも覚悟しなければならない」
 耳のさらに奥、頭の中にまで吐息を送り込まれるような甘い声だった。それはやはり作られたものではなく、彼の元の質らしい。
「そうだな?そうでなければ、ただの虚勢だ。一時的な虚栄心だ」
 錫は帽子のひさしから垂れる網布の下、顔を半分覆う仮面に手を添える。
「すべて殺す覚悟でなくてどうする。情を持つならば、その怒りは嘘だ」
 自分の仮面に触れた手はすぐに離れた。彼の両手は極彩の頬を捉える。眼前に双眸が落ちてきた。片方は仮面の孔から焼け爛れて引き攣れた皮膚も見える。
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