彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
上 下
303 / 337

303

しおりを挟む
「でも今日のあの男!あの男はね、アテクシが何も訴え出られない世話係なのをいいことに、毎日毎日、毎夜、毎晩、アテクシを辱めたの!あの兄弟の父親なんだから、たとえ当時のアテクシが何を言っても、どうにもならないわ。結婚しよう、駆け落ちしようと言って、アテクシを嬲った。当時のアテクシは……こんなことはおかしいと思ってたの。どうすればあの男がアテクシを諦めてくれるのか……あの男は野獣よ。自分の好みじゃないなら、殴れるし蹴れるの。そういう男。だからアテクシ、女になりたかった。あの糞尿みたいな男が嫌う女になれば、あの糞尿男はアテクシを手放すと思った。アテクシ、毎回女子部に通ったの。最初は色々言われたわ。女漁りをしているだとか、男の身を捨てる気かとか、正気じゃない色狂いだとか、そういうこと。アテクシ、女の身の窮屈さもいっぱい聞いたわ。女の生きる道の苦しさも、やりづらさも………でもね、アテクシ、あの男だけはどうしても許せなかった。どうしても…………女になるってものは逃げ道にするってものじゃなくても………」
 話している始めのほうは淡々としていたが、その語り口は少しずつ熱を帯びてきていた。杏や菖蒲に驚きはない。深く聞き入っているような、自ら空気に溶けていくような態度だった。
「あの男はアテクシの企みどおり離れていったわ。アテクシ、やっと自分らしく生きられると思ったの。あの男がもういないなら、アテクシ、男って性別モノに戻ってもいいし、周りの扱いはやっぱり女になりたがってる色情魔ってやつで、アテクシも身体に刃物を入れたけれど、やっぱり男なんだなって思うの。でもね、女でも男でもなんでも、今の季節は何色の口紅が出てるだとか、どういうドレスが着たいだとか、それに合う髪を決めたり、楽しくなっちゃったのね。アテクシ、みんなとお風呂入るのは諦めるし、生まれながらの女に怖い思いさせないわ。だから好きにやるの。女を逃げ道にしてまた男に戻るとか、本当は自分は男なのに女の道に惹かれるだとか、こういうところが本当にあの男みたいに都合のいい加害者みたいだってことも、葛藤するのはやめたの」
 柘榴は声を震わせた。黒ずんだ涙が落ちていく。この者の悲痛な記憶が極彩も自身に置き換わって生々しく内部で腫れていくのを感じた。
「そういう男だから、アテクシ、さすがに銀灰ちゃんに手を出したりなんてしないと信じたいケド、信用なんかできるワケない。あの男はサイテーのクズよ。確かにアナタと二公子がどうにかならないためにするにはこれが一番かもしれない。でもね、それならどうしてアナタと銀灰ちゃんを姉弟きょうだいなんかにしたの………縹くんは何を考えていたの……銀灰ちゃんは親父さんを殺した輩の義兄弟になるのよ。信じられる?白磁くんの墓石を踏み倒して小水をかけてるのと一緒じゃないの…………」
 柘榴はドレスと同じ色の手巾で目元を拭き、千切れるほど握り締めた。
「だからだと思いますよ。銀灰さんの身の保障のためです。白磁さんは反逆の徒ですから、銀灰さんの今後の身の上を考えると、これもまたひとつ、彼のためでも……」
 柘榴は菖蒲をきつく睨んだ。それから極彩に噛み付きそうな顔を向けた。
「すみません、ちょっと待ってください。あの人は二公子の父親ということは、風月王ということではないのですか」
 頭の中は雑音にまみれ、柘榴の昔話は聞けていたが、その前提の話となると途端に分からなくなる。何かまったく別の話をしているような。彼女は自分の解釈に疑問だけが残っている。酒気を帯びているのも原因のひとつに違いない。
 柘榴は美しく描かれた眉を顰め、菖蒲は口をぽかんと開けていた。杏は静かに目動まじろぎ、傷のある唇が動いた。
「風月王は……公子の、母親にあたる………」
 極彩の目が見開かれる。
「そうです。それで、あのろくでなしは世間的に言えば内縁の夫ということです。種が得られればもう用済みということです」
「法律があのクソ男を浮浪者にしたってね、認識と後世に遺る家系図じゃ、あのクソ男と銀灰ちゃんに線が結ばれるのよ。穢らしい!」
 縦巻の金髪を揺らし訪問者は声を荒げた。茶に波紋が描かれる。極彩は卓袱台に目を這わせ、呆然としている。まずは酒飲野郎だの、ろくでなしのクソ男だの呼ばれている男の顔を思い出そうとした。
「銀灰さんは縹さんの遺言書に従うと思いますよ」
「義姉弟をやめなさい。あの子に相談したら、笑ってガマンするに決まってるんだから。後見人は死んだことにでもして伏せて、義姉弟をやめればいいの。異議申し立てをして。まだお役所は開いてるでしょう?」
「柘榴……これは白梅と銀灰の………問題だと、思う…………」
 杏は柘榴に視線だけくれた。
「縹くんはもう少し頭がいいと思ってた。亡くなった人を悪く言うのは気が引けるケド、縹くんは第一公子の面影を追ってだけ。生きてる銀灰ちゃんのコトなんてどうでもよかったのよ。どうでも………」
「それを極彩さんの前で言うのは酷ですよ、柘榴姐さん」
 極彩は困惑気味に眉根を寄せた。不快感と得心が鬩ぎ合っている。
「何が柘榴姐さんよ、年増扱いして。菖蒲じじいのクセに。年齢詐称やめないよ」
 菖蒲の注意によって派手な身形の客人は一気にしおらしい態度へ変わった。
「………すまない、白梅。柘榴が、偏ったことを……言っているのは、杏から…………謝る。でも………柘榴のつらかった日々…………感情的になってしまうのが……杏も…………分かるから」
 極彩が杏の申し訳なさそうな表情を目にし、俯きかけたとき空が鳴った。手叩きの音に似ていた。
「花火は中止にならなかったんですね」
 菖蒲が呟き、彼は杏とともに縁側に並んだ。夜空に花火が咲いた。次々と打ち上げられていく。
朱華はねず煙火のおっさん、跡取りいたのね」
 室内は静かになった。まだ夏は遠い。
「なんだかどっと疲れた。難しい話はまた後にしましょ。アテクシは言いたいコト言えたケド、アナタからは?」
 花火の音の影で柘榴が極彩を見遣った。杏がこの真紅のドレスの連れの肩に腕を回し寄り添った。極彩は横に首を振り、夜空から目を離すと瞬花に紛れ帰ろうとする客人たちを見送ろうとした。
「いいわ。アナタは花火、楽しんで。明日から忙しくなるんでしょう?」
 気の強すぎる来訪者は消沈しているようなところがあったが、杏の鋭くも優しい眼差しが極彩の憂慮を無言のまま一手に引き受けた。廊下に出ていくまでを見届ける。菖蒲は彼等が帰ったことにも気付かないのかぼんやりと空を仰いでいた。
「翻弄することは、あの方も分かっていたはずなんですがね」
 鯉が息をするように中年男はぼそりと喋った。
「誇りとか矜持とか自尊心で、人は生きていけないし、誰かを守れないのも確かです。頭を下げて、持論を曲げて、恨まれる道を選ばなきゃ背負えないこともある。あの方は極彩さんと銀灰さんを守っているつもりだったんです。ボクも多少の疑問は否めませんが、おそらくこれが最善の道だったとも思っています」
 涼しげな目は花火から一度も目を離さなかった。
「仇と親戚になるのは酷です」
 極彩は他人事のように口にした。
「ボクもそう思います。柘榴さんもそう思っていながら、他の道が難しいことを知っているから故人に怒るしかないんです」
「銀灰をくんときっちり話すしかありませんね……この問題は」
 またもや極彩の言葉は他人事のようだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

婚約者を友人に奪われて~婚約破棄後の公爵令嬢~

tartan321
恋愛
成績優秀な公爵令嬢ソフィアは、婚約相手である王子のカリエスの面倒を見ていた。 ある日、級友であるリリーがソフィアの元を訪れて……。

処理中です...