彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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開店前の女性従業員の店内出入りは禁じられていた。極彩も時折配置される奥まった個室に誘うように踏み入った。備品に触るなという注意は必要がないほど彼等彼女等は分別があった。子供たちは壁や床を指している。控室に戻りましょう。男性従業員に触れられる。静電気が起きたようにその腕を跳ね除けてしまう。触るな!と拒絶する気もなかったが口は勝手に怒鳴っていた。ごめんなさい。怯えた彼の目を見て謝る。そろそろ戻りましょうよ。訳の分からない遊びは終わりにしようとばかりに子供たちをまとめようとした。ちかちかと目の前が明滅する。色街のさらに奥にある霓虹灯の看板を見ているときの奇妙な気分に襲われる。脳裏で成長しきっていない肉体が暴かれていく。首に模様が浮かぶ。場面が変わり、小さな歯が紙の上にいくつも転がった。縄が畳を這う。頭痛と吐き気と嫌悪が一気に押し寄せた。青白い子供たちはもう極彩から関心を逸らし、壁や床の一点を指したまま固まっていた。膝を着いた極彩に男性従業員は狼狽える。桃花褐との会話がふと蘇った。彼は「床下」と言った。青白い子供たちの半数は確かに床を指す。この下に何かある。違法賭博か脱税の証拠があるのかも知れない。開店にはまだ時間があった。真珠ぱぁるさん。男性従業員に腕を掴まれ支え起こされる。ダメですよ、開店前に入っちゃ。早く戻らないと。規則を破ったことには目を瞑るらしかった。青白い子供たちはまだ飽きもせず床や壁を指していた。
「この下、何があるの」
 膝に力が入らず男性従業員の腕に引っ張られる。口にした途端に彼は妙な顔をした。振り向く。青白い子供たちなどそこにはいなかった。とうとう菖蒲から指摘された神経症というものが正気まで蝕んでいるらしかった。
「何でもない。忘れて…」
 真面目な若者は戸惑いながらも分かったと言った。控室の前に出勤していたらしい支配人が立っていた。解雇クビだ、真珠。今日付けで辞めろ。極彩よりも先に隣の従業員が声を上げた。他の奴等には説明しておく。小さく頷く。荷物を持って裏口で出勤してきた店長とすれ違う。肩を叩かれ、いつものように一緒に帰る約束をされた。はい、と返して店を出る。突然の解雇にまだ整理はつかないまま、関係者ではなくなった色街を後にした。桃花褐の陰がちらついた。客を診療所送りにしてしまったことか。帰宅すれば明日から自由の身かも知れない。蟄居が解け、女豹倶楽部で働くこともない。二公子には傷ひとつない人形がある。喚いて喜んだ自由を描いて、重苦しくなる。女豹倶楽部の開店時間になる。急遽予定が空いてしまった。紫煙を呼ぶが誰も現れることはない。不言通りに出て安い居酒屋に入った。しかし品書きに目を通しても酒を飲む気もなく、甘橙の糖蜜果汁を頼んだ。淡藤に会わねばならない。予想外の結末だった。深く溜息を吐く。自殺未遂をした者というただでさえ接するのに気を遣う事情を抱えている。そこにさらに気苦労をかけてしまう。反省会をはじめてみるが、活かすことなど今後そうないことは理解していた。反省に値する節も思い当たらないのでは何かの糧になりそうもなかった。しかし彼女は反省会を続ける。それからどう切り出したものかと台本を描く。だが考えているうちに混乱しはじめ放棄した。風邪薬のような風味のある甘橙の糖蜜果汁を啜って居酒屋から帰る。道の途中にある商店で安酒と肴、加工された果物を買って若苗診療所に行く。空はまだそれなりに明るかった。前方から見知った2人組がやって来る。爪先が道を変えようとした。覚えのある声が古い肩書きで極彩を呼んだ。入院させた者が駆け寄ってくる。極彩はその隣にいた大男を睨んだ。鋭い視線を喰らった垂れ目は呑気に手を振っている。
「御主人、お願いです。後生ですから、色街で働くのはやめてください。お願いです」
 桜の言葉を無視して桃花褐に噛み付く。
「そんなに人の妨害して楽しい?」
「こうなっちまえば根競こんくらべよ」
 悪怯れもせず桃花褐はへらへら笑った。
「色街で働くなって?どの立場から言ってるの?養ってくれるってわけ?寝て起きて食べるだけのわたしを養ってくれるってわけ?浮浪者と契って夫に逃げられたどうしようもない女を養ってくれるの?満足に喰わせてくれる?遊ぶ金をくれる?服にもべににも髪飾りにもお金がかかりますからね!」
 口を噤んだ桜に鼻先を近付け、抑圧的な瞳を挑発した。彼は拳を強く握って肩を震わせる。極彩はきゃっきゃと笑った。桜は顔を赤くした。
「御主人!」
「また診療所送りにされたいの?」
 退院してきたばかりらしい桜を威嚇して極彩の足は診療所を目指す。乾いた手に腕を引っ張られる。
「御主人、危ない真似はやめてください。お願いします。後生ですから」
「危ない真似をしているのはどっち!こんなスケコマシに騙されて!何も知らずにあの店に来たの?倶楽部 婆婦ばぶ婆婦ばぶにでも行って教えてもらうことね!」
 加虐娘・女豹倶楽部の客もよく行くという包容力を売りにした店らしかった。母子や歳の離れた姉弟、年上女性と年下男性を想定した役割分担があるらしい。
「んな…」
「お、悪くねェな。行くか?」
 桜の肩に腕を掛け、桃花褐は極彩を窺った。
「え…」
「嬢ちゃんもああ言ってんだし、イイだろ?今まで真面目過ぎたんだ。ちったぁ息抜けよ」
「好きになさいな」 
 その後は桜に呼ばれようとも反応を示さなかった。目的地の受付で酒類を没収され、病室に通される。引戸を開くと淡藤は数珠飾作りの手を止めた。
「お早いお帰りですね。酒類を持ち込もうとしたとか?」
 切れ長の瞳が丸くなる。長い指と指に挟んだ皮膚を滑り薄い紫色の小珠が床に転がる。極彩は無意識にそれを拾うために屈んだ。腹に入った力がそのまま「解雇クビになりました」という言葉を呼吸とともに吐かせた。思い描いた台本とは違う展開だった。そもそも書き出しすら決めていなかったような気がした。
「解雇…ですか」
「申し訳ありません。理由も皆目見当が…強いて言うなら客を診療所送りにしたことくらいで」
「そうですか……困りましたね」
 淡藤は極彩から顔を背けた。硬直して俯いている。
「申し訳ありません」
「もう真珠ぱぁるさんて呼べないじゃないですか」
「…それも含めて申し訳ないです」
「だからここで呑んだくれようという算段だったわけですか」
 極彩は没収を免れた加工果物と酒肴の入った袋を掲げる。塩分に気を付けろと注意された干肉と乾酪と煎餅を卓に並べる。
「土産です」
「ありがたいですね。酔ってどうするつもりだったんですか。話しづらいことでも?」
「…これは知り合いの気の狂った女から聞いた話なんですけれど」
「それは絶対に姫様ではないのですね?」
 極彩は頷いた。淡藤は不機嫌そうな面を興味深そうに彼女を見上げた。
「青白い子供が一斉に床を指すんです。それで子供たちが暴行される幻覚に…囚われるんですよ、神経症を拗らせて。なにせ気違いなものですから発作だったのかも知れませんけれど、とにかく、青白い子供たちがいきなり床下を一斉に指して…首を締められたり、両手足を縛られて吊るされたりするんです。歯を抜かれた子もいました。多分全部…乳歯だと思うんですけれど。肘にいっぱい…針の痕があって、沈めてやるって脅さ、」
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