彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
上 下
247 / 337

247

しおりを挟む
「お義父様のところまで行ってきます」
 従業員は裾の持ち方と歩き方を教えた。幸いにも従業員たちが付いて来ることはなかった。菖蒲の言っていた部屋を探す。廊下に立っている従業員が接客としての賛辞を述べた。愛想笑いでやり過ごし、指定された部屋の扉を開けた。
「菖蒲殿?」
 洒落た垂幕が左右に結われた窓と鏡台、そして椅子のある部屋で畏まった服装の男はいなかった。
「どちらですか」
 簡易的な衝立の奥から聞き覚えのある声がした。様々な角度から照明を受け、床に淡い陰がいくつも重なっていた。その主が姿を現す。白い燕尾服を着た群青がそこにいた。極彩には一瞬誰だか分からなかった。染髪を繰り返して乾燥し、色の抜けていたはずの毛先まで不自然なほど黒く、濡れたように白い輪を作っていた。傷んで跳ねていた毛先も綺麗に梳かされている。互いに硬直し、互いを認識するのに間を要することだけは互いに目を見ただけで理解した。
「群青殿…?」
「そうです」
「群青殿も、知り合いの結婚式に?」
 胡桃の結婚相手は顔が広いのか、もしくは城勤めに思われた。彼は極彩から目を逸らし、室内へ彷徨わせる。そして淡く目元を染め、彼女を見つめた。いくらか気拙きまずげで、瞳が交わることはなかった。
「そんなところです…極彩様は…」
「菖蒲殿を探していて…ここにいると聞いていたのだけれど、ごめんなさい。部屋を間違えたみたい」
「菖蒲殿?ここに来ているのですか」
 群青は驚きながら何かに気付いたらしく、突然会話を止め首を曲げた。極彩も遅れてその目線の先を突き止めた。瞬間、視界が稲光のように白く爆ぜ機械的な音がした。発光した方向に探していた男が立っている。
「うん、良い。実に良いな。よし、帰りましょう」
 菖蒲は胸から下げた写真機から手を離す。満足そうに言って極彩へ手招きした。彼女は群青に一瞥くれてから菖蒲へついていく。
「菖蒲殿」
 群青が写真機を大切そうに抱える男をいくらか棘を帯びた調子で呼ぶ。
「なんです?」
「極彩様とどういうご関係なんです」
 菖蒲は肩を竦めた。
「ご安心を。若様を裏切るような関係ではありませんよ。それだけは言えます」
 白い燕尾服の青年は黙る。菖蒲に促され極彩は部屋を出た。廊下は暗かったがすぐ傍は硝子張りの通路になり、光を借りていた。
「ああ、満足です。家宝にしますよ」
 写真機を抱き締め、今にも中年男は舞い踊らんばかりだった。
「ではそろそろ脱ぎます」
「待ってください。前撮り膳組コース入れちゃってるんで、まだダメです。誰か相手になってくれる殿方いないかな」
 菖蒲はまた写真機を構える。極彩は顔を覆った。
「素敵ですよ、ええ。白百合でも月下美人でも蛋白石オパールでも恥じらいますよ。娘氏にも着せたかったなぁ」
 無機質な円形の目蓋が音とともに瞬く。機嫌は好さそうだったが、さらりとこぼされた娘への願いが身構えた腕から力を奪う。
「最近は、女性も燕尾服を好む傾向があるそうですよ」
 着付けていた従業員がそう話していた。
「時代は変わりましたね。じゃあうちの娘も燕尾服タキシードが良いって言うかも知れないな…なんとなく」
 彼は近くの従業員に撮影現場を訊ね、極彩に向かうよう促した。
「菖蒲殿!わたしたち、他に急用があって…急いでいるのだけれど…」
「結婚式場に下見と挙式と撮影以外、一体どんな用があるっていうんです?さっさと前撮りしますよ」
 彼は彼女の肩を揉み解し、後ろに回って長い裾を持ち上げようとしたが近くに立っていた従業員が代わった。
「でも、銀灰くんとはぐれてしまって…」
「新婦さんの知り合いらしいですね。会場に行きましたよ。ささ、前撮りです。やっぱり群青さんに相手役頼もうかな。まだ時間は…ありますな」
 腕時計を確認し、雑な加減で極彩の背を押す。
「前撮りなんてしてどうするんですか」
「飾るんですよ、縹殿の墓前に。あの叔父おやばかっぷりったらなかったですからねぇ。それ、彼が考えていたのと一番近い形の衣装でしてね。本人…だから極彩さんにも選ばせるつもりだったんでしょうが、容態が急変しましたからね。ボクが提案したのはもう少し丈が短くて膝が出るんですけれど、脚を出し過ぎだ!って怒られましたよ」
 まさかここで会えるなんてな。丁度良かった。是好、是好。菖蒲は上機嫌で服装が変わってもやはり彼は彼だった。遠く離れたこの建物が蟄居先のようにさえ思った。
「紫雷教的に言うなら天のお導き、河教的に言うなら運河の応報です」
 機嫌が最高潮に達しているらしく、今日という日がいかに素晴らしいかを彼は語り、従業員が苦笑をこぼすほどだった。そして今日結婚式を挙げる者たちに対して祝福を述べ散らかし、この会場がいかに素晴らしいかを暴走したように喋った。撮影場所に着くと彼は椅子に座り、膝を撫で摩った。
「菖蒲殿」
「いやぁ、よかった。よかったですよ。きっと縹殿も喜んでいることでしょう」
 膝を摩り、しかし痛がっているわけでもなさそうで、それは時折遠い目をしてやる動作だった。
「知り合いの結婚式に良いんですか。わたしに時間を割いていて」
「すぐ帰るつもりでしたからね、いいんですよ。むしろ極彩さんたちが来てくれてやっと用事ができたくらいですよ。遠路ですからね、何か用でもないと」
 撮影班の準備が整い、指定された位置に立つ。強い光を当てられ極彩は暗い場所で座っている菖蒲から目を離せなかった。彼は緊張し、抑圧されている。膝を往復する仕草からはそう思えてならなかった。すべて指示に従い、撮影を終える。椅子の上の中年男はぼぅっとしながら声を掛けるその時まで現実にはいなかった。
「結婚式に出たいのですが」
「相手がいるんですか」
「そうではなく。今日、これからここである結婚式に参加したいのです。そうでなければここにはいません」
 菖蒲は微かに眉を下げ極彩の瞳を捉えた。返答はない。まずは着替えましょう。話題を変えたがっていることだけははっきりしていた。だが菖蒲の言うとおり、婚礼衣装では動きづらく、参列者としてふさわしくなかった。菖蒲は宥めるような接し方で着替えのある部屋の扉の前までついてきた。着慣れた服装に戻り、数分ぶりに中年男と再会する。彼の特徴だった媚びた笑みは腫物に触れるような慎重さとぎこちなさがあった。
「煙草、吸わないんですか」
 菖蒲のその違和感は喫煙に関することだと思い至る。しかし彼は吸わないと答えた。式場を探す彼女の半歩後ろを歩き、道に迷うと菖蒲がこの先だと案内した。礼を言うと彼は頭を抱えて小さく呻く。
 式場は純白を基調に中心の道だけが開かれ、木製の台のような腰掛けが両端に列なっていた。片側の席は若い男女が多かった。もう片方の席は年齢層は広かったが男性ばかりが目に入った。銀灰の姿を探すがすぐには見つからず辺りを見回す。その忙しい挙動を制するように菖蒲は極彩の肩を叩いた。一旦菖蒲に外へ連れ出され、彼だけがもう一度中に入り様子を見に行った。極彩は会場入口の繊細な花の絵が描かれた淡い色調の看板を眺めた。胡桃の身請け相手は「鼠」というらしかった。彼女の勤め先は基本的に身請け制度を設けていないと聞いたことがあるだけに、この相手に対して両極端な印象を受けた。狡猾で悪どい富豪か、清廉潔白な人の好い資産家か。金色の印字を凝視、想像が妄想にまで発展しかけた時に菖蒲が出てきた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

処理中です...