彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「美味しい?」
 卵黄乳泡かすたーどくりーむを舐めながら銀灰は大きく頷いた。美味しいっす!と耀かんばかりの笑顔を見せる。
「良かった。銀灰くんにお菓子選ぶの楽しい。また買ってくるね。どういうのがいい?」
「姉ちゃんが楽しんで選んでくれるなら何でも好きっすよ。でもオレっち、別にいいんすよ。姉ちゃんと居られるだけで」
「そう?でも買ってくる。っていっても明日は朝から晩までここに居るよ。どこかに行くとか出来ないけれど、庭でも散歩しようか」
 女豹倶楽部は営業だったが極彩には休みが与えられていた。義弟の口の周りに付いた焼菓子のくずを拭ってやると彼はへへっと頬を緩めた。菓子用の小さな突匙ふぉーくが彼の浅く日に焼けた手に握られ、苺を刺している。人好きな猫に似た大きな目が泳ぐ。
「まだ自由、あんまりないんすか」
「そんな表情カオしないで。お菓子買いに行く自由くらいあるんだし、ね?」
 曇っていく義弟の機嫌を窺った。底抜けに明るかった彼はこの檻に入ってからは気落ちばかりしている。貼り付けることが習慣化されている華やかな笑みは上手かったが、むしろ格子の中で暮らしているほうが自然にすら感じられた。
「姉ちゃん」
「うん?」
「オレっち、望んでここにいるっすよ。だから無理しないで。ご飯美味しいっすけど、何かお仕事みたいなのしてるんすよね?あんな手の込んだ美味しいご飯毎日作るの大変っすよ。オレっち大丈夫っすから…」
 胸の奥がじわりと熱くなった。脳天を見せるほど項垂れている彼の髪に触れたくなる。日向ぼっこをしたばかりの仔猫の毛並みを眺めているような心地だった。
「ありがとう。仕事のことは知っているの?大きなお友達から何か聞いているの?」
「不言通りのお茶屋さんで働いてるかも知れないって…聞いたっす」
 ちらちらと銀灰は義姉を見た。
「そう」
「それで何か思い悩んでいそうだからって…」
「それは大きいお友達の気のせいかな。銀灰くんが心配することじゃないから、大丈夫」
「…なら良かったっす。でもオレっち、傍にいるっすよ。いつでも相談してほしいっす。頼ってほしいっす」
 ぐいっと彼は首を伸ばして鼻先を近付ける、無邪気な瞳の中に女が映っていた。彼の実父に形がよく似ている。綺麗な目玉を抉りそうになって伸びた手が、栄養状態の悪い頃からでも張りのあった若い頬に添えられる。大きな目がさらに大きくなる。さらに水晶のような瞳を覗いた。
「姉ちゃん?」
「気を張らないでいいからね。頼ってるんだよ、これでも」
 額に額を合わせる。薄い傷の膜が瑞々しい肌に当たると撫でられるように心地良かった。傷んだ毛先がじゃりじゃりと2人の間を転がる。まるで額で意思疎通を図っているみたいだった。

 まだ少年が眠っている朝の時間帯に訪問者があった。人工的な金髪と黒く縁取られた目、不自然なほどに長い睫毛に眩しい光沢を持ったドレス。柘榴はひとりでやって来た。若い子が沢山いるのね、とどこか毒を含んで呟きながら居間へ上がる。敷地を警備している天晴組のことを言っているらしかった。茶を出す間も来訪者は与えないほどの威圧感を帯びている。
「銀灰ちゃん、こっちに来てない?」
 柘榴の問いは疑問を通り越していた。数拍の呼吸を置いて極彩は口開く。しかし遮られた。
「いいのよ、別に。ここに居ても、居なくても、どっちでもね。一応の確認よ、形式的な、ね」
 極彩は軽く頭を下げてから台所へ向かった。腹の底を揉みしだかれているような焦りがあった。銀灰を帰すか否か。天晴組の長の不気味な笑みは容易に思い出せる。浮かびかけた考えを振り払う。ここにいるのが安全だ。石黄は難癖つけて彼を嬲るつもりだ。主人が弟にするように。電子給湯甕から出る湯が急須の口を外し、熱が指に噛み付いた。手から力が抜け、床に茶器が転がる。柘榴が音を聞き付け、台所数珠暖簾をくぐった。瞬時に状況を把握したらしく、極彩の目の前に迫る。
「あらやだ!火傷したの?」
 柔らかく太い指に湯のかかった手を取られる。電子給湯甕の置かれた壁とは対面にある水道まで誘導された。
「ごめんなさい。考え事をしていて…」
「何もお湯を使う時じゃなくたっていいでしょう?」
 叱るような声音だったが、水に当たるように極彩の手を支える厚い掌は優しかった。
「それともアテクシの姿カオを見たら何か考えなければならないことがあるのかしら?」
 大仰に柘榴は首を傾げた。
「いいえ…」
 動揺は隠せなかった。水が止まる。柔らかい素材の手巾で水滴が拭われた。
「保湿剤はある?ちゃんと塗らなきゃダメダメよ」
 柘榴は床にある急須を拾う。罅が入り、小さな破片が冷めていく湯の中に浸っていた。
「やります」
「何の考え事かは分からないけど、注意散漫な子に任せられないわよ。纏める袋と新聞紙だけちょうだい」
 来訪者に片付けを任せ、極彩は柘榴の背中を眺めながら座敷牢の少年ことで惑っていた。片付けを終えた客人に茶を淹れてもらう。
「それで、本題だけど」
 まだ極彩の中で答えは決まっていなかった。
「身構えないでよ。勘繰っちゃうでしょう?」
 柘榴は意地悪く笑う。
「銀灰ちゃんが帰って来なくてね。心配してるのよ―胡桃ちゃんがね」
「胡桃ちゃんが…」
 杉染台に暮らす右腕が2本ある少女は誰から見ても明らかなほど銀灰と仲が良かった。年頃が同じということもあるが、極彩にはそれ以上に異なった意味合いを帯びて仲が良く思えた。
「結婚を申し込んだのよ、あの子」
 整えられ、描かれた眉が寄った。それは客人にとって喜ばしいことではないらしかった。
「断られたみたいだけどね。胡桃ちゃんの勤め先の人に、もうけちょんけちょんよ。どうしてこれをアナタに話すか分かる?」
 威嚇するような眼差しで柘榴は頭を肩へ倒す。輝かしいほどの金髪のたわみ方はどこか芯があり硬く、不自然に映った。極彩は返事をしかけたが、客人はそれを必要としていなかった。
「無理しているのよ、あの子。色々自分の気持ちを裏切って。それであの子の純情は、別のカタチで踏み躙られて」
「何も知りませんでした」
 知ろうとすらせず、知る機会を与えてもいなかった。
「胡桃ちゃんのほうの結婚が決まったのよ。あの子も流されただけの申し込みだったからね、そこまで堪えることはないと思っていたけど。突然何日も姿見せなかったらね…心配にもなるってわけ…ああ、アテクシたちじゃなくて。でも良かったわ。良かった」
 まるで自分に言い聞かせでもしているような口調だったが、二度目を強めた。重げな睫毛が素速く瞬き、極彩を意味ありげに見つめる。
「どう?」
「はい?」
「アナタが縹くんの遺言を守らないっておチビちゃんたちは言ってるけど、アテクシはそのほうがいいと思ってるわ。何故だか分かるかしら?きっと分からないでしょうね。いいえ、とぼけているだけかも知れないわ」
 柘榴の大きな眼に圧が籠り、目を逸らしてしまう。
「アナタとあの子がいとこでいられるからよ。アナタならあの子を杉染台から解放できる。実父と養父のしがらみからね」
「それは…」
 相手の言いたいことを理解してしまっても、口にし確信を持つことは躊躇われた。
「分かってるクセに。アナタが既婚者だって未亡人だって何だって、アテクシは諦めてないわよ。あの子が自由になるならね」
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