彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
上 下
198 / 337

198

しおりを挟む
青人草あおひとぐさの血税で生かす価値なし、と…』
 半壊している部屋を訪れた者が書状を差し出す。黒い髪の小柄な少女は深々と頭を下げた。死亡日時を告げられ、弟に受取を拒否された耳飾りを渡される。
『城にお戻りください。考えをお改めになって。この国には縹様が必要なのです』
 お願いします。少女はそう言って、亀裂の入った廊下へ出ていく。すでに消された土地の廃れた集合住宅だった。


「少し話してもいいですか」
 緩やかに目が覚めてしまい、静かに枕元の傍の男に問う。照明は点け放しだった。彼は横目で女を見下ろした。はい、という口調は優しいが隙が無い。
「どうしてそんなに頑張れるんですか」
 話し始めた途端、群青は顔を背け、小さなくさめをした。薄い毛布を掛けられていたがそれだけでは十分な防寒とはいえなかった。
「寒いですよ。もう一枚足したらどうですか」
「いいえ…動きづらくなりますから。お心遣い感謝いたします」
「わたしはそんな物騒な集団に狙われているんですか。それとも、わたしを警戒しているのでしょうか」
 布団の中で立ち上がる。冬用の厚い生地がふわりと温い風を起こして潰れた。
「何があるか分かりません。用心するに越したことはないんです。任じられているのは極彩様の護衛と監視ですから」
 落ちた布団を摘まみ上げ、彼の隣に腰を下ろす。群青はびくりと肩を震わせ身を引いた。
「何を…」
「守ってくれるのでしょう」
「ですが、」
「わたしが妙なことをしたら斬られるのですか」
 隣の青年は不安げに目を伏せ、首を振る。
「その時は貴方のお好きなようになさってください。二公子の大切な御方を斬ることは赦されておりません」
 羽織った厚い布団に男を巻き込む。薄荷と淡い香りが近付く。強張り、逃げようとした。
「仕事になりません。離れてください」
 弱った小動物然とした動作で彼は極彩と距離をとる。
「残念です」
 分厚い布団を群青へ投げ、代わりに薄い毛布を奪うと引き摺って布団へ戻る。
「風邪をひきます」
「寝て起きるだけの生活ですから、風邪をひいて何を困ることがあるのです」
 群青へ背を向け、冬の夜の寒さをくすぐったく感じながら繭を作る。
「さっきの話、続きを聞かせてくださいな」
「…家の復興のためです。俺には、下に同胞きょうだいがいるみたいなんです。顔も名も、性別すら分からないんですが、いつか会えるんじゃないかと…思いまして…居場所を作っておきたいんです。今までの生活に戻るにせよ、俺と一緒に生きてくれるにせよ。何も分かりませんが…会えば分かると思うんです…きっと…」
 後ろから布の摩擦が小さく聞こえた。
「会えるといいですね。弟御か、妹御と」
「はい。真っ先に極彩様にご報告申し上げたい。…いいですか」
「楽しみにしています。どういう御人なのでしょうね」
 群青は口を閉ざしたが、少しの静けさの後、彼は遠慮がちに問う。
「極彩様は無理をなさっていませんか」
「無理をしているように見えましたか。けれど、出来る無理なら無理ではありません。そうでしょう?」
 以前、城で偶々耳にした叱責をそのままなぞった。城勤めならば骨の髄にまで沁み込んだ理念のはずだろう。
「そうだとしても、俺は貴女が無理をしているように思えてならない」 
 潜められた声ではあったがしっかりした口調で、断言に等しかった。答えずに、眠るよう努めた。

 激しい物音に目が開いた。物騒な感じはなかった。台所のほうで複数の物が落下する音だった。眠気は残っていたが現場へ向かう。調理器具が散乱し、加熱中の鍋が沸騰していた。
「大丈夫ですか」
 尻餅をついている群青に問う。存在に気付いていなかったらしく、怯えたような顔を一瞬みせた。蒼褪め、汗ばんでいる。
「起こしてしまいましたか」
 水場の奥の窓の外は白かった。朝は朝だが早い時間帯のようだ。
「鍋の火、止めますね」
 彼に答えず、加熱器具のつまみを回す。鍋の中の心地良い鼓動がゆっくりと鎮まった。
「すみません」
「いいえ。包丁が落ちています。気を付けてください」
 彼の手の傍にある包丁を俎板まないたの脇に戻した。黒豆を入れた容器が横たわっていた。弁当を作っていたらしく、焦げ目のついた玉子焼きや揚げ鶏が曲げわっぱに詰められていた。
「ごめんなさい。わたしがもう少し料理が上手ければ、群青様にお弁当を作って差し上げられたのですけれど」
 俎板から落ち、床に転がってしまっている黒豆を一粒拾い、息を吹きかけ口へと放った。甘い味が広がる。呆然と彼女を見上げていた男は目を瞠る。色の悪い唇が開いて、それから痛々しげに顔を逸らす。
「違うんです。誤解です」 
「いいんです。まったく気にしていませんから」
「それは極彩様に召しあがっていただきたくて作っていたんです」
「わたしにですか…群青様は?」
 曲げわっぱはひとつしか見当たらない。力強く群青は首を振る。
「食べられないんです。酒と点滴で健康面に問題はないのですが…固形物を口に入れると戻してしまうので…極彩様のお料理が下手だとか、合わなかっただとかではございません。無駄にしてしまうのも心苦しかったので他の者にくれてしまいました。…ごめんなさい」
 項垂れ、極彩の言葉を待っている。
「そうでしたか。気にしないでくださいな。勝手に作っただけですから」
 彼は顔を上げることも、立ち上がることもせず、こうべを垂れたままだった。
「怪我をしてしまいましたか。お腰を?足ですか」
「していません」 
 動揺しながらよろよろと立ち、散らかした調理器具を片付けはじめる。
「いつからですか」 
 彼の手から小型の鍋が逃げた。耳障りな音が破裂する。窓の奥から入る光が彼の瞳と横顔を溶かす。唇が開いても答えはない。もう一度訊くことはしなかった。ひとり台所に残し、布団を片付けに戻る。そのうち彼も居間へ姿を出す。卓袱台へ弁当を置くと、身を縮めて腰を下ろした。悄然としていた。何度も唇を舐め、硬直している。
「群青様のご負担になってしまっていたなら、やらなければよかったですね。その程度のことですから、本当に気にしないでくださいな」
「気に…します。嬉しかったものですから…極彩様の作った物をまたいただけるなど思ってもみなかったので。きちんと前もって言っておけば貴女に気を遣わせることもなかった」
 彼は緊張していた。極彩は朝支度を終えると対面に座った。
「食べられないのは仕方なのないことですもの。話してくださってありがとうございます。暫くはそういう風に過ごしていきます。わたしの料理なんて治り次第いつでも食べられるのですし」
 軽快に微笑みかける。おそるおそる持ち上がる白い顔が仄かに赤みを帯びた。
「原因はもう分かっているんですか」
「…はい」
「わたしで役に立てそうなことがありましたら、言ってください」
 こくりと小さく頭が上下した。そして仕事に行くと告げる。
「お礼というのも烏滸がましい話ですが、もしよかったら召し上がってください。口に合うといいのですが」
 自信はなさそうだった。玄関で見送り、引戸が閉まりきるまで笑みを絶やさなかった。鍋の中の味噌汁を温め直し、朝餉に弁当を食べた。玉子焼き、揚げ鶏、里芋と人参の煮物、かんざわらの白味噌焼き。そこに野菜が添えてあった。見目はそれなりに整っていたが味はどうにも舌に合わなかった。下味の手間や味付けが空回っている。しかし伝えるべきことは「美味しかった」の一言に決まっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます

冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。 そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。 しかも相手は妹のレナ。 最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。 夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。 最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。 それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。 「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」 確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。 言われるがままに、隣国へ向かった私。 その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。 ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。 ※ざまぁパートは第16話〜です

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...