彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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189 ある謀反人の遺書 一

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『この手紙は、私が死んでから届けるようにと言付けてあります。何か手違いが起きなければ、つまり私はすでにこの紙と墨にすべてを託していることでしょう。
 口下手を理由に私は自分の思い出に耽り、語ることを遠ざけました。戻らない日々を、それも自身で壊した過ぎた日々を再び考えても仕方のないことだからです。しかし、話す義務があることだけは分かっていました。そして自分がそうすることを求めている節もありました。そのためにほんの一部だけを語りました。どこまで打ち明けたのか覚えています。家族を死罪に追いやったことと、婚前の女性に求婚したこと、この二点です。あの話に嘘偽りはありません。彼女は私より少し年上の幼馴染でした。彼女の弟もまた私よりいくつか年が上だったので、それくらいの差がありました。家族ぐるみの付き合いで、彼女たち姉弟の母は高官の娘といったところでした。勘当されて結ばれた男は外面ばかりで羽振りがよく、いわば破落戸ごろつきというやつでした。次第に家族の情ゆえに密かに与えられた妻の持参金を食い潰すのでした。暴力にまでおよび、子供たちは寒空の下に放り出されて互いの手を温め合うのです。その日は食卓が賑わいました。愛想のいいとはいえなかった末弟の私よりいくつか上のくせ感情を素直に出す彼女の弟を姉たちはよく可愛がっていたものです。おそらく彼と同じ年頃だったすぐ上の姉は淡い恋心を抱いていたのではないかと今なら何となく思うのです。
 人との縁だのしがらみだのを重んじる私の母が、この姉弟や時には彼女らの母に直接、いくらか金を渡しているのを目にしたことがあります。幼いながら金銭のやりとりはある意味では強固なものと成り得るでしょうが、場合に依っては非常に繊細な問題を巻き起こす可能性があるものと認識していた私は、何か拙いものを見たと思い、父や兄、姉にも秘していました。精神的に不安定な、もっと的確に表すなら癲狂病みの傾向にあった姉弟の母親は、その出自もあり誇りが高く、並々ならない矜持を持っていたためにすぐに私の母から施しを受けようとはしませんでした。私の母その性分をよく理解していたものですから、上手く丸め込み、少しずつ金子きんすや日用品を送っていたのです。しかし姉弟の母親はその金品を子供たちのためには使いませんでした。暴行と派手になっていく生活ぶりに周りの人々も段々とこの一家から離れていきました。母も援助という名の干渉をやめました。それでも幼い姉弟に対する同情はあったようです。やがて娘が芸妓の門に売られました。もともと見目が麗しく、母の生まれも悪くはなかったがために礼儀作法もある程度は躾けられていたのです。姉弟の暮らしを見るに見かねた周囲の者たちが上手いこと話をつけたようでした。実際、彼女と親しかった姉がそのような話をしていたのを聞いたのです。
 このことを聞かされたのは晩夏千変祭でした。彼女は私と弟に玉子焼きに包まれた焼きそばを買ってくれました。普通の焼きそばより少し高いのです。そのために私の印象には強く残っていました。つい訊いてしまったのです。これから買われる先にいくらかもらったというのです。話を聞いたとき、弟は泣きました。彼女は弟の泣く理由が分からないようでした。買った焼きそばの紅生姜に因るものだと思っていたらしく、彼女は泣きじゃくる弟の前に屈み、それらを避けていました。姉に会えなくなるからだという旨を私は伝えました。彼女は「これからは食うに困らないから」と言って弟を宥めるのです。弟は腹を立て、まだ半分も残っている焼きそばを捨て人混みの中に消えていきました。彼女も後を追いました。私は彼女が自分の贅沢を我慢して買った焼きそばを食べました。彼女の弟が落としていった分も口にしました。父の顔に泥を塗るから、という理由で我が家では落ちた物を食べることは禁じられていました。しかしそうせずにはいられなかったのです。芸妓の門に入るということは実家には帰れず、家族を含め俗世の交友関係を捨てなければなりません。ちょうどすぐ上の兄が僧門に入ったばかりですから何となくどういうことなのか理解していたつもりでした。
 彼女が芸妓の道に行ってから、弟とは疎遠になりました。相変わらず彼の父は、外では羽振りがよく、家では暴力といった具合で母親はその苦労を埋めるように浪費と借金を繰り返しました。ついに弟が色街に売られました。男娼となったのか、用心棒となったのか、従業員となったのかは定かではありません。
 実家から出た彼女は「花紺青」という芸名を与えられていました。その頃、私はある程度の基礎教育を終え、城に勤めていました。再会は朽葉様の紹介によるものでした。城に忍び込んだ野良猫を外へ逃がす際、引っ掻かれた私の手を取り、軟膏を塗った派手な身形の女性がいました。私はこの時、この者が誰なのか分かりませんでした。その直後のことでした。
 朽葉様は彼女を好いていたと思います。それは私が彼女に抱いているものとは異質のものでしたが周りの認識はそうではありませんでした。私と彼女は仕事の合間を縫って会合を重ねました。特に何を話したわけではありません。気温のことや今日あったことなどを話したのです。相手は俗世を捨て、自由な恋愛を禁止されている立場にありますから、飽くまで朽葉様の付き人としてです。すでに私は、私の高潔な理念と信じて疑わなかった意地から家族を処断していた後でしたから、昔よりさらに優しく閑雅な女性へ成長している幼馴染へ、感情のままに想いを告げるということは出来ませんでした。ただこの時間を設けることだけは甘えたのです。優しい彼女はそのことに気付いていたのか否か、拒むことはしませんでした。互いに昔に戻れたような気がしましたが、そこに弟がいないのです。そしてあれこれと自由に話せた素直さも純朴さも、もう私にはありませんでした。
彼女は何度目かのこのひとときの中で大切な人がいるのだという旨を自ら語りました。けれどその「大切」が、私が彼女へ向けるものとは違っていることをにその時ばかりは目敏く気付いたのです。芸妓の道を究めている最中、彼女は河教の敬虔な信者で、一定の地位もありましたから、「宗教的救済」という治療に似た一種の活動が許されていました。詳しい内容はよく知りませんが話を聞いているかぎり、相手に寄り添うことだと漠然と理解していました。
 彼女は芸妓で宗教家です。ですから私を選ぶことはないけれど同時に他の者をそういった意味では選ばない。私はそう高を括っていたのです。
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