彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 返答を聞きたくない。昨日まで話せていた。あと少しはあると思っていた。まさか一晩で。何が起きてもおかしくないほど痩せ細っていた。紋様のような痣もほぼ全身を覆っていた。
 極彩様!しっかり!
 焦った下回りの声が静かな廊下に響く。
「姪がどうかしたのかな」
 車輪の軋む音がした。背後から現れた姿に大きく息が抜けていった。斑紋を浮かべた双眸が極彩を通り越して真っ白い作業服の下回りを捉えていた。
「叔父上…」
 縹の視線が泳ぎ、床に這うような姿勢の極彩に止まる。
「…どうしたの」
「いいえ…転んでしまって」
 細い腕を両脇の車輪の上に置く。極彩は速やかに立ち上がった。
「押します。どちらへ」
「悪いね。奥の部屋に移ったんだ」
 内側の廊下へ車の椅子を押す。
「人との関わりは時折想定していなかった形を成す」
 縹は小さく話しはじめる。
「推し測って悩み苦しむことも相手のためなのだろうけれど、そこに絶対的な見返りがあるとは限らない。空回りだらけだ。思い遣りとは半分以上、空回る」
 極彩は何も言わず、何も問わず相槌をうった。
「孤独は楽だ。だがそれは食うにも職にも住むにも困らない者の驕りにも思う。他者と助け合い、分かち合い、温め合う形もあるのだろうね」
 木の枝になってしまった指で肘掛けをこつこつ叩きながら言った。
「ボクらの身の回りには顔もろくに覚えきれず、名も知らず、生まれも人柄もよく知らない下回りたちがいるね。君からした官吏に置き換えてもらっても構わない」
 窓のない廊下をゆっくり進む。一瞬で大きな喪失感を味わった極彩は車輪の補助があるとはいえ縹の重量感を確かに覚えておきたかった。車の椅子を押している間は時が経つのを忘れられた。目の前の病巣と化した身が侵食されていくことも。
「ボクが高官に就いてから数多くの友人ができたが、案外繋がりは名も知らない下回りたちとのほうが深いかも知れない。雇った雇われたの関係ではあるけれど」
 最果ての部屋の前で止められる。扉を開け、中に入った。室内は広いが、日差しとは反対に窓がある。軒先や裏の雑木林でわずかに入る光さえも制限されていた。
「つまり、ひとりであっても孤独ではない。望む望まない関係なく。…人と人とは同じであって同じでない。異端を危険視するようになって、排除してかかるだろう。孤独とはそういうことでもある。望まない孤独だ。周りに合わせるのも生き方だろうね。孤独を選ぶのもまた苦難ではないが困難かも知れない。だから君、自分に負けても構わない。泣いてもいい、逃げてもいい」
 殺風景な部屋に唯一置かれたベッドの傍へ車椅子を寄せる。
「何をしてはいけないとは言わないよ」
 縹が微笑み、極彩は目を逸らした。
「何をおっしゃりたいのか、分かりかねます」
「終わった者は切り捨てなさい…少なくともボクはそうされたい」
 すでに縹の中ではまとまっている。斑紋が浮かぶ瞳と目が合ってしまう。死に向かう者の目。
「…わたしの中で終わった時、考えさせていただきます」
「しっかり言っておこう。目が見えていない。そのうち耳も聴こえなくなる。今の答えは、耳鳴りでよく聞こえていないよ」
 弱々しが悪戯っぽく笑って縹はよろよろとベッドに移った。
「不言通りと一部長春で夏風邪が流行っているらしい。多分空咳とか、呼吸困難とか、息切れだと思うけれど…君も体調に異変があったらまたおいで」
「はい」
 離れ家へ戻ろうとして呼び止められる。
「それから、へそ曲げて出ていってしまっただけだから、杉染台にいると思うよ、彼」
 縹は大きく息を吐いて横になった。失礼します、と極彩は退室する。離れ家へ戻って、ぼうっとしていた。迎えに行くべきか、否か。
「極彩様?お休みしますか」
「すまない。考え事をしていた」

 日が暮れると窓を開け放ち、外を見ていた。桜に会うか否かを考えていたがうたた寝をしてしまい、目が覚めているのかまだ夢の中にいるのか曖昧な感覚の中にいた。風の音がした。紫暗がよく使っている突っ掛け草履に足を入れて風を浴びに行く。生温かく湿っていた。もうすぐで秋になる。そういえばあの墓にはまだ行っていなかったと、大窓から外通路に回って竹林へ踏み込んでいく。墓に参る立場として相応しいのか極彩は分からなかった。報告することといえば厚意を無下にしたことと、縹の調子が良くないということくらいだ。第一、あの墓には墓たるものが埋まっていない。ただの拠り所になっている石でしかない。だが、それだけで参るという気になる場所だった。
「なぁ」
 墓石を見た時、背後から何者かの声がした。天藍の声であり、朽葉の声。だが天藍はここには来ないだろう。朝、珊瑚に作った握り飯が1つ、墓石の前に供えてあった。
「なぁ」
 山吹の声にしてはしっかりしていた。ならば朽葉か。だが3人の中でもっとも有り得ない。振り返る。しかし朽葉だった。極彩は息を呑んだ。目の前に朽葉が立っているが、髪も肌も真っ白い。血の気の失せた全裸を晒し、衣服を身に着けていなかった。生きているものではないと直感した。天藍にもよく似ていたが、朽葉だった。
「朽葉様…?どうして…」
 暗い竹林の中で光っている。全身が真っ白で、髪や肌だけでなく、眉毛も睫毛も白かった。血の通っている雰囲気のあった師とはまた異質の白さだった。真っ黒な眼球に真っ白な瞳を浮かべ、極彩をじっと捉えている。朽葉に酷似したその者はのそのそと極彩へ近付いてきた。片足を痛めているかのように足を引き摺り、身を傾けながら歩く。
「朽葉様…?」
 本当に死者が帰ってくるのだろうか。極彩は後退る。
「朽葉様、縹さんを、助けてください」
 朽葉の人懐こい目は白目が墨汁のように黒くなり、瞳が白く揺蕩っていても変わらなかった。極彩はだが怯んでしまい後ろへと下がったが、背に竹が当たった。
「どうにもならなくて…お願い…」
 人の理解を超えたものに頼るしかない。本当に死者が帰ってきているのなら。
「縹さんを連れて行かないで…朽葉様…」
 真っ白い朽葉は竹に追い込まれた極彩の髪に触れた。感覚はあるが体温は感じられない。口が小さく開いたが、何も発せられることはない。縹が漏らす喘鳴にさらに朽葉の声が混じったような吐息が抜けていった。
「朽葉様…縹さんを連れて行かないで…」
 口にすると重い症状が脳裏に鮮明に描かれる。お願い、お願い。繰り返すが朽葉は何も言わなかった。冷たくも温かくもない朽葉の身体に迫られる。なぁ。そう言って竹に背が押し付けられた。
「朽葉様」
 肉感はあるがどこか質感の伴わない感触が唇に触れ、極彩は気を失った。
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