彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「分かった」
 場所も知らなければ遠さも知らないが簡単に承諾した。桜は紫暗に遠慮しているようで、幾度か紫暗のほうを気にした。だが紫暗は何か気にしている様子はない。
「すぐに発つのか」
「はい!」
 それを急かしていると解釈したらしく、食べるのが遅い桜の食べる速度が上がる。慌てなくていい、と言うと隣で紫暗が笑った。今朝はカラカラと回る扇風機だけで十分な気温だった。食後に身支度を整えて、紫暗に送り出される。また一掴み分の塩飴と日傘を渡された。桜は気まずそうに紫暗に何か気の利いたことを言おうとして、だが言えないようだった。
「留守、よろしく」
「はい、お気を付けて」
 極彩と桜に小さく見送りの礼をして、姿が見えなくなるまで互いに確認しては悪戯っ子の笑みが小さくなっていく。
「紫暗と上手くいかないの」
 離れてから問う。この時間帯に通る牛車か馬車を拾うため暫く坂に至るまでの小道を歩く。
「立場が立場だけに、気を遣われてしまって」
 上手くいかない、の部分の否定はなかった。もともとは下回りよりずっと高い位置にいた。だが紆余曲折を経て、同等であり誰かの世話役に回るという点では指導される立場にある。
「なるほど」
「御主人の目に余るほどでしたか…?」
「いや…」
 訊ねたからといってどうするつもりもない。時間が解決するだろうと思っている。桜は眉を下げた。
「今日は母に…御主人を紹介したいんです」
 妹に弱い兄という図が崩れ、姉と上手くいかない弟の図が構築される。年齢は関係ない。無邪気で結構。区切りがつくのならそれがいい。
「紹介される主人でなくてはならないね」
 牛車が呑気な音を立てやって来る。牛も毎度見ていると、多少の差異が分かってくる。桜が常盤ときわまでと告げた。常盤は弁柄地区をずっと北に進む。遺跡があらゆる土地に露出してい地だと桜は説明した。縹は群青に「姪は引き籠りがちで世間に疎い」と説明し、四季国と風月国の文化や地理の違いを誤魔化していたようだが他の者もそう聞いているのか桜は失言に気を遣って説明していた。牛車に揺られ、桜はいつの間にか眠っている。寝顔を見つめていると夢にまで視線が届いていたのか長い睫毛が開いた。
「あ、すみません…僕…」
「いや、眠れなかったのかと思って」
「寝られました!牛車の揺れ…気持ち良くて……」
 極彩は頷く。
「御主人は昨晩、眠れましたか…どこかへ行ってらしたようですが…」
「厨房につまみ食いにいっただけ」
「……何か美味しいものがありましたか」
 桜は驚いたようだがそれ以上深く訊ねてくることはなかった。

 常盤地区は曇っていた。説明されたとおりに遺跡らしきものが地中に埋まり、一部露出していた。鮮やかな色がついていたらしいことを窺わせる。
「墓園はあちらにあります」
 見慣れているらしい桜は極彩が辺り見回していることも忘れている。少し遅れた極彩に気付き、浮かれていたことを自覚する。
「あ、もう少し見ていきますか」
 極彩は首を振る。常盤は石材がよく目に入った。石造建築物が多かった。表面がよく研磨されている。気候は少し乾燥し、鼻の奥がわずかにツンとした。途中で花と菓子を買い桜の案内のまま墓へと向かう。花は乾燥した空気に負けず瑞々しく美しく咲いていた。この地に慣れているのか、石を詰まれ、よく磨かれたこの地の端々によく飾られている。菓子は母が好きだったという、餅米とうるち米を丸め、餡や胡麻をまぶした夜船よふねという餅菓子を桜が迷うことなく選んだ。桜の表情が昨晩とは打って変わって軽やかで、足元は躍っている。母とは良かったのかも知れない。常盤地区の脇を流れる川の横を通りながら、緑に濁った水面を眺め桜の後を追う。空気は乾燥しているが、雰囲気は穏やかで、弁柄地区や長春通りほどの閑静ながらも垢抜けた様子はないがそれでも極彩は好きな場所だと思った。
 墓園の入口で桜は青い顔をして止まった。雲の間から陽が照りはじめたため日傘を差していたが、その翳りの下で荒れた肌ごと青白く浮かぶ。
「気持ち悪い?」
「……ちょっと…ちょっと、人違いです…」
 桜は無理矢理に笑う。極彩はそれが気に入らなかった。日傘を閉じ、墓園の中へ入る。ここも常盤地区の特色か、石畳が綺麗に敷かれていた。並ぶ墓石の間を桜の後について行く。桜の足取りが重い。周りを警戒しながら肩身を狭くしてのろのろ歩いている。
「桜?」
 立ち止まった桜の背中に当たる。異変の正体が桜の視線の先にあった。母親の墓のある列を曲がり、その前方にいる人々。この時期は墓参りが珍しいわけでもないことは紫暗から聞いている。踵を返す桜と極彩は向かい合った。脂汗を浮かべて入口で見た時よりもずっと真っ白い顔。呼吸が乱れている。ふらふらと極彩の腕を引き、別の墓列へ入り込み、力を失ったように座り込んだ。極彩は手巾で桜の首筋や額の汗を拭く。桜は膝に顔を埋め、蹲った。膝を抱く手が震えている。
「すみません」
「いや…」
 墓園に入る時に閉じた日傘を開き、2人小さくなって1つに入った。落ち着くまで待つ。沈黙の中で極彩は地面に落ちた花や菓子を眺めていた。天人菊と書かれていた、中心から紅色に染また端は濃い黄色で縁取られた花が透明な膜状の包み紙の高い音とともに揺れた。供える菓子を選んでいた時の母が好きだったと言っていた弾ける笑みは眩しかった。
「…父です、実の」
 膝から顔を上げることもなく桜は震えた声で言った。
「とすると、周りにいるのは」
「 同胞はらからです」
 間が悪い。つくづく。7日間ほどあると聞いていたが同日にばったり会うことになるとは。極彩は待つつもりでいた。何時間でも。紫暗と連絡が取れるなら泊まる気でさえあった。城のもとへ行ける鳩は探せばいるはずだ。電話という遠隔地で会話の出来る機械は城の周辺地にはあるらしいが、離れた常盤地区にあるのかは知らない。日を改めたっていい。来てほしいというのならまた同行するつもりだ。
「母には申し訳ありませんが…少し常盤を案内して、帰りましょう…すみません」
 こういう時は押しが強い。思うよりもおそらく溝が深い。極彩は父親を知らない。想像もしたことがない。ただ見聞きして像を作り、重ねただけだった。子を憎む父はいないと、四季国で聞かされたことがある。そういうものだと、漠然と信じ込んでいて、今も。
「本当に、いいのか」
「すみません、秋にまた来ます」
 返事が出来ない。派手にうるさく鳴る白い袋の中の夜船を奥に、透明の上蓋が光る。桜は顔を膝に埋めたまま動かなかった。
「分かった。桜の問題だ。わたしは何も言うまい」
 蹲り丸まった背から目を離し、極彩は1人立ち上がる。
「すみません」
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