彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

文字の大きさ
上 下
67 / 337

67

しおりを挟む
「ここで色々作って売ってるんす。売れないんすけどね」
 耳打ち。全て長春小通りで取って替わる物が売られている。より多く、より清潔に、より効率よく、より高品質に。
「洗朱紐ってのがあるんすよ」
 中へ促され、大きな瓦版らしきものを2枚並べたような印刷物の上に置かれた紐束を見せられる。強い黄みを帯びた薄い赤に染まった細い紐。珊瑚や山吹が大きな蜻蛉玉に通して身に着けていた。
「これはひとつの伝統っすからね。失くすのは惜しいっすよ。世が世なら、献上品にしたって…きっと」
 洗朱紐を置き、また別のところへ進む。隅に置かれた轆轤を気にしていると、粘土で成形したはいいが焼く設備も機会もないため飾ることしかできないのだと説明される。掛けられた布を取られ、積み重ねられた粘土の器を見せられた。
「最悪の場合は杉染台の物を売るんすけど。なかなか気が引ける。そんなことを言っている余裕は正直ないんすけど」
 おどけて肩を竦める。入口で立ったままの桜は近くで寝ている老婆の手を揉んでいた。
「息したらテキトーに生きていけると思ってたんすけどね。放任の親父がいきなり呼び戻すから何かと思ったら、息するだけで腹が減るのに、でも食うだけの稼ぐ手段がさ、あるにはあるけどなかなかな現状があったわけ」
 銀灰の話からすると父親が亡くなったのはつい最近のようだった。不言通りや長春小通りで見る同年代の男たちと比べると痩せ、小柄で屈強そうには思えないが銀灰の気丈夫さには惹かれるものがある。
「まずやることは炊事だな」
 そう独り言ちて社の奥で横たわる者の前に進むと屈み込み、話しかけ始める。調子はどうかと。老いた手が銀灰に縋る。誰かいるのかと銀灰に迫り、縹の姪御だと幾度も教える。白梅の香りじゃ…、白梅の香りじゃ…。叫びに似ていた。珊瑚も言っていた。杏も言っていた。季節は全く外れている。香油も身に覚えがない。あの藤の花の簪を揺らす芸妓から移ったとでもいうのか。背を丸める老人を撫でながら銀灰の傍に寄る。皮と皺に覆われた、おそらく老婆だ。歯が抜け、唇を揉むように喋る。
 藍銅らんどう様か。
「違うよ、婆ちゃん。縹サンの姪だって」
 極彩に両手を合わせ、拳を片方の掌に合わせると、1本ずつ指を折っていく。変わった作法だった。銀灰は困っている。
藍銅らんどう様?」
「洗朱の芸妓さんでさ。白梅しらうめちゃんと同じ匂いするんだよ」
 薄くごわごわと乾燥した手が震えながら極彩の手を握る。関節を揉み、指の背を撫で、掌の相をなぞっていく。指先が止まり、老婆は小さく唸った。
「婆ちゃん…」
 銀灰は老婆の肩を抱いて顔を覗き込む。藍銅という者は知らないが掌の感触や手相で別人だと察したらしかった。安否の確認だったのだとすれば、ひとつの希望を不本意に裏切ってしまった申し訳なさがある。
 お銀のさいにならんか。縹様が離れんうちに…
「ちょっと、婆ちゃん、何言ってんすか」
 こんなことしとっても何の得にもならん。何の得にもならん…ならん…まだ独り身なら、お銀のさいになっとくれぇ…
 縹は得で動いているわけではない。
「婆ちゃん、縹サンの姪御じゃ、野良犬のオレとは身分が違うから…」
 縹が養子に迎えたがっているのは安寧のためか。小さな。欲のない。だが大きい。楔になれと周りから固められ、銀灰は身動きがとれるのか。雁字搦めにされ、ただ父親の故郷というだけで。気丈夫に見えたがまだ若い。好いた者は或いは恋仲の者はいないのか。天藍や珊瑚や山吹とは違う。決められた相手とでなくたって許されるはずだ。縹と銀灰が親子関係になれば、もしくは自身の婿になれば。極彩は気に入らなくなった。弱者は立場を選べない。弱者はその中で優しさを見せた強者に縋るしかない。弱者が囲った強者を押し潰すしかない。
「叔父上はあなた方を見捨てたりなどしません」
 ただ伴わないのだ。荒げそうになる声を抑える。
「見捨てたりなど…」
 焦るのだ。縹の姿に。先を匂わせることに。風邪をこじらせている咳ではなかった。素人目にも分かってしまう。肺か心臓を病んでいる。自身や場内に感染は見られない。複雑な病だと縹自身が口にした。
白梅しらうめちゃん」
 銀灰は老婆から離れ、極彩を社から出した。晴天しか似合わないその面は曇天だ。
「気、悪くしたすか、ごめん」
「…縹さん、顔出せてないんでしょ。忙しいみたいだから」
 病のことを言おうとして迷う。言ったらどうなるのか。銀灰の返事は決まるだろうか。あの意地張りはどうなる。あの男が自身の情けなさに苦く笑うのは許せない。
「縹サンがわざわざ洗朱に住んでここのことも手配してくれてたの知ってるし…ちょっと多分、腹減ってるから不安なんだと思うんす、ほんと、ごめん。あまり気にしないで」
 2人が社から出たため桜も外へ出てきた。
「どうか、したんですか」
「いんや、ちょっとな…婆ちゃん、ちょっとオレに甘いから」
 この地に銀灰と自分の婚姻を経て縹を縛りたいどころかむしろ銀灰を放したいのではないか。社に戻る前に柔らかく頭を撫でられ囁かれた言葉に新たに浮かんだ可能性。真意は分からない。
 寺には暗くなるまでいた。縹から預かった小切手を換金してきたらしい杏が米や漬物や干物、味噌などを買い込み、病棟を柘榴に任せて寺まで運んできた。動ける者たちで米を炊き、汁物を作っていた。桜は炊いた米をさらに煮詰めて柔らかくしていた。
 社の中で生活している人々の中に、変態好色館で働いている娘がいた。片肘から腕が2本に分かれているためよく覚えている。胡桃という娘だった。明るく清楚な印象を受けた。年齢が近い同性ということもあってか胡桃とはすぐに打ち解ける。握り飯を作りながら、味噌汁を器に割りながら他愛のないことを話した。天気のこと、杉染台に移ってから気付いたこと、味噌汁の具のこと、銀灰や杏や柘榴のことなどを。作業が一段落し外で2人並んで握り飯を食べていると、後片付けをしていた銀灰がやって来る。
「胡桃ちゃん、もう暗いからそろそろ」
 洗ったばかりで水滴を垂らす鍋を持ちながら銀灰は、極彩の隣に座っていた胡桃へ声を掛ける。胡桃は指に付いた米粒を全て平らげ、立ち上がる。食後もゆっくりできないのだろうかと思った。
「仕事に行きます」
 鍋を片付けてからまた銀灰は胡桃の元へと戻ってきた。色町に行くというのなら誰かと共にいたほうがいいというのは身を以って経験している。
「東なら方向一緒っすよね。4人で途中までどうっすか」
「桜、もう少しいるみたいだから」
 社の中で、まだ桜は老婆の世話をしていた。言えばすぐに切り上げ、帰宅の準備を始めるだろう。だが桜に託(かこ)けただけだ。途中までとはいえ、色町だ。胡桃は嫌なのではないか。余計な忖度であるのならそれでよかった。
「分かった。…それとも泊っていくっすか、狭いけど」
「ありがとう。でも待ってる人、いるから」
 分かったっす。屈託なく犬歯を剥き出し、銀灰は背を向ける。胡桃と何か、親し気に話していた。社の明かりを借り、不便というほどでもない境内で、暗くなった視界に溶けていく2人の姿を暫く見つめていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

処理中です...