彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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「意外ね。己の非力さを痛感していたあなたがそう言うなんて」
 銀灰と杏は黙ったまま3人の成り行きを眺めている。桜を庇いながら冷たい圧迫を真っ直ぐ受けた。城で藤黄とうおうの固い雰囲気に耐えられたのはおそらく柘榴の影響だろう。
「不本意や理不尽で選択を奪われてきたんです。そんなこと言ってる場合じゃなくて、ここにいる人たちだってそうだったとしても」
「あなたは何を守りたいの。それなら選択ができるあなたが選びなさい。彼?故郷?ここの人たち?それとも他の?」
 銀灰と杏の苦々しい視線の会話と結託。俯くままの桜。問う柘榴。受け流せない選択。誤ったとしてどうなることもない。
「今、目の前にいるのは桜です。その意思が傍にあります」
「…ふぅん。分かったわ。納得はしてないけどね。それで?拒否する理由だけは参考までに聞かせてくれる?」
 極彩への関心が失せ、その獰猛な視線は桜を貫く。食い縛られてその唇は動く気配がない。
「無力だからです。何をやってもダメだからです。僕に関わった人たちの顔に泥を塗るから。死なせてしまって、何もしないまま後悔したほうがずっとずっと楽だからです。そんな人に、診せられますか」
「なるほど」
 全く納得を見せず、しかし柘榴は上っ面だけで納得した。
「同意してないことやらされるのは、つらいもの」
 柘榴は呟き、桜を視界から外すと威圧をやめた。選択を誤っているかも知れない。何が何でも桜に、医業に携わった者としてその務めを果たせと強いるのがことわりだったか。人の道だったか。死にゆきそうな者を、国から見捨てられた挙句焼かれた者を救えと。それがことわりであり、義であったのかも知れない。だが本人が嫌がっているのならことわりは理ではない。義は義ではない。明け透けなあの少年の性分は守りたかった。
「じゃあ寺に案内するわ。ちょっとやってもらいたいこととかあるし」
 銀灰は計算をやめて立ち上がり、柘榴と入れ違いに極彩と桜の元へ寄る。室内に残るらしい2人に軽く頭を下げ、銀灰に寺まで案内される。
「ごめんな。柘榴も嫌なヤツじゃないんですけどね」
 萎縮する桜を横目で認めてから極彩に肩を寄せて謝った。
「間違ったことを言っているのはわたしのほうだから」
「間違っちゃいないすよ。状況が状況なだけで。間違うとか間違わないとかがあるのかも分かんないし。四則演算みたいにはいかないっすね」
 銀灰はからからと笑う。台風の後の涼しく潔い風に似ていた。年齢のせいか、愛嬌のある顔立ちのせいか、陽気な調子が杉染台の現状とは合っていない。
「偽悪的なんすよ、あの人は。色々昔あったみたいですけど、結構偉い人だったらしいっすけど」
 極彩同様に銀灰もまた後方を日傘を抱き込みながら歩く桜を気にしていた。沈んだ様子は変わらない。医業に従事していたなら、縹の薬草の話に合点がいく。
「杏拾ってきたのも柘榴でさ。オレもその辺はよく知らないんだけどたまに眠くなると杏はよく喋るんだ」
 両手を後頭部に当てて銀灰は、曲がり角で曲がるのを忘れ、急な方向転換をしたため極彩とぶつかる。
「寺には何が」
「生き残ったやつらとか。動けるやつらがそこにいるんすよ」
 旧病棟の他にまだ生き残った者がいる。洗朱には人がいないとは何だったのか。
「とりあえず臨時収入で炊き出しかな」
「どうしてそこまで献身的になれるの」
 う~ん。銀灰は軽く呻く。大金を目にした時、極彩が浮かんだのは故郷に充てることだった。個人的な欲は湧かないのか。市井の若者は娯楽的であるのに。
「オレ、故郷追い出されてさ、小さい頃だから覚えてないんすけど。何か理由があるとしたら親父が住んでた土地だからかな。あんま気にしたことないすよ、流れでしょ」
 明確な答えは打ち消される。確信もない。
「流れ、」
「流れに逆らうのもアリっすけどね。でもその流れを上回らなきゃ、止まってるのと同じだから、やっぱ流れに任せたほうがいいすよ。流れに逆らって呑まれた軽忽きょうこつもいたっすから…」
 曖昧なことを言っていてもその陽気さはしっかりとしていた。
「何も、考えないの。不安じゃないの」
「あんま利口じゃないんすよ。だから流れるんす。ダメかなって思ったら途中でやめたらいいんすよ。目的地決めてたって、そうもいかないことってあるし。その時キィキィ怒るのも面倒だし」
 けらけらとのんきに笑う。日光を受け溌剌としている向日葵に似ている。健やかな印象に隠れ、少し痩せている気がするのは生活のせいだろう。縹が息子にと、精神的にでも傍に置きたくなる気持ちは何となく分かった。
「御主人…ごめんなさい…、すみません…穀潰しで…ごめんなさい…」
 後ろから鼻を啜る音が聞こえて、極彩よりも先に銀灰が足を止め、身を翻す。引き攣った笑みを銀灰は極彩に向ける。そういう躾してるんすか。妙な趣味してるんすね。そこまで言わさなくても。好奇と呆れを帯びた無言。
「わたしは何かさせたいとか、この人は何が出来るからとかそういう理由であなたを城から買ったわけじゃない」
「でも、僕…」
 乾いた土に沁みこむ。銀灰はにやにやしている。
「桜ちんは猫ちゃんみたく可愛がられてればいいってこと!」
「そんなのじゃ…」
 銀灰は桜に背中から圧し掛かると髪をわしわしと掻き乱し、華奢な身体にしがみつく。意地の悪い兄と気の弱い弟のようにも見え、控えめな兄とやたらと元気な弟のようにも見えた。桜は目元を拭い、銀灰に好き勝手されている。何のために名を偽り、身分を騙り、城に潜んで生き長らえた。あの機会を無駄にした。何ために生きている。分からない。この少年も。流れから拾い上げてしまった。澄んだ川の中で流れに身を任せひらひら泳ぐ魚を掬い上げ、鱗は焼けて息も出来ない。次は無条件に愛でられる鳥に生まれてきたらいい。誰かに言った。自罰的な忠犬に言ったかも知れない。何かめいがなければ動けない哀れな犬。使い潰される忠犬にもなれず、取って食われる川魚にもなれず、空を掴むことを拒む鳥にもなれない。ただ生きるどころか、ただ生かされていることが重荷か。
「桜」
 もはや銀灰に遊ばれながら桜は極彩を真っ直ぐ見つめる。怒りや悪意とは違う、ただ正直な感情に怯む。
「ネズミを追わなくていい。喉を鳴らさなくてもいい。わたしと傷を舐め合って。それがあなたの務め」
 銀灰は桜にしがみついたままわずかに顔を赤く染めた。何か恥ずかしがっているような。桜は、はい、と簡単に返事をする。意味分かってんすか、と銀灰に荒れた頬を突かれていた。


 杉染台の町のはずれの寺に着き、銀灰は社を開ける。直射する光を眩しげに内部にいた人々は手を翳した。
「みんな!新しい仲間だ!縹サンの…」
「姪です。どうぞ、お見知りおきの程を」
「―と、その使用人の桜ちん。オレの舎弟だからよろしく」
 勝手なことを言っている銀灰に桜は緊張していた。いつの間に。極彩は特に何も言わなかった。紡車が目に入る。轆轤ろくろや今ではほぼ見ない番傘の骨などもある。
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