彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 言葉は無かった。焦土の中を歩き続ける。視界の端に誰かが映り、確認すれば太い幹だけを残した黒焦げの木。人のようだった。両腕を前に出し、何かを求め彷徨う姿によく似ていた。固まって、肩の上の小鳥が跳ね、動くことを思い出したのか細い指が飼い鳥を愛でる。その背に追いついた。
「昨日、大きな音したろ。多分、あれだ…」
 珊瑚の隣に並ぶと、そう言ってまた進みはじめる。花火かも知れないと説明されたあの地鳴りのような大きな音か。
「いつかこうなると思ってた。…でもこんな早くにか」
 柔らかい風が吹く。瓦礫が燻って揺れ、たなびく。
「俺に反抗して処されたやつらがいた話、覚えてる?」
「うん」
「…ここにいるんだ。いや…いた」
 直後に言い直される。雲ひとつない空にその声は吸い込まれていく。
「生きて…たの」
「一応な。事実上、死んでるけど」
 でももうダメだな。同じ言葉を繰り返す。もうダメだ、と。
「洗朱に飛ばされて、洗朱ごと吹き飛ばされちゃ、同じだな」
 立ち止まってしまった珊瑚を追い越し、歩き続ける。瓦礫に埋もれた人影。生々しい匂いが強まっていく。縹が暮らしていた建物も、花緑青と歩いた道も、師と待ち合わせた地も消えている。存在はしている。一面の焼野原が広がっている。だがその地を、その地たらしめるものが消えている。崩れかけた廃屋でも、不安定に増築された建屋でも、雑草に覆われた空き地でさえ。遠くに薄らと見える森は風月国の領地であるのかも分からない。
 焦げた匂いだけでなく埃っぽさ、黴臭さ、不衛生からくる獣臭さと饐えた匂いが強くなっていく。四季国もこうなっているのか。故郷がどうなっているのか分からない。灰白の進む道が倒壊した廃材によって阻まれるまで歩き続けた。黒く焼け焦げ魚の鱗のように繊維の割れた木材と木板に挟まれた腕。外部に伸ばされた肘から先はまだ肌の色を保っていた。両手を合わせて目を閉じる。カラスが鳴く。空は遠く青く澄んでいる。朗らかな風が髪と弱々しい黒煙を揺らす。鳥の群れが陰を作り、通り過ぎていく。壊れた土地に関係なく。周りは時を過ごし、風は吹き抜けていく。この地が壊されたときに、城で何をしていたのだろう。目の前の腕がまだ生きていた頃、何をしていた。華美な衣装に身を包んでいた頃、爪を艶やかに塗られていた時。四季国もそのような調子で、おそらくは。灰白はじっと伸ばされ、垂れる肘を見下ろしていた。
「あんた…」
 呼ばれて視線を向けた先に灰白は息を飲む。真っ白い顔色と青い唇。冷や汗。駆け寄って、嫌がられながらも額や首筋に触れる。立っているのもやっとなのではないか。灰白は珊瑚の腕を首の後ろに回す。
「体調が優れませんか」
「大、丈夫……っあんたは……」
 珊瑚の細さならば背負えるだろうかと珊瑚の体格を眺めた。洗朱地区から出れば牛車ぎっしゃでも馬車でも人力車でもある。だが、どこに行くというのだろう。今ここが、辿り着いた「どこか」の途中であるというのに。
「わたしは何ともない。珊瑚様、大丈夫じゃないでしょ」
 この会話を昨晩した。
「まだ立てるから、…歩けるから大丈夫なんだよ…っ」
 灰白の身体を滑り落ち、地面に膝を着く。
「…、帰―」
「あっらぁ、知った顔ね」
 足音に顔を上げる。今朝別れたばかりの声。色の無いこの地区には目立つ鮮やかに照る暗赤色の大きな衣。
「柘榴さん、どうしてここに?」
「アテクシの帰るところだからよ。他に何か?ここにモダーンな“でぱぁと・・・・”でもあるとお思いなのかしら?」
 憔悴した珊瑚が灰白の衣服を握る。柘榴は鋭い眼差しを遠くの空へ投げ、両手を振るような仕草で珊瑚に歩み寄る。
「あ…えっと…その、」
 柘榴が洗朱の出であることにまず驚き、そしてこの現状に掛ける言葉が見つからなかった。柘榴はのしのしと珊瑚のもとに来ると、額に掌を当てる。
「白梅ちゃんたちは…?ここに似合わないけど。物見遊山かしら?いいシュミしてるじゃない?」
「と、友達に…会いに…」
 ふぅん、と鼻を鳴らされ、灰白は閉口する。
「嘘を吐く時は罪悪感なんて忘れなさい。自分を騙さなきゃ。人の業とさがは割り切れないんだから」
 柘榴は納得していないことを明らかにした上で深く訊ねることはなかった。身体に力が入らないらしい珊瑚を軽々と抱え上げ、珊瑚は暗い赤の布から伸びる逞しい腕の中でぐったりとしている。灰白に背を向け踏み出した柘榴に控えめに声を掛ける。
「訳有りみたいだから深くは訊かないでいてあるげわ。うるさくは言わないけど、帰る場所があるならそこに帰りなさい」
 表情は見えなかったが語調は険しい。
「ないです」
 口が勝手にそう動く。自身の声で、何か返答していたことに気付いた。
「戻る場所はありますけど帰る場所は、もうないです」
 隠せなかった。この地がこのような有様でなかったら或いは。だがせめて城の外の者になら。四季国が何度も自身の奥に埋められていくから。
「その瓦礫の5階がね、アテクシの家だったの。毎日弁柄の方から帰って来るたびにチビに麺麭パンをねだられたけど、そんな日々ももう終わりね」
 崩落した自宅を見たくないらしく、一瞬で灰白の目の前の倒壊した建物を差す。
「生きたいように生きたらこんなだから不言いわぬ通りみたいなところじゃ生きていけないの。洗朱みたいな誰も見向きもしないようなところでひっそり生きてりゃこのザマよ」
 呼吸を乱す珊瑚を見下ろして、だがそのまま柘榴は進む。灰白は珊瑚が持てなかった鳥籠を拾い上げ、広い背中を追った。
「あの宿で働いてるんですよね?」
「生まれは弁柄よ。洗朱には勝手に住んでるだけ。世間体が悪くなるってジジイが煩いから移り住んだの。ジジイ死んだからアテクシが店継いでるだけ」
「ああ、なるほど…」
「せめて目に見えるチビどもの飯代くらいは、どうにか出来たからね」
 風が吹く。牛乳のような優しい甘い香りを乗せ、暗い赤の布と耀く毛先がはためいた。
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