彩の雫

結局は俗物( ◠‿◠ )

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 宴がもうすぐ始まるところで縹が大広間へ入ってくる。粗く結われていたはずの髪が綺麗に結い直され、小ぶりながらもいかめしい冠を頭に乗せ複雑な彫刻が施された簪で留まっている。日常的に羽織っている目に痛い鮮やかなローブと同じく透けた黒布の襟がある型だが白地に金の刺繍が入り、大きく余った裾は引き摺っている。清冽な佇まいに視線が釘付けになった。縹が灰白を見た。切れの長い目元に入れられた朱が縹の怜悧な顔立ちをさらに引き立たる。灰白は反射的に目を逸らした。そういえば群青は、と後ろに控えていた紫暗に問うと群青は出席しないらしかった。珊瑚と山吹の姿もまだない。ゆっくりとした足取りでやってきた縹が灰白の隣に腰を下ろす。裾を摘まんで優雅に膝を曲げる。衣擦れの音も流れる水のような。
「緊張しているのかな」
「はい」
「そうかい」
 灰白へ顔を向けることもなく訊ねられ、迷うことなく素直に返す。緊張は増す。心臓の音が縹に聞こえているのではないかと思った。腹部を圧迫するように着付けられた衣の奥で胃がちりちりと痛む。
「君は何もしなくて大丈夫だ。剣舞だけに集中して」
 縹の瞳は真っ直ぐ対面を見ている。灰白を視界から外したまま。後ろに控える紫暗を気にしながら、どういうことかと問えば、縹はどこでもない一点を凝視したまま答えることはなかった。綺麗に櫛を通され纏め上げられた姿は冷淡さだけを残している。城で身に纏う奇抜な色のローブが縹には似合っていたのだと初めて知った。誰が身に着けても浮いてしまう突飛な色のローブが。返答を諦め開宴を待つ。風月王や二公子に帯同していたらしき見知らない下回りの者たちが楽器を運び入れている。そして配置が終わると、灰白が入ってきた扉とは対面の扉から身形を整えられた珊瑚と山吹が姿を現し、玉座から2つ下の段の席へ座る。山吹は落ち着きなくにこにこと笑いながら身を揺らしていたが珊瑚はつまらなそうだった。もうすぐだ。背と肩に力が入る。師と丸っきり同じ姿に会えた。花緑青は無事逃げられただろうか。成すべきことをするだけ。目の前に置かれた漆塗りの膳を見下ろす。白い反射と見つめ合う。
「君」
 肩に触れた手に驚いて顔を上げる。呆れた表情をする縹はいつもの縹だ。自身の吐息の音がやたらと大きく聞こえた。
「すみません…」
 縹は小さく嘆息する。
「剣舞だけでいいと言っただろう。まだ何かするわけでないのだから」
「何も、しないんですか」
「…分かったね?」
 やはり縹は灰白の確認には答えない。腑に落ちないまま、はいと小さく口にした。声を出すことさえ重労働だった。
「極彩様、具合が悪いんですか」
 後ろに控える紫暗が両膝を床に擦りながらひとつ前に出る。大丈夫だと伝えても紫暗は表情を曇らせている。大丈夫だよ、ともう一度押して、紫暗はまた後ろへ戻った。縹にしっかりなさいと軽く膝を叩かれる。落ち着きなくきょろきょろとしていると珊瑚と目が合い、慌てて逸らされてしまう。
 やがて大広間の大きな扉からぞろぞろと正装した者たちの列が入り、縹の姪として何人もの見知らない官吏に紹介されていく。縹に好意的な官吏もいれば、侮蔑的な目を向ける官吏もいた。縹は浮くほど若く、最も若そうに見えた官吏とでもとおくらいは離れているように思えた。隣に立つ縹の愛想笑いが窮屈だった。強張った顔に笑顔を貼り付け灰白も、頭を下げ握手に応じる。
 居心地の悪さが拭えないまま宴が始まる。玉座のある段の端の暗闇と化していた扉から青年が現れる。山吹とよく似たくせ毛は強い青を帯びている。そして森の中で見た風貌。珊瑚は朽葉にそっくりだと二公子を表現したが、灰白もそう思った。遠目にも分かる宝石のような瞳を彷徨わせ灰白を捉えると柔らかく微笑む。灰白は首を竦めて小さく頭を下げた。それから青年は玉座のある段の下の席に腰を下ろした。灰白は青年が入ってきた扉を見つめる。おそらくそこから風月王は入場する。握った拳が震える。装飾された爪が掌に刺さる。横から静かに伸ばされた手が灰白の手首を強く掴んだ。腕を引く。だが縹の手が灰白の腕に力が入るほどに強く握り込む。震えが伝わってしまうことを恐れた。
 扉の軋む音がする。風月王の姿が照らされる。漆黒の衣。合わせ目に真っ白い毛皮が使われている。眼球を潰すほど強く輝く冠から垂れる薄い黒布によって顔を隠されている。灰白は固唾を飲む。縹に強く掴まれたままの手首の感覚を忘れていた。二公子と紹介された朽葉によく似た青年が長い挨拶を始める。似ているのは姿だけではなく声もだった。風月王は玉座に掛け、背凭れに身を預けてぐったりとしている。何度も風月王の形を目でなぞる。剣舞の流れを思い描く。機会は3度。大きく前に出る振りを利用し玉座に接近するか、もしくは…
 容赦なく掴む縹の手がさらに力を増す。二公子が何か喋っているが灰白には話が入って来なかった。縹に押さえられていなければ今すぐ玉座に走って行ったかも知れない。灰白自身分からないでいた。
「君、そろそろ」
 縹の声も耳を抜けていく。四季国での日常が流れていく。実の両親の顔を知らないが幸せだった。生まれた場所も生まれた季節も知らないが憂いはなかった。素性も身分も分からない自分を育ててくれた。腹の底で燻る。二公子の話す声、縹が呼ぶ声が通り抜け、記憶とが滲み、ともに消えていく。
「極彩様、やっぱり体調が優れませんか」
 紫暗が後ろから話し掛ける。振り返って紫暗の丸い双眸に殴られたような気分になった。四季国の下回りの娘の姿と重なった。城で共に働いていた青年に淡い想いを寄せていた彼女は今どうしているのだろう。生きているのか。
「極彩」
 紫暗の声により反応を見せた灰白に縹は叱るようにもう一度呼ぶ。
「少し緊張しているのかな」
 朽葉の声がして正面を向く。
「大変申し訳ございません」
 目の前に朽葉がいる。隣で縹が深く伏していることにも気付かず灰白は朽葉によく似た二公子の顔を真正面から捉えてしまった。
「いいよ、縹。顔を上げて」
 縹へそう言って、また二公子は「そんな固くならないで」と灰白に言う。近くでみると、磨かれた燐灰石のような瞳の美しさに数秒見惚れた。縹に袖を引かれ、周り者たちが顔を伏せ低い姿勢をとっていることに気付き慌てて同じように伏せようとした。だが二公子に顎を捕らえられる。柔らかく口角を上げた二公子は朽葉と似ていたが雰囲気は二公子のほうが大人びているように思えた。
「君が今日、舞ってくれるんでしょう?楽しみだな」 
 宝石を眇める二公子に、灰白は俯きかけたがまだ顎を支えられたまま。
「二公子、」
天藍てんらん。二公子だなんて…山吹の付き人なら、いつかの義妹いもうとじゃないか」
 にこりと笑って顎から手が離れる。灰白の髪飾りに触れ、よく似合っていると呟いて去っていく。立っている者は天藍だけ。そして顔を上げているのは灰白だけだった。風月王は身動きひとつとらず玉座に凭れたている。天藍が席に着くと官吏たちの姿勢が戻り、遅れて下回りたちが頭を上げる。
「そろそろ支度なさい」
 縹が冷たく一瞥しそう言うと紫暗が灰白を裏へと案内する。縹があつらえたという燦爛さんらんたる晴れ着を脱がされ素早く機動性が高そうでありながらも玲瓏れいろうさもある衣装へ着せ替えられる。肘で絞られ袖が開いている。腰に回された細い布や紐は大きく余り垂らされた。短剣が運ばれ、掴もうとして、だが。極彩様、がんばってください。気さくにかけられた言葉。観られなくて残念です。私たちにもいつか見せてくださいね。短い城の生活で確実にこの場に根が伸びてしまっていた。今までならば笑って答えられた。ありがとう、いつかね。笑って返す。きっと固かった。
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