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winner -投影-
投影 2
しおりを挟む「あの子は…どこが悪いの…?」
病院の広いテラスには点滴を引く者や車椅子に乗っている者たちが日を浴び、風に当たっていた。フェンス前の植込みのレンガに腰を下ろし、アレイドは訊ねる。
「頭と口だよ。ありゃ治んねぇな」
「え…」
緑色の瞳が震え、銀髪の長く濃い睫毛が大きく開いた。彼岸はその反応に満足する。
「ま、死にやしねぇよ。なんかこれから検査があるみてぇだから少し待ってろ」
彼岸がジュースを買ってくる。この近辺ではみない紙パックで、ストローを挿すのにもたついていると奪い取られて、挿した状態で返された。
「面倒臭ぇ契約書読まされるだけだからな」
彼岸が離れていく。モノクロになった視界に、明るい髪とフレーム眼鏡の男が現れ、瞬くと消えた。目の前を揺らめいている黒髪を掴んだ。背の高い女は引っ張られるままに背を反らせる。
「何すんだ、ガキ」
身構えるが、振り向いた瞬間に引き締まった腰に抱きついた。
「ひとり、に…しない、で…」
モノクロの世界でフレームの奥の泣きぼくろがわずかに持ち上がる。チェリーレッドを薄っすらと帯びた無彩の瞳が歪んだ。女のしっかりした指が銀髪を梳いた。
「懐くな、うぜぇ」
ほっそりした手首を鷲掴んで、紫鴉の検査を待つ。
検査を終えた紫鴉の手続きに彼岸は席を外した。アレイドはベッドの脇のパイプイスに座り、外を眺めている紫鴉を見ていた。
「兄ちゃんいんの?」
「…え?」
小さな溜息が聞こえ、アメジストを嵌め込んだような瞳が海から逸れた。
「兄ちゃんだよ。それか弟。あんたと歳が近いくらいの。無表情だけどあんたよりハキハキしてる」
アレイドの記憶の中に兄も弟もいなかった。
「いない…と、思う」
「思うってなんだよ。複雑な家庭ってやつ?」
あ~あ、と紫鴉は気怠げに呟いて、リクライニングベッドに背を預けて目を瞑る。話すことはなかったが、声をかけてしまう。
「あ、あの…」
「ああ、静か過ぎて寝そうだった」
すぐに目を開け、グラビア雑誌を手に取る。表紙の妖艶な下着の女性が見えてアレイドは俯いてしまう。
「あの女にいじめられてんの?同棲相手との蜜月邪魔しやがって、てさ」
「い、いじめられて…ない。優しく、してくれる…」
紫鴉はグラビア雑誌から顔を上げ、渋い表情を浮かべた。
「優しい?あの女が?よっぽど酷い目に遭ってきたわけ?怖」
光沢のある紙が捲られ、ビキニ姿の女性が大きく脚を開いている写真が載っていた。
「何を、…読んでいるの?」
「グラビア。ハンスにはナイショな。あの人オレのこと童貞ちゃんだと思ってるから」
「童貞ちゃん…?」
紫鴉は一瞬ぐしゃりと鼻梁に皺を寄せ、面倒臭そうにした。少し長めの前髪を後ろへ撫で付ける。
「初物野郎《ボーイ》ってのは、」
口を開きかけたが、病室に入ってきた者へ気を取られる。革靴の足音が心地良く鳴る。聞き覚えのある音だった。アレイドは呼吸を忘れた。心臓が激しく鼓動を打つ。
「哺乳類と交尾のしたことがない哺乳類のコトだよ。それで、怪我はどうかな?」
白髪の青年が現れる。黒いフレームの大きな眼鏡に赤い瞳と泣きぼくろが特徴的で、白衣を身に付けている。首から聴診器を下げ、いやらしい笑みを浮かべていた。アレイドは両腕で我が身を抱き、凍える。紫鴉は一度彼女を気にしたが、すぐさま胡散臭い白衣の男に注意が向いた。
「あんた、この病院で働いてたの」
紫鴉はいくらか警戒を解いていたが、硬直しているアレイドに目配せした。 彼女は白衣の男から目が離せず、紫鴉の視線にも気付けない。
「生きててよかった。心配したんだよ?やっぱりうちで引き取った方が良かったかな、なんて」
内臓を出入りしていった男にアレイドは泡を吹いてパイプイスから崩れ落ちる。濃い色の鮮やかなドレスが血溜まりのようだった。紫鴉はびっくりして点滴のチューブに引っ張られながらアレイドを拾おうとする。
「おい!しっかりしろ」
「いいよ、放って置いて。場所は割れたし、もう要らないや」
怪訝の眼差しを下から向けられ、白衣の男は肩を竦めた。躊躇いがちに少女の口元を指で拭ってから、彼女のドレスで拭いた。
「場所は割れた?誰の?何の?」
「あとはピンク街にでも売り飛ばしたら。でも顔変えないと。万が一デリバリーで運ばれてきたら、さすがに萎えるよ」
質問には答えず、白衣の男は鋭く光る銀色の物を取り出した。刃物だ。
「ちょ、待てって。そいつ、扶養者の唾付いてんだ。なんかあったら追放されんだろ」
少年はアレイドを自身の胸に引っ張り込んで白衣の男が握る医療用の刃物から庇う。黒いフレームの奥の目が人懐こく丸みを帯びた。
「ボクと来なよ」
「行くな、行くな」
影が落ち、白衣の男は笑みを浮かべたまま表情を固めた。紫鴉は辿るように影の持ち主を見上げる。
「帰りにビフテキでも喰わしてやるから」
「マジか」
女は退院の誓約書を見せた。
「保護者が来ちゃったか…」
「この娘が帰りたがらねぇ。心当たりねぇのか。キャットファイトレスリング、やりたくねぇんじゃねぇの」
白衣の男を押し退け、紫鴉から華奢な身体を奪い取る。
「嫌なら帰らなくていいけど。婚約者さんだって困るんじゃないの、こんな可愛い赤の他人とひとつ屋根の下だなんて、君にも遠慮しちゃうだろうな。この子一応、器は女の子だから妊娠しちゃうかもよ?…器の体質にもよるけどね」
紫鴉は露骨に嫌悪を示し、彼岸は鼻を鳴らす。白衣の男は2人の様子に構うこともなくいやらしく口の端を吊り上げている。
「下種が…」
「あんま気にすんなって。多分大丈夫だと思うぜ…あの人なら…」
紫鴉は的外れに慰め、彼岸は彼を睨む。
「蜜月!羨ましいな。でも間違えたらいけないな。いくらハンス・フロレンスィアくんが優しいナイスガイでも…分からないよ。婚約者じゃない女の子って、どうしてヨク見えるんだろうね?」
「誰がどいつとガキ作ろうが関係ねぇよ。ただお前に婚約者の未必の不貞を面白おかしく話されるのは気に入らねぇ」
彼岸の腕の中で少女が動く。
「婚約者ハソンナコトシナイ、くらいの言葉は聞きたかったかな。ま、そういうことならいいや」
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