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False fiance -金木犀-
金木犀 3
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週一で集まる約束。自分が自分を保っていられるわずかな時間だ。馴れ合うつもりはないが、一緒にいて楽だと思う。高級マンションの最上階から2番めの階に婚約者の部屋がある。やたらと長いエレベーターに乗り、夢をみた気分になるような揺れに頭を覚ますこともなく部屋まで歩く。高額そうな宝石があしらわれた鍵を挿し込んで、扉を開ける。この街の信じられないところは土足で部屋に上がるというところだ。頭がおかしいのではないかと思う。寝室まで土足ということだけは耐えられずどうにか相談して別室にし、靴を脱ぐスペースを設けてもらった。優しい婚約者だが、彼岸は自分と偽りの婚約者が混同しない自信がある。革張りのソファに勢いよく座る。赤いワンピースがはためいた。ヌカには似合わないと言われた。けれど優しい婚約者は、君によく似合うと言って笑った。背凭れに首を預け、逆さまに時計を見る。夕飯の買い出しに行かなくては。ララクの意味深長な真顔を思い出す。いい奥さんを演じること。多少面倒ではある。目的を果たしたらすぐにおさらばだ。それなら今まで一緒にいた時間を他の女に感けることもできたはずだ。自分のように偽りではなく、本当に好いてくれる、本当に妻になってくれる女に。そういう意味では、目的にはあまり関係ない優しい婚約者の人生をめちゃくちゃにしているのだな、と彼岸は時計を見つめながら思った。秒針はただ静かに動くだけ。
姉がとても好きだった。姉の結婚相手の義兄は笑みを絶やさない温厚柔和な、真面目な人。果樹園を営む、裕福とはいえないけれど貧しい家の出でもなかった。近所の子どもや年寄りに作物を惜しげもなく振る舞う、そんな義兄が好きだった。誇らしかった。この人と結婚した姉のことも、とてもとても。
彼岸の住んでいる地区は種族が2つに分けられていた。人間か、鬼族か。干渉せず干渉されず生きてきた。ある日義兄の果樹園が火事になった。燃えて倒れていく木の影を彼岸はよく覚えている。義兄は借金を抱えた。もともとは鬼族の土地だった。鬼族は人間の娘を欲しがった。姉が行くはずだった。仲の良い夫婦だった。
彼岸は時計を見る。思い出すのに数分も掛からない。
彼岸が自ら、鬼族に行くことを申し出た。周りは反対した。周りは反対したけれど、義兄は内心喜んでいたと思う。鬼族の人々は優しかった。人間ではないけれど、噂に聞くような、野蛮で人を喰うような、暴れ回るような人々ではなかった。居場所はすぐに見つかった。赤い肌、青い肌、緑の肌。人間より少し硬質で温かくはなかったけれど、彼岸はすぐに慣れた。人間の住むところでも住めるように、鬼族は人間に化ける術も不完全ながら心得ていた。彼岸を歓迎した鬼族は外見にも気を遣ってくれた。長く暮らすうちに恋人ができた。人間となんら変わらない生活だった。ただちょっと肌の色が、質が違うだけ。そして角が生えているだけ。優しい目をしている者もいれば荒れた目をしている者もいた。働くのが好きな者もいれば食っちゃ寝を繰り返す者もいた。
鬼族の住む里に、人間がやってきた。そもそも彼岸の育ってきたところは、鬼族が住むために開拓した土地を人間が奪い取っただけ。上手い話で、時に力ずくで。彼岸を奪い返す。そんな名目で。でも本当は、鬼族がいることの恐怖とそれから土地を奪うため。けれどそれは仕方がないこと。強者しか生き残れないのだ。彼岸はどうにか納得させた。人間が鬼族の領地を奪ったことは。
彼岸は二の腕に触れる。包帯が巻かれた皮膚は赤く硬質だ。彼岸が愛した者たちと同じ。
殺されたのだ。結婚式だった。その日は彼岸と恋人の結婚式だった。式場は一瞬にして血の海に変わった。人間が雇った殺人狂に。彼岸を迎えにきた義兄も一緒に。
時計の短針が少し動いているだけ。本当に現実だったのか分からないくらいに短くまとめられる自分の人生に、額を押さえて笑う。夕飯の買い出しに行かなくては。
姉がとても好きだった。姉の結婚相手の義兄は笑みを絶やさない温厚柔和な、真面目な人。果樹園を営む、裕福とはいえないけれど貧しい家の出でもなかった。近所の子どもや年寄りに作物を惜しげもなく振る舞う、そんな義兄が好きだった。誇らしかった。この人と結婚した姉のことも、とてもとても。
彼岸の住んでいる地区は種族が2つに分けられていた。人間か、鬼族か。干渉せず干渉されず生きてきた。ある日義兄の果樹園が火事になった。燃えて倒れていく木の影を彼岸はよく覚えている。義兄は借金を抱えた。もともとは鬼族の土地だった。鬼族は人間の娘を欲しがった。姉が行くはずだった。仲の良い夫婦だった。
彼岸は時計を見る。思い出すのに数分も掛からない。
彼岸が自ら、鬼族に行くことを申し出た。周りは反対した。周りは反対したけれど、義兄は内心喜んでいたと思う。鬼族の人々は優しかった。人間ではないけれど、噂に聞くような、野蛮で人を喰うような、暴れ回るような人々ではなかった。居場所はすぐに見つかった。赤い肌、青い肌、緑の肌。人間より少し硬質で温かくはなかったけれど、彼岸はすぐに慣れた。人間の住むところでも住めるように、鬼族は人間に化ける術も不完全ながら心得ていた。彼岸を歓迎した鬼族は外見にも気を遣ってくれた。長く暮らすうちに恋人ができた。人間となんら変わらない生活だった。ただちょっと肌の色が、質が違うだけ。そして角が生えているだけ。優しい目をしている者もいれば荒れた目をしている者もいた。働くのが好きな者もいれば食っちゃ寝を繰り返す者もいた。
鬼族の住む里に、人間がやってきた。そもそも彼岸の育ってきたところは、鬼族が住むために開拓した土地を人間が奪い取っただけ。上手い話で、時に力ずくで。彼岸を奪い返す。そんな名目で。でも本当は、鬼族がいることの恐怖とそれから土地を奪うため。けれどそれは仕方がないこと。強者しか生き残れないのだ。彼岸はどうにか納得させた。人間が鬼族の領地を奪ったことは。
彼岸は二の腕に触れる。包帯が巻かれた皮膚は赤く硬質だ。彼岸が愛した者たちと同じ。
殺されたのだ。結婚式だった。その日は彼岸と恋人の結婚式だった。式場は一瞬にして血の海に変わった。人間が雇った殺人狂に。彼岸を迎えにきた義兄も一緒に。
時計の短針が少し動いているだけ。本当に現実だったのか分からないくらいに短くまとめられる自分の人生に、額を押さえて笑う。夕飯の買い出しに行かなくては。
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