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アニメーション会社放火事件で思ったこと。(自分語りです) 2019.7.21

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 18日に発生した放火事件について思ったこと。


 正直なかなか言葉にできない。まだ胸につっかえた感じがあって、上手く表現できないとか、これ!という感情を出そうとしても他の雑多なものに呑まれるというか。

 事件を知ったのは母からのLINEでした。たしか15時くらい。わたくしは夜更かしをして寝ていましたし、テレビを観る習慣が薄らいでいました。「京都アニメーションで火事」っていうメッセージで、わたくしはクリエイター系の学校にいましたし、最近まで通っていた場所の行く道の途中にも別のクリエイター系の学校があることもあり、わたくしは勝手に京都のクリエイター系学校のアニメーション学科だとばかり思っていました。寝起きの冴えない頭で。それでふと、わたくしのSNSはアニメ好きな方が多かったものですから、「京アニ」という単語を思い出しまして、この略称ならばそれが何なのかすぐに思い至りました。その作画の美しさやクオリティの高さで評価されている内容のものをよく目にしたからです。昔はよく観ていたアニメでしたが偏屈になり自分でも創作をしていると段々とアニメを追うのも興味を持って気分を上げ下げするのが良くも悪くも負担になったりもするのであまり見なくなっていましたが、それでも京アニ制作の「涼宮ハルヒの憂鬱」や「らき☆すた」「けいおん」「AIR」や「CLANNAD」はストーリーは知らずともキャラクターや主題歌は、わたくしがアニメをそう観ることもなくなった時期との境界でもあり周りにたくさんアニメ好きな人がいる頃だったことや、インターネットをやれる環境になったこともありかなり思い出の中に組み込まれていて、最近のアニメにはわたくしの心変わりもあって全く興味・関心を示せずにいるけれど過去軸としてはかなり近いところにあったのかなという感じがします。

 話を戻しますが、適当な返事をしたらその後のメッセージに「いっぱい死んだ」と続きまして、わたくしは冷淡なもので「大学なり専門学校なりで起きた火事」程度にしか認識しておりませんでした。いっぱい火事で死んだという事実だったにせよ、つらいな…と思ったことは正直なところですが、それでもどこか他人事でした。2019年に入ってからならばわたくしがあまり関心を示さなかった池袋の母子死亡の暴走事故や川崎殺傷事件などと同じ類で、これらの事故にはむしろ自分が加害者遺族になることを不安視していたくらいです。それくらいの認識になるはずでした。放火殺人であると知るまでは。この辺りの過程はもう覚えていません。テレビと観ながら、漠然としかもう覚えていません。ふと寝る前にSNSで「女性がガソリンをかけられて~」云々というツイートをなんとなく読んだ気がしましたが、大して気にも留めませんでした。でもここに繋がっていたみたいです。

 情報を追っても不安になるだけで、やめたほうがいいと思いながらも情報を漁るのをやめられない悪癖があります。それは自覚していてもやめられない業でした。

 有名アニメーション会社という点だけに着目すべきでない。確かにそうです。スーパーでも銀行でもスポーツジムでもショッピングモールでさえどこでも起こりうることです。物理的規模や構造の違いはあれども、ガソリンを持ってこられ火を点けられる。どこでも起こりうることで、スーパーの店員だろうが、銀行員だろうがスポーツインストラクターだろうがデート中のカップルだろうが人の命が奪われたのです、何人も。明確な殺意によって。けれど的外れも甚だしい害意によって。そしておそらく今回被害に遭われた方々が全員アニメーション制作者とは限らないかも知れないけれど、

 しかし、ただわたくしが今回のこの放火殺人事件に激しく気落ちしていている理由はやはり「アニメーション会社だから」という点が特に大きいのかも知れません。その理不尽さ故というのもあります。昨年の6月頃新幹線内で起きた殺傷事件の理不尽さにも激しい恐怖と不安を抱きましたが、それでもその「理不尽さ故」以外にももうひとつの大きな要素として。

 わたくしはクリエイター系の学校にいました。学科は違うけれど、アニメーション学科もあるものですから友人にアニメーター志望の子もいました。疎遠になってしまいましたが、好きなキャラクターを描いてもらったりもしました。合同授業でアニメーションの歴史を辿る授業に顔を出したこともあります。絵が好きで、いっぱい絵を描いて、それがどこまで才であったか努力であったかは分からないけれども、とにかく絵が上手かった。凄い凄いと思いました。
 わたくし自身も絵を描くことは好きだったつもりで、それでも基礎を高める努力なんてせずに好き放題描くだけ描いて結局食えていくほどの技量はなくクリエイター系の仕事に就くことは諦めたクチですから、絵が上手くなるということの大変さや時間の長さはある程度ならば理解しているつもりです。絵が好きで、それが動いて、作品として仕上がった時の喜びだの達成感だのも、わたくしは味わったことがないけれども周囲にいた人々から疑似体験をしてきたつもりであります。だから、境界線というか線引きを欠いて、余計にこの放火殺人事件に入れ込んでしまう。

 アニメを作ることがトラウマにだってなりかねない。絵が大好きで生きてきた人にとってそれがどれだけの苦行なのか、理解できるだけの経験がわたくしにはやっぱりないけれど、人生を否定されたような、自身で人生を否定しなければならないような気にならないか…と邪推をしてしまうわけです。

 かといってアニメに興味を抱けず、そして手前の生活も切り詰めるほどに経済的にあれなので、ただ気落ちしているだけという不甲斐なさを晒すだけ。

 
 ガソリンというのは、引火しやすいものだという知識だけはあります。わたくしは田舎の出身で、自動車大国なものですからセルフガソリンスタンドに寄ることがありました。そこには静電気除去シートというものがあります。黒いやつで、そこに掌をかざすんです。静電気が苦手という人がいますがわたくしはそこまでではないものの、冬場の夜間に静電気の火花をみることが最近になってよくありました。一瞬ピカっと光るだけです。でもその火花で引火の可能性があるようなものなのです。
 昨年の夏に地元を訪れた時に訳あって心中事件のある家の近くを通りました。その事件もまたガソリンが使われていました。防火対策のしっかりした最近の建築技術の家では、爆風で窓が吹き飛ぶまで本当に近い周辺の家も火災に気付かなかったそうです。中は真っ黒でした。
 火は便利なものですが同時に恐ろしいものです。中学時代に友人の家が全焼し、駆け付けたときにみた瓦礫を今でも覚えています。


以下、余談と意図せず差別的な表現を含んでいる可能性が高いのでここからはおすすめしない。







 
 そしてこれはまだ類推というか推測でしかないために断言はできないけれど犯人の精神面。正気か否かというか、こういうと差別的なので控えたいという思いがありながらも開け広げにいうと、何かしらの病に蝕まれた状態が正気であるなら狂気もクソもないんじゃないか?ということ。本当の罪と罰というのは良心があって初めて成立するものだと思っておりますから、
 現在の段階で精神疾患のないわたくしがいうと強者の理論になりかねない、というかなってしまっているかも知れないけれど、精神障害者の兄と18年も同居していたくせにまだ、精神障害者に激しい偏見と差別意識を持っている。いつスイッチを押すか分からない。加害者遺族になるかも知れない。そして差別的な発言をして排他的に扱って、わたくしが障害者になるかも知れない可能性を見出す。意地が悪く、狡猾で、他人を自分の人生のエキストラ程度にしか思っていない健常者はいるだろうし、もうその状態だけで精神疾患かも知れないし、人間は精神疾患がデフォルトでたまたま健常者こそがあべこべ的な精神障害なのかも分からない。精神障害者と健常者の違いももう分からない。わたくしの見ているもの・感じているもの・考えているものがまやかしの可能性は大いにある。ただそれを考慮した上でわたくしの立場からいえば犯人に対して何の共感も寄せられない。被害者の遺族や家族、友人でもなんでもないけれど、いち社会を生きる個人としての本音をいえばただただ司法によってきちんと真実を語り、今後の対策として活かすことしかもう出来ないから生きて欲しいということだけ。死刑になろうが無期懲役だろうがその後のことは分からないけれど、司法で精神障害が認められ無罪になったとしても、おそらくでしかないのですがどこか施設に入るかも分かりませんね。

 一概に精神障害者全員が殺人犯になる、強姦魔になる、放火魔になるという話ではないのですが、どうしても、「精神障害者である」というバイアスに恐怖したくなるのかも分からない。一時期SNSでみた「コップに一滴でも毒が入ったらそのコップの水は飲めない」みたいな喩え話。これは一部過激ファンのいるコンテンツ界隈を忌避する理由みたいなものの話なのですが。だって「すべての精神障害者が悪い」と見做して忌避し嫌悪していれば無関係でいられる安心感が手に入る…んじゃないかと邪推。わたくし自体、兄をみているから今度の加害者遺族はわたくしかもな、と思う。何なら自動車大国に住んでる親がいるから次の加害者遺族はわたくしかもな、とも思う。まるでわたくしが加害者になることなんて考えもせずに。

 必要なのは「攻撃性を持った精神障害者とどう生きていくか、どういう社会になるようにしていくか」という共闘の話であって「精神障害者をすべて捕縛しろ」という避難の話ではないはずなのは理解しているつもりです。診断されていないだけでわたくしも精神障害者だった場合手前でカタつけるのか?って迫られたらどうしようもないです。

 ネタをパクられたっていったって結局すべての創作というのは何がしかの構造・構成と被るもので、それがあったうえで著作権だの意匠権だのはあるはず。それが分からずに出会った順番と思い込み・負の感情で「パクり!」「盗作!」という矜持と思慮を欠いた人間もいっぱいいるし場合によったらわたくしもそっちの側かも分からない。恐ろしく思う。


 被害に遭われた方々のご快復をお祈り申し上げます。そして亡くなられた方々のご遺族にはお悔み申し上げます。


 2019.7.21
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