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なんとなくのやつ
職業差別についての思い出話 2016.7.31
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ブログから転載。一部変更
話が変わるんですけれども、まぁラジオで苫小牧のお菓子の話を聞いていてですな、「よいとまけ」って単語が出てきて、少し気に掛かりまして。前に紅白歌合戦か何かで「ヨイトマケの唄」ってのを聴いている母が涙していたのを思い出しましてな。あまり涙とか見せるのはよろしくない家庭というか、そういうのはダサいし情けないっていう感じのある家なもので、だからあまり素直にわたくしも泣けないし思い出すのカッコ悪いしでお互い黙認状態っていうのもあるんですけれども、なんか「ヨイトマケの唄」=重苦しい みたいな印象はあったもので、お菓子の名前だったのか、って分かったのですけれども、歌詞調べたんですわ。人間の穢さと文明の進化と何かを守る人間の強さ。それがまず思ったことすね。曲は多分重くて聴けないすわ。最近世間を騒がせている差別問題。そこからくる規制と表現の自由。難しい問題だと思うんですわ。相模でのあの事件については、わたくしはあまりコメントできないんですわ。差別意識を突っついてくるんですわ、わたくしの。要約すると、差別主義者であることは否めないのだけれども、差別対象になる可能性は誰にでもあるのでそう考えてしまうと差別主義者に成りきれはしないということなのですけれども。差別意識っていうのは全て同じ定義・同じ線引きではないと思うんですわ。だから無意識に差別意識が出てきてしまうことはあるだろうし、意図しない偏見を露わにしてしまうこともあると思うんですわ。だから難しいんですわ。さらにいうと差別することで手前より精神的に下の立ち位置を作れるけれどいざ差別から排他に至ったときにその末手前が手前で設けた最底辺に位置することを恐れているんじゃないだろうかと思っているんですわ。ここで長々と語ってもわたくしはそういう専門でもないし学がないヤツは何言ってもダメ、って自分が既に思っているし、読んでくださっている方もいるかもしれないけど多くはスパムというか中身もなければ良心も良識もない宣伝アカウントってことも分かっているんですわ。
話が微妙に変わるけれどもわたくしの中で最も古い記憶の中で初めて中身のある言葉で母を詰ったのは、ホストの特集だったかな。ホスト業している青年のドキュメンタリー。まともに働かないと母が軽蔑の意を込めた言葉を投げたのを覚えていて。以前の母は凝り固まった考えを持っているように思えたんですわ。今は多少の固さを持ってはいるけれど柔軟に丸くなったと思うんですけれども。息子と娘のダメさに気付いた諦念かもしれないのだけれども。当時からホストの仕事が何故か、煌びやかで華やかで楽でないことを何となく知っていたんですな、わたくしは。だから反発したんですわ。でも親に対してバカにすることや軽んじることはあったものの真正面から中身のある言葉で意図して逆らうことに躊躇いがあったことを覚えているんす。それで段々そのドキュメンタリーで、ホストしている青年がガンの父を養っているっていう話になるんす。何かを守るためにそういう仕事を選んだし他に仕事があったのかもしれないけれども、その仕事を選んだことを謗るな、っていうのが多分当時のわたくしの気持ちを今言い換えるとそんな感じなんでしょうな。
職業差別ってのはなかなかな、難しいんですわ。意図していなかった偏見とか隠されている苦労とかあると思うんですわ。まぁ、あれっすわな、当時は多分、わたくしもこうなるとは思わなかったし兄がこうなるとも思わなかったし、多分母ももっと違う未来を描いていたと思うんですわ。そういう点では母に対しては、父に対してもかな、なんというかな・・・一言でいえないんすわ。「手前勝手に産んだのだから、養い守り、責任だけ負え」っていう理屈と「ここまで育ててくれた親に感謝と、思うように育てずごめん」っていう自発的な理性とで葛藤してんだよな・・・この均衡を崩すことが許されないんだよ。わたくしの中ではね。
2016.7.31
差別意識につらまろになる日々がわたくしにもあるけれど、丸くなった母ちゃんみたい(当時の母ちゃんは他者に少し鈍感なわたくしにも分かるくらい不安定な節があった)にわたくしもいつか丸くなるのか、もっと偏屈になるのか、怖いのら…
ちなみに現在は母にこういう考えはない(とはいえ娘が水商売をやることについては懸念している。しかし娘は水商売の難易度には耐えられないし選ばない)し、まさかのわたくしが今無職という状態ですからね…まともに働かないも何も、まとももまともでないも働いてすらいないですし。履歴書書くのが面倒臭いから。
職業とはまた別の部分での差別意識に少し気落ちしているので、過去の自分の言葉がブーメランになってるよ。差別を肯定は出来ないけれど、きっと無くせないのだと自身で証明した形になってしまった。無くす、ということが0.1にすることではなく、0にするということであるならたとえ他の皆々が差別を否定してもわたくしという1人の愚劣な人間が差別意識を持っているのでわたくしが死ぬまでは差別は0.000…1として残るし、どうしても差別を0にしなければならない使命に燃えている人に、KOROされてしまうのだろうか。あと70、80年くらい待っていてくれないかな。
差別意識は、持っていても仕方ないものなのだろうね。人の本質なんだから。表に出してはいけないだけなんだよ。でもそれは曖昧だから学校でも塾でも教えない。
これは差別意識を持っていない人間が言ってなんぼなんだよきっとね。
話が変わるんですけれども、まぁラジオで苫小牧のお菓子の話を聞いていてですな、「よいとまけ」って単語が出てきて、少し気に掛かりまして。前に紅白歌合戦か何かで「ヨイトマケの唄」ってのを聴いている母が涙していたのを思い出しましてな。あまり涙とか見せるのはよろしくない家庭というか、そういうのはダサいし情けないっていう感じのある家なもので、だからあまり素直にわたくしも泣けないし思い出すのカッコ悪いしでお互い黙認状態っていうのもあるんですけれども、なんか「ヨイトマケの唄」=重苦しい みたいな印象はあったもので、お菓子の名前だったのか、って分かったのですけれども、歌詞調べたんですわ。人間の穢さと文明の進化と何かを守る人間の強さ。それがまず思ったことすね。曲は多分重くて聴けないすわ。最近世間を騒がせている差別問題。そこからくる規制と表現の自由。難しい問題だと思うんですわ。相模でのあの事件については、わたくしはあまりコメントできないんですわ。差別意識を突っついてくるんですわ、わたくしの。要約すると、差別主義者であることは否めないのだけれども、差別対象になる可能性は誰にでもあるのでそう考えてしまうと差別主義者に成りきれはしないということなのですけれども。差別意識っていうのは全て同じ定義・同じ線引きではないと思うんですわ。だから無意識に差別意識が出てきてしまうことはあるだろうし、意図しない偏見を露わにしてしまうこともあると思うんですわ。だから難しいんですわ。さらにいうと差別することで手前より精神的に下の立ち位置を作れるけれどいざ差別から排他に至ったときにその末手前が手前で設けた最底辺に位置することを恐れているんじゃないだろうかと思っているんですわ。ここで長々と語ってもわたくしはそういう専門でもないし学がないヤツは何言ってもダメ、って自分が既に思っているし、読んでくださっている方もいるかもしれないけど多くはスパムというか中身もなければ良心も良識もない宣伝アカウントってことも分かっているんですわ。
話が微妙に変わるけれどもわたくしの中で最も古い記憶の中で初めて中身のある言葉で母を詰ったのは、ホストの特集だったかな。ホスト業している青年のドキュメンタリー。まともに働かないと母が軽蔑の意を込めた言葉を投げたのを覚えていて。以前の母は凝り固まった考えを持っているように思えたんですわ。今は多少の固さを持ってはいるけれど柔軟に丸くなったと思うんですけれども。息子と娘のダメさに気付いた諦念かもしれないのだけれども。当時からホストの仕事が何故か、煌びやかで華やかで楽でないことを何となく知っていたんですな、わたくしは。だから反発したんですわ。でも親に対してバカにすることや軽んじることはあったものの真正面から中身のある言葉で意図して逆らうことに躊躇いがあったことを覚えているんす。それで段々そのドキュメンタリーで、ホストしている青年がガンの父を養っているっていう話になるんす。何かを守るためにそういう仕事を選んだし他に仕事があったのかもしれないけれども、その仕事を選んだことを謗るな、っていうのが多分当時のわたくしの気持ちを今言い換えるとそんな感じなんでしょうな。
職業差別ってのはなかなかな、難しいんですわ。意図していなかった偏見とか隠されている苦労とかあると思うんですわ。まぁ、あれっすわな、当時は多分、わたくしもこうなるとは思わなかったし兄がこうなるとも思わなかったし、多分母ももっと違う未来を描いていたと思うんですわ。そういう点では母に対しては、父に対してもかな、なんというかな・・・一言でいえないんすわ。「手前勝手に産んだのだから、養い守り、責任だけ負え」っていう理屈と「ここまで育ててくれた親に感謝と、思うように育てずごめん」っていう自発的な理性とで葛藤してんだよな・・・この均衡を崩すことが許されないんだよ。わたくしの中ではね。
2016.7.31
差別意識につらまろになる日々がわたくしにもあるけれど、丸くなった母ちゃんみたい(当時の母ちゃんは他者に少し鈍感なわたくしにも分かるくらい不安定な節があった)にわたくしもいつか丸くなるのか、もっと偏屈になるのか、怖いのら…
ちなみに現在は母にこういう考えはない(とはいえ娘が水商売をやることについては懸念している。しかし娘は水商売の難易度には耐えられないし選ばない)し、まさかのわたくしが今無職という状態ですからね…まともに働かないも何も、まとももまともでないも働いてすらいないですし。履歴書書くのが面倒臭いから。
職業とはまた別の部分での差別意識に少し気落ちしているので、過去の自分の言葉がブーメランになってるよ。差別を肯定は出来ないけれど、きっと無くせないのだと自身で証明した形になってしまった。無くす、ということが0.1にすることではなく、0にするということであるならたとえ他の皆々が差別を否定してもわたくしという1人の愚劣な人間が差別意識を持っているのでわたくしが死ぬまでは差別は0.000…1として残るし、どうしても差別を0にしなければならない使命に燃えている人に、KOROされてしまうのだろうか。あと70、80年くらい待っていてくれないかな。
差別意識は、持っていても仕方ないものなのだろうね。人の本質なんだから。表に出してはいけないだけなんだよ。でもそれは曖昧だから学校でも塾でも教えない。
これは差別意識を持っていない人間が言ってなんぼなんだよきっとね。
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