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金春村 全34話(打切り風)/5話~/剽軽攻め/偏屈クール攻め/ワンコ受け/若パパ受け/
金春村 18
しおりを挟む稲城長沼を座敷牢に放ったまま厨房で軽食を摂りながら使用人と話してから火子のところに戻ると、彼女は文机に頭を預け、行儀悪く、座ったまま不貞腐れたように横になっていた。頬を押され、唇が双子葉類の如く開いて間の抜けた顔をしていた。
「翠鳥と話しましたの……」
濁りの入った、彼女にしては太さのある声で咲桜を見ることもなく、ただ存在に気付くと虚空を見つめて話しはじめた。
「あたくしって本当にバカです」
この状況と、山鳩が青藍と合流していた早さからいって、円満にいかなかったことが窺える。
「翠鳥が無事ならそれでよかったんですの。分倍河原さんのおうちにご迷惑をかけたのはあたくしだって同じですし、あたくし、分倍河原さんのおうちにご迷惑をかけたことは本当に申し訳ないと思いますけれど、翠鳥が無事に帰ってくること以上に優先することはないと思ってましたのに」
「……そうですな。そのとおり」
彼女はぼけっとどこでもないどこかを凝視し、横から口を圧迫されているにもかかわらず頭を起こすこともせず喋り続けた。
「なのにあたくし、また野州山辺がどうだの、分倍河原さんに迷惑がどうのこうのなんて言って、あの子に罪を押し付けましたわ。あの子を勝手に連れ出したのはあたくしで、あの子は離れたくないって言ってたのに、言いくるめたんですの。だってあたくしのほうが立場が上なんですから、あの子が断り切れるはずなんてないんです」
「いーや、断る断らないっていうか、多分途中までは山鳩クンもお嬢ちゃんと行きたかったんだろうさ。で、夜中に気が変わった。ひとつの不安ってのは大きく膨らんでいくもんだし。特に、何の恐れもない幸せ一色なんてときは……」
「お優しいのね」
小さな咽びが聞こえ、やがて彼女は蝸牛のよう首を竦めて文机から引き上げると顔を両手で覆った。
「そういう属性の人間がいるのさ。オレもそう。駐在所の牢屋にぶち込まれてる間とか、ここでぐうたらしてるときも、幸せってものにケツから根っこを生やすことを野生の本能が許さんのですわ」
静かに目元を拭う火子の傍に寄り添い、肩に触れた。以前戯れに肩を掴んだ時よりも細くなっている。掌に骨の固さを強く感じた。
「大丈夫。根本は山鳩クンだってお嬢ちゃんといたくて、あんなことしたんだし。短期的にか長期的にかを秤に掛けたんだな。苦渋の決断だったと思うよ。あんな夜中に1人で、外れた道通って来てたんだから。本当だって。旦那にもそうだったけど、なぁんかオレの言葉って気休めみたいだから、あんま、届かないかもなんだけど」
咲桜は頸を掻いた。火子は首を横に振る。
「ありがとう。きちんと届いています。翠鳥と行く時も、あたくしに先程会いに来てくれたときも、思いました。だからあたくし分からなくなりました。けれど……そうかも、知れませんわね」
「おいおい、自信持ってよ!今のところ、山鳩クン争奪戦はお嬢ちゃん一人勝ちなんだから」
彼女の眼差しが幾分険しくなって咲桜は口を噤んだ。しかしその怒ったような表情はすぐに変わり、また眉を下げる。髪と同じ栗色の大きな目は咲桜の腕を探す。
「ところでお兄さん、肩の肉が裂けて骨が砕けるような重傷を負ったと聞きましたの。大丈夫なんですの?」
「えっ、肉は切れたけど裂けてはないし骨は砕けていよ」
「嘘ですわ。遠慮して隠してるんでしょう?今は薬を飲んでいらしてるの?痛みは?あたくし、自分のことばかり喋って恥ずかしいったらないわ……」
「ほんと!後から聞いたけど縫合好きなお医者サマらしいじゃないの。軍医として呼ばれたとか?大した戦地には飛ばされなかったらしいけど、結構面白い話できたよ。ってゆうか誰から聞いたの?誰だよ、話に背鰭尾鰭腹鰭どころか鰓まで付けたやつ!」
火子はまだ疑わしげで、悲痛な目を咲桜の両肩に向けていた。多少傷が突っ張るような感覚があったが、腕を回し肘を曲げる。
「本当に!頭はただ擦り剥いただけ!腕はちょっと切っちゃって、お医者サマが縫いたがったの!ホント!」
「…………叔父兄です」
その人を口にした途端、一度鎮まった彼女の悲しみが勢いを増して戻ってきた。大きな目が洪水を起こし、大玉の朝露を落とすまでそう時間は掛からなかった。火子は声を殺して咲桜に背を向けた。
「叔父兄に、言われたんです。あたくしが翠鳥を気に掛ければ気に掛けるだけ、翠鳥もお兄さんも、お父様も疲弊するって。そのとおりです。野州山辺の家を貶めるなって、あたくし、お兄さんを叱ったり、翠鳥を引っ叩いたりもしましたわね。けれど一番野州山辺に、分倍河原さんのお宅にも、迷惑をかけているのはあたくし自身です……」
「いつ言われたの」
「さっきです。叔父兄が、翠鳥を迎えに来たんです。そのときに」
肩を震わせ泣く妹のような少女の肩をもう一度軽く叩いた。
「あの人は人を呪うのが大好きなのさ。呪うつもりのない呪いでね。覚られたくないんでしょうな、動じちまった自分ってものに」
咲桜は使用人を呼んで水を頼んだ。彼女の叔父と生家の甥が幼馴染を巡ってぶつかり合い、それを父親が仲裁に入ったなどとは知られてはならないことだろう。
そのうち、ここの使用人とも違うあまり見慣れない衣服の若い男がこの部屋を訪れ、火子に耳打ちした。挙動に音がないところは鬼雀茶衆の者らしかった。火子は何度か軽く頷く。鬼雀茶衆の者と思われる若い男は咲桜にも軽く頭を下げ、やはり足音も衣擦れもさせず去っていった。
「稲城長沼さんが風邪で帰されたそうです」
「あ~、やっぱり」
どういう意味だとばかりに彼女は眉を寄せた。
「なんか今日、やたらと口数が多くてさ。そんな喋ると風邪ひくよ~って言ったばっか。喉が疲れちゃったのかな」
彼女は呆れたような顔をして首を傾げた。
「見舞いに行ってきます」
「オレも行こうか」
「ですが……」
涙の痕のある赤らんだ目が惑う。
「オレも住んでる場所聞いたし」
火子の答えに迷う理由はそれだった。勝手に稲城長沼の素性を明かすことを躊躇っている。
「では、ご一緒してくださる?風邪といえば何がいいかしら」
「ネギは季節じゃないもんな。梅干しは?ニラとか。風邪のひきはじめだろうし、ここが勝負!ってところで、がつっと飯でキメとかないと」
義妹になるのだろうと思い込み、決めてかかっていた娘に玉子とニラの入った雑炊を口まで運ばれて看病されたことをふと思い出す。寂しさはなかった。温かな記憶として懐に忍んでいる。
「あの人のお宅、以前伺ったのですけれど、生活感がないんです。きっとお米もありませんわ。ここから少し分けていただきます」
「それがいいですな。よっし、荷物持ちは任せろぃ!」
火子はじとりと咲桜を見た。
「けれどお兄さんは怪我をしていますわね……」
「そうですな、なんでかオレも、そこはかとなく急に腕が痛くなってきた!稲城くんのおうちを知っていて、荷物持ちが務まる人、ほかにいないかなぁ?」
少女の唇が尖る。
「山鳩クンは」
栗色の目とぶつかる。咲桜は縫合した箇所に手を当てて痛がって見せた。薬によって多少疼くいたり張った感じがあるが表情を損なうほどの痛みはなく、今は痺れている。
「じゃあ山鳩クンに頼みましょう。荷物持ち」
予想に反し彼女は「否」と言わなかった。
「正式なお仕事ですからね!本当よ!大体、叔父兄がおかしいんです。翠鳥は野州山辺の雇い人であって、叔父兄個人で雇ってるんじゃないんですから。たとい、叔父兄が翠鳥を推したのだとしても……」
「よくぞ言った。そのとおり!」
彼女の口の端が意地悪く吊り上がる。そのほうがこの娘には似合っているような感じがあった。
火子が先陣を切って青藍の部屋に向かっていった。彼女の恐れている叔父兄は膝に少年の乗せて本を読んでいた。まるで大気そのものにすら渡さんとばかりで、頁の捲りづらさに構うこともなく片手は発育途上の肉体を支えながら愛でている。山鳩は火子を見るなり、主人気取りの美男子の腕から這い出ようとした。俯いていても隙なく端麗な顔は姪とその愉快げな客人を無視している。
「叔父兄上」
姪に呼ばれやっと顔を上げた。その類稀な、妖の仲間とさえ疑う美貌を他者に向けるのをもったいぶっているようでもあった。
「翠鳥を借ります。荷物持ちの用があります」
「……どうする、翠鳥」
「是非ともお供します!お供したいです」
山鳩は至近距離にある美貌へ首を曲げた。田舎ではいくらか胡散臭げな都会的な美形が自分を向いた小さな鼻に接吻する。それから青藍は姪ではなく客人を見上げた。
「翠鳥を手放して俺に利があるのか」
何か言おうとする火子を制して咲桜は満面の笑みを浮かべる。
「なんと!今なら稲城長沼くんだけでなく、またまたボキを好き放題する特典がごぜぇます。お股以外、どこでも舐めて差し上げます。爪先から、脳天まで。いやいや、これは若旦那をナメてかかっているという比喩ではございません!まさかそんな。まさかそんなですよ、まさかそんな!」
「……次は容赦なく使うぞ」
「どうぞ、どうぞ。尻の穴以外なら貸します。いやいや、若旦那がボキの尻に興味がおありとは微塵も思っていませんがね」
山鳩が目を泳がせる。咲桜は腰を叩かれた。
「下品です」
「おお、これは淑女の前で失敬」
「姪よ。其処許と翠鳥が関わるとろくなことにならない。その話はさっきした。お忘れか」
「覚えています。次は失敗しません」
火子の口調は落ち着いている。
「その男も怪我を負った」
「ああ、そうだ。人の話に尾鰭背鰭腹鰭つけて大袈裟にするのやめてくださいよ」
蔑むような目が咲桜を一瞥してからまた気丈な娘に戻る。
「何の用事だ」
「若旦那があんまりに稲城くんをいじめるんで、寝込んじゃったんですよ。咳がすごかったから、肺に穴が空いちゃったんじゃないですか。もう喉のこの辺りが李みたいに腫れちゃって、顔なんか梅みたいに真っ赤でした。熱も高くてね、水に入れたら沸騰するくらいですから、すぐに行かないと!」
山鳩がそれを聞いて、はっはっ、と息を乱して暴れる。野州山辺の次男は膝と片腕で監禁している少年に何か囁いた。そして簡単に手放す。山鳩は思い詰めたように顔を歪めて下を向いてそこから離れなかった。雑な手が意地悪く背を押す。動かない幼馴染を娘が迎えにいく。
「翠鳥。お米を少し持って欲しいのです。陸前先生はお腕が痛むようですから」
「う、うん……はい!」
2人が部屋を出て行くのを咲桜は横目で見ていた。
「感謝しますよ、若旦那」
「そう思うなら土下座でもしろ」
咲桜はそこに膝をついた。綺麗に手をつき、頭を下げる。義両親や義兄の前で何度下げたか知れない。求められたところで拒むほど、この行為に価値は無くなっていた。国一易々とした安価で値打ちのない土下座だ。
青藍は侮蔑するように鼻を鳴らした。
「お前は嘘寒い」
「そうですかね。何事も誠心誠意って感じなんですが」
「もっと上手く演じるんだな」
「待たせちゃ悪いんでもう行きますわ。誠に感謝~」
咲桜は去り際にまた手を合わせた。玄関で火子たちはもう待っていた。火子は竹笊に生卵とニラそして梅干しが入っているらしき小さな壺を乗せ、山鳩は10合ほど入った米袋を抱いていた。
「持つよ、お嬢ちゃん」
「平気です。お兄さんこそご自愛くださいな」
いくらか上機嫌な少女をみて咲桜はけらけらと笑った。山鳩も青藍のもとを離れ緊張している様子だったが火子と話しているうちに柔らかな表情をするようになった。
村を出て、北東に進み、小山ともいえない丘を越え、下方にみえる銅部落は大きな木に囲まれた、稲城長沼がいうような小さな集落だった。咲桜は手ぶらのため後頭部に両手を当て、先を歩く2人の後ろ姿を眺めてにやにやと笑っていた。村民たちは軽く会釈をしたりはしたが、その眼差しや態度は冷ややかで、咲桜たちの姿が見えると仕事をやめて家の中に入ってしまった。火子たちも緊張感を持っていた。目的の家は想像よりも小さかった。野良猫数匹、が日向ぼっこをして縁側で寛いでいた。目付きが悪い。狭い庭もあり、玄関脇には酸漿の鉢植えが置かれている。火子が玄関戸を叩く。狭く開き、平服の稲城長沼が現れる。咲桜は山鳩の前に立ち、家主から隠していやらしい笑みを浮かべていた。
「肺に穴が空いたと聞いて見舞いにきましたよ」
稲城長沼は渋げに咲桜を見て、話の通じそうな叔母に事情を話した。鬼雀茶衆の仲間に微熱を指摘され、帰宅は巴炎の命だったらしい。本人に風邪であるという意識はないらしかった。そして火子がそれを叱っている。実際、稲城長沼は鼻声だった。
「紫逢ちゃん、ダイジョブなん?」
叔母と甥の話が片付いたのか否か、少し落ち着きを見せると山鳩が焦れたように訊ねた。稲城長沼の見透かしたような沈着冷静な美しい顔が面白いほどに崩れた。咲桜はそれを横で嗤った。
「山鳩くんも来ているのか」
「肺に穴空いちゃったって聞いた。ちゃんと寝てなきゃダメだろ!」
山鳩は背伸びをして長身の友人の額に触れた。
「肺に穴は空いてない。熱も高くない」
「あたくしは食事の用意をしますから、2人は彼のことを頼みます」
火子の言葉はこの場に於いて強かった。山鳩は稲城長沼の手を引いて家に入ってしまう。玄関前に取り残された少女は咲桜を振り向きもせず、しかし立ち止まっていた。深刻げな感じがある。
「あの子、叔父兄に何か言われていましたわね」
「尾籠極まりない話でしょうな」
「…………どうしましょう。あの子、大丈夫かしら。何も気付かないで見過ごすふりをしていたほうが、あの子のためになる?」
「山鳩クン本人のためになるかは分からんけんども若旦那の都合には良いかも知れませんわな」
咲桜は細くなった彼女の肩を抱いて三和土に連れ込んだ。意外と天井の高く太い梁の力強い風情のある家屋で、外から見るより広く感じられた。
「頼みます。あの子のこと。あの子ができるだけつらくならないように」
「承知~」
米袋は框に立て掛けてあった。適当な挨拶を言って中に上がる。入ってすぐに開閉式の魂棚が置かれていた。法具のほかに皮革でできた小さな袋が飾られていた。掌に大きく余地を残して収まるそれはおそらく中に勾玉や小石が入っているのだろう。表面に明るい色の傷が付き、皮革特有の味を出している。稲城長沼の説明はまったく何ひとつなかったが、咲桜はそれを春日野道春菜葉の亡夫のものと決めていた。ほんの一瞬、目を盗んで手を合わせた。
火子は囲炉裏をいじり、その隣の部屋で山鳩は布団を敷いていた。火子が米を研ぎにいったのを見ると、咲桜も山鳩の傍に行った。彼は緊張しきっていた。稲城長沼は着替えているらしくその場には居なかった。
「大丈夫?」
少年はこくりと頷いた。堅い姿勢で座り、膝に乗せた手が震えている。
「あ、あの……咲桜様………」
「うん?」
「お、おでが…………おでが、紫逢ちゃんに乗っかるとこ、見てて、くれます、ですか…………?」
否と言わせんばかりに少年は勢いよく咲桜を見た。服を摘み、腕ごとしがみついた。
「若旦那に言われたの?」
躊躇い、数拍置いて彼は頷く。
「怒られちゃうの?」
「紫逢ちゃんが…………また、いっぱい、殴られちゃうと、思う…………」
「そっか」
「火子ちゃんには、黙ってて………ください。火子ちゃん、大変なのに、おでのこと心配して、若様と、真ん中で、潰されちゃうから………こんなの、火子ちゃんに、嫌われちゃうかも知れないけど…………」
激しい緊迫の中にいる少年の肩を摩る。丁寧にわざわざ、すぱんと襖を弾いて寝着の稲城長沼がやってきた。咲桜を恨みがましく見ている。山鳩が立ち上がって掛け布団を敷くのを手伝った。稲城長沼は脇にいる咲桜のことなど忘れたらしく、甲斐甲斐しい年下の想人だけを熱っぽく目で追っていた。おそらく視界に入っているのだろう長い睫毛が邪魔になっているに違いなかった。
山鳩と稲城長沼の動向を観察しているところに火子がやってきた。咲桜に目交ぜして、稲城長沼に素っ気無い調子で寝ているよう吐き捨てると障子をぴしゃんと閉めてしまった。それが山鳩の中で合図らしかった。衣の衿を緩める。咲桜は少し離れたところに座した。まだ惑っている少年の目が見ているよう無言で訴える。
「山鳩くん……?」
「紫逢ちゃん…………」
「若様に何か言われたのか…?」
稲城長沼の手を取り、少年は開けた胸元を撫でさせる。
「陸前高田様にも見せてやれ、って」
もう片方の手は導かれてもいないくせ、少年に伸び、小さな顔の輪郭をなぞっている。
「従う……?」
「うん。おでが、するから、紫逢ちゃんは、寝てて………」
少年と見つめ合うのを惜しみながらも稲城長沼は咲桜を向いた。微熱で潤んだ目に粘こい光が入っている。それは獣欲的でありながら理性と鬩ぎ合っているのが滲み出て、傷だらけの美貌がさらに外在する欲を煽る。その持主が瑞々しい肉体も兼ねていることがさらに助長している。
「今から見るものは忘れていただきたく」
「そちらさんがオレと山鳩クンとの熱烈濃厚な時間を忘れてくれたらね」
肩を竦めて煽ってみせた。青藍は変態に違いない。好色漢だ。それでいて芸術家で、稲城長沼という作品がどうすればより美しくなるのかをよく心得ている。
熱と淫情に蕩けた目はかろうじて外敵を前に理性を保っていた。腕はすでに少年に巻き付き、指は山鳩の着物に皺を作っている。恋慕に翻弄され欲求に揺曳し嫉妬に押し潰される男の意地に咲桜は陰険に微笑を浮かべる。
「抱かない」
稲城長沼は言葉に反し、強く山鳩を抱擁した。目を丸くしたのは咲桜だけではない。
「紫逢ちゃん……?」
「少し震えているな。火子お嬢様のこんな傍で、嫌だろう。もう山鳩くんの嫌なことはしない」
「……若様に、怒られる。ダイジョブ、おで、ダイジョブ……!」
「陸前高田様……若様には、」
山鳩はぶるぶると強く頭を振り、咲桜を呼んだ稲城長沼の言葉を遮る。
「おで、ダイジョブ……若様、もしおでたちに他の人付けてて、嘘だって分かっちゃったら、紫逢ちゃん、またいっぱい殴られるじゃん」
「俺が拒絶した。そうしたら山鳩くんは殴られないだろう。本当は不本意な貴方を抱くよりずっといい」
また少年は強く頭を振る。
「ヤダ。おで、ダイジョブ。紫逢ちゃんのこと、ちゃんとキモチヨクするから……!」
「抱かない」
「咲桜様……」
弱った目に助太刀を乞われる。咲桜は首を捻った。
「抱かない、の裏には勃たないって意味が含まれてるんじゃないかい?忖度しないと、山鳩クン。男の沽券に関わるよ、股間の事情は。それとも稲城くんは君を前にすると常にギンギンだったというわけかね?それを差し引いても、病人なんだから。汗かき療法というやつかな」
効いたのは山鳩よりも稲城長沼だった。
「下品だ」
「貴方が上品なんだよ。そのお上品で雅やかな面の皮を剥いでみたくて若旦那はあーたを甚振るんだろうさ。つまり衆道の契りを結んでるのは山鳩クンでも男同士のおアツい情念を注いでるのはあーただと思うね、オレは。むさ苦しい男社会の無自覚無意識の残酷な欲情ってやつさ。つまり若旦那にその自覚はないし、もちろんお股はおっ勃たない類いの」
赤みの出てきた顔が一度逸らされた。隠密特有の癖か、咳を殺している。
「どうすればいい?」
「契るこってす。掌で踊れば若旦那もご満悦っすわ。飼ってた可愛い牝猫と麗しの牡猫が交尾したら………嬉しいんだな、ああいう高慢な人は」
また咲桜は外野にされた。稲城長沼と山鳩が意味ありげに見つめあっているのを見ていた。障子の奥では火子が何か落とした音がする。
「おで、ダイジョブ。咲桜様、見てて……」
咲桜は山鳩の奥にいる稲城長沼の抑圧された劣情から蒸発したような色気を垣間見た。呆れたように髪を掻く。
「3人でボコられときますか」
反論しかけた少年を、風邪ひき男が封じた。夏だというのに湯たんぽの如く大切に抱き締めている。
「申し訳ございません」
「いーよ。お股舐める以外なんでもするって言って来たんだから」
障子を開け放つ。振り返った火子はいくらか気を揉んだ様子だった。
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