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種上げの儀式

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 外の音で目覚めた。アルスは起きているだろうか。見る。いない。暴かれたまま整えられていない布団がそこにある。
「アルス?」
 頭が冴えた。眠気が一気に吹き飛んで、起き上がる。
「どこ?」
 不安がセレンを襲う。婚約者が死んだ夢を見たばかりなのに。
「アルス…」
 アルスがいない。窓の奥からゴォォォっと音がした。不安を煽る不気味な音。
「なに…?」
 目が慣れて、暗かった周りが見えてくる。
「どこにいるの・・・?」
 アルスが婚約者を刺して死なせてしまってからもう10年。王都から出られるのをいい機会にして、どこかに行ってしまったのでは。妄想が浮かんで、すぐに消える。アルスはそのような人ではない。セレンは頭を振った。
「アルス?」
 ベッドから降りて、宿の部屋を飛び出した。暇そうな店番が、連れが散歩に行った、と言っていた。
「アルス」
 どちらに向かえばいいのか迷っていると、夜だが明るい十字路が視界に映った。セレンは金色の長い髪を波打たせ、十字路に走っていく。松明を持った人々が森の前に集まっていた。
「何か、あったんですか?」
 難しい表情をしている年老いた男にセレンは声をかけた。
「娘と少年が森に入ったっきり、帰って来ないんじゃ」
 少年、という言葉がすぐに引っ掛かる。
「少年って、どういう感じの子でした?」
「青い髪をしていたのぅ」
 青い髪。身体的特徴は違うけれど、見間違いということはないだろうか。疑い深く考えてしまう。セレンは眉根に皺を寄せた。もう一度間違いないか訊ねようと口を開くより早く年老いた男の方が先に口を開いた。
「それと…赤い髪の若い男じゃ」
「ここに、入ってはいけないんですか?」
 皆真剣な表情で森を見つめている。森の中に入ることがそんなに大きな意味を持つのだろうか。
「危険なんじゃよ、ここの森は」
 皺と皮だけでできたような指で示される先を見る。不気味な森が周りの暗さより更に濃く見える。
「森の主が目覚めたんじゃ」
「…森の主」
 復唱する。アルスがここに入っていった可能性は高い。森の主がいて、危険な森。しかしここにアルスが入ったのかもしれない。
「お嬢ちゃん、どこ行くんだい!」
 周りにいた男が叫んだ。セレンは森へ向かって走る。ゴォォォっと吸い込んでいくような風がセレンを誘う。アルスは武器を持っていないはずだ。小枝を踏んだ音が立つ。
「アルス!どこにいるの!」






 魔術は苦手だ。ガーゴンが見放すほどで、教育課程が変わるほどで、レーラは魔術が得意ではないということにしろ、と発案されるほどだ。でも今は武器が無い。胸に収まっている仔猫を宿屋で借りた穿き物のポケットに突っ込む。近くに倒れている人へ寄っていき、担いだ。人並みの重さは確かにあるが、意外にも軽く苦ではない。逃げるように円形に禿げた、焚き火専用と思われる場所まで戻る。青い髪の人物の近くに担いでいた人物を下ろす。炎の明かりを借りて分かったのは、今下ろした人物は女性であることだ。
 バケモノの居場所を気にしながらアルスは座り込んだ。攻撃魔法の詠唱の準備は出来ている。魔術を使うには詠唱して魔力を収集しなければならなかったが、詠唱している時間がない場合というのはよくあることだ。詠唱を放棄することもできたが、もともと魔術が苦手なアルスが詠唱放棄したところで威力はさらに劣ってしまう。
「あ~ぁ」
 ウサギ一羽でさえまともに討つことが出来ない魔術でどう対応するべきか。
「…ん」
「起きたか?」
 青い髪の者が声を発して、アルスは問いかける。寝起きのような声に、アルスの反応も落ち着いていられた。
「はい」
 アルスが問うと、彼はそう答えた。
「なんかバケモノがいるらしくて、今ちょっと危ない状況なんだ」
 状況の説明をしようとしたところで、ゴォォォッとまたあの風が吹きすさぶ。かなり強い風が、アルスめがけて襲いかかった。
「痛っ!」
 アルスの身体がふわっと浮かんで、次の瞬間地に叩きつけられる。濡れていて冷たい地面だ。小石にぶつかったのか唇の端が切れた。アルスの服から仔猫が跳び出し、倒れているアルスを一瞥する。
「大丈夫ですか?」
 涼しい顔をして青い髪の者はアルスを見下ろす。その足元では仔猫が身体を擦り寄せている。さきほどまでぐったり倒れていたとは思えない姿に安心はしたものの、今は他人の心配ができる事態ではない。パキパキと徐々に自分達に近寄ってきているのが分かる足音がする。
  

  ガァァアアアアアア


 咆哮が聞こえる。起き上がろうに力が入らない。青い髪の者は音がした方を見つめている。
「――っ」
 頬を地につけているような、寝ながらの体勢で詠唱し始めるアルス。慣れない言霊だがこのまま黙ってやられるわけにはいかない。魔術が苦手なことはよく分かっているつもりだ。アルスは拳の中に炎を生み出す。怪物の手が見えた。猛禽類のような長く鋭い爪をしている。熊の突然変異のようにも見える。外見は殆ど熊だ。自分にその猛禽類のような手が近付いてくる。刺されたらひとたまりもないだろうことは十分に予測出来た。
「アルス!」
 遠くでセレンの声がした。
「セレン?」
 立ち上がることも出来ないまま、アルスは呟く。どうしてここにいるのだろう。アルスは息を大きく吸った。
「来るな!」
 叫んだ。
「アルス…?」
 判断を誤った。逆にこの危険な場所に寄らせるだけ。怪物の標的がセレンへ変わってしまったらどうするつもりだ。アルスの背中が寒くなる。
  
「ウガァァアアアアアア!!!!!!」
 また咆哮。震える空気にアルスは怯んだ。

  
「出でよ、地獄の火炎」

 小さく聞こえた。誰の声だったのか。懐かしさを感じて、一瞬だけアルスはこの状況を忘れた。

「アガアアァァァアアアア!!!!!!!!!!!」

 記憶が飛んだような気分だ。少し明るくなっただけの視界が、真っ赤に燃え盛る炎に変わる。怪物の身体は紅蓮に覆われた。
 誰が仕掛けたのか。すぐに思い当たる人に視線を向ける。青い髪の人物は立ったまま目を閉じ、身体から紫の光を発している。この者から放たれる魔力には、あの炎の術から感じた懐かしさはない。
「アルス!!!!!!!」
 遠くで前より更に大きく聞こえる声。
「セレン!?大丈夫か?」
 炎の高い魔力に圧倒されながらも身体に力がはいるようになり、アルスは起き上がった。
「アルス!?」
「セレンが…、この術を?」
 違うと分かっていたが確認する。セレンでないのは見て分かったけれど、セレンの立場とその能力で、確認せずにいられなかった。
「ううん。違う」
 炎に照らされぎらぎらと輝く金髪。太陽神の子。その立場を冠するにふさわしい眩さ。
「…じゃぁ…やっぱり?」
 そう呟いて目が行ったのは青い髪の人物。腹部を真っ赤に血で染めているような怪我人が、まさかこの術を?アルスとセレンはこの者を見た。青い髪を照らしながら、冷ややかな片目で燃え盛るバケモノを凝視している。

「ガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアア」

 炎の中の影が崩れていくのをアルスとセレンは見ていた。

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