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しおりを挟む久しぶりに出た森は、相も変わらず柔らかな光が降り注いでいる。空気は澄んで、肌で感じる風も涼しく、とても居心地がよい。
姿は見えないものの美しい小鳥の鳴き声も相まって、爽やかな春の森のように思えた。
だが、さしものフォワレも心底理解させられていた。
ここは死の森で、自分の傍にいて手を繋いでくるこの少年は恐ろしい古代の魔法使い。
魔法使い自体が少ない今において、これほどまでに万能な魔法を操る存在など、それ以外に思い当たらない。
逃げ出すには相当気を付けなければいけない。
なにかを間違えれば自分は二度と外に出しても貰えなくなる。
ここから先は慎重にしなければ。
そう思えば思うほどドキドキ跳ねる心臓は鳴り止まず、フォワレはなんだか足元がおぼつかなくなってくる。
カロルがフォワレに合わせるようにゆっくり歩いてくれているので、一応お礼を言おうと彼を見上げた。
フォワレは彼の異質な顔付きに気が付く。
「…カロル?ど、どうかしたの?」
笑みがかき消えた彼の表情は、わずかに険しさを孕んでいる。
フォワレは怯えた。ここに来て先、カロルのこんな顔を見た覚えはまったくなかった。
「なにか…苦しい所はない?頭が痛いとか、手足がしびれるとか、心臓が痛いとか…」
「えっ?うーん…。痛くはないけど、心臓ならすごくドキドキしてるわ」
「そっか」
カロルは急にフォワレを抱き上げると、元来た道を引き返す。
目と鼻の距離にカロルの家がある。
「なんでおうちに戻るの?」
「…頭が痛い、胸が痛い、手足が痺れる。それはこの森にまだ馴染めていない証拠なんだよ」
言いながら家に入り、階段を降り、フォワレの部屋に入った。
カロルは抵抗する間も与えず靴を脱がせ、ベッドに寝かせて布団を掛けると、自分はすぐそばの椅子に腰かける。
不思議なことに心臓は平静を取り戻していく。全てが緊張のための鼓動ではなかったんだと気付くのに、さほど時間はかからない。
「あのまま外にいたら、違和感が生じた部分が弾けてしまっていた。最大限膨らませた風船に更に空気を入れるようにね」
彼は真剣な顔付きで片手を握りしめ、ボン、と言いながら開いて見せた。
まさか、自分の心臓がそんなことになってしまいかけていたとは…。フォワレはたまらず布団の中に身を隠して、布団の中から恐る恐る目だけを覗かせる。
カロルはようやくいつもの穏やかな笑みを取り戻していた。
「…君は僕の言うことをいい子で聞けるよね?」
それが妙に迫力があるものに見えたので、大人しく首を縦に振る。
「じゃあ、慣れるまでまたこの家にいようね」
「ええ~…」
「ふふ。君はお転婆だから、こんなせまい家では気に入らないかな?」
この家にいるのも、あなたと二人でいるのももう嫌なの!
叫びそうになる口を押さえて、押し留めた口から本心と真逆の言葉を吐く。
「いいえ…あなたといられて嬉しいわ…」
ようやく外に出られるはずだったのに。
内に溜まり続けるストレスと不満は、そろそろフォワレを律する理性を打ち崩してしまいそうだった。
しぶしぶ、いやいや、そう言ったに違いない言葉だが、カロルは大変上機嫌になった。
頬は赤みが差し、おもむろに近付いたかと思えば、自らもフォワレの隣に寝転んで、布団に引きこもるフォワレを上から抱き締める。
「…カロル?」
「僕も嬉しいよ…。ずっとこうしていたいな」
そして感じるカロルの心音も、寄りかかる熱も、重さも、恍惚といったその様子さえも、ひどくフォワレのささくれた精神をかきむしる。
数日間一緒にいたところでこの少年を嫌いな気持ちに微塵の変化もない。
カロルがさっき話した例え話が脳裏にちらついて離れない。
最大限膨らませた風船に更に空気を入れるようなもの。
フォワレにとってその風船はもうあと一息で無残に破裂する、限界ギリギリそのもののように思えた。
これはあまりにも強靭な我慢の結果だ。
きっと大人でさえ、同じ状況になれば泣きわめくに違いない。それに比べたら自分はまだまだ小さな子供で、だったらもう泣きわめいてみたっていいんじゃないか。
そんな風に思えば思うほど、フォワレは悲しみを押さえきれなくなる。
大好きな家族のもとへ帰りたい。
この数日間、フォワレの頭にあったのはこれだけだ。
「……ぐすっ」
ぽろりと溢れた涙が誘い水のように、次第に押し留められなくなっていく。
「ぐすっ…ひっく!」
大きくなり始める嗚咽に、フォワレの感触に浸っていたカロルが気付くのも当然すぐだった。
「フォワレちゃん?どうしたの…」
「うっ…ママぁ~…!ぱぱぁー…!」
うおおおおん!うなり声にもにた絶叫をあげながら、フォワレは手近なカロルにしがみつく。
実家であるレーゼン伯爵家において、彼女に優しくしない者はいなかった。
怖い夢や怖い物語を見た夜などは、待機している侍女や執事に胸を貸して貰い、さんざんに泣くのが常だった。
その対象が恐怖を与えている存在だろうが、泣くことで頭が占められたフォワレにとっては、それはそばにいる人間である事以外の事実はない。
「…ふぉわれちゃん」
涙やよだれや鼻水が肩口につこうが、カロルは一切意に介さない様子だ。
むしろ、フォワレからの接触がよほど嬉しかったのだろう、これ以上ないほど感極まった笑顔をうかべ、目尻にはちいさくキラリと涙がにじんでいる。
フォワレはその後一時間ほど泣きわめいたあと、カロルの腕の中で眠りに落ちた。
「"ママとパパ"、ね」
泣きつかれて寝入ったフォワレを腕に閉じ込めたまま、深く思案する。
「ママはともかく、あんなパパより僕の方が絶対君の事好きなんだけどなあ…」
ふくよかな彼女は顔も腕も指先さえももちもちとした肉に包まれている。カロルはそんなフォワレのいろんな所に指を置いては、確認するように撫でた。
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