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A:居酒屋会談①

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〈クロガネ遣い〉を捜し出すアイデアについて、狗藤は必死に考え続けた。寮の中でも最も汚いと評判の部屋に寝転んで、何度も溜め息をついている。

 その理由は「今度会う時までに考えておけ」とカノンに命じられたからだが、テレビアニメの再放送をBGMにしているので、やる気のなさがうかがえる。

 狗藤はこれまで、自分の頭で考えてアイデアをひねりだすということを、ほとんどやってこなかった。そんなものは頭のいいヤツに考えてもらえればいいというのが、狗藤の本音である。自分の頭で考えたとしても、集中力と根気は全然続かないし、どうせ時間の無駄だ、と結論づけてしまう。

 年季の入った下僕体質とは、そういうものかもしれない。

 時間だけが無駄に過ぎていく。幸か不幸か、陽が暮れて、窓の外が薄赤く染まり始めても、カノンは姿を見せなかった。

 自由気儘じゆうきままな彼女のことだから珍しいことではないが、狗藤は妙に気がかりだった。胸騒ぎを覚えた、といってもいい。もしかしたら、それは、カノンが狗藤に【弁天鍵】を与えたことによる、一種の共感作用だったのかもしれない。

〈クロガネ遣い〉の背後には、〈謎の女〉が存在するらしい。〈クロガネ遣い〉がカノンの眼をかいくぐってこられたのは、〈謎の女〉のせいなのかもしれない。

〈謎の女〉と〈クロガネ遣い〉は一体、何者なのか?

 そういえば、カノンは〈謎の女〉について、見当がついているような口振りだった。ひょっとしたら、カノンは狗藤と別れてから、〈謎の女〉と接触したのかもしれない。カノンは神様だし、心配など不要だと思うのだけど、なぜか嫌な予感は消えてくれない。

 そんなことをつらつら考えていたので、狗藤は比企田教授との約束をうっかり忘れるところだった。

 あまりに腹がすいたので、インスタントラーメンをつくろうとして、ハタと気づいたのだ。こんなに空腹なのは、比企田教授の御馳走をたっぷり味わおうと、昼食を抜いたためだと。

 約束の午後7時まで、あと10分。遅刻は御法度ごはっとである。多忙な教授を待たせるなんて、絶対に許されない。

 狗藤は慌てて、部屋を飛び出した。
 落ち合う場所が比企田ゼミ御用達ごようたしの居酒屋だったことは、不幸中の幸いだった。必死に走れば10分もかからない。

 6時58分。狗藤は息を切らして、居酒屋の暖簾のれんをくぐり抜ける。どうにか、ギリギリ間に合った。比企田教授の機嫌を損なって「奢り」がなくなってしまう危機は回避された。

 数分後に到着した比企田教授は、狗藤の顔を見て、しきりに首を傾げていた。外は涼しいのに、狗藤が汗びっしょりだったからだ。

 二人は窓際のテーブル席に腰を下ろした。生ビールの中ジョッキで乾杯をして、黄金の一口を味わう。至福の瞬間を終えてから、教授は話を切り出した。

「狗藤くん、君はよくやってくれている。君さえよければ、来年はぜひ、比企田ゼミに迎え入れたいのだが、どうだろうか?」
「本当ですか? 試験が相当な難関だと聞いていますが」

「なに、僕直々のヘッドハンティングだ。誰にも文句は言わせないよ。ただ、確認しておきたいのだが、君は僕のことを信頼してくれているかい?」
「ええ、もちろんです。心から信頼していますよ」

 教授は満足気に頷くと、いつもの笑顔を浮かべた。
「うん、ありがとう。実は、内密の話なのだけど、君には重要な仕事を任せたい、と考えている」
「……はぁ、何でしょうか?」

「これは教授としてではなく、比企田個人として頼みたいんだ。したがって、大学の人間には誰一人知られてはならない。秘密厳守だ。これは約束できるかい?」
「あの、それって、どういう仕事ですか?」

 狗藤は不安気な表情を浮かべた。厄介な仕事なんだろうか? 下僕扱いのバイトの上に、神経をすり減らすような作業は、正直いって勘弁してもらいたい。
 でも、バイト料を弾んでもらえるなら、考えてみようかな。そんな想いが狗藤の脳裏を駆け巡る。

 教授は、にっこりと笑って、
「作業自体は難しくないよ。君は僕の言う通りに動くだけで充分だ。いいかい、誰にでもこの話を持ちかけているとは思わないでくれ。僕は狗藤くんのことを買っているから、こうして話しているんだ」
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