上 下
16 / 61

A:一寸法師と花咲か爺さん➀

しおりを挟む

 狗藤の暮らしは質素だった。大学寮の部屋には、エアコンはおろかテレビすらない。冷蔵庫は壊れているので、ただの整理棚である。財産と呼べるものは、一つもなかった。

 でも、狗藤は思った。質素な暮らしはもう終わりだ。世界一の金持ちになってやる。それは、見果てぬ夢ではない。今の狗藤には、充分可能である。
【弁天鍵】さえあれば。

 狗藤は部屋にこもって、他人のカネを奪う作業を行っていた。たちまち、無我夢中だった。まず、すべきことは、標的のリストアップである。一般庶民や貧乏人から奪うのは気がとがめる。よって、標的は金持ちに定めた。俗に「富裕層」と呼ばれている連中だ。

 とりわけ、罪悪感を覚えない相手の方がいい。例えば、私腹を肥やすことに血道《ちみち》を上げている強欲社長、経費の私的流用しか頭にない悪徳政治家、わがままで知られる売れっ子タレントなどなど。

 悪い奴らからカネを奪うことは気分爽快だった。最初はおっかなびっくりだったが、数をこなせば嫌でも慣れてしまう。金額をメモしていたのは、5件までである。狗藤は次々と、100万単位のカネを奪っていった。

 狗藤自身は直接、札束を眼にしているわけではない。リアリティと後ろめたさは皆無だった。はっきり言って、ゲーム感覚である。次第に金銭感覚が麻痺《まひ》してきて、億単位のカネを鼻歌交じりで奪いはじめた。

「意外と頑張っとるな。どれぐらいのカネを奪ったんや?」

 いきなり、背後から声をかけられた。狗藤が驚いて振り向くと、カノンが腕組みをして立っていた。関西弁の女神様はいつだって、神出鬼没《しんしゅつきぼつ》だ。

 荒っぽい使い方を怒られるかと思ったが、狗藤はカノンの笑顔を見て、ホッと胸をなでおろす。

「ええと、20件ぐらいかな。1000万円ほど奪ったと思います」
「ふん、予想したより多かったな。おまえって、意外とマメなんや」
「いやぁ、それほどでも」

 褒《ほ》められたと誤解して、狗藤はヘラヘラ笑う。

「1000万円分もこなせば、【弁天鍵】の使い方は完璧にマスターできたやろ。ほんじゃ、次は奪ったカネを全額、元の持ち主に返却しよか」
 狗藤は、何を言われたのか、しばらくわからなかった。

「……カノンさん、どうして? 僕の【未来金庫】の限界までカネを詰め込んでやるつもりだったのにさ。とことん行けるところまで、僕は行くつもりだよ」

「ああ、知らへんのか。おまえがカネを奪った連中、皆、ニュースになってるぞ」

 狗藤はガラケーで、ネットニュースを確認した。カノンの言う通りだった。強欲社長は記者会見で多額の負債を告白し、破産宣告を行った。悪徳政治家は家に放火して一家心中を試みたが、未遂に終わった。大嫌いな売れっ子タレントは自殺未遂を起こしていた。
「これって全部、僕のせいなの?」

 カノンは笑顔で頷いた。
「もちろん、すべておまえのせいや」
「そ、そんな……」

 狗藤は急に胃が痛くなった。まるで、罪悪感で押しつぶされそうである。

「このドアホ。やっと、【弁天鍵】の重さがわかったんか。〈神のアイテム〉を使うということは、他人の人生を左右するっちゅうことや。標的になった奴の転落も破滅も思いのままやな。普通の人間なら、まぁ数日で神経をやられるな。どんなに図太いヤツでも、安眠はできなくなる」

「悪気はなかったんです。軽い気持ちで、つい使っちゃっただけで」

「うんうん、皆、同じことを言うんや。かるーい気持ちで皆、破滅させたんやな」
「うーん、胸が苦しいよ。カノンさん、これって、【未来金庫】におカネを詰め込みすぎたせいかな? 全額を持ち主に戻せば楽になる?」

「いやいや、【未来金庫】に重さはない。【DOG】って別次元にあるんやから、重さはゼロや。おまえの気は重いだろうがな。おっ、私は今、うまいこと言ったな」
「カノンさぁん」

「甘えた声を出すな。気色悪いわ、このドアホ」そう言って、カノンは狗藤の頭をはたいた。
「ホンマ言うと、不思議に思っとったんや。おまえはカネを奪うばかりで、奪ったカネは一度も使わなかった。何でや?」

「何でって、さぁ、何でだろ」
「私は知るか。まぁ、もし使おうと思っても、実際には使えなかったんやけどな」

「え、それって、どういうこと?」
「おまえ、自分の【未来金庫】のカネを取り出せるか?」

 狗藤は右の掌で、胸に触れてみる。いや、シャツの上からではダメだ。思い直して、シャツをめくりあげ、素肌の胸に指先を押し当ててみる。でも、狗藤の指先は【未来金庫】には届かない。カノンのような神様ではないのだから当然だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

その男、凶暴により

キャラ文芸
映像化100%不可能。 『龍』と呼ばれる男が巻き起こすバイオレンスアクション

ロボリース物件の中の少女たち

ジャン・幸田
キャラ文芸
高度なメタリックのロボットを貸す会社の物件には女の子が入っています! 彼女たちを巡る物語。

SM女王様とパパラッチ/どキンキーな仲間達の冒険物語 Paparazzi killing demons

二市アキラ(フタツシ アキラ)
キャラ文芸
SM女王様とパパラッチ/どキンキーな仲間達の冒険物語(Paparazzi killing demons)。 霊能のある若手カメラマンと、姉御ニューハーフと彼女が所属するSMクラブの仲間達が繰り広げる悪霊退治と撮影四方山話。

ガールズバンド“ミッチェリアル”

西野歌夏
キャラ文芸
ガールズバンド“ミッチェリアル”の初のワールドツアーがこれから始まろうとしている。このバンドには秘密があった。ワールドツアー準備合宿で、事件は始まった。アイドルが世界を救う戦いが始まったのだ。 バンドメンバーの16歳のミカナは、ロシア皇帝の隠し財産の相続人となったことから嫌がらせを受ける。ミカナの母国ドイツ本国から試客”くノ一”が送り込まれる。しかし、事態は思わぬ展開へ・・・・・・ 「全世界の動物諸君に告ぐ。爆買いツアーの開催だ!」 武器商人、スパイ、オタクと動物たちが繰り広げるもう一つの戦線。

エンジニア(精製士)の憂鬱

蒼衣翼
キャラ文芸
「俺の夢は人を感動させることの出来るおもちゃを作ること」そう豪語する木村隆志(きむらたかし)26才。 彼は現在中堅家電メーカーに務めるサラリーマンだ。 しかして、その血統は、人類救世のために生まれた一族である。 想いが怪異を産み出す世界で、男は使命を捨てて、夢を選んだ。……選んだはずだった。 だが、一人の女性を救ったことから彼の運命は大きく変わり始める。 愛する女性、逃れられない運命、捨てられない夢を全て抱えて苦悩しながらも前に進む、とある勇者(ヒーロー)の物語。

処理中です...