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化想操術師の日常10
しおりを挟む志乃歩達は車に戻ると、後ろのシートを倒して少年を寝かせ、すぐに病院へと向かって車を走らせた。運転手は今回も黒兎なので、車はとても静かで滑らかな走行だ。少年の体にも負担は掛からなそうだ。
その車内で、姫子はつまらなそうに唇を尖らせていた。
「アタシ、出番なかったなー」と呟けば、すかさず黒兎が「良い事じゃないですか、その方が余計な仕事も増えませんから」などと返すので、姫子は綺麗な顔を早々に歪め、運転席のシートに手を掛けた。
「おい!それどういう意味だよ!」
「またそうやって…あなたは、もっとカルシウムでも摂ったらいかがです?」
呆れたような黒兎の物言いに、「はぁ!?」と、姫子が殴りかかる勢いで身を乗り出したので、さすがに志乃歩が困った様子で振り返った。
「こらこら、患者が居るんだから静かにしなさいって。黒兎も挑発しないよ」
そう二人を宥めれば、黒兎は志乃歩から注意を受けたからか「申し訳ありません」と、しょんぼりと頭を垂れ、姫子は、ふんとそっぽを向いてシートに背を預けた。
「あ、あの、姫子さんは今回、どんな役割だったんですか?」
途端に車内に流れ始めた冷え込んだ空気感に堪えきれず、たま子は思い切って姫子に尋ねてみた。たま子は自分の事で精一杯で分からなかったが、野雪達が化想と向き合っている間、姫子達は何をしていたのか、純粋な疑問でもあった。
苛立っている時に話しかけない方が良かっただろうかと不安も過ったが、姫子の表情に苛立ちはなく、たま子は内心ほっとしていた。
「黒兎の目隠しは、校舎の外側の人間の目を欺く物でしょ?アタシの役目は、目隠しの内側にいる人間へのフォローや、内側の目隠しをする事。でも、壱登が人払いとかやってたし、建物の内側で化想が暴走する事もなかったから、気づいた人間はいなかったみたいだな」
「暴走?」
物騒な言葉にたま子が思わず聞き返せば、助手席の志乃歩が振り返った。
「そう。今回の化想は、空間ごと作り出す化想だったから教室の中だけで済んだけど、心の在りようで実際の建物を破壊するって事もあるんだ。滅多にないけどね、力のない一般の人の化想でも、そういう事が起きないとは限らない。思いの強さはいつだって例外を生み出すし、術師でない限りコントロールはほぼ出来ないから、逆にそれが怖いって事もあるんだ」
という事は、術師ではない素人の、それも無意識の化想でも、実際に壁が壊れたり、学校全体が海に囚われてしまう事もあるのだろうか。
もしそんな事が起きたら、それも化想で対処しなくてはならなくなる。そんな事、出来るのだろうか。
対処の仕方が想像出来ないたま子には、それは途方もない事のように感じられ、同時に疑問が浮かんだ。
「…あの、それならやっぱり、化想は認知されるべきなんじゃないでしょうか…?」
化想については、たま子も色々聞いてきた。心の内を覗かれる事、それを悪意を持って利用しようとする者、化想を無意識に出す人は守られなければならないが、それなら、化想を秘密にしない方が個人を守れるのではと、たま子は考えてしまう。それに、無関係の人が他人の化想に巻き込まれないようにするにも、知識はあった方が良いと思うのだが。
「うーん、そういうものだからって言っちゃえばそうなんだけど、不思議な力はいつだって、それを解明しようとする人間が現れるもんなんだよ。人体実験とかね、昔は酷い時代もあったらしいんだ。それだって、全て無かった事として闇に葬られてる、知っているのは術師のみだよ。だから僕達は、化想をあまり公にはしたくないんだ。化想が現れるから守りに行けるけど、化想を何かに利用したり実験しようとするその人の心の内までは読めないから、そういう人達の標的にされる人がいても、僕らでは守りきれないし。
今回は、場所が場所だから、ちゃんと説明して理解を得たけどさ。噂でも、化想の存在はあまり広めたくないんだ。術者を守る為にもね」
下校時間を過ぎても、学校には大勢の人がいる。危険に巻き込む可能性が高いので、学校側には理由を説明しない訳にはいかない。きっと、壱登が教頭達にきちんとフォローしてくれているのだろう。
化想は不思議な現象だが、誰にでも起こる可能性がある。それでも、化想は隠さなくてはならない、それもまた人を守る為に。
「…守るため…」
たま子は俯き、右肩に触れると唇を噛みしめた。そんなたま子の様子を、野雪は黙って見つめていた。
志乃歩達が向かったのは、隣町にある大きな総合病院だ。看板には、「あぎのい総合病院」とあり、たま子は困惑の表情を浮かべた。病院横には、広々とした駐車場があったが、車は正面入口ではなく、裏口の方へ回った。病院にはあらかじめ連絡を入れていたので、裏口にはストレッチャーを用意して待機する看護師の姿があった。
志乃歩が看護師達と言葉を交わし、少年はストレッチャーに乗せられ、処置室へと向かった。少年はまだ眠ったままだ。
「…大丈夫でしょうか」
「きっと大丈夫だよ。僕らは処置が終わるのを待とう」
たま子の肩を軽く叩き、志乃歩が言う。それを合図に、黒兎と姫子は車に戻っていく。駐車場に車を停め、二人は外で待機するようだ。病院内に大勢で居ても迷惑になるし、壱登とも連絡を取り合うので、病院の外に待機していた方が都合が良いのだろう。ただ、喧嘩をしなければ良いのだが。
たま子は志乃歩に手招かれ、処置室の待合室で待つ事となった。長椅子に座り、たま子は気になっていた事を志乃歩に聞いた。
「あの、この病院、あぎのいって名前だったんですが…」
先程聞いた、化想を壊して治めるという阿木乃亥家と同じ名前だった。
「そう、その阿木乃亥の病院だよ」
「え、大丈夫なんですか…?」
心配そうなたま子に、志乃歩は大丈夫だと笑った。
「阿木乃亥の息がかかった病院だけど、阿木乃亥の連中も人間だからね、化想を扱ってる以上、危険がないとはいえない。化想の患者をちゃんと治療出来る医師も限られてくるしね。病院で危ない治療はしないし、例え阿木乃亥に反発してる患者だって、ここは受け入れるよ」
「え?」
「ここは、僕の父親が院長をやってるんだ。化想の患者を診れる病院だから、僕もカウンセラーの仕事で来てる」
「そうなんですか…」
たま子は、複雑な思いで頷いた。阿木乃亥の病院で、本当に危険な事はないのかと心配が頭を過る、その気持ちは志乃歩も分かっていたようだ。
「化想患者を出しておきながら自分達で治療してるなんて、世話ないよね」
「い、いえ、そんな…」
「でも、それしか方法がないんだよ、化想によって傷を負った人を助ける方法が。化想に関しては、阿木乃亥がその道を作ってきたからね、阿木乃亥のやり方に文句をつけてるのは、僕らくらい。
よそに化想患者の病院なんてつくっても、阿木乃亥に潰されるだけだしね」
志乃歩は苦笑いながら、ふと野雪に視線を向けたので、たま子もつられてそちらに目を向けた。野雪は座る事なく、少年の化想を封じた本を抱きしめ、ただじっと処置室のドアを見つめている。言葉のないその姿からは、少年の目覚めを願っている事が伝わってくる。
救う為に居場所が必要なら、場所なんて選んでられないのかもしれない。どんな背景があろうと、化想を診れる医師はここにしか居ないなら、信じるしかない。
「…あの、化想を出してしまった人は、いつも病院に?」
「そうだね。あの少年は化想を心から切り離したばかりだし、野雪が化想を封じたから問題はないと思うんだけど、もしもって事があるから」
「体に影響が?」
「無いとは言えない。化想が心の枠から外へと溢れてしまったものだとしても、それでもあれは少年の心の中にあったものだ。それを、本人から切り離した訳だからね。例え化想を壊さなくても、本人に影響が出る場合がある。化想は誰にでも起こりうる現象だけど、一般の人にとっては常に起こることのない現象だからね、化想を出した時点で、体に負担が掛かっている事も多かったりするんだ。だから毎回、体に異常が無いか診て貰ってるんだよ」
心と体は繋がっている。化想であんなに大きな空間を生み出してしまうのだ、体に負担が掛かってもおかしくない。しかも、無意識の化想は、本人に化想を出した記憶は残らない、目を覚ましたら病院のベッドの上で、治療を受けた後だったというのは、本人も驚くだろうなと、たま子はぼんやり考え、それからふと、家族の存在が頭を過った。
「…ご家族には、どう伝えるんですか?」
「問題が無ければ、疲れやストレスのせいだとか、過労や寝不足で倒れたって事にしてる。化想を無意識で出すくらいだから、実際そういう状態だったって事も多いしね。
無意識下の事だから、本人は化想なんてものを出した覚えがないし、もし本人の体に問題が起きてたり、本人が眠り続ける状態になってしまったとか、状況によってはちゃんと説明するけど、そうじゃなきゃ、化想の事は言わないんだ。化想なんてもの、人はなかなか信じられないからね」
「そうですよね…」
たま子はどこか力なく頷き、それから再び野雪に視線を向けた。野雪はやはり、処置室のドアを祈るようにじっと見つめている。たま子は、通りすがる看護師に気づき、落ち着かない様子で俯いた。
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