天使と死神

茶野森かのこ

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天使と死神31

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八重やえ…!」

話は現代に戻り、神様は子供の姿のまま、死神の車に乗った八重を追いかけ、懸命に空を駆けていた。
もう、敢えて化けているのではない、同じ子供の姿でも、今の子供の姿は、神様の力の表れだ。本来の姿なのに、子供の姿でしか会う事が出来ない、空がこんなにも遠い、まだこんなにも八重が遠い。

あの頃から、町も人も随分変わってしまったが、側に居られなくても、例え八重の瞳にこの姿が映る事がなくなっても、八重を大事に思う気持ちに変わりはなかった。八重に家族が出来たって、ただこの空の下、どこかで幸せに暮らしてくれたら良いと思っていた。
それが、こんなに早く逝ってしまうなんて、本当は、いつかまた会えるんじゃないか、いつかまたその瞳にこの姿を映してくれるんじゃないか、そう思っていたのに。


「八重!」

追いついた車の窓に手を掛けて呼び掛ければ、窓際にいた八重は、驚いて顔を上げた。魂の姿になれば、神様や妖が見えない人間にも、その姿を見る事が出来る。なので、八重に限らず、半透明の魂の姿となった車の同乗者達も、驚き顔で窓の外に目を向けていた。
だが、ここで一番驚いていたのは、車を運転していた死神のようだ。長い髪をお下げに結った女性の死神で、アリアが神様と対峙していた時に見かけた死神だ。
「え、神様!?」と、彼女は慌ててブレーキを踏み、車は宙で停止した。死神は焦った様子のまま、神様を前にして身を低くしつつも、混乱のまま車の窓から顔を出し、地上の様子を覗き見た。

彼女も、自分の仕事を進めながらも、アリア達の騒ぎには気づいていた。神様とアリア達が何故か対峙している状況に、とんでもない事が起きているのは分かってはいたが、今夜も既に悪魔の手が現れたと報告は受けている、今は仕事を一つでも多くこなす事が、彼女の優先すべき事だった。

とは言え、彼女も気にしていない訳ではない、仕事をこなしながらも、あれが失踪した神様だろうかと、アリアは大丈夫なのだろうかと心配はしていたが、途中でフウガが合流しているのに気づき、ほっとしていた。フウガがいれば大体の事はどうにかなるだろう、そもそも自分は関わることもない、死神の彼女はそんな風に思っていたのだが、気づけば目の前に神様だ。混乱の極みの中、彼女が頼れるのはフウガだけ、だがフウガは、神様を追いかけにくることもなく、アリアと二人で何やら話し込んでおり、こちらを見上げてもいなかった。

「え、神様こっちに来ちゃってるのに、ほったらかし!?」

と、状況が飲みこめない死神は、おさげの髪ごと頭を抱え、完全にパニックだ。


神様が空に駆け出した時、フウガは神様を追いかけようとしていた。だが、アリアがその腕を掴んで止めた。「何をするんです!」と、焦って声を上げたフウガに、アリアは「きっと大丈夫だ」と、やけに冷静な声で言った。

何をもって大丈夫なのか、フウガにはまるで分からない、根拠も確証もない話だ。もし、神様が八重を引き止めたらどうする、神様の力が削がれているといっても相手は神様だ、その体の根底に何を持っているのか分からないし、何より魂を連れ出したとなれば、天界の神達もさすがに彼を庇いきれないだろう。そうなれば、鞍木地くらきじ町からは神様が消え、その先は、神様も神使もこの町も、どうなるか分からない。

反論しようと口を開いたフウガだが、アリアの姿を改めて目にすれば、それも出来なくなってしまった。ふわふわの薄紫の髪も、白いジャージも、大きな翼も疲れたように落ちている肩もその頬も、傷を負ってぼろぼろで。それでもアリアは、いつもは眠たそうな瞳を真っ直ぐと空に向けている。神様を、八重を信じて、ただ真っ直ぐと。
その思いが伝わってしまったから、フウガは迷ってしまった。何事も自分の手で解決してきたフウガには、誰かを信じて任せる事は、今までほとんどしてこなかった。自分が一番信用出来たし、仕事も一人でした方が速い。そんな中、与えられた今回の任務は、フウガの力だけでは遂行出来ないものだった。元々持っている能力が違う事もあるが、こんな風に誰かと組んで仕事をすることはなかったし、共に働く誰かの事をここまで考える事もしなかった。

誰かを信用して、信頼して。フウガがしようとしてこなかった事を、アリアは簡単にしてしまう。神様とはいえ心乱した状態で、八重に至っては会ってもいない。
それなのにどうして信じる事が出来るのか、そんなアリアがどうして頼もしく、眩しく見えてしまうのか。
フウガは唇を引き結び、空を行く神様を見上げた。フウガも信じてみたいと、思ってしまった。




だが、そんなやりとりがあったとは知る筈もない死神の彼女は、神様そっちのけで話し込んでいる二人に対し、何を呑気に立ち話をしているのだと、頭を抱えるばかりだ。

「どうなってんの…、あ、あの、神様、」
「八重、私だ!行くな!」

切に訴える神様の姿に、言葉を遮られた死神は、ぽかんとした。それから、先程連れてきた八重という女性を振り返る。神様は彼女と会った事があるような口振りだ、聞き間違いだろうかと、死神は更に困惑し固まった。神様と人間は、普通、出会う筈がないからだ。
相変わらず、静かに騒然とした空気に満ちている車内だが、その中で八重だけがそっと表情を崩し、柔らかに微笑んでいた。それはとても清らかで、美しい微笑みだった。

「…勿論、忘れる筈ありませんよ、あやかし様」

八重は懐かしそうに目を細め、そしてその瞳が泣き出しそうに潤むのを見て、必死な表情を浮かべていた神様も、ほっとした様に表情を和らげた。「え、本当に知り合いなの…?」と、死神は状況が飲み込めず、おろおろとするばかりだ。

「窓を開けて頂けますか?」
「え?あ、は、はい、ど、どうぞ…」

柔らかな八重の申し出に、死神は戸惑いながらも車の窓を開けた。一度、死神の車に乗ってしまえば、死神の許可なく車外に出る事は出来ない。窓を開けて、顔や手を出す事は出来ても、その身を乗り出して下界へ戻る事は出来ないよう、魂は死神の車と見えない縛りで結ばれていた。

神様もそれは知っていたが、それでも窓から手を差し入れ、八重の手を握った。八重の手は、あの頃よりも痩せ細り、病気をしたせいだろうか、実年齢よりも歳を重ねているように見えた。それでも、その温かさは変わらない、その美しさは変わらない。神様が恋い焦がれた、八重の手だ。
ぎゅっと、胸が締め付けられる。神様は唇を引き結び、真っ直ぐに顔を上げた。

「八重、帰ろう!」

「は!?」と、ぎょっとした声を上げたのは、またもや死神だ。神様が一体何を言っているんだと、理由も経緯も知らない死神は、混乱に拍車をかけている。
八重はきょとんとしていたが、やがて表情を崩すと、神様の手を握り直し、優しくその手を撫でた。愛おしく、慈しむようなその仕草に、神様の頬がじわりと赤らんでいく。

「私は、死神様の手を取りましたから、戻る事は出来ません」
「…そ、そんなの、私が何とかする!大丈夫、お前を死なせない!」

「いや、嘘でしょ!神様、さすがにそれは無理ですよ!」と、死神が慌てて間に入ろうとするが、神様の耳にはまるで届いていないようだった。




死神が助けを求めるように、地上へと視線を投げた頃。地上では、フウガが狸もどきから聞いた神様と八重との関係を、大分かいつまんでだが、アリアに話していた所だった。

神使達にも居場所を悟られないように身を隠していた神様だが、狸もどきだけは側に居るのを許していた。今の神様は、笑わなくなったし、話をしてもろくに返事もしてくれない、以前の神様とは随分変わってしまった。それでも狸もどきが神様の側を離れなかったのは、いつか神様が昔のように戻ってくれる事を信じていたからだ。
それに、今ここで神様の側を離れれば、神様は一柱になってしまう、そうなればもう会えないような気がして怖かった。
だから、八つ当たりのような言葉を吐かれても、荒げるその力に傷つけられそうになっても、狸もどきは神様の側を離れなかった。

朝、駅に居たのは、神様にアリアの動向を探るようにと指示を受けたからだ。あの時、狸もどきは迷っていたという。神様が欲しがる力を持つアリアなら、神様の心を変えてくれるのではないか、昔の神様を取り戻してくれるのではないかと。だが、勝手にアリア達に接触したと分かれば、神様は怒るかもしれないと思い直し、あの時はやや遅れて逃げ出したという。

それでも再びフウガの前に現れたのは、神様を救って欲しいと願ったからだ。
狸もどきが何を言っても、神様はもう話を聞いてくれない。それに、神社内にアリアが一人で居ることが分かると、神様は妖に化けて消えてしまった。神社内の事は離れていても分かるというし、瞬時に移動する事も可能だ。

神様は、アリアに会いに行った、その力を奪いに行ったのなら、アリアは消えてしまうかもしれない。もしそのような事になれば、誰が神様を救ってくれるのか、もしかしたら神様は天界からも追放されてしまうかもしれない。狸もどきはそう思い、アリアと共に居たフウガを探して駆け回り、助けを求めたという。


狸もどきの思いを含め、フウガから神様と八重の話を聞いていたアリアは、ふと首を傾げた。

「でも、神様は、何で八重の話を聞かなかったんだ?桜が咲かなかったのか?」

枯れた桜が咲いたという話も、フウガから聞いていた。それなら、桜が枯れる事はなかったのではと。神様は八重の思いを聞けた筈だ。

「何も起きず桜が咲けば、八重さんの思いも聞けたのかもしれませんが、あの二人は悪魔に目をつけられていたそうです」
「そんなの、しょっちゅうだろ」

アリアは、何を今更とばかりに眉を寄せた。今もこの町は悪魔に狙われているのだからと、アリアは言いたいようだが、そんなアリアの主張に、フウガは溜め息を吐くと共に、緩く首を振った。

「まともに神様がいる町に、悪魔は簡単には手を出せませんよ。これは後で分かった話のようですが、夏祭りで神様が本来の姿を現したのを、悪魔は見ていたようです。そして、八重さんが神様の弱点だと思ったんでしょう」

フウガが空へ顔を向けたので、アリアもつられるように顔を上げた。
それからフウガは、狸もどきから聞いた話の続きを、アリアに聞かせた。




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