2 / 12
2
しおりを挟むそこには、すらりと背の高い青年がいた。彼のたれ目がちの瞳が驚いたように見開かれ、その瞳の色を見た途端、佳世の胸はどきりと跳ねた。
南国の海の色を思い起こす緑がかった青、日本人離れした魅惑的な瞳と目が合えば、心はその青に引き込まれ、きゅっと胸が苦しくなる。
佳世の中で時間が一気に巻き戻り、過去に置いてきた筈の淡い恋心が呼び起こされていく。
「た、巽先輩?」
ドキドキと、胸が苦しくて仕方ない。それでも、目の前の現実が信じられなくて、確めずにはいられない。どもりながら、どうにか佳世が尋ねれば、彼は驚きに開いた目を柔らかに細め、爽やかに微笑んだ。
「懐かしいなー、元気にしてた?」
柔らかな低音が耳に心地よく、ほっとさせられると同時に、佳世の胸は再び締めつけられた。
本当に、巽先輩なんだ。
彼が巽なのだと実感すれば、佳世は途端に恥ずかしくなる。そのまま、声も出せずに何度も頷くしか出来なくなった佳世に、巽はその様子がおかしかったのか、声を上げて軽やかに笑った。
彼は、夕凪巽。佳世の劇団員時代の先輩で、芝居が上手で華もあり、その上、気さくな人柄で、誰もが慕う憧れの存在だった。風の噂で、彼が劇団を去ったと聞いていたが、まさかその劇場前で会うとは思わなかった。
「後輩たちの舞台観にきたのか?」
「…は、はい、ちょっと懐かしくなって」
佳世は苦笑い、「先輩は?」と、すぐに言葉を続けた。巽は、記憶の中の姿と何ら変わらない。そして、再会して気づかされる、佳世にとって巽は、今も変わらずに恋しい存在なのだと。
だから尚更、その綺麗な瞳に、情けない今の自分を覗かれたくなかった。
夢を諦めて将来も分からないまま、狭いアパートでただ繰り返すばかりの日々を過ごしている。華やかに夢を叶えた同期と比べられるのが怖い、惨めで格好悪いし、恥ずかしい。巽が自分に期待などしていないと分かっていても、佳世は、ちっぽけなプライドで心を必死に武装するしかない。
そうでもしなきゃ、巽の前になんて居られなかった。
「俺も同じ…って言いたいところだけど、今、店をやってるんだ。今日は差し入れ持って来たんだよ」
今帰るところだという巽の姿を改めて見ると、彼の腰には黒いエプロンが巻かれ、その手には、大きな四角いバッグがあった。出前専用のバッグだろうか、バッグの側面に印字された店名に、佳世はまた口をぱっくりと開けた。
「え、お店って、あの“紫陽花”ですか?あの、おじいちゃん夫婦が営んでる」
「そーそー、昔よく食ったよなー」
“オムカツサンド!”と声が重なれば、二人して笑ってしまった。先程は塞ぎ込むしかなかった昔の思い出が、今は佳世の顔を上げさせてくれる。それに加え、巽の笑顔を見ていたら、昔の自分が甦ってくるようで、佳世の心は幾分軽やかだった。
「あの店さ、跡継ぎがいないらしくて。店を潰すなら俺にくれって頼んだんだ。今は、マスター達から色々教わってるとこ」
「そうだったんですね…私、てっきり先輩は役者になるのかと思ってました」
「今も役者だよ」
「え?でも、劇団辞めたんじゃなかったんですか?」
きょとんとする佳世に、巽は苦笑い頭を掻いた。
「店が忙しいから最近は顔出せてないけど、一応、気持ちは役者と二足のわらじ。あ、お前も再入団するか?役者達も入れ替わりが多い上に、団員も少なくなっててさ、古参の役者って居ないから、ちょっと肩身狭いんだよなー」
「嘘、絶対一目置かれてるからですよ。先輩ほどの人、そうそう居ませんもん。映像の方に回るって、皆思ってましたよ」
「買いかぶりすぎ。それ言うなら、お前だって俺は一目置いてたよ」
「え?」
巽は少し腰を折って佳世に視線を合わせた。巽の端正な顔立ちが目の前に迫り、佳世は再びドキリと胸を震わせた。
「下手なのに、目が離せない」
悪戯っぽく笑って腰を伸ばした巽に、佳世は詰めていた息を吐き出し脱力した。
その笑い顔は、自分をからかっている時のものだ。そうは分かっていても、心臓は正直にドキドキと音を立てている。佳世は赤くなる頬が恥ずかしくて、不貞腐れた振りをして顔を背けた。
「…それって、芝居が下手すぎてって事ですか?」
「はは、違うよ。あ、悪い、そろそろ行くな。時間あったら店にも顔出して。奢ってやるから」
「ありがとうございます。ごめんなさい、足止めちゃって」
「こっちこそ。あ!入団の件、考えとけよ!」
佳世は笑って頷いたが、それは無理かもしれないと、小さく溜め息を吐いて俯いた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
夕陽が浜の海辺
如月つばさ
ライト文芸
両親と旅行の帰り、交通事故で命を落とした12歳の菅原 雫(すがわら しずく)は、死の間際に現れた亡き祖父の魂に、想い出の海をもう1度見たいという夢を叶えてもらうことに。
20歳の姿の雫が、祖父の遺した穏やかな海辺に建つ民宿・夕焼けの家で過ごす1年間の日常物語。
つれづれなるおやつ
蒼真まこ
ライト文芸
食べると少しだけ元気になる、日常のおやつはありますか?
おやつに癒やされたり、励まされたりする人々の時に切なく、時にほっこりする。そんなおやつの短編集です。
おやつをお供に気楽に楽しんでいただければ嬉しいです。
短編集としてゆるく更新していきたいと思っています。
ヒューマンドラマ系が多くなります。ファンタジー要素は出さない予定です。
各短編の紹介
「だましあいコンビニスイーツ」
甘いものが大好きな春香は日々の疲れをコンビニのスイーツで癒していた。ところがお気に入りのコンビニで会社の上司にそっくりなおじさんと出会って……。スイーツがもたらす不思議な縁の物語。
「兄とソフトクリーム」
泣きじゃくる幼い私をなぐさめるため、お兄ちゃんは私にソフトクリームを食べさせてくれた。ところがその兄と別れることになってしまい……。兄と妹を繋ぐ、甘くて切ない物語。
「甘辛みたらしだんご」
俺が好きなみたらしだんご、彼女の大好物のみたらしだんごとなんか違うぞ?
ご当地グルメを絡めた恋人たちの物語。
※この物語に登場する店名や商品名等は架空のものであり、実在のものとは関係ございません。
※表紙はフリー画像を使わせていただきました。
※エブリスタにも掲載しております。
マキノのカフェで、ヒトヤスミ ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
田舎の古民家を改装し、カフェを開いたマキノの奮闘記。
やさしい旦那様と綴る幸せな結婚生活。
試行錯誤しながら少しずつ充実していくお店。
カフェスタッフ達の喜怒哀楽の出来事。
自分自身も迷ったり戸惑ったりいろんなことがあるけれど、
ごはんをおいしく食べることが幸せの原点だとマキノは信じています。
お店の名前は 『Cafe Le Repos』
“Repos”るぽ とは フランス語で『ひとやすみ』という意味。
ここに訪れた人が、ホッと一息ついて、小さな元気の芽が出るように。
それがマキノの願いなのです。
- - - - - - - - - - - -
このお話は、『Café Le Repos ~マキノのカフェ開業奮闘記~』の続きのお話です。
<なろうに投稿したものを、こちらでリライトしています。>
猫のランチョンマット
七瀬美織
ライト文芸
主人公が、個性的な上級生たちや身勝手な大人たちに振り回されながら、世界を広げて成長していく、猫と日常のお話です。榊原彩奈は私立八木橋高校の一年生。家庭の事情で猫と一人暮らし。本人は、平穏な日々を過ごしてるつもりなのだけど……。
叶うのならば、もう一度。
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ライト文芸
今年30になった結奈は、ある日唐突に余命宣告をされた。
混乱する頭で思い悩んだが、そんな彼女を支えたのは優しくて頑固な婚約者の彼だった。
彼と籍を入れ、他愛のない事で笑い合う日々。
病院生活でもそんな幸せな時を過ごせたのは、彼の優しさがあったから。
しかしそんな時間にも限りがあって――?
これは夫婦になっても色褪せない恋情と、別れと、その先のお話。
金色の庭を越えて。
碧野葉菜
青春
大物政治家の娘、才色兼備な岸本あゆら。その輝かしい青春時代は、有名外科医の息子、帝清志郎のショッキングな場面に遭遇したことで砕け散る。
人生の岐路に立たされたあゆらに味方をしたのは、極道の息子、野間口志鬼だった。
親友の無念を晴らすため捜査に乗り出す二人だが、清志郎の背景には恐るべき闇の壁があった——。
軽薄そうに見え一途で逞しい志鬼と、気が強いが品性溢れる優しいあゆら。二人は身分の差を越え強く惹かれ合うが…
親が与える子への影響、思春期の歪み。
汚れた大人に挑む、少年少女の青春サスペンスラブストーリー。
海神の唄-[R]emember me-
青葉かなん
ライト文芸
壊れてしまったのは世界か、それとも僕か。
夢か現か、世界にノイズが走り現実と記憶がブレて見えてしまう孝雄は自分の中で何かが変わってしまった事に気づいた。
仲間達の声が二重に聞こえる、愛しい人の表情が違って重なる、世界の姿がブレて見えてしまう。
まるで夢の中の出来事が、現実世界へと浸食していく感覚に囚われる。
現実と幻想の区別が付かなくなる日常、狂気が内側から浸食していくのは――きっと世界がそう語り掛けてくるから。
第二次世界恐慌、第三次世界大戦の始まりだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる