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しおりを挟む「…この礼も言わないとな」
ふと、愛が腕時計を見て言う、その柔らかな表情に、多々羅もようやく素直に頬を緩める事が出来た。
「じゃあ、皆で会いましょうか」
「でも、忙しいだろ。結子はおめでたで、挙式の準備もあるし」
さりげなく発せられたその言葉に、多々羅の表情が固まった。
「…え?え、待って、結ちゃん結婚?こ、子供も…?」
「うん、一緒に会社立ち上げた奴と…あ、悪い、言ってなかったな、この前、先生に聞いたんだ」
先生とは信之の事だ。この前とはいつの事だろうか、喫茶“時”に愛が一人で行った時だろうか。
いや、それよりも。
突然突きつけられた想定外の現実に、多々羅は驚き、そしてがくりと肩を落とした。
結子が自分の事を好きと言っていたが、あれは単純に人として好き、幼馴染みとして好きという事だったのかと思い知り、勝手に思い込んで勘違いしていた自分が恥ずかしくなる。恐らく、結子にはこの思いは気づかれていないと思うが、用心棒の皆には何て言えば良いのか。ユメとトワには絶対からかわれるだろうし、ノカゼとアイリスは励ましてくれそうだけど、その励ましに傷が抉られそうだ。
そう思い、胸に手を当てたが、多々羅はふと首を傾げた。ショックはショックだが、失恋の傷とはこんなものだっただろうか。元々、惚れっぽいところはある、失恋にもいつの間にか耐性が出来てしまったのだろうか。
「あー、結子は天然の気があるからな。多々羅君も勘違いしちゃったんだ?」
多々羅が胸を押さえたまま、ぼんやり俯いていると、愛は多々羅がショックで立ち直れないと思ったのか、お返しとばかりにほくそ笑んだ。
「ち、違いますよ!俺は幼なじみってだけで!」
「どうだか」
肩を竦め笑う愛に、多々羅は苦い顔をした。
可愛くない。可愛くないが、多々羅は愛の姿に、そっと肩の力を抜いた。
傷が思いの外浅く済んだのは、愛がいるからだろうか。多々羅でいられる居場所が、ここにあるからだろうか。
「ま、多々羅君は、昔から勘違いしやすかったしね」
「…ちょっと、それは…もー、いい加減忘れてくれませんか」
「忘れられる訳ないだろ。あれは俺にとって衝撃的だったからな」
「…だから、あれは、」
「あの時の約束を律儀に守ってくれてるしね」
「え?」
それは、愛が女の子だと思い込んでいた頃の話だろうか。多々羅がきょとんとしていると、愛はどこか表情を作ったように笑った。
「でも、良いからな、本当に。辞めたくなったら、いつでも辞めて良いから」
「え、」
その言葉がやけに寂しく響いて、多々羅は愛の前に回り込んだ。愛は戸惑った様子で顔を上げたが、そのどこか頼りない瞳に、多々羅は噛み締めた唇をほどいた。
「辞めろって言われても、いますよ、ここに」
愛はまだ、誰かが一緒に居たら危ないと思っているのだろうか。それでも、そんな顔で言われたら、その言葉の裏側に隠した思いがあるような気がしてならない。ここにいても良いなら、何度だって多々羅は言う。多々羅は愛の側に居たいだけなのだ。
「俺は、あなたの助手ですからね」
怖いなら、不安なら、落ち込みそうな背中を何度だって支える。そう、決めたのだ。過去に戻りそうな手を引いて、壁を取り払って、日向の道へ連れていく。そうしたら、自分もきっと前へ進める。
ぱち、と愛は目を瞬いていたが、やがてほっとした様子で「そうだったな」と呟くので、多々羅はその姿に、思わず幼い頃の愛を重ねてしまった。途端に昔の気持ちまでが甦り、多々羅は焦って言葉を探した。呼び戻してはいけない気持ちまで、甦りそうになったからだ。
「ま、まだ、心配ですからね!方向音痴だし、切符の買い方も分からないし、一人で生活出来ないでしょ」
怒るかもしれないと思ったが、危うい気持ちから目を逸らすには、その気持ちと真逆の事を思い浮かべるしかない。だが、愛はそれでも機嫌良さそうにしているので、多々羅は複雑な気持ちが渦巻いたままになってしまった。それでも、ほっとしたような表情を浮かべる愛を見れば、多々羅もなんだか気が抜けてしまう。
ここに居ることを、許してくれた。それが、こんなにもほっとさせられる。帰る場所を貰えたような気がして、こんなにも胸が温もりに満ちていく。
「まぁ、正一さんが連れてきたから、仕方なくだけどな」
「またまたー。俺が居ないと困るくせに」
「別に困らないし。切符の買い方くらい分かってるし!」
強がる愛も、方向音痴は否定しないようだ。多々羅が「はいはい」と笑って愛の隣に並べば、愛は「心がこもってない」と、不貞腐れながらも歩き出す。自然と歩く足並みも揃って、強がりの言い合いも、気づけば笑い声になる。
こんな風に過ごしていても、きっとまた迷い悩む時が来るのだろうと、多々羅は愛の隣でぼんやりと思う。
それでも、その度にこうやって会話を重ねていければ。今から恐れる事は何もないのかもしれない。多々羅は思い、機嫌の良さそうな愛の横顔に目を止める。隠された濁った翡翠の瞳、やはり多々羅はその瞳が見たいと思ってしまう。
愛に関わる事だって、分からない事はまだ沢山ある。それらがどんな物か分からないけど、その時は、やっぱり共に受け止められる距離にいたい。
傷ついたら繕って、結び直して、そうして積み重ねて、ゆっくりと。すぐには無理でも、いつか、愛が愛自身の事を認めてくれたら。
その日がくる事を、多々羅は願うばかりだ。
眩しい夏の日差しに多々羅は目を細め、愛の少し前を歩き振り返る。
「今日は飲みましょうか!」
そういえば、愛と酒を飲んだのは、多々羅の先輩である智を交えての、あの一回だけだ。飲めない訳ではないだろうが、飲みたいと言われないので酒を買う事もなかった。多々羅も飲まなきゃ飲まないでいられるので、特に酒に誘う事もなかったが。
こんなお誘いをするのも、今日は少し浮かれているせいかもしれない。
だが、愛は少し不満そうに唇を尖らせた。
「酒かー。辛いものなら付き合える。最近食べてないしな」
どうやら、酒は飲めるが進んで飲みたいタイプではなかったようだ。そうか、愛は辛いものが好きなのかと、多々羅は苦笑った。多々羅はあまり辛いものは得意ではない、甘いものは好きだが。
「俺、辛い系はあまり…」
しかし、愛が好きなら、これからは辛い料理もご飯のメニューに組み込んでいこう。多々羅が心内で愛の情報を更新していると、愛が「ウマが合わないな」と、どこか寂しそうに呟いた。そんな愛に、多々羅は「まぁそこが良いんじゃないですか!」と、笑った。
「好みがバラバラでも、分かり合えたら楽しみも二倍じゃないですか。俺も、久しぶりにチャレンジしてみようかな…この辺、辛いもの食べれる店あるかな」
もしかしたら、食べられるものもあるかもしれない。そんな思いで多々羅が言えば、愛はきょとんとして、それから困ったように笑った。
「なんだそれ。多々羅君は、昔から変な奴だよな」
「一言余計ですよ」
楽しそうな二人のやり取りが始まれば、ヤヤも多々羅の肩で楽しそうに笑った。
多々羅は、愛の少し前で顔を上げる。明日もここで、多々羅も多々羅で居られる明日の為に。
宵ノ三番地、二人の帰る場所へ。
探しもの屋の日々は、これからも。
了
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