瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

文字の大きさ
上 下
76 / 76

75

しおりを挟む




「…この礼も言わないとな」

ふと、愛が腕時計を見て言う、その柔らかな表情に、多々羅たたらもようやく素直に頬を緩める事が出来た。

「じゃあ、皆で会いましょうか」
「でも、忙しいだろ。結子ゆいこはおめでたで、挙式の準備もあるし」

さりげなく発せられたその言葉に、多々羅の表情が固まった。

「…え?え、待って、ゆいちゃん結婚?こ、子供も…?」
「うん、一緒に会社立ち上げた奴と…あ、悪い、言ってなかったな、この前、先生に聞いたんだ」

先生とは信之のぶゆきの事だ。この前とはいつの事だろうか、喫茶“時”に愛が一人で行った時だろうか。

いや、それよりも。

突然突きつけられた想定外の現実に、多々羅は驚き、そしてがくりと肩を落とした。
結子が自分の事を好きと言っていたが、あれは単純に人として好き、幼馴染みとして好きという事だったのかと思い知り、勝手に思い込んで勘違いしていた自分が恥ずかしくなる。恐らく、結子にはこの思いは気づかれていないと思うが、用心棒の皆には何て言えば良いのか。ユメとトワには絶対からかわれるだろうし、ノカゼとアイリスは励ましてくれそうだけど、その励ましに傷が抉られそうだ。
そう思い、胸に手を当てたが、多々羅はふと首を傾げた。ショックはショックだが、失恋の傷とはこんなものだっただろうか。元々、惚れっぽいところはある、失恋にもいつの間にか耐性が出来てしまったのだろうか。

「あー、結子は天然の気があるからな。多々羅君も勘違いしちゃったんだ?」

多々羅が胸を押さえたまま、ぼんやり俯いていると、愛は多々羅がショックで立ち直れないと思ったのか、お返しとばかりにほくそ笑んだ。

「ち、違いますよ!俺は幼なじみってだけで!」
「どうだか」

肩を竦め笑う愛に、多々羅は苦い顔をした。
可愛くない。可愛くないが、多々羅は愛の姿に、そっと肩の力を抜いた。

傷が思いの外浅く済んだのは、愛がいるからだろうか。多々羅でいられる居場所が、ここにあるからだろうか。

「ま、多々羅君は、昔から勘違いしやすかったしね」
「…ちょっと、それは…もー、いい加減忘れてくれませんか」
「忘れられる訳ないだろ。あれは俺にとって衝撃的だったからな」
「…だから、あれは、」
「あの時の約束を律儀に守ってくれてるしね」
「え?」

それは、愛が女の子だと思い込んでいた頃の話だろうか。多々羅がきょとんとしていると、愛はどこか表情を作ったように笑った。

「でも、良いからな、本当に。辞めたくなったら、いつでも辞めて良いから」
「え、」

その言葉がやけに寂しく響いて、多々羅は愛の前に回り込んだ。愛は戸惑った様子で顔を上げたが、そのどこか頼りない瞳に、多々羅は噛み締めた唇をほどいた。

「辞めろって言われても、いますよ、ここに」

愛はまだ、誰かが一緒に居たら危ないと思っているのだろうか。それでも、そんな顔で言われたら、その言葉の裏側に隠した思いがあるような気がしてならない。ここにいても良いなら、何度だって多々羅は言う。多々羅は愛の側に居たいだけなのだ。

「俺は、あなたの助手ですからね」

怖いなら、不安なら、落ち込みそうな背中を何度だって支える。そう、決めたのだ。過去に戻りそうな手を引いて、壁を取り払って、日向の道へ連れていく。そうしたら、自分もきっと前へ進める。

ぱち、と愛は目を瞬いていたが、やがてほっとした様子で「そうだったな」と呟くので、多々羅はその姿に、思わず幼い頃の愛を重ねてしまった。途端に昔の気持ちまでが甦り、多々羅は焦って言葉を探した。呼び戻してはいけない気持ちまで、甦りそうになったからだ。

「ま、まだ、心配ですからね!方向音痴だし、切符の買い方も分からないし、一人で生活出来ないでしょ」

怒るかもしれないと思ったが、危うい気持ちから目を逸らすには、その気持ちと真逆の事を思い浮かべるしかない。だが、愛はそれでも機嫌良さそうにしているので、多々羅は複雑な気持ちが渦巻いたままになってしまった。それでも、ほっとしたような表情を浮かべる愛を見れば、多々羅もなんだか気が抜けてしまう。

ここに居ることを、許してくれた。それが、こんなにもほっとさせられる。帰る場所を貰えたような気がして、こんなにも胸が温もりに満ちていく。


「まぁ、正一しょういちさんが連れてきたから、仕方なくだけどな」
「またまたー。俺が居ないと困るくせに」
「別に困らないし。切符の買い方くらい分かってるし!」

強がる愛も、方向音痴は否定しないようだ。多々羅が「はいはい」と笑って愛の隣に並べば、愛は「心がこもってない」と、不貞腐れながらも歩き出す。自然と歩く足並みも揃って、強がりの言い合いも、気づけば笑い声になる。


こんな風に過ごしていても、きっとまた迷い悩む時が来るのだろうと、多々羅は愛の隣でぼんやりと思う。
それでも、その度にこうやって会話を重ねていければ。今から恐れる事は何もないのかもしれない。多々羅は思い、機嫌の良さそうな愛の横顔に目を止める。隠された濁った翡翠の瞳、やはり多々羅はその瞳が見たいと思ってしまう。

愛に関わる事だって、分からない事はまだ沢山ある。それらがどんな物か分からないけど、その時は、やっぱり共に受け止められる距離にいたい。
傷ついたら繕って、結び直して、そうして積み重ねて、ゆっくりと。すぐには無理でも、いつか、愛が愛自身の事を認めてくれたら。

その日がくる事を、多々羅は願うばかりだ。



眩しい夏の日差しに多々羅は目を細め、愛の少し前を歩き振り返る。

「今日は飲みましょうか!」

そういえば、愛と酒を飲んだのは、多々羅の先輩であるさとしを交えての、あの一回だけだ。飲めない訳ではないだろうが、飲みたいと言われないので酒を買う事もなかった。多々羅も飲まなきゃ飲まないでいられるので、特に酒に誘う事もなかったが。
こんなお誘いをするのも、今日は少し浮かれているせいかもしれない。
だが、愛は少し不満そうに唇を尖らせた。

「酒かー。辛いものなら付き合える。最近食べてないしな」

どうやら、酒は飲めるが進んで飲みたいタイプではなかったようだ。そうか、愛は辛いものが好きなのかと、多々羅は苦笑った。多々羅はあまり辛いものは得意ではない、甘いものは好きだが。

「俺、辛い系はあまり…」

しかし、愛が好きなら、これからは辛い料理もご飯のメニューに組み込んでいこう。多々羅が心内で愛の情報を更新していると、愛が「ウマが合わないな」と、どこか寂しそうに呟いた。そんな愛に、多々羅は「まぁそこが良いんじゃないですか!」と、笑った。

「好みがバラバラでも、分かり合えたら楽しみも二倍じゃないですか。俺も、久しぶりにチャレンジしてみようかな…この辺、辛いもの食べれる店あるかな」

もしかしたら、食べられるものもあるかもしれない。そんな思いで多々羅が言えば、愛はきょとんとして、それから困ったように笑った。

「なんだそれ。多々羅君は、昔から変な奴だよな」
「一言余計ですよ」

楽しそうな二人のやり取りが始まれば、ヤヤも多々羅の肩で楽しそうに笑った。
多々羅は、愛の少し前で顔を上げる。明日もここで、多々羅も多々羅で居られる明日の為に。


宵ノ三番地、二人の帰る場所へ。
探しもの屋の日々は、これからも。








しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです

こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。 まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。 幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。 「子供が欲しいの」 「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」 それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

(完結)お姉様を選んだことを今更後悔しても遅いです!

青空一夏
恋愛
私はブロッサム・ビアス。ビアス候爵家の次女で、私の婚約者はフロイド・ターナー伯爵令息だった。結婚式を一ヶ月後に控え、私は仕上がってきたドレスをお父様達に見せていた。 すると、お母様達は思いがけない言葉を口にする。 「まぁ、素敵! そのドレスはお腹周りをカバーできて良いわね。コーデリアにぴったりよ」 「まだ、コーデリアのお腹は目立たないが、それなら大丈夫だろう」 なぜ、お姉様の名前がでてくるの? なんと、お姉様は私の婚約者の子供を妊娠していると言い出して、フロイドは私に婚約破棄をつきつけたのだった。 ※タグの追加や変更あるかもしれません。 ※因果応報的ざまぁのはず。 ※作者独自の世界のゆるふわ設定。 ※過去作のリメイク版です。過去作品は非公開にしました。 ※表紙は作者作成AIイラスト。ブロッサムのイメージイラストです。

五年目の浮気、七年目の破局。その後のわたし。

あとさん♪
恋愛
大恋愛での結婚後、まるまる七年経った某日。 夫は愛人を連れて帰宅した。(その愛人は妊娠中) 笑顔で愛人をわたしに紹介する夫。 え。この人、こんな人だったの(愕然) やだやだ、気持ち悪い。離婚一択! ※全15話。完結保証。 ※『愚かな夫とそれを見限る妻』というコンセプトで書いた第四弾。 今回の夫婦は子無し。騎士爵(ほぼ平民)。 第一弾『妻の死を人伝てに聞きました。』 第二弾『そういうとこだぞ』 第三弾『妻の死で思い知らされました。』 それぞれ因果関係のない独立したお話です。合わせてお楽しみくださると一興かと。 ※この話は小説家になろうにも投稿しています。 ※2024.03.28 15話冒頭部分を加筆修正しました。

王妃ですけど、側妃しか愛せない貴方を愛しませんよ!?

天災
恋愛
 私の夫、つまり、国王は側妃しか愛さない。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】真実の愛とやらに目覚めてしまった王太子のその後

綾森れん
恋愛
レオノーラ・ドゥランテ侯爵令嬢は夜会にて婚約者の王太子から、 「真実の愛に目覚めた」 と衝撃の告白をされる。 王太子の愛のお相手は男爵令嬢パミーナ。 婚約は破棄され、レオノーラは王太子の弟である公爵との婚約が決まる。 一方、今まで男爵令嬢としての教育しか受けていなかったパミーナには急遽、王妃教育がほどこされるが全く進まない。 文句ばかり言うわがままなパミーナに、王宮の人々は愛想を尽かす。 そんな中「真実の愛」で結ばれた王太子だけが愛する妃パミーナの面倒を見るが、それは不幸の始まりだった。 周囲の忠告を聞かず「真実の愛」とやらを貫いた王太子の末路とは?

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

処理中です...