瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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それから小一時間ほど。
愛と多々羅たたらは、なんだかんだ子供に混じって楽しんでしまった。あれほどまで熱視線を注いでいたヤギは、いざ餌を手に近寄れば、興味なさそうに目の前を通り過ぎていく。お腹がいっぱいになったのか、つれない姿に二人して顔を見合せ笑ってしまった。
それでも、ウサギは大人しく撫でさせてくれたし、アヒルの機嫌を損ねたのか、何故かくちばしでつつかれ始めた多々羅は子供達の笑いの種となっていたが、愛も楽しそうに笑っていたので良しとする事にした。


愛の気持ちも、幾分は軽くなったようだ。当初の目的をすっかり忘れ、笑い話をしながら公園を出ていくと、その直後、愛の体に何かが飛びかかった。

「うわ!」
「わ、ごめんなさい!こら、ショパン!」
「え、」

少し離れた場所から慌てた声が飛んできた。愛は、その声の主よりも、ショパンという名前を聞いて、足元に視線を向けた。愛の足元にいたのは、真っ白なポメラニアンだった。愛の足に何度も前足を掛けては愛を見上げ、嬉しそうに尻尾を振っている。その愛らしい姿を前に、愛は瞳を揺らし、戸惑っているようだった。

「愛ちゃん、大丈夫?」

子供の頃の愛は大きな犬が苦手だったと言ったが、犬自体は好きだと言っていた。足元でじゃれつくポメラニアンからは攻撃的な感情は見られないし、懐いてきて可愛いばかりだ。
それなのに、どうしたのだろう。多々羅は不思議に思いつつも心配そうに声を掛けると、愛は戸惑う瞳のまま多々羅を見上げた。

どうしよう、愛がそう言っている気がして、多々羅は困惑しながらその視線を受け止めた。単純に、ポメラニアンにじゃれつかれて困っているのではないように思う、だが、多々羅にはその理由が分からない。

「すみません!」

そうしていると、この犬の飼い主だろう青年が、慌てふためきながら駆けてきた。急いでショパンと呼ばれたポメラニアンのリードを拾って引っぱるが、小さな体は必死に抵抗して、愛から離れようとしない。吠えるわけでも牙を見せるわけでもない抵抗に、愛はもう一度多々羅に視線を向けた。その瞳は、戸惑いながらも、何か決心したようにも見える。愛は躊躇いを見せつつもその場にしゃがみ、嬉しくて仕方ない、そんな様子のショパンの頭を撫でてやった。ショパンは千切れんばかりに尻尾を振って、愛の胸に飛び込んだ。

「…人懐こい、ワンちゃんですね」

多々羅はその様子に驚きつつ、どこかぽかとしている飼い主の青年に話かけた。青年は焦ったように表情を緩め、申し訳なさそうに項垂れた。

「すみません、いつもはこんな風には…どちらかと言えば人見知りをするタイプで…」

そう話す青年は、人が良く爽やかな好青年といった印象で、リードを手放してしまった事についても申し訳なく話してくれていた。だが、愛に視線を向けると、その表情は不思議そうな、何かを探るようなものに変わった。
多々羅もその気持ちはよく分かる、愛のショパンを撫でる手は優しく、犬全般というよりも、ショパンの扱いに慣れているように見えた。普段、よその犬を撫でる手付きとはまた違う、その感触を知っているかのような優しい眼差し。だから、多々羅は青年も愛の事を知っているのかと思ったが、青年の様子を見る限り、そうではないようだ。その事を不思議に思っていると、青年が躊躇いがちに口を開いた。

「あの、もしかしてショパンのお知り合いですか?この子、初対面の人には全然寄っていかないんですよ。僕にすらこんな風に懐いてくれることもなくて」
「え?」

飼い主なのに?、という言葉を、多々羅は寸でのところで止めた。青年に懐かないというのは、飼い犬にも何か思うところはあるのかもしれない、世話をしてくれる人よりも遊んでくれる人の方が、飼い犬にとってのヒエラルキーが上というのもテレビで見たことがある。多々羅は動物が好きだが、ペットを飼った事がないので、詳しい事は分からないが、過度に反応してしまった事を、青年は不快に思っただろうか。多々羅は心配になったが、青年は苦笑うだけで、その気分を害した様子は見えなかった。

「僕、この子の家族にはこれから仲間入りするので、ショパンにとっては、僕が大好きな飼い主を取ったって思っているかもしれません」

青年は困ったように笑う。愛は、その様子を見上げ、それからショパンと目を合わせると、穏やかに表情を緩めた。

「…そんなことありませんよ。まだ、仲良くなる方法が分からないだけで、きっとこの子だって仲良くなりたいって思っていますよ」

その優しい言葉に頭を撫でられ、ショパンは頷くように愛の手にじゃれついている。愛は、ショパンに微笑みかけ、それから思い切った様子で立ち上がると、青年に視線を向けた。

「…この子、もしかして時野ときのさんのワンちゃんですか?」

その緊張した声色に、「え…?」と声を発したのは多々羅だ。時野とは、愛が会いに来た人の名前だ。多々羅が驚いて青年を見れば、青年も驚いた様子だったが、その表情はすぐに明るく染まった。

「はい!やっぱり、お知り合いでしたか!では、かえでの…?」

楓という名前に愛は頷きかけたが、すぐに戸惑った様子で視線を俯かせた。その様子に、青年も何か気づいたのか、躊躇いを含みながらも口を開いた。

「あの、もしかして…瀬々市ぜぜいちさんですか?」
「え?」

それには、またもや多々羅が反応してしまう。
何故、愛だと分かったのだろう、楓という人だって交友関係は他にもあるだろうに、今の状況だけで、愛だと分かるものだろうか。
青年は、愛だと確信を持っているようで、どこか焦った様子で愛に詰め寄った。

「あの、もしかして、楓に会いにきてくれたんですか?」

青年の勢いに、咄嗟に愛を庇うように前に出ようとした多々羅だが、その言葉に思わず足を止めた。次いで愛に視線を向けると、愛は明らかに動揺していた。

「…あ、えっと」
「あの、会って貰えませんか?彼女、後悔してるんです、あなたに酷い事を言ったって」
「……」
「お願いします!」

頭を下げられ、必死とも思えるその様子に、愛は困惑して多々羅を振り返った。何が何やら多々羅には分からないが、それでも、ここで多々羅が出来る事は一つだけのように思う。

「大丈夫ですよ、一緒にいますから」

多々羅の言葉は、ちゃんと愛の心に届いただろうか。
愛はきゅっと唇を引き結び、頼りなく多々羅を見つめていたが、やがて決心がついたのか、しっかりと頷いた。それから、気持ちを切り替えるように小さく息を吸って、青年に向き直った。

「…私も、会わなければと思って来たんです…会わせて頂けますか」

愛の言葉に、青年は安心した様子で表情を緩め、早速家へと促した。愛は彼に断り、足元でじゃれつくショパンを抱き上げた。ショパンは嬉しそうに愛の腕に収まっている。

「はは、凄いな。僕なんか全然…振り回されるばかりで。きっと、ショパンもあなたに会いたかったんだな」
「…こんなに歓迎されるような人間じゃないんです。私は…彼女を傷つけてしまいましたから」

その言葉に、腕の中のショパンは不思議そうな顔をして、それからペロリと愛の頬を舐めた。擽ったそうに肩を竦めた愛に、多々羅は不安を抱きながらも、その背中を追いかけた。




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