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しおりを挟む「正一さんは、わざと君に何も教えなかったのかもね。そうしたら、愛君は君に構わずにはいられないでしょ?」
「そんな…」
言いかけて、多々羅は正一の姿を思い浮かべる。正一なら、やりかねない。彼は少々強引で、でもその強引さに救われる事もある。正一はいつだって相手の事を考え、理解してくれていたからだ。
「愛君の瞳の事を知ってても、本当の事は何も知らない、そんな君が必要だったのかもね。
知ってたら線を引いてたかもしれないけど、何も知らなかったら、君は知ろうと踏み込んでくるだろうし、愛君も、何も知らない頃の君といれば、思い出してくれるのかもしれないってさ。恐れられる事なんて何一つない、愛君は普通なんだって、正一さんは、それを君に伝えて欲しかったのかもね」
そうなのだろうか。多々羅は、思い悩み瞳を揺らした。
その役目が自分で、その強引なやり方が本当に愛の為になるのだろうかと、まだ不安になる。
「…でも、愛ちゃんは俺を辞めさせようとしてました、心配だからって。それなのに俺は、ただ必要とされたくて、愛ちゃんに気持ちを押し付けるばかりだった。こんな俺が、ここに居ても良いんでしょうか…」
多々羅は家の稽古場で、弟の穂守の背中を見つめていた。学校や職場で、多々羅を囲う皆の視線は穂守に向けられていた。
あの頃の忘れていた思いが蘇ってくる。
皆と居るのに疎外感を覚え、自分は多々羅ではなく、誰かの何かでしかない事。それは、どこに居たって変わらない。愛の前に居ても、多々羅はもう、穂守の兄でしかない、優秀な弟を持った兄が、多々羅という事に変わりはない。
気持ちがどんどん揺らいでいく。人は簡単に変われない、何の為に愛の元へ来たのか分からなくなる、誰かの期待になんてそもそも応えられやしない事、そんな力がそもそも自分には無い事、こんな卑屈な自分が嫌いな事。
思い詰める多々羅の様子に、信之はそっと表情を緩めた。
「…多々羅君は、必要だよ。まっすぐ愛君に向かっていける君が、愛君には必要なんだよ」
信之の優しい声が、丸くなる多々羅の背中をそっと支えるようだった。
「ただ居るだけで良いんだよ。愛君は楽しそうだよ、君といて。今までは、平気な振りして取り繕っていたんだなって思うくらい、今は昔みたいに肩の力が抜けてる気がする。あんなに人の手は借りないって言い張ってたのにさ、本気で追い出す気なら出来るのに、それをしないじゃない。
他の誰かじゃなく、君が必要なんだよ。君には、昔から心を許してたろう?」
その優しい語りかけに、多々羅は先程見た夢の中、屈託なく笑う愛の姿を思い出していた。
あの頃の楽しかった思いが甦ってくる。だけど、それも小学生の頃の話で、それ以降は会うこともなかった。愛が今も、多々羅と同じように思ってくれているのかは分からないし、自信がない。
「愛君は、君の事が人一倍心配なんだ。君を失いたくないから」
その言葉に、多々羅は戸惑いながら、そろそろと顔を上げた。
「それ以外、理由はないでしょ?」
信之はそう言って笑った。信之の言葉は不思議だ、何の迷いも躊躇いもなく胸に届いてしまう。信之の信じるものが真実だと思ってしまい、多々羅は更に戸惑って視線を揺らした。
「でも、俺、愛ちゃんに無神経な事言いましたし、」
無くした自信と、新たに生まれた希望に戸惑う。嬉しいけれど、飛び込んで良いのかと二の足を踏む多々羅に、信之は少し眉を下げて尋ねる。
「多々羅君は、これからどうしたい?」
「俺は…」
ふと、夢で見た愛の顔が浮かぶ。最後に見た愛は、寂しそうに目を背けた姿で、愛が向かったのは、小さな二人が駆けていった場所。
多々羅は、ぎゅっと膝の上で拳を握った。
「俺は…、それでも力になりたいです。愛ちゃんの。心配させるかもだけど」
あんな顔させたくない。壁を作る愛を、一人にはさせたくない。
それを聞いて、信之は安心した様子で肩の力を落とした。
「そっか。なら、力になってあげてほしい。
本当は、不安な筈だからさ。坊っちゃんは臆病だから」
そう言って、信之は焦りながら「今のは内緒ね」と、愛が聞いてやいないかとドアの向こうの様子を窺うので、多々羅は笑ってしまった。
少しずつ、心が緩んでいく。
信之は照れ笑い、再び多々羅に向き直った。
「それにさ、僕も近くに居るから。何かあったらいつでもおいで。僕も力になりたいんだ。あ、でも、無茶はしちゃ駄目だよ」
信之はそう言って、知らず内に強ばった多々羅の肩を解してくれる。そして、支えてくれる。
一人で生きている訳ではない、多々羅も、愛も。
「ありがとうございます」
「ううん、僕も心配だし、多々羅君が来てくれて嬉しいんだ」
信之はそう微笑み、それから「あと一つだけ」と、続けた。
「こんな事無いに越した事ないけど、もし禍つものに取り憑かれた場合、自己防衛が出来るとしたら、一つだけ。しっかり自分の心を持って、揺らがない事。精神論になっちゃうけどね。でも、結局化身は、物の思いだから。もし襲われるような事があったとして反抗出来るのは、僕のような力や愛君の扱う道具は別として、強い思いを持って跳ね返すしかないんだ。それと、本来は見えない事が普通なんだから、それを忘れちゃ駄目だよ」
「はい」
多々羅は信之の目を見て、しっかりと頷いた。
そこへ、トントンと再びドアがノックされた。信之が返事をすると、ドアからそろそろと愛が顔を覗かせた。
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