瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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その後、多々羅たたらは忘れていた洗濯物を取り込み、リビングで二人は向き合ってお弁当を食べた。
一週間前に多々羅が来てから、あのゴミの山があったとは思えない程、部屋は綺麗になっていた。
二階の居住スペースは、階段を上がるとすぐ横にキッチンとリビングがあり、その奥に、トイレと風呂がある。階段の脇には廊下があり、そこを通って手前が愛の部屋で、奥が多々羅の部屋だ。階段は更に上に続き、屋上に出られるようになっており、洗濯物は屋上で干している。

今日買ったお弁当は、肉がたっぷり乗った牛丼だった。
多々羅が一人暮らしをしていた頃は、良くお弁当を買って食べていたが、愛はお手伝いさんも居るお屋敷で育った身だ、舞子も手料理を持って来てくれていたと言ってたし、こういった弁当は嫌だったらどうしようかと心配したが、愛は特別嫌な顔をせず、寧ろ美味しそうに頬張っている。食に関しては拘りが無いようだ。

「明日はちゃんと作りますね」
「多々羅君のご飯も美味しいけど、お弁当も美味しいよ。不思議だよな、スーパーで見た食材が、こんな風に変わるなんてな」

愛は、感慨深くきんぴらごぼうを箸で持ち上げた。それは一昨日、多々羅が作ったおかずの一つだ。弁当を広げて肉しかない事に気付き、冷蔵庫から余っていたおかずを共に並べた。きんぴらごぼうの他に、ほうれん草の和え物もある。やってみて分かった事だが、自分は意外と料理上手ではないかと、多々羅はちょっと得意気だ。

「はは、今度一緒に作りましょうか」
「そうだな、そういえば料理なんてしたこと無かったな…」

そこで多々羅は、愛が包丁を持ってキッチンに立つ姿を思い描いた。立ち姿は完璧、だが、手元は確実に危うい想像しか出来ず、絶対に愛を一人でキッチンには立たせないようにしようと、多々羅はこっそり胸に誓った。

「…瀬々市ぜぜいちのお家じゃ作る必要ないですからね。そういえば、皆さんお元気ですか?俺が行った時、家には正一しょういちさんと春子さんしか居なくて」
「…元気じゃないか?俺も会ってないから分かんないけど。皆、仕事で忙しいだろうし」

淡々と愛は話す。その表情からは穏やかさは消え、話す言葉もどこか無関心に聞こえる。そんな愛の様子に、多々羅は違和感を覚えた。
正吾しょうご夏枝なつえは愛の義父母だが、親には変わりない。姉弟の結子ゆいこ凛人りんとも同様に、愛が遠慮する事はあっても、彼らが愛と距離を置いていたとは思えなかった。多々羅から見れば、血が繋がらなくても、彼らは仲の良い普通の家族だった。
なのに、今の愛からは、家族と距離を取っているように聞こえる。
愛は、どうして家族と距離を取るのだろうか。

「そうなんですね…今度一緒に会いに行きましょうよ」
「…俺はもう、瀬々市とは関係ないから、多々羅君一人で会ってきなよ」
「そんな寂しい事、」
「関係ないから、この店を引き継ぐと決めたんだ。この店の仕事は、瀬々市と離した方が良いんだ」

突き放すように言う愛に、多々羅は反論しかけた口を黙って閉じた。黙々と食事を進める愛は、これ以上は話す事はないと言っているかのようで、そう思えば、愛との間に、また厚い壁が立ちはだかるのを感じてしまう。
多々羅は力なく視線を落とした。




実を言うと、多々羅は正一と再会したあの日、瀬々市邸からの帰り道で、愛の義姉、結子と再会していた。

瀬々市邸は高台にあるので、住宅が建ち並ぶ帰り道は、いつも下り坂だ。子供の頃の多々羅は、この坂を上る時はいつだって楽しかった、だって愛達と会えるから。だけど下る時は、いつも少しだけ寂しい。明日まで愛達とは会えないし、小学生も高学年になると、弟の穂守ほがみとの格差をより感じる事が多くなり、家に帰る事が憂鬱になっていた。

多々羅は、坂から顔を上げる。夕暮れが空を町を染め、多々羅が向かう明日を優しく包んでくれているように感じる。
あの頃とは、また違う感覚だ。この坂道の下りが、今は少しだけ希望に満ちていた。

そんな風に少しだけ前向きになれた夕暮れの帰り道、坂の下から、一人の女性が歩いてきた。
栗色の長い髪を後ろに結い、シルエットが綺麗なパンツスタイルのスーツ、手には鞄と一緒に有名なドーナツ屋の紙袋を持っている。
その姿を見て、多々羅は足を止めた。それに合わせるように、彼女も顔を上げる。二人の目が合えば、多々羅の中で、思い出と現実が瞬時に繋がっていく。そして、懐かしさに突き動かされるまま口を開けば、彼女も多々羅と同じ顔をして、「あ!」と声を上げた。

「たーちゃん!?」
「はは、ゆいちゃんだよね?」

お互い確かめるまでもなく分かり、懐かしさに頬を緩めつつ、互いに駆け寄った。
彼女は、愛の姉の結子、二十八才。幼い頃から美少女で大変愛らしかったが、大人になっても美しさは変わらず、それに加え色っぽくなった。背もスラリと伸び髪色も変わったが、面影はそのまま、優しく笑うその表情は変わらない。

「どうしたの?久しぶりだね!元気にしてた?」
「うん、結ちゃんは?」
「私も元気元気!ちょっと実家に顔出そうと思って、あ、うち寄って行ってよ!」
「あ、いや、正一さんに会って、今お邪魔してきた所なんだ」
「えーそうなの?おじいちゃんに先越されちゃったか…あ、ねぇ、まだ時間ある?」

多々羅が頷くと、結子は笑って「じゃあ、ちょっと寄り道に付き合ってくれる?」と、ドーナツの袋を掲げて微笑んだ。


    
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