瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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それから時間は過ぎ。リンクサイドのベンチの前で、ひとり憤慨する多々羅たたらがいた。

「店長!どういう事ですか!」
「どうもこうも良かったな、スケートが滑れるようになってさ」
「そういう事じゃなくて!」

リンクから上がり、多々羅はにっこり笑う愛を前に、地団駄を踏みたくなった。
この短時間の間で、多々羅は子供達にさんざん振り回された結果、持ち前の運動神経の良さを発揮し、スケートが滑れるようになっていた。子供達にも感激されるレベルまで上達したのだから、大したものだ。
とはいえ、多々羅としては、勝手に氷の上に放り出され、その後放置されていた事実は変わらない。だが、多々羅がいくら憤慨しても愛はどこ吹く風で、さっさとベンチから立ち上がってしまった。

「とりあえず、一旦切り上げよう。今は人が多いし、暗くなってからもう一度来た方が良いだろう」
「ちょっと!俺の話聞いてます!?」
「多々羅君のお陰で、とても有意義に時間を使えたよ」
「それ、俺が邪魔って事ですか!?それでも俺は帰りませんからね!」
「はいはい」

多々羅には、まだまだ言いたい事はあったが、愛は気にせずさっさと歩き出してしまう。不満を顔に貼り付けながらも、ここで置いていかれる訳にはいかないと、多々羅は急いで靴に履き替え、慌てて愛を追いかけた。

昔はあんなに可愛かった愛が、こんなに意地悪く育っているとは。愛と再会してから、こんな思いばかりが更新されていく。
だが、早速出口が分からなくなっている愛を見れば、胸に渦巻く不満も勢いを失くし、多々羅は溜め息を飲み込んで、愛を出口へと誘導するのだった。





それから、二人は適当に街を散策したり、カフェで時間を潰し、日が暮れた頃、再びスケートリンクに戻ってきた。
太陽が沈むと、涼しさを伴った夜風が、肌を心地良く撫でていく。昼間の暑さを知っているだけに、ほっとする涼しさだ。

「でも、店長。夜は貸切でしょ?入れるんですかね…忘れ物したって言えば入れるのかな」

建物の前で首を傾げる多々羅だったが、愛はそれには答えず、何故か入り口を素通りしていく。さすがの方向音痴でも、目の前の入り口を見失う事はないだろう。多々羅は困惑しながら、愛の後を追いかけた。

「どこに行くんですか?ネックレスを探すんじゃないんですか?」
「探しに行くんだよ。多々羅君がスケートで遊んでた間、それっぽいのを見つけたんだ」
「え?…ていうか、あなたが勝手に遊ばせたんでしょ!その前に俺は遊んでませんよ、どっちかって言ったら遊ばれてましたよ」
「それで、彼女が現れた方角を探してみたんだけど」
「聞いてないし…」
「清掃は入ってる筈だろ?だから、あんまり見なさそうなとこ、観葉植物の鉢の中とかしか見れなかったけど、やっぱり無くてさ。まぁ、自動販売機の裏は流石に見えなかったから、こっちを見て見つけられなかったら、中に入る方法を考えないといけないけど」
「こっちって、何処です?外ですよ、ここ」

愛が向かったのは、建物の裏側だ。スケートリンクの隣には別の施設の建物があり、二つの建物の間には、狭いが空間があった。そこには、人が入れないようにフェンスが立てられてあったが、愛は眼鏡を外すと、躊躇う事なくさっさとフェンスに足を掛けて中に入ってしまった。

「え、ちょっと!これ、不法侵入になりませんか!?」
「大声出すな、それこそ何か落としたとか言い訳すりゃいいだろ」
「えー…」

頭を抱えつつ、多々羅は仕方ないと、足を掛けてフェンスを飛び越えた。

「足元に注意して、何処にあるか分からないから」
「え?」
「それから、人が来ないか見てて」
「はい…」

多々羅は足元に注意しながら、フェンスの外側を伺う。陽が暮れて辺りは暗くなっている上、ここは隣の施設との間のスペース。男二人がやっと並べるかという位の、暗く狭い場所だ。入り口のある表通りと違って、フェンス前の通りは人通りもない、先ず人目につく心配は無いだろう。
建物の裏側は雑草が生い茂り、換気口や裏口のドア位しか見当たらない。そんな中、愛は地面に膝をつくと鞄を開け、中からパイプを取り出した。
煙草を吸う為のパイプだ。木の深い色は艶がある、よくある形の物だった。

「え、パイプ?煙草吸うの?」
「こんなところで吸う訳ないだろ。俺は煙草呑みは苦手だ」

確かに、愛が煙草を吸っている所は見た事がない。

「じゃあ、それは?」
「魔法の道具」

何の恥じらいもなく、愛はさらりと言いのける。多々羅は怪訝な表情を浮かべたが、黙っておくことにした。ここで言い合いになって、もし誰かに見つかって警察沙汰にでもなったら、正一しょういちに顔向け出来ない。
そう考えると、もしもという事もある、ここで誰かに見つかり不審者扱いされたらどうしようと、多々羅は内心ハラハラだったが、愛は気に留める様子もなく淡々と作業を進めていく。

愛は取り出したパイプを咥えると、今度は手のひらに収まるくらいの小瓶を取り出した。コルクの詮で閉じられたその小瓶の中には、金平糖のような可愛らしい粒が入っていた。愛はそれを一粒取ると、パイプのボウルに入れた。

「え、」

その様に、多々羅は驚いた。金平糖のようなものを入れただけなのに、愛の口元から白い煙が吐き出されたからだ。
驚いて固まっている多々羅をよそに、愛は、彩が名前と連絡先を書いた紙を取り出し、パイプの煙をその紙に吹き掛けた。紙に煙がかかると、どういう訳か、吹き掛けた以上に煙がどんどんと増えていく。煙は愛の手の中でもくもくと動き出し、紙を十分に包み込むと、白い煙はやがて灰色へと姿を変え、その煙は地面へと落ちていった。

「え、これ、どういう状況ですか?」
「すぐに形になる。野島さんの思いが強いならな」

困惑しながら、多々羅は愛に倣って地面を見つめる。少しすると、地面に止まった煙の中から足跡が現れた。よくイラストで見る、犬の足跡のような形をした、黒い跡だ。
だが、多々羅にはそれが見えない。見えるのは、地面に落ちて消えた煙の姿、そこまでだった。多々羅の目には、ただの地面しか見えなかった。

「上手くいったな」

ホッとした様子の愛に、何も見えていない多々羅は首を傾げるばかりだ。

「さ、行くぞ」
「え?今、何が起きたんですか?」
「多々羅君には見えないだろうけど、今、パイプの煙が、地面に足跡を作ったんだ。
このパイプに入れた鉱物には、物の思いを嗅ぎとる力がある。パイプは、その力を使う為の道具だ、煙にしないとその力は機能しないからな。
野島さんに書いて貰ったこの紙、それからインクには、彼女の思いを残す力がある。
この足跡が、ネックレスと持ち主の思いを嗅ぎ取り導いてくれるんだ。物には意思があるけど、持ち主とその物の思いというのは、同じ匂いがするものだから」
「…へ、へぇ…」

なかなか理解が追いつかないのも、見えない多々羅には仕方のない事だ。だが、例え見えていたとしても、なかなか現実として呑み込めなかったかもしれない。
愛の目には、地面に浮かび上がった足跡が、まるで本当にそこに犬がいて、匂いを嗅ぎ取っているかのように歩き回っている。うろうろと、暫しその場で右往左往した後、足跡は建物に沿って真っ直ぐ歩いていく。先に進めば進む程、フェンスと建物の距離が狭くなっていくので、愛達は窮屈さを覚えながら進んでいくと、雑草の茂みに差し掛かった所で足跡が止まった。足跡は、その場で円を描くように歩き続けている。愛は、その円の中にある雑草を掻き分けた。

「あった」

その雑草を掻き分けた地面の上に、星形をしたクリスタルのネックレスが落ちていた。

「え?本当に?」
「恐らくな」

愛はネックレスを手に、多々羅を振り返る。多々羅は、ネックレスが見つかった事もだが、何故こんな所にと疑問を感じずにはいられなかった。こんな建物と建物の間、先ず人は入らない。それこそ、犬や猫なら話は別だが。

「…駄目だな、出てきて貰おう」

愛はじっとネックレスを見つめていたが、ややあって肩を落とすと、もう一度パイプを咥え、その煙をネックレスへと吹き掛けた。
すると、先程の紙同様に煙がネックレスを包み込み、愛はネックレスから手を放した。通常なら、重力に従ってネックレスはすぐに地面に落ちていく筈。だが、不思議な事に、ネックレスは宙に浮いていた。

「え…」

まるで手品でも見ている気分になり、多々羅がぽかんとしていると、ネックレスを包む煙が瞬く間に膨れ上がり、それが愛達の背丈程まで達すると、その煙は一瞬にして消えてしまった。
多々羅が見えるのは、やはり、この煙が消えるまでだった。

「初めまして、お嬢さん。私は、“宵ノ三番地”店長代理の、瀬々市ぜぜいちと申します」

愛が微笑み、丁寧にお辞儀した。愛と向かい会う形で立っていた多々羅には、まるで自分に挨拶しているように見えただろう。だが、愛の翡翠の瞳には、二人の間に、もう一人、女性の姿が見えていた。





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