メゾン・ド・モナコ

茶野森かのこ

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「ここは昔、レストランだったって言ったろ?僕は昔、君のひいおばあさん…ヤヱさんがまだ若かった頃、彼女と彼女のご家族に、ここで世話になってたんだよ」
「え?」

なずなは、きょとんと春風はるかぜを見上げた。春風は神様だから、ヤヱの居た時代を生きていても不思議はないが、だとしても、春風がヤヱと共に居た事、ここがヤヱのいたレストランだという事、でも、手紙の住所は違う。

「ど、どういう事ですか?」

驚きながらすっかり混乱しているなずなに、春風は眉を下げて笑い、それから再び、賑やかな庭に目を向けた。

「僕は社を失った、行き場を失くした神だったんだ。それも貧乏神なんか誰も拾いやしない。きっと、彼女は哀れに思ったんだろうね、そんなに生きにくい役職なんかいっそ捨てて、人間として生きたらどうだ、ってさ。ここで働く気があるなら、ご飯も宿も用意してあげるって」
「…え、ヤヱばあちゃんが?」
「そう、僕は初めて言われたよ…神様相手に、人になって働けなんていう人間は、そういないでしょ」

当時を思い出したのか、春風は懐かしそうに頬を緩めた。
神様という春風を信じて、居場所がないなら人間として働け、なんて、ヤヱは随分逞しい性格をしていたのだなと、なずなが暫し呆気に取られていれば、春風はそんななずなの様子に気づいてか、おかしそうに笑った。

「彼女はそうやって、よく困ってる人達に手を差しのべていたんだよ。
春風という名前も彼女がつけたんだ、あなたはのんびりとそれで飄々としているのに、温かいから春風ねって。照れるだろ?そんなんだから、僕はすっかり彼女に魅了されてしまった」
「…そうだったんですね」

ヤヱが本当に神様の存在を信じたのかは分からないが、それが例え作り話でも、ヤヱは困った神様を見捨てられなかったのだろう。神様ではなく人間として、なんて、春風の言葉を誘い文句に使ったのも、春風の気持ちを思ってだろうか。軽やかな明るさは、するすると人の心に入っていく。春風にとっては、ヤヱのそういった人間性に魅力を感じたのかもしれない。

「勿論、添い遂げたいという類いのものではない、僕は腐っても神だし、彼女は人として幸せであるべきだと思った。
でも時代は流れた、経営難に立ち退き、その内に戦争が起きて、僕達は散り散りになった。それでも彼女は僕に託したんだ、もしこの時代を生き残れたら、またここで、共に店をやろうって。名前は、モナコ。僕らを導いた猫の名前だ。ふらふらしてた僕に近寄って来た猫が、彼女の家の猫だったらしくてさ、それで僕らは出会ったから」

春風は空を仰ぐ。風が時折、夏の空を優しく撫でていくようだ。

「でも、その時は来なかった。僕はあの場所を、彼女を失いそうになったけど、スズナリ君とレイジ君が、あの場所を守ってくれたんだ。
それで僕は、誰かの手にこの場所が渡らないよう、この土地を神隠ししたんだ。だから、いくら住所が合っていたとしても、この家に手紙が届く事はなかった。この土地は、あって無いような存在、皆その目で見えるのに、住所の上では無い事になってる」

それでは見つからない筈だと、なずなは脱力した。では、この手紙の住所は元から合っていたのだ。

「隠さないと、守れなかったんですか?」
「色々調べられるのも厄介だしね。それなら、建物自体は見えるから、この建物を妖向けのアパートにしようって、スズナリ君達から管理を任されたんだ。スズナリ君とレイジ君は、きっといつまでも待ちぼうけてる僕の事を不憫に思ったんだろうね。
アパートの名前をモナコにしたのは、いつか彼女がこの町に帰って来た時の目印になると思ったからなんだ。だけど、その時は来なかった」

春風は一度帽子の鍔に触れたが、思い直したようになずなに視線を向けた。
なずなは、春風が悲しんでいるかと思ったが、見上げた瞳は、揺らぐどころか、真っ直ぐと今を見つめているような、温かな強さがある。

「…そうして君に出会った。まさか、彼女が手紙を書いてくれていたとは思わなかったよ。すぐにその手紙が僕宛てだと気づいたけど…名乗り出る勇気がなかった。もう彼女と会えないことは分かっているのに、それを思い知るのが怖かった。だから、君を騙すような真似をしてしまったんだ」

悪かった、と謝る春風に、なずなは、慌てて首を振った。

「謝らないで下さい!あの時、春風さんに出会えなければ、私はずっとおばあちゃんの後悔を果たせないままだったんですから」

なずなはそう言うと、春風に待っていてと言い残し、アパートに戻った。手紙を渡す為だ。二階の部屋、いつも持ち合いている鞄の中に、白いハンカチにくるまれた手紙がある。

「そっか…この町に、ここに、ヤヱばあちゃんも居たんだ…」

感慨深そうになずなは呟いた。倉庫に眠っているテーブルを前に不思議な気持ちになった、あの感覚は間違いではなかったのだ。ヤヱと会ったような気がしたが、本当に繋がっていた、なずなは束の間、ヤヱに会えたのだ。
それを思えば胸が熱くなり、なずなは手紙を抱きしめると、ぐっと目元を擦って、アパートの庭へと戻った。そして、春風に手紙を差し出す。

「これは、春風さんへの手紙だったんですね」

だが、春風は手紙を前に躊躇っているようだった。

「…春風さん?」
「君のおばあさんも、彼女によく似た人だったね、目元がそっくりだった。月日が流れるとは、こういう事かと思ったよ。僕には時が流れるという概念があまりないからね。だけど…彼女の血を引いた君と出会えた事は奇跡でしかない、君と会えて良かった、ずっとここにいる意味を問うてきたけど…この為だったのかもしれない」

その表情は寂しそうで、先程は力強い温かさに満ちていた瞳も泣いてしまいそうに揺らいでいて、なずなは心が苦しくなった。
春風が、このまま消えてしまうのではと思ったからだ。
なずなは春風の手を取ると、ヤヱの手紙を握らせた。そして、その上から春風の手を握る。

「きっと、ここに居る皆の為ですよ」
「え…?」
「春風さんが守ってくれたから、ここはアパートになって、皆と出会えた。全ては、皆を繋ぎ合わせてくれた、春風さんのおかげです」

なずなは笑った。その綺麗な笑顔に、春風は見惚れそうになる。


「私、そろそろ準備していきますね。ヤヱばあちゃんとゆっくりしてて下さい!」

そう言って駆けていく姿を見送り、春風は手紙に視線を落とした。一体どれくらいぶりの再会だろうか、封を破る手が緊張で震える。
古く、今にも破れそうな封から、丁寧に手紙を取り出す。
そこには、確かに彼女の筆跡で、文章が綴られていた。

そのかすれた文字に、涙が滲んだ。






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