メゾン・ド・モナコ

茶野森かのこ

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「え、な、何、」
「ダメよ、女の子に乱暴しちゃ」

驚いて顔を上げると、マリンがなずなを庇うように立っていた。なずなの頭上を越えたのは、マリンの水だろうか。しかし、今のなずなにそんな事を考える余裕はなく、助かったという安堵からボロボロと涙が溢れ出した。既に腰が抜けているなずなは、「マリリンさん!」と、這いつくばってマリンの方へ向かおうとする、その横を、今度はギンジが駆け抜けていった。「え、」と、驚いてその姿を目で追いかけると、ギンジは炎の一部に覆い被さってしまった。

「火の玉の犯人はお前か!」
「ち、違う!俺は頼まれてやっただけだ!」

炎が嘘みたいに口を利いた。なずなは状況が飲み込めず、ぽかんとしていたが、その炎の中に何者かが居るのは確かだった。
ギンジに捕らえられた大きな炎は、徐々に人のような形になった。燃える面積が小さくなった分、より強い炎で燃えているように見える。その様子を見て、炎の中に誰かがいるのではなく、この炎自体が妖だったのだと気づいた。
暫し呆気に取られていたが、その炎の人型をギンジが素手で捕らえていると今更気づき、なずなははっとした。

「も、燃えちゃう、ギンジさんが…!」

思わずマリンに訴え掛けるようしがみついたが、マリンはなずなの頭を優しく撫でるだけだ。

「大丈夫、あれは本物の火じゃないから」
「え?」
「火を取り込んで体に投影出来るのよ。はるさんが言ってたでしょ?ほら、カメレオンみたく体の色を変えるみたいに、あれは形ごと、色々な姿に擬態出来るのよ」

再びなずなが目をやると、炎は急速に小さくなり、ギンジの手元には、三頭身の子供のような背丈の男がいた。頭と両手足がまだ燃えているが、火がついてない部分は、体が透き通って見える。
ギンジの姿に恐れてか、それともギンジが気づかぬ内に鉄槌を食らわせていたのか、火の玉男はすっかり気を失ってしまったようだ。ギンジは舌打ち、火の玉男を肩に担いで振り返った。

「とりあえず、こいつを連れて帰るぞ。お前は大丈夫か」
「は、はい」

あっという間の不可思議な出来事の連続に、なずなは呆然としていたが、ギンジに声を掛けられ、慌てて立ち上がろうとした。だが、その足にズキリと痛みが走った。コンクリートの上を靴も履かずに走ってきたせいで、靴下は擦りきれ、足の裏は傷だらけだった。もしかしたら、石か何かを踏んだのかもしれない、必死になって走っていたので、痛みに気づかなかった。

「あら大変、痛いでしょう…」

マリンはそう言いながら、なずなの足の裏に手をあてる。すると、清らかな水が溢れだし、傷口を洗い流してくれた。

「これじゃ歩けないわね…」
「二人を担げない事もないが…」

被害者と加害者を両腕に抱えるのは、なずなの気持ちを思えば抵抗があるのだろう。なずなにとってもそうだが、それに加え、ギンジに担いで貰うのは申し訳なかった。

「私なら大丈夫ですよ」
「駄目よ、人の子はか弱いんだから、傷からばい菌が入ったら大変でしょ?」

でも、と遠慮して、なずなが大丈夫と繰り返していれば、二人のやり取りを見て、ギンジは大きく溜め息を吐くと、ズボンのポケットからスマホを取り出した。

「あら、準備がいいこと。滅多に持ち歩かないのに」
「もし、火の玉に出くわして捕まえられなかったら、証拠を収めとけってスマホ持たされてたんだ、あって良かったな」

ギンジが電話を掛けると、フウカがすぐに来てくれるとの事だった。

「という訳だ、大人しく待ってろ」

ギンジは側のガードレールに腰かけた、帰らずに一緒に待ってくれるようだ。それ以前に、なずなの事なんて構わず放っておくか、火の玉男とまとめて抱えて帰るかしそうなものを、今はなずなを気遣ってくれてるようにも感じる。
これも、関係の前進かと、なずなは少し嬉しくもあり、これで更に皆の手を煩わせる事になってしまったと、申し訳なくも思った。

とりあえず道の端に避けようと、マリンが手を貸してくれた。先程まで痛みは感じなかったのに、冷静になると、ズキズキと痛みが増してる気がするのが不思議だ。足裏をつくと痛いので、爪先と踵を駆使して歩くなずなには、マリンの支えてくれる手は命綱のようだった。
「すみません」と、申し訳なく項垂れれば、マリンは柔らかに微笑んだ。

「なずちゃんが謝る事はないわ。それより、一体何があったの?」

マリンは心配そうに言いながら、なずなをガードレールに寄り掛からせた。ちょっとだけ足が楽になり、少しほっとする。

「家に帰ったら鍵が開いてて、中も荒れ放題で、そしたら、あの火の玉がいて、」
「それで襲われたって事ね」
「なんで鍵が開いてると分かった時、すぐ俺達を呼ばないんだ!」
「ご、ごめんなさい…!」
「あら叱っちゃダメよ、まさか、こうなるとは普通想像つかないものね…でも、今度は用心しないとダメよ、それか、私達の目の届く所に居ないと…なずちゃんは目をつけられちゃったんだから」
「え、」
「…認めたくねぇが、俺達のせいだな…、釈だが、早いとこ真犯人を見つけねぇと」

ギンジが舌打ちながら言う。深刻な様子のマリンとギンジに、なずなは困惑した。確かに、狙われるかもしれないと聞いてはいたが、まさか本当に自分が襲われるとは、先程まで思っていなかったのだ。目の前に立ちはだかる得体の知れない妖、もしマリン達が来てくれなかったらどうなっていただろう。それを考えれば、再び恐怖が駆け抜けて、体が震えてくるようだった。

「大丈夫よ、なずちゃん。もう大丈夫だからね」

なずなの様子に気付き、マリンはそっと背中を擦ってくれた。いつもはひやりと冷たいマリンの手が、今は温かくて、なずなは強ばった心がそっとほどけていくようだった。

「ありがとうございます、すみません」
「いいのよ、怖かったでしょう」

優しいマリンの声に鼻の奥がツンと痛んで、なずなは顔を俯けたまま頷いた。ホッとしたらまた涙が込み上げて、今度は涙が止まらなくて、そんななずなを、マリンは落ち着くまでずっと抱きしめてくれていた。




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