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しおりを挟むうっすらと目を開ける。炎が消えたお陰で、川の向こうの空が見える。暗がりの中、月がぽっかり浮かんで、まるであの夢の中のようだ。
「……っ」
苦しくなって、春翔は口に手を当てた。大丈夫、もう少しだけ持ってくれ、きっとこれで皆が傷つく事はなくなる。
ただ、心残りがあるとすれば、和喜だ。和喜と真尋のこれからを共に見れないのは残念だが、でも、大丈夫だと思い直す。二人の周りには、頼れる人達が沢山いる。
ごめんね、和喜。
開いた唇から、コポッと空気の泡が空へ上り消えていく。体の中でカゲの意識が騒めくのを感じ、駄目だ、まだ出てこないでと願うも、春翔の意識は遠退いていく。
最後に目にしたのは、揺らめく月明かり。綺麗だとぼんやり思うのも束の間、その月明かりを遮り、誰かがこちらに向かって手を伸ばすのが分かった。
誰だろう、まさか天使か、それとも死神だろうか。
ぼんやり思う春翔に手を伸ばす力はない、その体が静かに川の底へ沈んでいく。視界が暗闇に閉ざされ、春翔の意識が閉ざされようとした瞬間、瞼の向こうにキラキラと小さな煌めきが弾け、唇に何かが触れた。
あ、と思う間もなく肺に空気が行き渡る。うっすら目を開けると、目の前に深い緑色の、まるで宝石のような美しい瞳があった。
あの夢の中の少年だろうか。
少年にしては大きく力強い腕で春翔を片腕に抱き、彼は空へ向かう。掻き分ける水の中で、段々と月明かりに近づいていく。
僕は死んだのかな。
春翔のぼんやりした頭では、月だけが印象的に見え、まるで空を泳いでいるように思えたのだろう。春翔には、ここがまだ水の中だと分からなかった。
二人の体が水面へ出て、は、と大きく息を吸った瞬間、春翔の足が何かに引っ張られ、その体は再び川の中へ戻り、口から空気を吐き出した。細く長いロープのような黒い影が春翔の足から伸び、春翔を川底へと引き寄せようとしている。春翔が意識を失いかけた事で、その隙に、カゲが体の主導権を握ろうとしているのだろう。
春翔は再び体の中へ意識を下ろされ、体の内側で、カゲが春翔の意識を奥底へ送ろうと、黒い手で春翔の目を覆おうとする。だがそれにより、春翔も意識をはっきりと取り戻した。だけど、目を開けられない、カゲが体の中で、春翔の意識と体を離そうと邪魔をしている。このままカゲの手に春翔の心が覆い尽くされてしまえば、春翔の意識は完全に体の奥底へと沈んでしまう。
ここで負けられない、このまま眠る訳にいかない。
春翔は引きずり下ろそうとするカゲの手を懸命に振り払い、見えた光に暗がりから手を伸ばす。その中にゼンの姿が見えた気がして、春翔はぎゅっと胸が苦しくなった。
ゼンさん。
伸ばした手の先、触れた光の温かさに、春翔ははっとして目を開いた。水の感覚と、息苦しさ、開かれた視界に、春翔は体の主導権が自分に戻ったと知る。ほっとしたのも束の間、自分を抱きしめる男に気付き、春翔は慌ててその胸を突っぱねた。
緑色の綺麗な瞳に銀色の長い髪、夢の中の少年と同じ姿だが、目の前に居る彼は大人の姿をしていた。
彼が何者かは分からないが、自分を助けようとしてくれているのだろうかと、春翔は焦った。
まだ生きているのならいけない、君を巻き込めない、カゲはまだ、諦めてない。
息が苦しくて、徐々に力が抜けていく。再び意識を失いかけながらも、それでも自分の役割を貫こうとする春翔に、緑色の瞳は苦しそうに歪み、それから思い切り春翔を抱き締めた。逞しい腕に包まれ、春翔はふと、ゼンに抱き締められたことを思い出した。
縋るような瞳と温もり、ゼンを怖いと思ったのに、包まれれば安心してしまうのが不思議だった。子供の頃、ゼンとどんな話をしたのだろう、どんな日々を過ごしたのだろう。
ゼンさんに、もう一度会いたかったな。
春翔の手からは力が抜け、それと同時に、春翔の体を強い光が包んでいく。銀色の長い髪が川の中で揺れ、傷だらけの手は春翔を離すまいと強く抱き締める。
大丈夫だ、俺が絶対守るから。
呟きは泡と消え、彼は春翔の額に額を合わせる。願うように、祈るように閉じられた瞳、二人を包む光はやがて虹色に輝き、春翔の体の中に潜むカゲを月明かりの下へと溶かし出す。
何者かの悲鳴が聞こえ、次いで川に何かが飛び込む音が耳に届いた。光は徐々に弱まり、春翔の意識も次第に薄れていく。誰かの腕がこの体を川から連れ出そうと絡んだが、抱きしめる彼の腕が春翔から離れる事はなく、「本当、大した王子だよ」と、水面の上で苦笑いが聞こえた。
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