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しおりを挟むそれから春翔は、バッカスのマネージャーとして、忙しい日々を送っていた。
ライブハウスでの公演も客入りは上々だ。初めの頃は、共演アーティストのファンが流れでライブを観てくれるといったのがほとんどだったが、最近は、バッカスを観る為にチケットを買ってくれるファンと呼べる存在も増えてきた。それは、ストリートでの地道な活動を続けてきたせいかもしれない。インディーズとしてだが、CDの売上も上々、ウェブサイトやSNSのアクセス数も伸びており、以前出演させて貰ったライブハウスやイベントからの出演依頼も貰えるようになってきた。
そして、本人達の意識が変わったせいもあるのだろうか、バッカスとしてはプロデビュー前だが、個人として、モデルや役者のオーディションに受かるようになってきた。
和喜みたいな派手さはなくても、真尋には、思わず目で追いかけたくなる魅力がある。暗闇に佇む小さな星の煌めきのような、儚くも優しい存在感。ジュエリーブランドの広告には、星屑の中、優しく温かな微笑みを見せる真尋がいた。
和喜は舞台出演が決まった。脇役で台詞数は少ないが、運動神経の良さを存分に活かした立ち回り、出番が少ないながらも、その存在感は印象を残す事が出来るだろう。演技はまだ半人前だが、無鉄砲だが元気で心優しい少年の役は、和喜の性格とも合い、伸び伸びと板の上を駆け回っている。心配していた礼儀の面でも、リュウジと接するのとは違い、挨拶と敬語を扱えているので、兄としても春翔は安心した。
二人とも学生なので、もちろん学業をこなしての活動だ。自由な時間も練習や勉強に当てたりと、無理をさせていると思う事もあるが、二人は文句一つ言わず、夢への道に向き合っている。そして、とても楽しそうに歌を歌う。徐々にではあるが、知名度も上がり、この調子で認知度が広がれば、メジャーデビューもすぐそこかもしれない。
そうなれば、二人をもっと大きなステージに立たせてあげられる、二人の魅力をもっと多くの人に知って貰える事が出来る。和喜と真尋が活躍する未来は、春翔にとってはこの上ない喜びで、マネージャーとして仕事を更に頑張ろうと没頭すれば、いつの間にか月日は流れ、鈴鳴川の一件から、早くも三ヶ月になろうとしていた。
季節は春から夏へと移った。だが、いくら仕事に没頭しても、あの日の出来事を思い返さない日はない。現実離れした出来事だったからというのもあるが、あの日からまた、同じ夢を毎日見るようになった。あの夢の中の少年と水の中にいる夢、しかし、以前と違うのは、その夢にゼンが登場している事。そしてゼンの操る青い炎が、少年を焼き尽くすかのように覆い尽くす事。
目覚めは毎日、最悪だった。
「お帰り!春ちゃん」
仕事を終えて寮に戻ると、珍しくエプロンをつけたユキが出迎えてくれて、春翔は驚いた。
「ユキさん!今日はどうされたんですか?」
「いやー、いつも頑張ってる春ちゃんに、労いを込めてちょっと料理でも振る舞おうかなーって思って」
「なにが料理だ、じゃがいもの皮剥きもろくに出来ない奴がよく言うよ」
ユキに背中を押されてリビングに行くと、キッチンにはリュウジがいて、呆れ顔で鍋をかき混ぜていた。
「うるさいよ、リュウ。俺が手伝ってあげたんだから、少しは有難がったらどうなんだい?」
「何が手伝っただ。お前のは、ありがた迷惑っつーんだよ、余計な手間掛けさせやがって、カレー作るだけで何時間かかったと思ってんだよ!」
「はいはい、やだねー細かい男はー」
「なんだと!?」
「も、もう、二人共、喧嘩はやめて下さいよ!」
いつもの事だが、止めないといつまでも言い合いを続ける、この二人も相変わらずだ。ユキは、ふん、と顔を背けると、勝手知ったる我が家のように、リビングのソファーにどっかりと腰掛けた。
あの日から、ユキは以前にも増して寮を訪れるようになった。
ほぼ住み着いていると言ってもいい。真斗もユキ程ではないが、頻繁にご飯を持って訪ねに来てくれている。どちらも春翔を心配しての事だろう。しかし、皆が気をつけろと言ったような事が身の回りで起きる事はなく、あの悪夢さえなければ、寮で共に過ごす仲間が増え、より賑やかさを増した平和な日々だった。
「あ、まだ居たのかよユキ」
「和喜、“ユキさん”でしょ、それにその口の利き方…!」
階段から聞こえた声に振り返れば、不機嫌顔の和喜と、困ったように笑う真尋が下りてくる所だった。春翔が和喜を叱るも、和喜はふいっと顔を背けてしまう。
もう、と溜め息を吐いた春翔に、「いーよいーよ春ちゃん」と、ユキが春翔の肩に腕を回すものだから、和喜はまたキャンキャンと騒ぎ始め、ユキは面白そうに笑っている。完全に和喜をからかって楽しんでいるユキに、春翔は小さな溜め息を吐くしかない。そんな中、真尋はぼんやりと皆の様子を眺めている。いつもなら和喜を宥めたり、たしなめたりするのに、何か思い悩んでいる事でもあるのか、心ここにあらずといった感じだ。
「まひ、」
「ほーら、じゃれあってないで飯にするぞー」
春翔が声を掛けようとしたタイミングで、リュウジの声が響いた。真尋ははっとした様子で顔を上げた。
「和、春さん困らせたら元も子もないじゃない」
まだユキに噛みついている和喜をたしなめに行く真尋は、もういつも通りの表情を浮かべていた。それから率先して料理を運ぶのを手伝う真尋に、春翔は後でそれとなく聞いてみようと思い直し、夕飯の準備の手伝いに向かった。
キッチンで準備が進む中、そちらに向かおうとした和喜の背中に、ユキはのし掛かるようにして引き止めるので、和喜はまた顔をしかめて振り返った。
「重てぇんだけど!」
「まあまあ」
「まあまあじゃねぇよ、なんだよ!」
「最近頑張ってるみたいだね、無理してないかって兄ちゃんも心配してたぞ」
すると和喜はピクリと反応し、不機嫌さを幾分和らげ唇を尖らす。
「…兄貴が?」
にっこり微笑み頷くユキは、内心、ちょろくて心配だと思いつつ話を進めた。兄が弟の体調を心配しているのは嘘ではないが、春翔の名前を出しただけで、大体和喜は大人しくなる。
「学校も休まずじゃん。勉強も頑張ってるだろ?」
「ま、まぁな。俺、頑張るって決めたし」
「偉いよなー、真尋は学校ではどう?あいつの事だから要領よくやってそうだけど」
「…まぁ、うん」
「なんだい?歯切れ悪いね」
「あいつ、最近ぼんやりしてるんだよな…。前は色々話してくれたんだけど、最近はなんか…ちょっと変だ」
「そっか…真尋も悩みとかあるのかな」
「あ!俺が言ったとか言うなよ!つーか、ユキは首突っ込まなくていいからな!あいつの相棒は俺なんだから、俺がちゃんとする!」
「はは、分かった分かった」
くしゃりとユキが和喜の頭を撫でれば、和喜は再び元気よくユキに噛みつき始めた。和喜も真尋の力になりたいのだろう、いつも真尋には世話をかけている分、真尋の為に力を尽くすのは、きっと自分でありたいのだ。大切な相棒だから。
そんな思いが垣間見れて、ユキは温かな気持ちを覚えながら、キッチンにいる真尋に視線を向けた。その視線は思案気に揺れていたが、和喜に気取られる事なく、ユキは和喜の背中を押し、皆の待つ食卓へと向かった。
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