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ドア
しおりを挟むドンドンドン
部屋の中にそんな音が響き渡り、私は目を覚ました。
母さんか?なんだ、こんな朝っぱらから。
まだ眠気が冴えない頭にそんな考えが浮かんだが、私はすぐにそんな考えに違和感を覚える。
違和感を覚えると、私は徐々に眠気が冴え、ここは私が住むアパートの一室で母はいないことに気がついた。
私は恐怖に包まれ、布団の中にいるはずが水風呂に浸かったように寒くなった。
ドンドンドン
また聞こえてきた。寝室のドアの方からまただ。あの太鼓を叩くように力強い音が。
音が聞こえると私は顔が覆い隠せるように布団を上に引っ張る。そして、目を力強く閉じる。
私の視界は真っ暗になり、何も見えなくなる。却ってそれが恐怖を一段と際立たせる。
しかし、それなのに私は目を閉じたまま動けない。
人間の本能的なものなのだろう。
私はそのままじっと布団の中で息を潜める。息を潜めると言っても、いつもより荒い息であった。
そんな息遣いをしながら私は布団の中で思考を巡らせる。
ドアを叩く奴は一体誰だ?泥棒か?いや、そもそもな人間か?一体何なんだ?
そんな思考の中、私はふとアパートの間取りを想像してみる。
アパートの三階にある私の部屋は、玄関から部屋に入ると目の前には一本の廊下が伸び、突き当たりにリビングとキッチンが、そして、その手前の右側にトイレと浴室、そしてその真反対に今、私がいる寝室がある。至って普通の間取りである。
あ。も、もしかして!?
私は突然、あることを思い出した。そして、真っ黒に染まった私の視界に走馬灯のように過去のことが浮かび上がる。
三年前、私は転勤してきたため新たに新居を構える必要があった。そして、色々な所を内見した結果、今のこの部屋に決めたわけだ。
そう、その時だ。この部屋にすると決めた時、不動産屋が言った言葉。
「ここ、事故物件なんです」
詳しく聞けば、六年前(今からすると九年前)に一人、女性がリビングで首吊り自殺をして亡くなっているとのことだった。
私はそれを聞き、どうするか悩んだが、他の所より安く、駅からも近かったのであまり気にすることなく、ここを選んだのだ。
それから、三年経った今。そう、今になっていきなりである。
私は布団の中で自分の荒い息に耳を傾けながら、目を瞑りながらじっと体を動かさずにいる。
また、あの音が聞こえるかもしれない。
そしたら、ドアが開いてペタペタと足音が聞こえてきて、私の元へあの自殺したという女が……。
私は自分が考えた最悪なことにより恐怖を覚え、また力強く目を瞑る。
どれくらい経っただろうか。
ふと、そんな考えが浮かんできた。
体感上は数十分と言っていいほどであった。
しかし、これは危機的状況に陥った人間の自分勝手な考えであり、その点を踏まえて
きっと五、六分程だろう
と私は考えた。
しかし、それでもである。
私は今すぐにでも目を開きたくなった。目を開くくらいなら大丈夫と思ったのだ。
しかし、もしかしたら目を開けると目の前に女の顔が。
そんな考えも浮かんでしまい、私は目を開くのに躊躇ってしまう。
だが、その躊躇いが目を開きたいという欲をより一層強くさせた。
そして、とうとう私は目を開いた。
普段、意識しない目を開くという行為を爆発物の導線を切るように慎重に行う。
目を開くと布団の白い生地が目に入る。
どうやら女の顔はなかった。
私はゆっくりと布団を顔から下ろす。
そして、目でドアが見えるくらいまで布団を下ろすと目線だけをドアに移す。
目線の先にはいつものオーク製のドアがあった。
至って普通のドア、何の音も聞こえないドア。
私は数秒間、ドアを見つめる。しかし、何の音も聞こえてこない。
自分の聞き間違いか?
そう思い、私は体を起こそうとした。
その時だった。
コンコンコン
乾いた音が聞こえた。さっきの力強く太鼓を叩くような音ではなく、何か小さな物を落としたような乾いた音。
そんな音がドアの方から聞こえたのだ。
私はすかさず、布団で体全体を隠す。そして、また力強く目を瞑った。
最初とは全く種類の違う音に私はまた恐怖を覚えた。一時は消え去りそうだった恐怖が何倍にもなって私を襲い始めたのだ。
私は小刻みに震える体を丸め、どうにか嫌なことが起こらないことを祈る。
息も先ほどよりも荒々しくなる。
コンコンコン
またあの乾いた音である。そして、その音が鳴り終えると同時に
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドドンドンドンドンドドンドンドン
とまた最初の音が今までよりも力強く、そした鬼気迫るようなスピードで鳴り始めた。
私は泣きそうになった。
大人という年齢にはとうの昔に達しており、泣くことなどないと心の奥底で思っていたのが、今のこの非現実的な状況に子供のようには泣きそうになる。
カチッ
突然、あの音が鳴り響く中、ドアの方からそんな音が聞こえた。そして次に
ガチャッ
とドアノブをひねる音が聞こえた。
ドアが開いた。
直感的に私はそう思った。私の頭は中にはその一言しか存在しなくなった。
ドアが開き、私が想像した通り、ペタペタと廊下を裸足で歩く音が聞こえてくる。
その音は徐々に近づき、部屋の中に入ってくる。
ペタペタペタ
一定のスピードでその音は徐々に大きくなっていく。
ペタペタペタ
そして、その音は私のすぐ近くまで来るとピタリと止んだ。
私は布団の中で心臓が爆発しそうになる。荒い息を無理やり止めて、息を潜める。
「••••••エタ。••••••ウ」
突然、私の耳に女性の細々しい声が流れ込んできた。
私はその声に我慢ならず
「うわあああああ!!!」
と大声を出して、手足を暴れさせた。
目を瞑り、私は我武者らに体全体を使い、ベッドの上で暴れ続ける。
暴れ続けていると私は体の軸を失ったようにベッドから転げ落ちた。
すぐに私は体を起こし、部屋の中を見渡す。
部屋の中はいつもの空間で窓からの陽光が部屋を明るくさせている。
いつもの部屋の様子に呆気に取られていると、私はドアのことを思い出し、ドアの方に目をやる。
ドアは開いていた。
聞き間違いなどではなく、やはりドアは開いていた。
私は恐る恐るドアの方に近寄る。
ドア手前まで行くと、私は驚いた。
ドアのロックが開けられているのだ。
寝室のドアは寝室側からロックをかけられるようになっている。要するにロックがかかっている状態だと廊下側からは開けられないのだ。
そこで私は思い出した。あの不自然な乾いた音を。
あの音は最初の音とは全く持って種類の違う音であった。そして、より近くで聞こえた気がしたのだ。
そう、あの乾いた音は寝室内のドアから鳴ったのだ。
そして、その次になったあのカチッという音。あれはロックを解錠した音だった。
待てよ。
私はあることに気づく。
そうなったら寝室内に……ナニカがいたってことか?
私はまた恐怖に包まれる。
寝室にはナニがいたんだ?そもそも、何で廊下からも寝室内からも音がするんだ?
自殺したのは女一人だけじゃなかったのか?
そんな考えを持っていると私はあることを思いつく。
あの不動産屋なら何か知ってるかも
あの時、ここが事故物件だと言ったあの不動産屋なら何か知っているかもしれないと考えた私はすぐに不動産屋へと向かった。
日曜ということもあり、もしかしたら定休日かもと考えていたが、意外にも不動産屋は開いていた。
「いらっしゃい」
不動産屋は入ると聞き覚えのある声が聞こえた。
そして、店の奥から見覚えのある腰を曲げた高齢の男が現れた。
「あれ?どうしたの?」
私を見るなり、不動産屋は尋ねた。私はその質問を適当にはぐらかし、早速、本題に移行した。
「あの部屋、女性が自殺しただけじゃないんじゃないんですか?」
私の言葉に男は一瞬、目を見開いたが、すぐにまたいつもの顔になった。
何か思い当たりがある、というのはすぐに分かった。
「何か、あったんだね?」
シワだらけの口元から真剣な様子の声が聞こえてきた。
私はその言葉に一つ頷いて見せた。
私の反応を見て不動産屋は「来なさい」と一言告げた。そして、店の奥へと向かったので、私もその跡を追った。
店の奥には応接間があり、私はそこにあったソファに腰掛けた。
男は対面のソファに座った。
「ふむ。……どこから話そうか」
男はそう切り出すと少し悩んだ後、口を開いた。
「まず、あの部屋には元々、自殺した女性ともう一人、子供が住んでいたんだ」
「子供?」
私がそう聞くと男はゆっくりと頷き
「ああ、その自殺した女性の一人娘さ。まだ小さくてね、本当に可愛らしい子だったよ」
と懐かしむような口ぶりで答えた。
「それで、その子供が何か関係が?」
私がそう尋ねると、男は真顔になり言葉を並べ始めた。
「その子供はね。自殺した女性よりも前に亡くなったんだ」
「前にですか」
「そう。今から十年前、あの子がまだ三歳の時だった。夏真っ盛りのその日は特に暑くてね。気温も三十度後半だったんだ。そんな日に悲劇が起こったんだ」
「悲劇、ですか」
「ああ、そうだ。あまりにも残念なことだった。その子が部屋で熱中症で亡くなっていたんだ」
「部屋の中?お母さんは、いなかったんですか?」
「ああ、仕事で忙しかったらしくてね。他の人に預ける宛もなく、仕方なく家に置いていたらしい」
「だとしてもですよ。クーラーとか、つけてなかったんですか?」
男はそこで口を閉ざした。私の言葉の中に何かを見つけたようだった。
そして、男は一つ咳き込み、口を開いた。
「そこが残念なことだったんだ。その日、あまりの暑さでその地区の電気施設がショートしてしまってね」
男の言葉に私は思わず
「まさか」
と口走る。
私の言葉に男は「そのまさかだよ」と言って見せた。
「停電したんだ。すぐには直ったらしいんだけど、あそこのアパートはなんせ古いもんだから停電した後、もう一回ブレーカーをつけなきゃいけなかったんだ。しかし」
「三歳の子供がブレーカーなんてつけられなかった」
私がそう言うと男は一つため息を吐いて
「そう。そもそも、あのアパートのブレーカーは子供が届きようもないところに備わってるからね」
と言った。その口調はどこか残念そうであった。
「……子供は部屋から出ようとしなかったんですかね」
「そうだねぇ。あの子はとても律儀な子で親の言うことは絶対守る子だったから。多分、お母さんが部屋からは出ないようにとか言ってたんじゃないかな?」
「そう….ですか」
私はそう返すしかなかった。
かなり重い話を聞かされ、何と返したらいいかわからなかったのだ。
「そして、子供がリビングで亡くなっているのを仕事から帰ってきたお母さんが見つけたんだ。それからはもう」
男はそこで言葉を詰まらせた。男にとってもかなり重い過去なのだろうと私は思った。
「それで、君は一体何を経験したんだい?」
男は話題を変えるように私がここにきた目的について聞いてきた。
私はその言葉に従って今朝、起こったことを話した。
私の話に男は至って真面目に聞いてくれた。
「と言うことがあって」
「ふむ」
話し終えると男は少し考え込んだ。
何か思い当たる節でもあるのかと私が思っていると、顔を下に向けていた男が突然、顔を上げて私の方を向いた。
「思い出した」
そんなことを言った男に私は
「何をです?」
と問うた。
すると、すぐに男は話し始めた。
「ある日、私が部屋の様子はどうか伺いに行った時があってな。その時に、今、君が寝室として使っている部屋のドアで遊んでいる子を見たんだよ。確か子供が寝室側から鍵をかけてノックを三回鳴らしたら廊下側からノックして、そして、子供がドアのロックを外す、みたいな遊びをしてたと思うんだ」
「なんか特殊な遊びですね」
「いや、そうでもないさ。あの部屋にロックがかかっているのはあの寝室の部屋だけだ。それだけで子供からしたら特別なものに見えるのだろう」
私は男の言葉にどこか納得できる部分があった。
「確かにそうですね。なら今朝のあれはその、まあ、幽霊達による遊び?だったってことですかね?」
そう言うと男はまた考え込んだ。そして、また少し経って口を開いた。
「どうだろうね。遊びという見方もできるし、もしくはお母さんが子供を見つけるためにとか」
男の言葉に私はハッとあることを思い出した。
ドアが開き、私が布団の中で恐怖で身を震わせていた時、
「••••••エタ。••••••ウ」
という言葉を聞いた。
今、男の話を聞いて分かったがあれは
「会えた。ありがとう」
と言っていたのかもしれない。
だがしかし、何故、今頃になって母は子供を迎えにきたのだろうか。何か理由はあるのだろうか。
それに何故、寝室なのだろうか。何故、寝室に子供の霊がいたのだろうか。
とそんなことを考えたが答えなど出るはずもない。
この世を生きる人間にあの世の霊のことなど分かるはずがないのだ。
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