ぼくに毛が生えた

理科準備室

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第21話 今日の日はさようなら

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 1階西の男子児童便所でから戻ってきて、ぼくは小学校最後の5限と6限の授業を受けた。授業といっても、どの教科も教科書の終わりまで行ってしまっていて、家族や趣味の登山のことや、もう来月から始まる中学校での生活についてのO先生の長い雑談とドリルの残りの部分をつぶす自習がほとんどだった。
 O先生の語った穴実市立穴実中学校(略してあなちゅー)での中学生生活は、前から何度も聞いてぼくも多少は知っていたけど、やはり本当に暗黒の世界でゆううつなものだった。制服に男子は丸刈り、部活参加強制でしかも吹奏楽部を除いて運動部だけだった。しかも部活の先ぱいに対して命令は絶対服従で敬語を使い、名前も親や教師は呼び捨てにしても部活の先ぱいだけは「さん」付けで呼ばなければならなかった。
 それに、あの大嫌いな年度末恒例の全校での卒業式の練習がそろそろ割り込み始めてきて、今日も1限はそれでつぶれた。それに全校で行う卒業式の練習の他に、ぼくたち6年生限定で卒業証を受け取る練習というのが始まっていて、それで2時間目がつぶれた。
 卒業証書を受け取る練習になると、O先生はただの時間つぶしになった一般の授業の分だけハッスルしているかのように、受け取って頭の下げる角度が浅いだの、視線を他のところにむけるなだの、いろいろ細かいところに注文をつけた。
 そんな感じだから、このところ、ぼくは先生に頼まれて授業の途中で教材を国語教材室などに行くことはなくなっていた。もう教科書が終わってしまった以上、もう、ないだろう。だから、その途中で1階西の男子児童便所に行って、つとくんのように授業を抜け出してうんこしに来る1年生をのぞくことはできなくなっていた。
 その代わりに、ぼくがうんこしたくなっていた。4年生のときのようにお腹を壊してタマゴトジじゃなかったから、まだ授業を抜け出してくまでじゃないけど、熱いようなうんこのかたまりはたびだびおしりの口ののどの奥から授業中にもずっしりと込み上げてきた。
 ぼくはそのたびに口を慌てて占めるけど。そのかたまりに朝や昼食べた分が加るのかだんだん大きくなって重苦しいものになっていくのが感じられた。ただ、ぼくにとってそれは4年生の時と違って恥ずかしさや不安だけじゃなくてどこかうれしさを感じさせてくれるものでもあった。
 うんこがしたくない状態で合唱の練習の後に1階西の男子児童便所に行ってもただののぞきに似たようなだけど、本当にそこでうんこするしかないくらいになるまでガマンしてから、そこに行けば、ドア全開でしていたあの子や、つとくんなどのそこでうんこしていた1年生たちと同じになれるはずだった。
 合唱の練習で歌いながらうんこをガマンして、家に帰ってからするというのはこれまで何度もあったので、今回もそれには自信があった。
 ただ合唱の練習が終わった後に1階西の男子児童便所に行くことが不安だった。
 合唱部の練習は校舎の2階の一番奥の音楽教室でするけど、放課後そこで練習するときはランドセルのように下校時に身に着けるもの一切を持っていくきまりが合唱部にはあった。それは部活が終わったら、放課後無人になった教室に戻らずに帰るためだった。それらを音楽室で身に着けて、東の階段を降りれば1階の4年生~6年生用の東玄関はすぐそばだった。

 そんな中でぼく一人が1階西の男子児童便所が向かえば怪しまれることは確実だった。怪しんで誰かぼくの後を付けてくるかもしれなかった。でも、ぼくが1階西の男子児童便所に行くことは誰にも気づかれたくなかったし、そのときは合唱部のみんなも含めて校舎にぼく以外の誰一人いないようになってからうんこしたかった。

 そう思ったときぼくの視線には、1年生に給食を配るときに着るぼくの白衣が入った白い給食袋が目についた。今日、これを家に持ち帰って洗濯して、来週の月曜日に持ってこなければならなかった。そうだ、音楽教室に行くときにこれを教室に忘れたことにしよう! 
 そして、部活が終わって、みんなが西階段を降りて玄関に向かう中で、ぼく一人が反対に給食袋を「忘れた」6年2組の教室に戻って給食袋を拾い、それから誰もいなくなっている3階の廊下を歩いて1階西の男子児童便所をめざせばよかった

 そして教室の掃除と「終わりの会」が終わると、ぼくは最後の合唱部の練習のため。音楽室に向かった、音楽室は2階の東の端にあり、ぼくの6年2組の向かい側の東階段を降りればすぐだった。
 途中、ランドセルを背負ったおきゅう部のテルヒロやヨシオやキヨシが「じゃあな!」といって駆けながら歩いているぼくを追い越し、東階段を駆け下りていった。彼らはもう卒業を控えておきゅう部を引退し、まっすぐ家に帰るところだった。彼らは大会の夏ごろまでは合唱部の活動が終わる夕方の5時を過ぎても学校に残り、7時~8時くらいまで毎日練習していた。
 でも、今、彼らはもう中学校への進学を控えて部活を引退し、授業が終わると家へ帰っていた。残された4年生や5年生もシーズンオフで、冬でグランドも使えないこともあって、簡単な体操をして5時くらいで切り上げていくはずだった。
 水泳部など他の部活も同じで、彼らはぼくを追い抜いて帰っていった。
 最後まで校舎に残るのは年間を通して6時まで練習するぼくたち合唱部だけだった。つまり合唱部が終われば、学校には児童は誰も残っていないわけで、それからがぼくのうんこタイムだった。

 4時になると「今日の日はさようなら」にのせて「穴実小の皆さん、本日の放送はすべて終了しました、下校時刻です。忘れ物のないようにお気を付けてお帰りください」というその日の穴実小の校内放送のおわりのアナウンスが校内に流れた。これが聞こえたあとは児童会や部活の活動に参加していない児童はすぐに帰宅しなければならなかった。

 しかし、それはいつもの合唱部の放課後の活動の始まりでもあった。校内放送が終わるとT先生のピアに合わせて「きりつ、れい、ちゃくせき」をして、ぼくたち6年生にとって最後の合唱部の練習が始まった。最初に発声練習をして、月曜日の全校集会に歌う「3月のうた」ロシア民謡「カチューシャ」のおさらいをした。ちなみに「2月のうた」もロシア民謡「トロイカ」で、この時期はロシア民謡が続くのが穴実小の毎年だった。

 続いて卒業式に歌う「穴実市立穴実小学校校歌」と「ふたば児童会歌」と「蛍の光」の練習をした。これらを卒業式で歌う時はみんなの見本としてぼくたち6年生を含む合唱部全員が体育館の壇上に上がって歌うのが穴実小の卒業式だった。

 この3曲の練習が終わるともう5時だった。外を見ると練習を終えた水泳部やおきゅう部の4年生5年生の子が真下の東玄関から出ていくのが見えて、今校舎にいるのは本当に僕たち合唱部の子だけになった。

 そんな中でぼくのおしりの口の中はもううんこがいっぱいになっていて、うんこがおしりの穴を押し開こうと懸命になっていて、それはちょっと痛みさえ感じるようになっていた。いくら飲み込もうとしてももう奥にはいかず。練習の終わりまではもちこたえられそうだったけど、家までガマンするのは無理だった。ぼくは練習が終わったら本当に学校でうんこしなければならないところまで行っていた。

 それまで練習を始める前くらいはまだ学校でうんこするのは恥ずかしいとかバイキンだ、あのとき学校でうんこしていた1年生は赤ちゃんみたいだ、できれば家でうんこするのが正しい穴実小の子どもだ、みたいな考えは多少残っていたけど、今はぼく自身がここまでガマンしたから、1年生と同じになることを自分に対して許すというところまで行っていた。
 ぼくは校歌や児童会歌を歌いながらこれから行く1階西の男子児童便所の昼休み見たあの真っ白い便器を、あそこに行けばラクになれると何度も繰り返し思い出していた。

 そして4年生5年生が「1年生を迎える会」で歌う「野ばら」と「たのしいね」を練習すると、練習をしめくくる最後の曲として「遠き山に日が落ちて」と「今日の日はさようなら」を歌った。
 特に「今日の日はさようなら」の歌詞は、合唱部がなく先輩には絶対服従で名前を「さん」付けで呼ばなくてはならないあなちゅーでの中学校生活の日々が待っている部員の子たちの不安な心に響いたらしく、歌いながらあちこちですすり泣く子がいた。ぼくも泣かなかったけどその気持ちはわかってつらかった・・・4月から丸刈りだし。

 T先生もそんな部員の様子を見て多少涙ぐみながら、6年生の部員に別れの言葉を述べた。
「6年生のみなさん、これまで合唱部のためにがんばってくれてありがとう。残念ながら穴実中には合唱部がありませんし、このあたりの高校にも合唱部のある高校はすごく少ないです。たぶん、学校を出て君たちの人生の中で合唱ができる機会は少ないでしょう。でも、この合唱部で学んだ経験はきっとこれからの君たちの人生に役に立つと先生は信じています、それでは6年生の皆さん、さようなら。」

 部員たちからは本当に嵐のような拍手が起こると共にわあんわあんと泣き出す子もいた。ぼくも少し涙が出た。たしかに4年生の頃、はっきりぼくが話せなかったのを話せるようになったのは合唱部で練習したからだった。ぼくはこんなうんこが出そうな状態で先生の言葉を聞かなければならないことをちょっぴり後悔した。

 そして最後の練習が終わり、みんな帰りのしたくで音楽教室に持ってきたランドセルを背負い始めた。急いでランドセルを背負い、いち早くしたくが終わったぼくは音楽教室を駆けだした。ぼくにはもう先はなかった。
 そんなぼくを先に音楽教室を出て1階の教務室に引き上げるT先生が見つけてぼくに聞いてきた。
「●●●君、そんなに急いでどうしたの」
「教室に給食袋忘れてきました」
「そうか、きみが卒業するなんて残念だな、きみはこの3年間合唱部を本当に支えてくれたよ、ありがとう。先生は残念だけど今日は急ぎで帰らなければならないからね。」
「いえ、こちらこそ先生にはお世話になりました」
 ぼくもできればもっとT先生と話したかったけど、これがT先生と話す最後になった。ぼくはもううんこだった・・・。

(続く)
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