27時のマーメイド

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Day.3

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額に当たる冷たい感覚に飛び起きた。
咄嗟に手をやると、しとり水が手に触れる。上を見上げれば、高い岩の天井から滴が垂れていた。これが原因か、と思うと同時に一気に脳が覚醒する。
ここはどこだ。
確か、自分はあの時海に投げ出されたはずだ。なのに気づけば、何故か洞窟で横たわっていた。
偶然流れ着いたのだろうか、いや、それにしては体勢が不自然だ。まるで誰かがここに運びこんだ様な…
「うっ…」
立ち上がろうとして、しかし足に走った激しい痛みに力が抜けた。見れば、やや塞がってはいるものの大きな裂傷が出来ている。その上打っただけなのか折れているのか、紫色に腫れていた。
これでは立てそうもない。
何か、支えになるものは落ちていないだろうか。
辺りを見渡そうとした時。
勢いよく水面が盛り上がり、水しぶきが舞った。
濡れた髪の隙間から覗く、紫の瞳と視線が交わる。
それはまるで、時間が止まったかのような衝撃だった。





「…あの、大丈夫?」
まだ意識がはっきりしていないのかもしれない。こちらを見た途端、固まってしまった男に声をかける。
「怪我は平気?海水は洗い流したから、染みないと思うけど…あ、喉は乾いてない?向こうの岩から水が湧いてるよ」
血はとりあえず止まっているらしい腫れてはいるものの、傷そのものは塞がったようで一安心だ。
どんな生き物でも、血がなくなれば死んでしまうから。
「ああ、平気だ。…お前、喋れるのか」
「私だけね。昔から、人に憧れてたから」
岩場に腰かけ、水面を尾ひれで叩く。昔、海を行く船にくっついて、こっそり覚えたのだ。人間の事を、もっと知りたくて、話してみたくて。
その機会が、ようやく訪れたのだ。こんな状況なのが、あまり頂けないけれど。
「そうなのか…そうだ、まずお礼を言わなきゃな。助けてくれてありがとな、お陰で死なずに済んだ。」
「ううん、気にしないで。無事…では、無いけど。でも、生きてて良かった」
船が通れば、彼の事を伝えられる。一刻も早く助けを呼んで、ちゃんと手当てをしてもらわないと。そう考えながら、ふと思い出す。
「お腹空いてない?これ、どうぞ」
先程捕ったばかりの魚を手渡すと、彼の腹がぐるると鳴った。
「すまん、何から何まで世話になる」
そう言いながら受けとった彼の横で、自分も魚に齧り付く。鮮やかな赤のこれは、お気に入りのご飯の一つだった。
ちらり横をみると、小さなナイフで鱗を取っていた。
人は丸ごと食べられないんだ。歯が弱いのかな。歯はあるよね?形が違うのかな。
人は私達と似てるけど、やっぱり違う生き物なんだ。少し知れた様な気がして、嬉しくなった。
もっと、もっと人の事を、彼の事を知りたい。
ごくり、最後の一口を飲み込んだ。
「ねえ、あなたの名前は?」











ーー








「っ痛…!」
しまった、そう思って手を離すも遅かった。指の先から暗い赤色が滲み出し、じくじくと痛みを訴え出す。
やってしまった。
板に置かれたタイの背を、慎重に指で探る。程なくして触れた硬さをつまみ上げた。
どうやら、細かなヒレが残っていたらしい。本来なら人魚の為の魚は、ウロコもヒレも全て取り除かれているはずだ。小さすぎて気づかなかったのだろうか。
すぐさま消毒し、包帯を巻く。厚めに巻いたそれにラップを巻いて、再びまな板の前に向き合った。
「あーしまった、血は入ってないといいけど…」
ちらり、魚の濁った瞳を見る。その虚の様な黒が責めるようにも見えて、思わず目を逸らした。
今でこそ大人しいものの、あよ人魚は人の血の味を覚えている。万が一、付着した血を味わえば、人を襲おうとする可能性がある。つまり、その危険を孕んだこのタイを与えることは出来ない。
「…」
こっそり持って帰ったらバレないか。
素早く冷蔵庫にしまい、代わりのものを取り出す。
今度こそ慎重に点検し、刃を滑らせた。



水槽の上に上がると、既に人魚は岩場に腰かけていた。こちらの姿をみとめた途端、尾ヒレで水面を叩き出す。
たった一日で、食事の時間を覚えたらしい。昨日と同じくまたはくはくと口を動かしていた。
「ご飯だよ」
はい、と柵越しに手渡す。頷くような仕草を何度か繰り返し、ぱくりと噛み付いた。しかし、その瞬間に動きが止まる。
「…どうしたの?」
昨日は問題なく食べていたはずだ。味が悪かったのだろうか、それとも体調に異常があるのか。もしかして、人魚はタイを食べられないのか?
「どこか悪い?それとも不味かった?待ってて、すぐ代わりのものを持ってくるから…」
マニュアルを必死に反芻し、立ち上がろうとした。
「…!」
しかし、人魚は驚いた様な顔をして首を横に振った。違う、とでも言いたげに。そして、勢いよく団子を食べ終えた。にこり、笑みを浮かべてこちらに手をのばす。
「あ…美味しかったの?」
「!!」
そう問えば、首を縦に振った。どうやら、お気に召さなかった訳では無いらしい。ふう、と安堵のため息を付き、差し出された手に次の団子を載せる。
その時、人魚の表情が強ばった。固まったまま、じっと手を凝視している。
「?どうし…たの…」
見つめる方に視線を落とした瞬間、背筋が凍りついた。
包帯に、赤が滲んでいる。
安堵感のあまり、無意識に怪我した利き手を用いてしまったのだと気づくのにそう時間はかからなかった。
手を引くよりも速く、人魚がその手を掴む。ヤバい、と思うもその力は強く振り剥がせない。
柵はあるから殺されはしないが、腕は喰われるかもしれない。
しかし、予想したような痛みは来なかった。
ぽたり、温い雫が手の甲に落ちる。
「え…」

添えられた手が、労わる様に摩る。紫色の瞳が揺れ、睫毛に水の粒が乗り。瞬きの後とうとう臨界点を越えた。
目の前に、血の滴る肉があるのに。
彼女は、その味を知るはずなのに。
「…」
ごとり。カゴが手から滑り落ちる。団子が床に転がっていく。すり身の魚を、丸めた団子。喉を怪我した彼女の為の、特別な食事。

彼女は、喉に傷を負っている。人間によって、つけられた傷を。
彼女が発見されたのは、この町の海岸だった。
流れ着いたのではない。彼女は、自身の意思でここへ来た。
その細腕に、男の首を抱えながら。


彼女は、喉に傷を負っている。人間にーー彼女を恐れた漁師に銛で突かれて得た傷を。
彼女は、陸に来てまで人を襲おうとしたのだ。戦利品の如く、殺した者の首まで抱えて。
憎むべき、恐ろしい化け物。人を喰らい、その味を覚えた怪物。


ーーなら今、こうして涙を流す彼女は?
声にならない問いは、誰にも届かず泡になった。


人魚についてのレポート 3

血液数値、心拍数、健康状態に問題無し。タイを与えた所、いつもよりもよく食いついた。どうやらお気に召したらしい。



…血の匂いに反応無し。その上、奇妙な行動をーーこちらを案じるような行動を取る。


私は、ここでひとつの疑念が生じた。
彼女は、本当に人を喰らったのだろうか?






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