27時のマーメイド

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Day.1

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第一発見者は地元の学生達だった。



今から約三年前の、八月も盛りの頃。大型台風の接近から一夜明け、台風一過の浜辺には流れ着いた大量の漂着物があり、酷い有様だったらしい。
海藻類やプラスチックゴミ、流木等により荒れ果てた浜の景観を取り戻そうと、地元の高校生らが有志を募り始めたゴミ拾い運動。
その真っ最中の事だった。
浜辺の少し入り組んだ場所の、さらに岩陰で、それは見つかった。
泥や葉が絡みついた髪、弛緩しきって伸びた腕、傷だらけで汚れた肌。
最初は、人の死体だと思った…第一発見者の生徒は述べた。台風に巻き込まれた人が、ここに流れ着いたのだと。
漁師の町、港町ということもあり、海難事故は学生らにとっても身近なものであった。夜の足元の暗さにそのまま海へ転落してしまう、遊んでいる最中に波にさらわれる。船で漁に出て、そのまま嵐に巻き込まれることも少なくない。
そしてこの人も、その様な事故の被害者だろうーー生徒はそう推理して、然るべき大人へと伝えようと考えた。
しかし、その考えは次の瞬間にひっくり返る事となる。
その女には足がなかった。
正しく言えば、足と呼べる部分は全て魚の尾ひれのようなものであった。
奇妙な生物に、生徒があっと悲鳴を上げた時。ぱちり、とそれは目を見開いた。
それは死体でも、ましてや人間ですらない。
それはまさしく、人魚であった。

発見当時、メディアというメディアはこの世紀の大発見を取り上げた。
空想上の生物だと思われていた存在が実在したのだ。大衆が、マニアが、研究者がその存在に釘付けになった。誰もがその美しく未知に溢れた存在を愛し、魅了された。
しかし、現在。人魚が取り上げられることは殆ど無くなった。それどころか一部の人間は、話題に出すことすら嫌う程になっている。
これは、ある事件が切っ掛けであった。


半年前に起きた凄惨な事件により、人魚は友好の対象から一転、憎むべき敵へと変化したのだ。




「高野君」
低く伸びやかな声に呼び止められ、振り返る。にこやかな笑みを浮かべた老年の男性。
長月海洋生物研究所にて働いており、自分の師である沖合教授だ。思わず白衣を整え、居住まいを正す。
「何でしょうか」
「ああ、そんなに畏まらなくて大丈夫だよ。君に伝えなければならない事があってね」
伝えたい事、とオウム返しに言いかけた時、ふと思いあたる事があった。まさか、と教授を見れば深く頷いた。
「君の嘆願が通った。…例の人魚の調査は、今後君に任される事になる」
手渡されたのは、いくつかの書類、そして、カードキー。
それはこの研究所にて、人魚が置かれた部屋へ入る為の唯一の鍵だった。
「本当…ですか」
「ああ。君にはその権利がある。しかし、忘れてはいけない。君はあくまで研究者だ。私情に走ってはいけないよ」
「はい、心得ております…本当に、ありがとうございます、教授」
ぐっと深く腰を曲げ、勢いよく頭を下げる。教授は何か言いたげに口を開き、少しの逡巡の後、ただ一言頑張りなさいとだけ言った。その気遣いに感謝しながら、ぐっと手に力を込めた。






ドアが滑るように開いて、まず目に飛び込んでくるのは巨大な水槽。灯りのついていない薄暗い部屋の中でも、ぼんやりと薄青く光る水のかたまり。
そして、透明な硝子越しにこちらを見つめる二つの目。
「こんにちは」
パチ、とスイッチに手を触れる。途端明るく照らされた部屋の中で、それは美しく輝いていた。
ぬけるように白い肌、揺れる金の髪。端正に整えられた顔立ちに、長い睫毛が縁どった紫の瞳。
かつて人を魅了し、かつて人を恐怖に陥れ、人魚への嫌悪を生んだ元凶。
「はじめまして、僕は高野。今日から君の世話をする事になりました」
人間を喰らい、その頭部のみを持ち陸へと自ら乗り出し、その代償として声を失った人魚。おぞましいその怪物は、まるで獲物を見つめるように目を見開いてじっとこちらを見つめていた。
「よろしくね」
ぐっと堪え、手を水槽へと添える。
意図が伝わったのか、それともただ不可思議な行動を真似しただけなのか。恐らく後者だろう。ガラス越しに、彼女の白い手が重ねられる。
人を喰らい、人を襲おうとした化け物。

通称〝人喰い人魚〟は、気味が悪い程穏やかに微笑んでいた。






ーー



レポート1

人喰い人魚と対面。こちらに対して興味を示すような行動をとった事以外、特筆するような点はなし。こちらを見て襲いかかるような事もなく、一般的な人魚と同様な反応のみ。
血液、口内の粘膜の摂取にも抵抗すること無く応じた。








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