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お茶出しは事件

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「来客の対応をお願いしたいのですが」

受付にやって来るやいなや、私にそう声をかけたのは、あの袴田氏だった。

「はい」

努めて淡々と対応する。内心は「なんで私なんだ」と思ったけれど。
ほんの一瞬、隣にいた友紀がちらりとこちらを見た気がする。
…もしかすると私から余計な緊張感がにじみ出ているのかもしれない。

「直接、第6会議室までお連れして欲しいんです」
「かしこまりました」

大事な来客の場合、時々この手の依頼がある。
通常では私たち受付担当がお客様を目的地までご案内する事はなく、お客様が自分で目的地まで移動する。
ごくたまに、ロビーでお客様を留め置いて欲しいという依頼もあるが、それは社の者がエントランスで合流してそのまま外出する場合などに多い。

アポイントの時間とお客様の氏名を確認し、私は念の為依頼主の名前を確認した。本当は顔も名前も知っているが、形式上聞かないわけにはいかないし、聞かずに承るのも不自然だ。

「企画部の袴田です」
「はい」

私は事務的に聞き取った情報を入力していく。第6会議室の予約は事前に取られていて、参加者を確認すると美咲さんと袴田氏の名前があり、苦々しく思うのをこらえながら対応した。

「直接、あなたが会議室まで連れて来てください」
「…?」

お客様を案内するのに指名精はない。受付担当なら誰でもいいはずだ。
そう思って私は声には出さず疑惑の視線を向けるけれど、袴田氏は意に介さずといった風情である。
さすがにこれには友紀も驚いて、今度はまじまじと私たちのやり取りを見つめていた。

「…とにかくお願いしますね」
「…かしこまりました」

気まずい空気が一瞬流れたが、私からこれ以上言及も、お断りもする事はできず、とにかく言われるがままに依頼を受けた。

「…何?あれ」

足早に袴田氏が立ち去った後友紀がいぶかしげに尋ねてくる。

「知らない」
「そりゃそうよね」
「…」

友紀に、「逆に、どう思う?」と聞いてみると、友紀は「決まってるでしょ」と即座に答えた。
「冴子にも気があるんじゃないの、あのお方」
「…そうかなあ」
「なんか、めちゃくちゃ冴子の事意識してるような感じがしたんだけど」
「…嫌だなあ」
「え?」
「嫌だ」

私が二回も「嫌だ」と言葉にした事にも友紀は驚いたかもしれない。
でも私は、美咲さんの事がなかったとしても、袴田氏は苦手なタイプだと思うから、特にその言葉を隠そうとは思わなかった。

しかし友紀の言う事が正しいとするならば、袴田氏は何かに勘付いている可能性がある。あるいはそれの心意を確かめるためにこんな依頼をしてきたのではないかとさえ思った。
面倒な人に絡まれたものだ、と辟易しながらも私は来客を待った。
相手は取引先と思しき業者の重役クラスの人物だろう。一人で来る可能性は低いが、何人で来るのか、袴田氏はよくわからないと言っていた。

*-*-*-*-*-

そのお客様が到着し、私は依頼通りに会議室までのご案内を行った。
その間に、私は袴田氏にきっと試されているのだと思えるような話を耳にする事となる。

お客様は見た目は初老の男性という感じで、私より少し上の年齢くらいの男性を一人伴っていた。彼は秘書かもしれない。

「○○様、いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

私が先を歩いてエレベーターのボタンを押して待っていると、お客様は「久々に健司君に会うよ」などと、連れの男性に語りかけている。
…もしかして袴田氏の親類だろうか。苗字は違うから、父方の直系の親戚ではないだろうが、おそらく母方か、遠い身内なのかもしれない。もしくは学生時代の恩師とか、昔大きくお世話になった人物なのかもしれない、などと色々な可能性を探りつつ、私はエレベーターを待った。

エレベーターに乗り込んでからも、そのお客様は袴田氏に関する話を続けている。大きな声ではないが、それでも目の前に立つ私には十分聞こえる声の大きさだった。

「あれだろう?健司君は次期副部長とか言われるような働きぶりなんだってね」
連れの男性が「そのようですね」と無難に応じると、「いいね、若狭があって働き盛りだもの」とお客様は笑った。

…そういう噂が取引先にも流れているという事は、やはり副部長のポストが新しく作られるのも間違いないかもしれない、と思う。
とりあえず余計な事は考えないようにして、目的階に到着すると、私はお客様を先にエレベーターから下ろして再び二人の前を歩いた。

歩いているとなんとなく、お客様ではなく連れの男性の視線が自分の背中、というかお尻以下の辺りに注がれている気配を感じた。
それで美咲さんや晴香ちゃんに言われた事をふと思い出す。

『胸だと思ってるかもしれませんが…冴子さんは後ろ姿が綺麗なんです』

美咲さんや晴香ちゃんにそこを褒められる事は嬉しいが、今こうして男性の視線を浴びているのはなんだか気分が悪い。
けれどもその嫌悪感はぐっとこらえて、歩く速度を上げないよう注意しながら、目的の第6会議室へお客様を通した。

「…失礼いたします」

ここからはテンプレ、扉をノックし返事を待ってドアを開ける。
…が、中から「どうぞ」と返事をしたのが美咲さんの声だったから、にわかに動揺しそうになった。
美咲さんと、公式な場で直接顔を合わせて、しかも話をするのはおそらく初めてだ。言いようのない緊張が全身に走る。
私は、美咲さんも袴田氏も知らない、ただの部長と管理職の人、と意識をぐっと高めて声を出す。

「お客様をご案内いたしました」
「ありがとう」

美咲さんの「ありがとう」だ。しかも仕事モードの「ありがとう」は、私の聞き知っている声色とは違った。
急いで意識を戻してお客様に向き直る。

「こちらへどうぞ」

さっと身体を引いて扉を背中にする。中にいる二人が席から立ちあがった気配があった。

「ご無沙汰しております」
袴田氏の声に、お客様も一気に和んだようだった。

ほんの一瞬、部屋の中の美咲さんと袴田氏と視線を合わせておじぎをする。お茶出しまで自分がやるべきか確認していなかったが、視線を交わした瞬間に、その対応が必要だろうと察知できたので、私は小さく「失礼いたします」と声を出してから扉を静かに締めた。

「まあどうぞおかけください」
袴田氏の声だけが大きく聞こえる気がするが、気のせいだろう。

私は急いで給湯室へ向かいお茶の準備をした。
ビルの階ごとの構造はほぼ同じだから、給湯室の場所はわかっている。ただ、お茶セットのしまい場所などは階によりまちまちで、たまにしか来客対応をしない受付担当としては、ここでけっこう苦戦する事も多かった。

各部門にもアシスタントや女性社員がいて、大半の来客対応は彼女らが行っているから、彼女らが外様的な存在の私たちに気を使うなどという事はない。むしろこちらが「荒らして申し訳ない」という気持ちである。

「二宮さんじゃありませんか」
「あ、鈴木さん」

偶然、開発部の女性社員である鈴木律子(りつこ)さんと遭遇した。彼女はマグカップを手に、ドリップコーヒーを淹れようとして給湯室に来たらしい。

「珍しい、二宮さんが直々に来客対応ですか」

私は曖昧に頷いて、ついでに鈴木さんにお茶セットの細かいありかを教えてもらった。
鈴木さんは「このフロア、開発部と企画部の人たちだから、めっちゃ適当なんですよね、すいません」などと詫びている。
実際給湯室は整頓されているとは言い難い。かろうじて洗うべきものは洗っている、程度の使い方をされているのが明らかだった。

「まあ忙しい部署ですもんね、皆さん」
「そんな事、ないですよ…やろうとしないだけで、誰かがやってくれるんじゃないかって、そう思って誰もしないだけで。たまーに私は掃除してますけど、それじゃ追いつかなくて」
「そうなんですか」

来客用の湯呑にお湯を注いで温めながら、きゅうすに茶葉と冷ましたお湯を注ぐ。

「へー、本当はそうやってやるんですね」

鈴木さんは感心したように私の動作を眺めていた。そうしながら熱湯の出るサーバーから私が退いたタイミングで、自分もドリップコーヒーの袋を破ってちょろちょろとお湯を注ぎ始める。

「多分アシスタントの方あたりならこれくらいは行っているのでは」
「えー、ないない絶対ないですよ」
「…そうですか?」

時計をちらりと確認する。お茶の蒸らし時間を測るためだ。

「…だから、松浦部長あたりは日々嘆いてますよ」
「はぁ…」

そこで何故美咲さんが登場するのか、よくわからなかった。

「あの方、こういう所が汚いのとか散らかってるのとか、絶対許せない的なタイプと言うか、場合によっては我慢できなくて自分で掃除とかしてますからね」
「え、そうなんですか」
「そうですよ、自分が部長じゃなかったら毎日綺麗にしてるような人ですよ、あの方」
「なるほど」
「今となっては自分で来客用のお茶を淹れたりしないから、給湯室は滅多に覗かないでしょうけど、たまに使うとすっごい怒ってますからね」

鈴木さんは笑っている。美咲さんのキレっぷりを思い出しているのだろうか。
企画部はそのメンバーの大半が男性で、男所帯なのをいいことに、そのあたりを雑にやっている事を言い訳にしたい所のようだが、美咲さんは認めないのだそうだ。男だろうが女だろうが使った者がきれいに使えばこうはならないだろう、という論法で部下に注意をしているとの事。

部の異なる鈴木さんがそれを知っているのだから、美咲さんのその件はある程度有名な話なのだろう。あるいは企画部員が愚痴としてこぼしているのかもしれない。
それがこの、かろうじて整頓されているようないないような状態の所以なのか。
私はお茶を注ぎながら鈴木さんの話を興味深く聞いた。

「たまにここを使う秘書課の人も『何これ』みたいな事言ってますからね、噂が回り回ってますます松浦部長は『恥ずかしい』と嘆いてるわけですよ」
「なるほど」
「二宮さんみたいにちゃんとしたお茶出しできる人から、一回みんな教えてもらう所から始めれば、松浦部長もご納得されるかもしれませんね」

ひとしきり話はしても、私がお茶を注ぎ終えてお盆を構えると、鈴木さんはさっと「じゃ」と声をかけて私を送り出してくれた。
こういう所は、他の部署の女性社員とは違いドライであり仕事優先の意識が高いと感じる。

美咲さんが私には見せていない一面について知れたのは、思わぬ収穫だ。
ちょっと嬉しい気分で再び会議室に向かうと、少し落ち着いた話し声が漏れ聞こえてくる。頃合いだと思い私は「失礼いたします」と声をかけ会議室に入った。

「あ、どうも」

初老の方のお客様が、私に気を使ってかどうかわからないが、話を中断して声をかけてくれた。年配の方は、こんな風にかなり気にかけてくれる人と、全く話を止めずにお茶出しを空気のように見る人と、極端に分かれる気がする。

私は、こういう場合は何か返した方が良いだろうと考えお客様に「どうぞ、お話続けてください」と声をかけながらお茶を出した。

「うん、…でね、前から何度も言うようで申し訳ないんだけど」
お客様は袴田氏にそう語り掛ける。
袴田氏は「はい」と応じる。するとお客様は「早く、君たちの仲人をやらせてもらいたいんだよ、僕はね」と満面の笑顔で言った。

袴田氏は一瞬目を丸くしてから、「あはは、ご冗談を」と制する。
私の手元が狂う事はなかったが、一瞬、次のお客様に出す湯呑の向きを整える手は止まったかもしれない。

少しでも抵抗したい気持ちもあり、大人げないとは思いながらも、袴田氏にお茶を出す時、皆の視線が私には向いていない事をわかった上で、若干殺気を含んだ目で袴田氏を見た。
袴田氏のお茶が最後だったので、無言でおじぎだけをして部屋から下がろうとした時、美咲さんの視線が動いたような気がして、気付かれない程度にそちらに目をやると、私ほどではないが美咲さんは笑顔を作りながらも「ふざけるな」というニュアンスの視線を袴田氏に注いでいた。
美咲さんの醸すこの微妙な空気は袴田氏には感じ取れないだろうと思われる。ではなぜ美咲さんはそんな事をしたのだろうか。

…おそらくは、私だけが気付くようにという意図で、ではないか、と思うが、自意識過剰だろうか。
その瞬間ある推測が私の頭に浮かんできた。

…ひょっとして、袴田氏は意図的にこのシチュエーションを設定したのではないか、という疑惑である。
だとしたら私はまずい事をしたかもしれない。
袴田氏は気付いてしまわなかったか。私と美咲さんが発した嫌悪と怒りの空気を。

わざとだとしたら、それは私と美咲さんが遭遇した時に何か特別な空気が現れるかもしれないと、それを察知しようとしての事だろう。
袴田氏は、おそらく自分自身を鈍い男だと思っている。
だから、ここまでわかりやすいシチュエーションを作れば、確かめられるかもしれないと考えたのではないか。

*-*-*-*-*-

エレベーターで1階に降りながら、私は意識して平静を取り戻そうとした。
半分は「気付かれたからって何だ」という気持ち、もう半分は「それでも核心には至らないだろう」という推測に頼る事にする。

万が一にも、袴田氏に追求された場合私が先に本当の事を話すわけにはいかない。美咲さんが決めて話せばそれはそれで構わないと思う。

「…どうだった?」

受付に戻ると、友紀が少し心配そうに私に尋ねてくる。

「…違う意味で狙われてたかも」
「は?何なのよそれ」
「だから友紀が言うのとは逆の意味で」
「はぁ…」

さっきまでは、気持ちのうちの半分ぐらいだと思っていたが、ほんの数分しか経っていない今となってはどうにでもなれという気分が強い。
袴田氏が、さすがに一受付担当社員に何らかの異動など命じる権限もないだろう。気付いた所で何もできないに決まっている、とわかってはいても、私はどこか恐怖を感じていた。

だから余計に美咲さんの肌が恋しくなる。
私が、いやおそらくは今の所私だけが独り占めしている、美咲さんの身体が欲しくてたまらなかった。

「…」

その後は仕事に集中しているつもりだったけど、どこかで、その推測が当たっていたならば、と考えては袴田氏に感情移入している自分に気付いた。

仮にあそこまでして確かめるという事なら、袴田氏と美咲さんは肉体関係を結んではいないだろう。
しかも私が白だった場合、あの依頼は明らかに不自然で違和感がある。そこを犠牲にしてでも、袴田氏が確かめずにはいられないのだとしたら、相当な気持ちを抱えているに違いない。

打合せの前、袴田氏から依頼があった時には、自分でもよくあんなニュートラルな対応ができたものだと思う。
この推測にとらわれて以降、私にとっては袴田氏も何か怒りの対象となっているからだ。
そう思えば、あの時の私の態度を、袴田氏はさぞかし苦々しく思ったに違いない。もしかしたら軽く苛立たせてしまったかもしれない。
でもあの段階で袴田氏が抱いていたのは、あくまでも疑惑にすぎないだろう。

私が恐れていた事は、袴田氏がどれだけ美咲さんを欲しいと思っているか、その具体的な度合を知る事だったのではないだろうか。
今、それが少し見えた気がする。

袴田氏は確かに図々しいとは思うけど、それでも美咲さんに強引に迫って身体の関係を結ぶつもりはないらしい事もわかる。そこはさすがに御曹司の品格を保っているのだろう。
そして今日こんな暴挙に出た所からしても、おそらく本人としては、周囲の人間を使ってじわじわ外堀から美咲さんを追い込むような真似も、したくないという事だったかもしれない。今回はかなり意を決して行動したような気がしてならないのだ。
なぜなら、やろうと思えばもっと早くその手段を取れたに違いないから。

…私が袴田氏の立場なら、きっとあらゆる手段を使う。
袴田氏はかなり我慢したのではないだろうか。

…そして思考は切り替わり、美咲さんの艶めかしい姿、声、表情、私が知る美咲さんの秘められた一面に、袴田氏の嫉妬という付加価値が加わって、何だかものすごく、自分が特別な人間であるような錯覚を覚えた。
…これもまた、袴田氏が最も恐れる事だろう。
自分の嫉妬心すら、愛し合う二人のスパイスとして効果を発揮するなんて事があれば、私ならきっと泣きたくなる。

思考はどんどん交錯していく。自分と袴田氏の立場や心境が、万華鏡のように入れ替わる感覚だ。
そしてそういう思考が可能なのは袴田氏ではなく私だけである。
袴田氏は、嫉妬心の方しか味わっていないから。

性悪な自分の心は、袴田氏にこう問いかけたくて仕方ないと思っている。
「美咲さんのどんな所を知りたいの?」
「美咲さんの身体のどこを見てみたい?」
「美咲さんがどんな声で喘ぐのか、知りたい?」
「美咲さんの感じる所、どこだと思う?」

私はほぼ、全部知っている。
袴田氏が知らない事で、だけどどうしても知りたい事を、私はほとんど知っているのだ。
袴田氏に聞かれれば、概ね答える事ができる。

私は美咲さんの大切な部分を、何度も見た事があるし、その奥がどうなっているのかも知っている。
美咲さんの身体の内側まで、何度も触った事がある。

美咲さんが感じてくるとどんな声をあげるのか、どんな表情になるのか、体温がどれくらい上がって肌がどんな風に染まるのかも知っている。
美咲さんが、萌芽を甘噛みされるのが好きな事も、私は知っている。
「あれ」で激しく突くと、まるで少女のように高い声で喘ぐ事も、私は知っている。
何よりも、私は美咲さんのいやらしい蜜の味を知っていて、感じてくるとそれがどんな風に変化していくのかも知っている。

…まずい。

次に美咲さんと行為に及ぶ時には、間違いなく袴田氏の知りたい事を再確認するかのように美咲さんを犯してしまう気がする。
あるいは袴田氏に見られている事を想定しながら行為に及ぶかもしれない。それはすごく悪趣味だ。

それに。
二人きりの時には、私が美咲さんを「お姉さま」と呼んでいる事は、私たち以外誰も知らないはずだ。
これはきっと、袴田氏にとっては想像の範囲外の事だろう。

「お姉さま」

その言葉をどうしても口にしたくなり、私は少し席を外して屋外に出た。
周囲に誰もいない場所まで来て、その言葉を口にしようとしたが、なぜかそれでもその言葉を今は口にしてはいけない気がして、踏みとどまる。
あまり、歪んだ優越感に浸るのは良くない気がして。

…でも、速く美咲さんに会いたい。
袴田氏が欲しがってやまないものを、早く独り占めして、いいように弄びたい。

逆もまた然りだ。
美咲さんに、とびきりいやらしく触れられて、あの艶めかしい声で囁かれながら、めちゃくちゃに突かれてもいい。

…つい、変な事ばかり考えてしまったが、あの打合せがどんな風に落ち着いたのか、私は知らない。お客様が帰る所も見逃したのか、様子がわからないままだった。

給湯室が整頓されていないだけで激怒する美咲さんが、袴田氏のアプローチ程度に手を焼く事は想像しにくいが、優しい美咲さんの事だから、心労は蓄積しているだろう。

私みたいに、なんでもかんでもいやらしい妄想の材料にしてしまうほど、美咲さんの頭はおかしくないはずだ。きっと普通に困っているに違いない。

私にできるのは、そういう事全てを、一瞬でも忘れさせるような交わりを繰り返す事ぐらいだ。

いやらしい行為に没頭している時の美咲さんは本当に綺麗だし魅力的だ。
私の顔や身体がどれだけぐちゃぐちゃに汚れていても、美咲さんには綺麗でいて欲しいし、実際私がこぼしたいやらしい蜜で美咲さんの身体が濡れたとしても、美咲さんの気品というか、綺麗さが損なわれる事はない。

とても仕事に戻る気にはなれなかったが、定時までもうわずかだ。
気を取り直して持ち場に戻り、どうにか定時までやり過ごしてから、私はさっさと帰宅した。

美咲さんに何かメッセージを送ろうかとも思ったが、かなり確信に近いとは言え袴田氏が意図的にあの打合せをセッティングしたかどうか、何とも言えない状況ではあり、推測が間違っている可能性もないわけではなかったから、私からは何も言えなかった。

…そう言えば、仕事中の美咲さんを非常階段へ呼び出した事があったなと思い出す。
あの時、私は美咲さんのショーツを預かって先に美咲さんの部屋へ行った。
あの間、美咲さんはノーパンで企画部に戻った事になるが、その場に袴田氏もいたのだと思うと、なんとデンジャラスな行為に及んでしまったのか、と今更の事だが冷や汗が出た。

あの辺りから、美咲さんの知らない所で、と言うより私自身も知らない間に、私は袴田氏とやり合っていたのかもしれない。
美咲さんの身体に与えた快感の量を袴田氏に見せつけて、袴田氏だけがそれに気づいて嫉妬する、そんなやり取りだ。

きっと、袴田氏は本人が思うほど鈍い男ではないだろう。
彼の推測通り、私と美咲さんの間には特別な関係がある。
ただ、それを推測できたとしても、今日のあの打合せのような手口でその真相をいちいち確認してくるあたりが、慎重と言うか堅実と言うか、なんともいけ好かない気がした。

「…それで、どうするの?」

自宅で一人、袴田氏に問いかけるように呟いてみる。
この台詞は美咲さんがよく使う、口癖のようなものだ。

手を出せるものなら出してみろ、と思う自分がいた。
私は、美咲さんの一番目でも二番目でも、何番目でも構わない。
袴田氏には、二番目になる覚悟はあるのだろうか。

…あるかもしれない。いや、その前に。

私自身に再度問いかける。
本当に何番目でも良いと思っているのか?今でも。

…思えなかった。

最初は思えていたのに、今はだめだ。更に言うと仮に袴田氏の次だと言われたら、絶対に我慢できない。

…そう、だから私は今の袴田氏に感情移入できるのだ。絶対に譲りたくないと思っているから。
そもそも、どうでも良ければこうも意識なんてしない。

自分の気持ちに正直になれば、簡単な話である。

「…お姉さま」

言いながらスマホを手にしてメッセージを送った。

『お姉さまと一緒に暮らしたいです』

本当は、次の秘書検定の試験が終わったらとか、合格したらとか、そんなタイミングで言おうと思っていたのに、どうにも待てない気持ちになった。
けじめとか、区切りも大事かもしれないけど。
袴田氏が今日そうしたように、私も、行動しなければ、伝えなければと思ったから、言える時に言って、できる時にやらなければ、逃すような気がして焦った。

「そのうち」「いつか」なんて、所詮争う相手のない、余裕のある人間の言い分なのだ。その事に今思い至った気がする。
袴田氏に背中を押されたような形になったのは不本意だが、動機はどうでも良いだろう。

この私のメッセージを美咲さんがどう思ってどう返してくるのか、それを目の当りにするのが怖いと思っていたから、できなかった。
だけど今日ばかりはそれを気にしている場合ではないと思えた。
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