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あの人を知りたい(晴香SIDE)
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「そっかー、遂にお姫様の心をとらえて離さないお方が現れたのね」
遠くでそんな噂話をしている声がする。特に私に隠れてするつもりはないのだろう。だいたいこの人たちはコラボとかキャンペーンとかにかこつけて、体よくユーザーとお近づきになってつまみ食いしているのを私は知っている。そんな連中に認証データへのアクセスを咎められる筋合いがあるのかと私は思った。
「それじゃ今度は晴香ちゃんにとびっきりエロいランジェリー企画のモデルをやっていただきましょうよ」
「素敵~」と複数の声が上がる。私は頭を抱えた。
この人たちのお楽しみキャンペーンの客寄せとして私は何度もモデルをやらされている。特に下着が多いのは気のせいではないはずだ。そもそも、アウターの場合特定のブランドと絡んでしまうと、こだわりの強いユーザーからは違和感を持たれてしまうリスクもあり、WSアプリでは圧倒的にインナーウェアの広告量が割合としては多い。
それらの新作発表やモニターキャンペーンとしてのフィッティングやランウェイの広告モデルには大抵私が登場させられている。ユーザーからも好評とあって、味をしめたのかもはやテンプレ扱いされているものの、私は何度やってもモデルをやるのは気が進まなかった。
「始末書書いたじゃん」
「あんな適当な書類で許されると思ってるの?」
「なんであんたが中身知ってんのよ」
あれは光江のレターケースに置いたもので、他の人には見せていないのに、おそらくあの後ランチから戻ってきて、みんなであれを覗いたのだろう。そうとしか考えられない。
「じゃ張り切って企画書書きまーす」
私とは担当の異なる、アパレル系に強いデザイナーの東野汐織(しおり)が嬉々としてデスクに向かい始めた。私はどちらかというとwebやプロダクトデザインに携わっており、私がモデルとして着せられている復職系のデザインは、それほど得意ではないしあまり興味もない。汐織は私の次に若い、29歳のメンバーでもある。
新たな企画が生まれるのは喜ばしい事だが、誰もかれも動機が不純だ。でも私は、そんな人間の根源的欲求が何よりも強いエネルギーに変わる事もまた理解しているつもりでいる。だから口では彼女たちに悪態をついていても、その行動力やバイタリティなどには敬意を持っているし、こんな軽口も、大きな野望を共にする仲間だからこそ交わせるものなのだと思う。
「ねえ、晴香ちゃん」
さきほどの汐織が神妙な面持ちで声をかけてきた。私はいかにも面倒そうな態度を隠さず向き直る。
「なんですか」
「みんなはあんな風に言ってるけど、もしかしたら晴香ちゃんの気になる人も、晴香ちゃんがモデルをしてる写真を見てくれてるかもしれないんだよ」
「…はぁ」
「そう思ったら、やっぱり、ちょっとでも綺麗だなって思われたいと思わない?」
「それは、まあ…」
「でしょ、私は、晴香ちゃんみたいに恵まれたビジュアルは持っていないけど、憧れる人や、気になる人に恥ずかしくないような、魅力的だと思ってもらえるような自分でありたいって思うなあ」
汐織も十分良いビジュアルを持っているように思うのだが、彼女は自分を「エロさに欠ける」と自己評価している。おそらくそれの要因は彼女がかけている眼鏡のデザインにあるような気がしてならないのだが、かつてそれを指摘した時には「でも、これじゃないとやりづらくって」と彼女なりのこだわりが炸裂したのだ。自分の見た目に頓着しないデザイナーほど面倒なものはない。
「ま、いっか、ごめんね。とにかく晴香ちゃんがより綺麗になっちゃうようなすんごいやつを考えないとね」
勝手に言うだけ言って彼女は企画書作りに取りかかってしまった。まあ、この企画が通ったにしても撮影はかなり先になる。こちらからデザイン案やコンセプトをランジェリーメーカーに持ち込んで、乗ってもらえれば実現する事になるが、その後また微修正や発売枚数などの話し合いが入ってようやく告知に至るだろう。勿論、メーカー側からコラボの依頼が来る場合もあるので、その時は汐織の方がメインデザインを担当する事になる。
私はごちゃごちゃした頭を一旦整理して考える。
…私の写真を冴子さんが見ているかもしれない。
そしてその商品や企画に興味を持ってくれるのかもしれない。
そんな風に考えると、一概にモデルという役割が、ただ自分の身体や美貌を見せつけるだけのエゴイスティックな行為とも違うもののような気がしてくる。
冴子さんに見て欲しい。そして願わくば私の姿を魅力的だと思って欲しい。
そう考えただけで何かがこみ上げてくるようだった。
私は、今度は慎重に姉を頼って、冴子さんが本当にあの冴子さんなのかどうか、さりげなく社内報を手に入れて確認する事を思いついた。認証用写真の段階でそれはほぼ私の中で間違いないものという思いはあったのだが、仮名という可能性もある。慣習としてユーザーは本名、下の名前を登録するのが常となっているが、全員がそうかどうかはわからない。単に冴子という仮名の美人という事も、可能性としては捨てきれなかったのだ。
お姉ちゃんからは「なんでそんなもの読みたいのよ」といぶかられた。「メーカー勤務なんて絶対興味ないくせに」とずばりと言い当てられて焦る。とりあえず「お姉ちゃんだって同じ事言ってたよね」と答えにならない答えで攪乱してごまかした。
「違うの、仲間内でアパレル系のデザインをしてる子がいて、お姉ちゃんとこの制服をちょっと見たいって言うから、お姉ちゃんたちが写ってる写真がどーんと載ってるようなものがあれば見せてもらえないかって言うから」
一応事前に考えておいた言い訳も伝えてみる。
「そんなん製造元に問い合わせればいいじゃない」
「そういうのだと、ベンチャーは時間かかっちゃうからダメなの、それに実際に働く人が着ている写真がベストだって言うんだよ」
「…じゃあ、探してみるから」
「ありがとう」
これであとは待てば良い。お姉ちゃんが社内報を見せてくれるまでには数日を要した。その間私はじりじりとした思いで、いても立ってもいられないような焦燥感を覚えていた。早く、冴子さんの事を確かめたくて待ちきれなかった。
その間にモデルとしての撮影を1件こなした。これもコラボ企画のランジェリー新作告知用の写真だった。コラボものとしては初めて一からデザインを起こす所からWSアプリが絡んだものだ。故意か偶然かは知らないが、「妖精と小悪魔」というデザインテーマという事で、パターンの異なる2種類を着て撮影に臨んだ。事務所内に小さなスタジオを持っているので、撮影はそこで行われる。
普段なら、カメラのフラッシュはまぶしいし、ライトは暑いし、肌は乾燥するしで、その過酷さのわりに心は全く満たされないので、撮影は嫌で仕方なかった。もっと自己顕示欲の強い人なら気持ちよくなれるのかもしれないが、私はそういうタイプではない。
でも、この写真をあの人が見てくれるかもしれない、と考えてみると、過酷な環境にも耐える事ができた。カメラのレンズの向こうに、あの人の瞳があるかもしれないと思うだけで、ただの錯覚のはずなのにどこか気持ちが高揚してくる。そしてそれまでは煩わしいとしか思わなかったフラッシュの光を浴びるごとに、自分の中に「もっと見て欲しい」という欲望が沸き上がるような気がした。
「あれ?なんだかいつもと違わない?すごくいいよ」
女性カメラマンにそう声をかけられる。いいという事なら早々に撮影が終わるのかと思いきや、「もうちょっとポージング変えて撮っとこうかな」などと言われ追撮をやたらとされてしまった。
やっとの事で撮影が済んで、どっと疲れを感じながら着替えていると、光江が「お疲れさま」と近づいてきた。しかし一定の距離を取ったまま声をかけてくる。いつもの撮影終わりは私がかなりピリピリしているので、毎度の事として、その距離感から近づかせないようにしているからだろう。
「お水、置いとくね」
「いや…今欲しい」
えっという顔をして光江が私を見た。私は掌を差し出してペットボトルを渡すようにと促す。直接手が振れるわけではないが、普段なら入り込む事を許さない距離に光江を近づかせているので、彼女は驚いているのだろう。
「うん、じゃあ」
「ありがとう」
私は受け取ったペットボトルをすぐに開けてあおった。暑さと緊張でとにかく喉が渇くのだ。
はーと息を吐いて身支度を整えると私は「今日はもう帰るね」と言い残しそのまま事務所を後にした。
遠くでそんな噂話をしている声がする。特に私に隠れてするつもりはないのだろう。だいたいこの人たちはコラボとかキャンペーンとかにかこつけて、体よくユーザーとお近づきになってつまみ食いしているのを私は知っている。そんな連中に認証データへのアクセスを咎められる筋合いがあるのかと私は思った。
「それじゃ今度は晴香ちゃんにとびっきりエロいランジェリー企画のモデルをやっていただきましょうよ」
「素敵~」と複数の声が上がる。私は頭を抱えた。
この人たちのお楽しみキャンペーンの客寄せとして私は何度もモデルをやらされている。特に下着が多いのは気のせいではないはずだ。そもそも、アウターの場合特定のブランドと絡んでしまうと、こだわりの強いユーザーからは違和感を持たれてしまうリスクもあり、WSアプリでは圧倒的にインナーウェアの広告量が割合としては多い。
それらの新作発表やモニターキャンペーンとしてのフィッティングやランウェイの広告モデルには大抵私が登場させられている。ユーザーからも好評とあって、味をしめたのかもはやテンプレ扱いされているものの、私は何度やってもモデルをやるのは気が進まなかった。
「始末書書いたじゃん」
「あんな適当な書類で許されると思ってるの?」
「なんであんたが中身知ってんのよ」
あれは光江のレターケースに置いたもので、他の人には見せていないのに、おそらくあの後ランチから戻ってきて、みんなであれを覗いたのだろう。そうとしか考えられない。
「じゃ張り切って企画書書きまーす」
私とは担当の異なる、アパレル系に強いデザイナーの東野汐織(しおり)が嬉々としてデスクに向かい始めた。私はどちらかというとwebやプロダクトデザインに携わっており、私がモデルとして着せられている復職系のデザインは、それほど得意ではないしあまり興味もない。汐織は私の次に若い、29歳のメンバーでもある。
新たな企画が生まれるのは喜ばしい事だが、誰もかれも動機が不純だ。でも私は、そんな人間の根源的欲求が何よりも強いエネルギーに変わる事もまた理解しているつもりでいる。だから口では彼女たちに悪態をついていても、その行動力やバイタリティなどには敬意を持っているし、こんな軽口も、大きな野望を共にする仲間だからこそ交わせるものなのだと思う。
「ねえ、晴香ちゃん」
さきほどの汐織が神妙な面持ちで声をかけてきた。私はいかにも面倒そうな態度を隠さず向き直る。
「なんですか」
「みんなはあんな風に言ってるけど、もしかしたら晴香ちゃんの気になる人も、晴香ちゃんがモデルをしてる写真を見てくれてるかもしれないんだよ」
「…はぁ」
「そう思ったら、やっぱり、ちょっとでも綺麗だなって思われたいと思わない?」
「それは、まあ…」
「でしょ、私は、晴香ちゃんみたいに恵まれたビジュアルは持っていないけど、憧れる人や、気になる人に恥ずかしくないような、魅力的だと思ってもらえるような自分でありたいって思うなあ」
汐織も十分良いビジュアルを持っているように思うのだが、彼女は自分を「エロさに欠ける」と自己評価している。おそらくそれの要因は彼女がかけている眼鏡のデザインにあるような気がしてならないのだが、かつてそれを指摘した時には「でも、これじゃないとやりづらくって」と彼女なりのこだわりが炸裂したのだ。自分の見た目に頓着しないデザイナーほど面倒なものはない。
「ま、いっか、ごめんね。とにかく晴香ちゃんがより綺麗になっちゃうようなすんごいやつを考えないとね」
勝手に言うだけ言って彼女は企画書作りに取りかかってしまった。まあ、この企画が通ったにしても撮影はかなり先になる。こちらからデザイン案やコンセプトをランジェリーメーカーに持ち込んで、乗ってもらえれば実現する事になるが、その後また微修正や発売枚数などの話し合いが入ってようやく告知に至るだろう。勿論、メーカー側からコラボの依頼が来る場合もあるので、その時は汐織の方がメインデザインを担当する事になる。
私はごちゃごちゃした頭を一旦整理して考える。
…私の写真を冴子さんが見ているかもしれない。
そしてその商品や企画に興味を持ってくれるのかもしれない。
そんな風に考えると、一概にモデルという役割が、ただ自分の身体や美貌を見せつけるだけのエゴイスティックな行為とも違うもののような気がしてくる。
冴子さんに見て欲しい。そして願わくば私の姿を魅力的だと思って欲しい。
そう考えただけで何かがこみ上げてくるようだった。
私は、今度は慎重に姉を頼って、冴子さんが本当にあの冴子さんなのかどうか、さりげなく社内報を手に入れて確認する事を思いついた。認証用写真の段階でそれはほぼ私の中で間違いないものという思いはあったのだが、仮名という可能性もある。慣習としてユーザーは本名、下の名前を登録するのが常となっているが、全員がそうかどうかはわからない。単に冴子という仮名の美人という事も、可能性としては捨てきれなかったのだ。
お姉ちゃんからは「なんでそんなもの読みたいのよ」といぶかられた。「メーカー勤務なんて絶対興味ないくせに」とずばりと言い当てられて焦る。とりあえず「お姉ちゃんだって同じ事言ってたよね」と答えにならない答えで攪乱してごまかした。
「違うの、仲間内でアパレル系のデザインをしてる子がいて、お姉ちゃんとこの制服をちょっと見たいって言うから、お姉ちゃんたちが写ってる写真がどーんと載ってるようなものがあれば見せてもらえないかって言うから」
一応事前に考えておいた言い訳も伝えてみる。
「そんなん製造元に問い合わせればいいじゃない」
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「…じゃあ、探してみるから」
「ありがとう」
これであとは待てば良い。お姉ちゃんが社内報を見せてくれるまでには数日を要した。その間私はじりじりとした思いで、いても立ってもいられないような焦燥感を覚えていた。早く、冴子さんの事を確かめたくて待ちきれなかった。
その間にモデルとしての撮影を1件こなした。これもコラボ企画のランジェリー新作告知用の写真だった。コラボものとしては初めて一からデザインを起こす所からWSアプリが絡んだものだ。故意か偶然かは知らないが、「妖精と小悪魔」というデザインテーマという事で、パターンの異なる2種類を着て撮影に臨んだ。事務所内に小さなスタジオを持っているので、撮影はそこで行われる。
普段なら、カメラのフラッシュはまぶしいし、ライトは暑いし、肌は乾燥するしで、その過酷さのわりに心は全く満たされないので、撮影は嫌で仕方なかった。もっと自己顕示欲の強い人なら気持ちよくなれるのかもしれないが、私はそういうタイプではない。
でも、この写真をあの人が見てくれるかもしれない、と考えてみると、過酷な環境にも耐える事ができた。カメラのレンズの向こうに、あの人の瞳があるかもしれないと思うだけで、ただの錯覚のはずなのにどこか気持ちが高揚してくる。そしてそれまでは煩わしいとしか思わなかったフラッシュの光を浴びるごとに、自分の中に「もっと見て欲しい」という欲望が沸き上がるような気がした。
「あれ?なんだかいつもと違わない?すごくいいよ」
女性カメラマンにそう声をかけられる。いいという事なら早々に撮影が終わるのかと思いきや、「もうちょっとポージング変えて撮っとこうかな」などと言われ追撮をやたらとされてしまった。
やっとの事で撮影が済んで、どっと疲れを感じながら着替えていると、光江が「お疲れさま」と近づいてきた。しかし一定の距離を取ったまま声をかけてくる。いつもの撮影終わりは私がかなりピリピリしているので、毎度の事として、その距離感から近づかせないようにしているからだろう。
「お水、置いとくね」
「いや…今欲しい」
えっという顔をして光江が私を見た。私は掌を差し出してペットボトルを渡すようにと促す。直接手が振れるわけではないが、普段なら入り込む事を許さない距離に光江を近づかせているので、彼女は驚いているのだろう。
「うん、じゃあ」
「ありがとう」
私は受け取ったペットボトルをすぐに開けてあおった。暑さと緊張でとにかく喉が渇くのだ。
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