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アドバイス

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「昼間は、ありがとうございました」
「何の事?」

美咲さんの部屋で夕食を摂りながら御礼を言う私に、美咲さんは「意味がわからない」といった風情で返してくる。
…忘れてしまったのだろうか。昼間コーヒーショップで進藤部長のお昼に何を買えば良いか、美咲さんがアドバイスしてくれたのに。

「あの、進藤部長の」
「ん?…適当でいいって言われて適当に買ったんでしょ」
「そうですけど」
「じゃいちいちそんな事言う必要はないわよね」

そうなのだろうか。
確かにお昼は適当でいいと言われて適当に買ったし、図々しいと思いつつも勝手に進藤部長のタンブラーを触って補充した事含め、部長本人は喜んでいるようだった。

美咲さんの言葉は確かにヒントにはなったけど、進藤部長に対してあまり遠慮は必要ない、というのが今日新たにわかった事であり、これにより進藤部長に対する気使いとは何なのか、だいぶ的が絞れてくるように思う。

「あんまり納得いってない感じ?」

美咲さんは仕事着のままデパ地下惣菜に箸を付けていた。
今日は帰りが遅かったのだ。

「いえ、大丈夫です」
「そう…」

直接聞かれる事はないが、美咲さんは多分、秘書課で苦悩している私の気持ちを少なからず察しているに違いない。
あれこれ格闘する私に対して、何か言われるのも辛い気がするが、何も言われないのもそれはそれで辛いと思う。

「ねえ、冴子」
「…はい」
「多分、今日みたいな事って言うか…今の冴子の気持ちは、多分、ほんとに、すぐになかった事みたいに忘れる事になると思うわよ」
「…?」

今度はこちらが何を言われているのか良くわからない。

「慣れとは恐ろしいものって事よ」
「はい…」

よくわからないが仕方ないので一応返事をした。
美咲さんは食べるのが速いから、もうあらかた夕食として買ったものはほとんどたいらげている。
まともな食器もあると言うのに、「いいから」と言って、買ってきたままのパッケージから煮込みハンバーグとイカのマリネサラダ、フォカッチャとクラムチャウダーを食べている美咲さん。
私はと言えば、作り置きした和惣菜と白米を食べている。

「今話しても信じないかもしれないけど、進藤さんと打ち解けたら、むしろそうなる前の方がましだったって思うかもしれないし」
「どうしてですか?」
「…しょーもないおっさんだから」

思わず、きんぴらごぼうをつまんでいた箸の動きが止まってしまう。
ここは笑うべき所なのだろうか。

「……あの」
「何?」

美咲さんは、別に笑って欲しかったわけではなかったようで、真面目に答えてくれる雰囲気だ。

「その、進藤部長の事、何でも良いので聞かせてもらえませんか」
「…そこ、解禁しちゃっていいの?」

美咲さんと進藤部長は互いをよく知る戦友だというのはわかっている。
それだけに私はこれまでずっと美咲さんから情報を得て進藤部長に接するのはずるい事をしている気がして、あえて避けてきた。

「はい」
「わかった、でもろくでもない情報しか、私は知らないわよ」
「いいんです」

その後二人でソファに座って進藤部長についての事と、美咲さんが入社以来進藤部長とどんな日々を過ごしてきたのかを教えてもらった。
始めのうちは不思議と、嫉妬心はわかなかった。それどころか私は美咲さんの話をなるべく記憶にとどめたくて、それにしては情報量が多いから、しまいには手書きのメモまで取っていた。

「…まあ、今の冴子にはこういう事さえも大事な情報なのかもしれないけど、少なくとも進藤さんに関しては、大して細かい事まで覚えておく必要ないと思うわよ」

「今はその判断もつきませんのでとりあえず」

聞いた事をざっとメモしながら私はそう答える。

「でもこうまで冴子に熱心に思われているなんて進藤さんが知ったら、どう思うかな」と美咲さんは笑う。
「…?」

どんどん面白くなってしまったのか、美咲さんは本格的に笑い始めてしまう。
何が可笑しいのだろうかと思い首をひねっていると、美咲さんが謝罪してくる。

「あー、ごめんごめん、でもね、仕事とは言えここまで進藤さんの事を熱心に知りたがって、一生懸命メモまで取ってもらって、進藤さんも幸せ者じゃない?」
「はぁ…そうでしょうか」
「多分恥ずかしがって逃げ出すぐらい喜ぶんじゃないのかな」
「…」

美咲さんは再び笑いを噛み殺す。
私は、一緒になって笑うわけにもいかず困ってしまった。

「そう、進藤さんは勝手にやって大丈夫、やり過ぎたと思っても、とりあえず怒ったりはしないし、妙だと思われたなら私からそう教わってるって言えば納得するはずだから」
「そうですか」
「基本的にはあんまり仕事したくない人だしね」
「……」

美咲さんから見えている進藤部長像とはどんなものなのだろう。
説明の上では、基本進藤部長をかなりバカにしたような、どうしようもない人だと言う言葉ばかりが出て来るが、それに反して同時に、進藤部長への敬意もしっかり持っているのがわかる。

「でも実際は真面目だし不器用だから、部下はみんなそれをわかってて喜んであの人に手柄を差し出すような感じだったな、私もそうだったし」

私は、社会人としてチームで何かを成し遂げたという経験はない。だから美咲さんの言うような感覚をリアルに思い描く事はできなかった。

「あと、私を企画部長にしてくれたのも多分あの人のプッシュがあったからだと思うなあ」

さらっとした口調だがけっこう重大な告白ではないか。
美咲さんが女性としてどうやって企画部長の椅子に就いたのか、社歴の浅い人たちはほとんど知らない。
勿論私も今まで知らなかった。

「…いや、それだけじゃなくていろんな事情が重なっての事ではあるんだけど、そういう風に押してくれたってのは事実だから」
「そうだったんですね」

「…でもこうして感謝のかけらもなく進藤さんを『しょーもないおっさん』呼ばわりして、それでも打ち解ければそんな事全然許してくれる人って事よ」

…だんだんと不思議な気分になってくる。
私には「戦友」という存在がいないから、感覚的にはよくわからない。
でも、家族でさえ知らない側面をお互いに知っている関係性なのだろうなとは思う。
そういう関係性が普通に成り立つものなのだろうか。

それを察してかどうか美咲さんはこう付け加えた。

「そうだなあ、例えば夏川さんと過ごす時間は、ひょっとすると起きて私といるより長い時間かもしれないわけでしょ、そうなると他の人は知らないけど冴子は知ってるっていう事がだんだん増えていくものよ」
「…なるほど」
「私は、夏川さんがどうやって担当している人たちの情報を整理しているのかとか、そういう細かい話は知らないけど、多分冴子はそういう細かい所まで知る事になる、私と進藤さんもそういう感じって事」
「…それならなんとなく、わかります」

「そうやって仕事の仕方を見て、知っていくと、やっぱりその人の人生観とか価値観がね、にじんでくるものだから」

「あの、お姉さまは」
「ん?」

今は進藤部長について知るべき時だけど、どうしても気になってしまう。美咲さんはどうなのか。

「…その」

だがはっきりとそれが知りたいという事を口に出せない。おこがましい気がしてしまって。

「私は仕事のやり方や考え方は、進藤さんに教わってきたから、けっこうかぶってると思うけど」

そうか。
進藤部長を知るという事は、美咲さんを知る事にも繋がるのだろう。

「すみません、たくさんありがとうございました」

美咲さんはプライベートではあまり仕事について話したり考える事を好まない方だから、けっこうな時間私の仕事のために色々と教えてもらった事には感謝したい気持ちもあるが、同時に少し申し訳ない気分にもなった。

「ま、冴子としては大丈夫かもしれないけど、始終力いっぱいやってると、けっこうしんどくなるんだから、それこそ適当にしてればいいのよ」
「そうはいかないです」
「はいはい」

美咲さんは私を制するように手を横に振り、反論の余地を与えなかった。その所作には「十分わかってる」という意味合いもあると思う。

私がメモをしまってほっと息を吐くと、美咲さんが「ほらやっぱり」と突っ込みを入れてくる。

「やっぱりお疲れなんじゃありませんか?二宮さん」

腕をぐいっと引っ張られて、二の腕や肩を揉まれる。

「だ、大丈夫です」
「めんどくさい進藤さんの世話に加えて、秘書課の手癖の悪い子あたりにセクハラされちゃうし」
「…なんで知ってるんですか?」
「…されてるんだ」

しまった。今のはカマをかけられたのか。
美咲さんは「まったく油断できないわね」と独り語ちて更に私の身体を引き寄せた。ソファの上で密着するような態勢になる。

「私も大人だから少々の事で目くじらは立てないけど」
「あの、少々の事ですから気にしないでください」

笑ってごまかすけれど、美咲さんは私の顔を見ていない。
知っている秘書課員の顔を思い出して、当たりをつけているようだった。

「噂は本当だったって事ね」
「いえ、その…」

以前に美咲さんが言っていた。秘書課では女性同士の恋愛は奨励されており、かつその中の誰かが私に目を付けて引っ張ったのではないか、と。

「あ、いっそ進藤さんに話せば冴子をベタ付きさせられるかもしれないけど…」
「そこまでは…」
「そうだよね」

こわばった美咲さんの表情が多少和らぐ。

「あ、そうだお姉さま…最初のうち真帆さんに私の事色々気にしてる風な事言ってたって」
「…え?」

そこは自覚がないのか。

「真帆さん笑ってましたけど」
「……」

今度は美咲さんの怒りのスイッチを押してしまったかもしれないと肝が冷える。

「あ、いや、その」

私は少し距離を取ろうと思い美咲さんの腕を軽く押し返す動作を取ってみるが、びくともしない。

「秘書課はほんと、不透明人事という点では既得権の塊みたいな所だわ」
「そうなんでしょうか」
「冴子に何かしようという輩がうようよしているのであれば、そういう事になるわ」
「私は、大丈夫ですから」

そう言った所でいきなり美咲さんがこちらを向いたので私はびっくりする。

「冴子が大丈夫かどうかの問題じゃないの」
「はい…」

私は身を縮めてしまう。そして何か変だと思った。
美咲さんはこんなに嫉妬心を露わにする人だったろうか。
かつては自由恋愛主義で複数もアリと言っていたような気がするのだが。
それについては同棲によりリセットされて別のルールが適用されているという事なのだろうか。確認してはいないけど。

「…最後まではされてないわよね?」

一際腕を強く掴まれて詰問される。

「されてませんよ、勿論、何言ってるんですか」
「いや、秘書課ならそういう『あり得ない』を超えてきそうだから」
「……な、ないです」

美咲さんの読みは強ち外れてもいない。

「裸にされたり見られたりはした?」
「それは…少し」
「……」

美咲さんの沈黙は大抵怖いのだけど、今ほどそれを強烈に感じた事はない。

「その、着替えの時にたまたまです」
「冴子がそいつをフォローする必要性も理由もないでしょ」
「…はい」

怒っているというより警戒している感じがする。

「と、とにかく大丈夫です、変な事はされてません」
「ふーん」

事を荒立てたくない一心で、どうにか話をまとめようと思うのだが、美咲さんは懐疑的な視線を隠さない。

「いざとなれば私の事、その人たちに話していいから」
「え、でも…」
「話してないんでしょ?誰にも」
「はい」

私の腕を握っていた、美咲さんの手から少し力が抜ける。
そうされて腕は楽になったはずなのに、どこか寂しいのは何故なんだろう。
痛いぐらいに、苦しいぐらいに強く掴まれて満たされるという心理はどこか変な気がする。

「あ、そうだ、私との事まず進藤さんに喋ったら?」
「ええっ…」

どうしてそういう発想になるのだ。
確かに男性である進藤部長はこの話題において最も第三者的存在ではあるけれど。

「いや、ちょっと進藤さんの反応を見てみたいというのもあるけど、案外冴子に味方してくれて、打ち解けられるかもしれないわよ」
「……」

そういうものなんだろうか。進藤部長をよく知る美咲さんには何か見えている事があるのか。

「ついでに私が怒られるかもしれないけどね」
「はぁ…」

ますます言ってる意味がわからない。でも悪ふざけではなく割と真面目なアドバイスのようだと思い、その言葉を私は受け止めた。

「考えてみます」
「ハイ、じゃこっち来て」

「来て」と言われずとも私と美咲さんは既に密着している。
ただ単に腕を掴んでいた力が少し緩んだだけで、これ以上接近はできない。

「来てますけど」
「そういう事じゃないでしょ?…」

それ以上のヒントは与えられず、しかも今さっき「進藤さんに怒られる」とか言っていたそばからこういう事を始めるのか、と微妙な気持ちになるが、抗う理由もない。

私は美咲さんの身体をまたぐようにして正対しその膝の上に座った。
すかさず美咲さんの手が私のお尻をそっと撫でてくる。
興奮してくればこういう態勢になる事に抵抗はないが、冷静な状態でさせられるとやはり恥ずかしい。

「恥ずかしいわね」

美咲さんはそれをわかっていてあえてそう言ってくる。

「…はい」

ものすごく近い距離に美咲さんの顔がある。
そして少しビターな匂い、これは美咲さんが仕事の時に使っているフレグランスの残り香だ。
美咲さんは入浴後にはそれを使わないから、私はその香りを無意識のうちに一生懸命嗅いでいた。

「…ちょっと、くすぐったいんだけど」
「…すいません」

美咲さんの身体の匂いを嗅ぎながら、本来覚えておく必要のないフレーズにも関わらず、「進藤部長に怒られる」という単語が頭にこびりついて離れなくなっている。
毎晩私と美咲さんが何をしているか、進藤部長が知る必要も、こちらから教える必要もないのに。

香りの力は不思議なもので、変な態勢をさせられているのに美咲さんから香る匂いによって力がどんどん抜けていく。これだけで身体が溶けそうだった。

「大丈夫?」

淫靡な空気をほんの少し消しつつ、美咲さんは私の頭を撫でながら尋ねてくる。

「何がですか」

身体の疲労を心配されているのだろうが、そういう事は何もない。
すると「…こりゃ危ないわね」という言葉が返ってきた。

美咲さんは、私が自覚なく疲弊しているとでも言いたいのだろうか。
だから私自身この所ますます性に貪欲になってしまっているのか。
…そんな事を考えるのも、今は億劫に感じる。
激しいセックスは私にとって癒しなのだ。どうにでもなれと思う。

「…時間が許す限りいっぱいしてあげるけど、それでも物欲しそうな顔してたら、ほんとに秘書課の誰かにやられちゃうわよ」

私は美咲さんの肩に顎を乗せて「大丈夫ですよ」と呟いた。
私が醸す気だるい空気から、もう秘書課の事も進藤部長の事も、聞きたくないという意図が伝わったのか、美咲さんは少し長い溜め息を吐く。

それでも美咲さんは小さく「なんかほんと、心配だわ」と言葉にしたけれど、私は「だから大丈夫です」としか返さない。
現に今私の思考を支配しているのは美咲さんなのだから。他の人は誰もいない。

セックスが毎回のように建設的である必要はない。
退廃的なセックスがたまにあって何が悪いのだ。
美咲さんは自分から進んでそういう事はしないけど、打ち捨てられるようなセックスがたまにあっても私はいいと思う。

自暴自棄という言葉が頭に浮かんだが、まだそこまでは行っていない、と自分で否定する。

その夜私は美咲さんの唇と舌で何度も果てを見る事となった。
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