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絶対文感

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 犯人が知りたい、文香はページをめくる。緊迫するシーンが続き、探偵が考察を進める。椅子にこしかけ、含みを持たせてじらす探偵の演説が続く。
 文香は探偵に向かって言った。
「そのじらしプレイ、さっさと終わらんかい!」
 文香は頭の中で、探偵を殴った。
(イテッ)
しかし、本のページの探偵は悠然と演説を続けている。文香はページをめくる。
 ペラリ。
 探偵の考察が続く。文香は演説を早送りし始めた。復習はいいんだ、要点だけ言えばいいんだってば!
 ペラリ、ペラリ。
 ページをめくる速度が上がる。探偵の演説は文香の中では全く響いてこない。探偵の演説の核心部分の文字を探し始める。
『くっ』
 探偵の演説に反応したセリフを居合わせた登場人物が吐く。
『隠された痕跡がここに!』
 探偵は得意げに叫ぶ。
 ここだ! セリフの前後を速度を落として読む。トリックが判明した。はーん、と文香は声を洩らした。面白いトリックだ、ここで読書を止めるわけにはいかなかった。
 文香は本の残りの厚さを確かめ、時計を確認した。スーパーマーケットが閉まる時間に間に合いそうになかった。
 コンビニ弁当に決定、文香は再び本に視線を落とした。
 犯人はこいつでほぼ確定だ。ここでひっくり返すのは不可能だ。
本の残りページが語っているのだ。
 ストーリーの舞台上では知りえない。読者だけに与えられた最大のヒントが本の分量である。
 文香は、さらに読むスピードを速めた。
「さっさと犯人を特定しないと、残りページでまとめきるのきついよ」
 文香は残りページの感触で予想を付け文章に文句を言う。犯人は追いつめられて死ぬルートだな。本って残酷だよな、と文香は思う。作者がどんなにもったいぶろうと、物理的に読者に結末を予想されちゃうんだものな。
(ソンナ)
 文香の予想が当たった。
「探偵の自己陶酔が長すぎるから」
 犯人が死んで、探偵はがっくり肩を落とした。バディである友人が慰める。場面転換。
 新しい依頼が探偵に舞い込む。エンド。
 本を閉じて実生活にいきなり戻る。あと数分でスーパーマーケットが閉まる時間だった。
 急いだけど、やはり間に合わない時間だ。コンビニに弁当を買いに行こうか? 嫌、この読後の余韻に浸っていたい。そういえば。冷凍うどんが冷凍庫にある。それでいいや。文香はキッチンへ向かった。
 買って数時間後しかたっていない文庫本は乱暴に読み進めた文香によって、閉じても膨らんだまま机の上に沈黙した。文香の本の取り扱い方は物理的にも荒かった。
(ツライ)
 
 文香の読書は暴力的で、生活のペースが乱れる。本は文香にとって魅惑の世界を提供しながら、かつ文香の生活を破壊する代物だった。
  
 こんな生活を続けていたら、破滅する――文庫本の山を築きあげた末、文香は長編小説を読むをやめる決心をした。

 活字中毒――本を読むのをやめると、その症状がすぐに出始めた。
 文字が読みたい、文章が読みたい、小説が読みたいんだ!
(ヨンデ)

 活字中毒対策として文香が活路を見出したのは、投稿サイトの短編だった。没入感が生活のリズムを乱すなら、短編ならいいだろうという単純な発想であった。
(ナルホドネ)

 相変わらず、乱読が続いた。文香は自らも文章を書く。文の作成に作者が一文字一文字を吟味する気持ちは理解できた。
 しかし、読者としての文香は相変わらず、文章に対して暴力的だった。
(ガマンノゲンカイ)

 「ちょっと、ちょっと」
声がする、頭の中で。しかし、そんな展開ではない。疾走感あふれる短編だった。これは面白い! 短編だから没入したって平気だ。話の世界観と展開に
「ちょっとちょっと」
というセリフは違和感しかない。
 しかし、声は短編の文字の向こうから聞こえてきた。本の中毒症状だ、と文香は簡単に納得する。
「私の中の幻聴、邪魔しないでよ!」
 文香がいら立つ。入り込んだ世界観から引っぱり出された不快感が止まらない。幻聴を追い払おうと文香は頭を振った。
 さて、続きを読まなくちゃ。文字が走り始めた。暴走一歩手前。
「ちょっと待て!」
 今度は急ブレーキをかけられた。画面に両手マークが現れて、文字を隠した。
「幻聴と幻視かよ」
 さすがの文香もこれは重症だと感じた。読むのをやめて、サイトの画面を閉じよう。すっかり現実に引き戻された。さて、買い物に行くか。
 「ま、待って、捨てないで!」
 パソコン画面に小説と関連のない真っ赤でフォントの大きな文字が現れた。

 「捨てないで 待って 捨てないで 待って 捨てないで 待って」
 画面が赤い文字で染まっていく。さすがの文香も戦慄した。
「やめて!」
 文香が画面に向かって叫んだ。
「捨てないで 待って 捨てないで 待って……」
 文香は暴走するパソコンをシャットダウンする操作を始めようと、マウスのカーソルを動かした。
 途端に画面に
「駄目っ 嫌っ やめてっ」
 拒絶の文字が流れ始めた。
「電源引き抜くぞ!」
 文香が脅迫すると、画面の表示がピタッと止まった。画面にそろりと青い色の文字が小さなフォントに切り替わって
「それだけは……やめてください」
 そう画面表示したかと思うと、画面が泣いた。パソコンの画面の上部から雫がパタパタと画面の下部に移動する。
 文香は、パソコンが泣くのを、しばらく呆けて見入ってしまった。
「話をきいて……」
 雫の流れる背景に青い文字が浮かんだ。人間、自分の許容範囲を超えると、異常事態を受け入れるものなのだな、と文香は思った。

 文香は改めてパソコン画面に向かって視線を向けた。
「で、あんたは何の妖怪なのさ?」
 文香は画面をじろりとにらんだ。
「よ、妖怪ってひどい……」
 ハラハラと涙の雫を落としていたパソコン画面が真っ白になって、傷ついたと言わんばかりにしょぼくれた。
文香は、パソコン画面が傷つくのを無視して、畳みかけた。
「さっさと要件を言って欲しい、買い物行きたいし!」
 文香は再びパソコンの電源を引き抜く体制で脅した。
「あ、ちょ、待てよ」
「いや、どこぞの俳優の真似している余裕は与えていないが?」
「勘違いしているようだけど、私はパソコンの妖怪でないからね?」
「ほぉ?」
「君の頭の中にいるのな」
 なるほど、と文香は思った。やはり、私は疲れているようだ。活字中毒というのはやっかいなものだな、と文香はしみじみとため息を吐きだした。
「さて、買い物行くか」
「ぜったいぶんかっ」
 文香は表情を動かさず、素早くパソコンをシャットダウンした。

 面白かった小説を読んでいる途中で邪魔され、画面が変調して暴走した。あげくにもったいぶって本題に入らないときた。付き合っていたら、更に症状が悪化しそうだった。幻聴と幻視から脱却する必要を文香は感じたのだ。
 電源を落としたパソコン画面は静かだった。
「絶対音感? そんなもの私にはないよ」
 文香は、買い物に出かける用意を始めた。

 変な妖怪のおかげで、スーパーの夜の値引きセールに間に合った。あの短編読んで、感想書いていたら、値引きセールには間に合わなかったかもしれない。
「でも、許さねぇ」
 読むのを邪魔する行為を、文香は許す気持ちはなかった。

 値引きされた弁当を食べて、一息ついた文香は、あの小説の続きを読みたくなった。
 栄養が行き渡り、心地が良い。あの妖怪は私の頭に住んでいるらしいが、今の満ち足りた精神状態なら出現しないだろう、と文香は考えた。

 パソコンを立ち上げる。暴走しない、至って正常である。サイトにアクセスし、履歴を確認して再び読み始める。
 ここで、場面転換するわけか、わかっているなぁ、この作者。ノリノリで文字を打っている疾走感が子気味良い。
 スクロールの幅をちらりと確認した。後半戦だ。投稿小説はラストまでの分量がスクロールでわかってしまう。紙の本で知った残量と同じようにわかってしまうのが、少々残念だった。読者に知らせなくてもいい情報なのだから、隠せばいいのに、と文香は思う。とはいえ、短編の文字数を読むための基準にしているのだから、文句を言える筋合いがないのは文香も重々承知はしている。
そうなのだ。スクロールを見る自分が悪いのだ。
「その通り、自業自得」
 後半、読むスピードが更に上がってきたところで、画面がまたしゃべり始めやがった。

「文字、邪魔だから、どいてくれない?」
 むっとしながら、文香はパソコン画面の己の幻聴と幻視に怒鳴った。
「いやぁ、作者の概念が、君を邪魔するように要求しているからさ」
「はぁああぁあ? いきなり作者の概念とか、何言ってるの? 早く文字どけてよ」
「いや、作者の概念をくみ取っているのは、君の頭だから」
「理解できん!」
 画面の文字がフォントが大きな赤字になった。
「だから、絶対文感だって言ってるの!」
「そのでかい赤文字やめてよ、怖いからっ!」
 文香が怒鳴った。怒鳴りながら、しっかり指摘する、何せ活字中毒なのだ。
「妖怪のくせに、誤字るなよ! 文でないでしょ、『音』な!」
 と画面の妖怪が、だいだい色の文字で画面が横に流れた。
「ヒュー」
「茶かすのやめてくれない?」
 文香は、どうやらこの妖怪にバカにされていることに気が付いた。
「聞く耳を持ったようだね。やれやれ、君の身から出たとはいえ、やっかいなやつだ」
 ふうと、一息つくのまで、画面表示して、妖怪は言った。
「君の持っている能力は、絶対『文』感。誤字でないから」
「絶対文感?」
 文香は眉をしかめた。

 画面上に嬉しそうに説明用の文字が流れ始めた。黒くて読みやすい文香の好みのフォントで。
「君が小説を読むと、その世界観が没入するわけだが、その向こう側に作者がいる。わかるよね? ウエッブ小説は、作者が直接投稿しているから、小説の向こうは作者がいる。君は、小説を書いた時の作者の気持を読める能力がある」
 一旦、画面が止まる。文香に理解を促しているらしい。
「そう、それだ。文字の向こう側の意図、すなわち作者の気持ちを感じるのが「絶対文感」というわけだ」
 文香の生み出した妖怪もどきは、非常に得意げに気持ちよく文字を画面に並べたてた。
 文香はしばし考え、口に出した。
「今、読んでる小説の作者が、私が読み進めるのを邪魔をしているというわけか?」
 『絶対文感』はやや困ったことをフォントで表した。
「作者の本当の気持なんか、わかるはずがない。君自身の絶対文感が、作者の嘆きを感じているんだな」
「というと?」
「スピード落として、文字を拾って欲しいと作者が叫んでいるのを、君は感じながら無視しているってこと」
 『絶対文感』は、ようやく説明できたと、語尾に「♪」を付けて画面に表示した。再び、『絶対文感』はサラサラと文字を流し始めた。清流のようだ、と文香は思う。
「作者の文章がゴツゴツしていたり、キラキラ光っていたり、スキップしていたり、重い足取りだったりするのを君は知っているはずだ。それを隠そうとする作者もいるけれど、文字と文章を通して、読んでいる君に伝えたい作者だっている」
「まぁね」
「で。この作者は君の読むスピードを望んでいない。君はそれに気づいていながら、無視して自分のペースを押し通した。君の中の相反する感情の制御が必要だった」
 『絶対文感』がすっと消え、読みかけた小説が画面に現れた。



「転がっている石ころが目に飛び込んできた。踏みつけている石ころに僕は気が付く。全部、僕がやった結果だった。
 こんな能力を僕は望んだというのか? 見守っていた女神がいきなり笑い出した。
「敵だった?」
「わたくしが敵? ほんとにわからないのね」
「あなたの望んだ果てにここがある、希望はかなったのよ」
「ちが、ちがう!」
 僕は、踏みつけていた石ころから伝わる感覚に戦慄する。足をどけ、震える両手で石ころを持ちあげ胸に当てた。
「レイ!」
 僕は女神の足元にからだを投げ出した。
「せめてレイを元に戻して……」
 嗚咽まじりで振り絞る僕の声に女神が答える。
「その願いがかなったとして、レイが幸せになるの? この世界で?」
 地面に頭をこすりつけた状態で僕は固まる。
「石ころしかない世界……僕が望んだ……世界の果て……」
 僕は頭を上げて女神を見た。
「僕も石ころにしてくれ」

 コロン。ただの石が一つ地面に転がって止まった。二つの石が並んだ。
「あなたの望んだ世界の果て」
 救いのない世界がまた一つ誕生した。女神は高笑いする。
「ばかよね、なぜ結末がこんな世界を増やさなきゃならないのかしら」
 悲鳴のような高笑いが続く。
「もし、わたくしが作れるのなら。でもわたくしのできるのは、能力を与えることだけなのよ」
 女神は笑い過ぎて、涙目になる。流れた涙が、細かい砂と化しハラハラと石になった世界に散らばった。
 女神は次の世界を目指す。希望は捨てない。無数の救いのない世界の果てにユートピアを目指して女神もその運命に従うしかないのだ (おわり)」



 文香が顔を上げた。もう一度、ゆっくり読み返す。一文字一文字をなぞっていく。異世界転生の短編。文香の頭の中で石ころが二つ微動だせず転がっていた。
 文香の中の『絶対文感』は沈黙した。
「ねぇ、今、居て欲しいよ」
 文香がぼそりとパソコンの画面の(おわり)に向かって訴えた。そして気が付く。作者がこの作品を書いた時の気持ちが、「そばに誰か居て欲しい」なのだ、と。
 ウエッブ小説の向こうの作者の気持と文香は共鳴するのだ。感想を書きたい。感想といえるのかわからないけれど、と文香はパソコンに向かう。
「パソコン画面の向こうの作者であるあなたに、私は伝えたい……」
 文字を打つ音が続く。まるでラブレターを書いている気分だと文香は感想文を作り続けた。



おわり


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