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第四章 ……あの夏のキスのように。

忘れゆく日々の中で

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 もあ 彼女 演劇部 姫 花火 トラック 事故 天使 キス}

{はっ?
{なに?
 朝、電車の中にいるとき四人からROWに返信がきていた。
 夢なんだけどなんかリアルで 忘れないように書き留めた}
 学校着いたら話す!}

 文化祭の前日、授業はない。各々文化祭の準備をさせられる。山吹原高校は各クラスで出し物をすることはなく、文化祭実行委員会というものがあり、委員会メンバーとクラスから抜選された数名が中心になって行われる。他には部活個別で、出し物をするところは期日までに申し込みをし、やることになっている。ほとんどの部活が出店や、カフェなど流行りに乗っかりやっている。
 帰宅部の生徒たちは、特にやることがなければ三日間連休となる。だからこない奴らもいる。でも、せっかくの高校三年間を、思う存分高校生してもいいんじゃないかと思ってしまう。くだらないとか、面倒臭い、そんなことこれからの人生いくらでも出てくると思うから、今しかできないことを目一杯楽しんでもいいんじゃないかな? まあ、こんなボヤきは届いてはくれないだろう。
 学校着いたら話すと言ったものの、あやふやにしか覚えていない。書き留めた言葉を見ていても、本当はただの夢だったのかもしれないと思えてくる。
 あの天使のような姿だけは、何とか覚えている。それだけは、忘れたくない。光のオーラを纏い、凛とした立ち振る舞いに、可憐な花のようでもあった。目を奪われるとはまさにこのことだろう。
『絽薫くん』
 頭の中で声がした。いや、記憶のどこかにあるような感覚だ。以前に聞いたことがある気がする。坂道を駆け上がったかのように胸が高鳴って、顔面から火を放ちそうな緊張と喜びと高揚感、心臓が活火山のように思えた。
 待って消えないで! 
 きみは誰? 思い出すたびに少しずつ記憶の外に溶けて消えていくようだった。
 

     ☆   ☆   ☆


「ただいま」
 恐る恐る玄関のドアを開けると、母親が仁王立ちで立っていた。ちょっと遅かったかもしれない。二一時を過ぎていた。門限はないけれど、さすがに明日始業式なのに、浮かれ過ぎたのかもしれない。
「おかえり」
 冷静な物言いに不安が一気に加速する。
「あの……」
「ちゃんと送ってきたの?」
「えっ?」
 何を言っているのかわからなかった。怒りを通り越して、おかしくなったのかもしれない。
「ちょっと、別におかしくなったわけじゃないからね!」
 こっちの考えはお見通しってわけか、さすが母親だ。
「そんなこと言ってないから」
「今日は特別だよ。夏休み最後だから、それにもあちゃんだよね? 家まで送ってあげたよね?」
「はっ? 当たり前だよ。こんな夜にひとりで歩かせるわけないよ」
 靴を脱ぎ、洗面所へ直行する。
「だったらいいよ。好きな子くらい守れなきゃね」
「何言ってんだよ」
 汗ばんでベタつき、砂埃で余計とジメっとした体を早く流してしまいたいのに、母親とこんな会話をする余裕なんてない。そんなこと思っていると、キッチンのドアが開いた。
「もあちゃんとチューしたの?」
 ちょうどうがいをしていたところで、磨都がタイミング悪くプライベートな質問をしてきた。思わずむせてしまった。
「今言う話かよ?」
「へー、否定しないってことはしたな……」
「お前勝手なこと……」
 急いで手を拭き、磨都の後ろに回り、両手で口を抑えた。
「何やってんの? 高校生なんだからキスくらいするでしょ?」
「はっ? まあ」
「やっぱり」
「うるさい」
 ささっと風呂に入り、部屋へ向かった。むさ苦しかった室内が、エアコンをつけておいたお陰でオアシスのように清々しい。目を閉じてベッドに寝転がり、ひんやりとした接触冷感のタオルケットを、空気を含ませるように身体に掛ける。あれっ? 川のせせらぎが聞こえてくる? と錯覚したくなるほど気持ちがいい。
 寝る直前まで百彩ちゃんとROWをしていた。
 明日は駅で待ってるよ おやすみ}
 付き合っているんだから、一緒に通学電車に乗りたい。自慢したいわけではないけれど、周りの人たちにカップルだと認識されたい。バカップルと思われてもいいと思っている。それ以上に百彩ちゃんとのことが好きなんだから。
 明日のことを考えていると、目が冴えてくる。恋人が電車の中、クラスの中、部活中、ずっと一緒の空間にいる。考えるだけで鼻血が出そうだ。
 興奮しているのかなかなか寝付けなくない。時間が経つにつれだんだんと悶々としてくる。そうなるとやることはひとつしかない。
 恋人のことを考えながら何をアレするのは格別だった。普段よりも伸び代がハンパなかった。
 百彩ちゃん大好きだ。
 自分が青春ドラマの主人公になったような気分だった。明日がこんなにも待ち遠しくてたまらない。こんなこと今までにあっただろうか、きっと初めてだ。これからのことを想像するとニヤけが止まらない。
 まだだいぶ早いけれど、クリスマスは何をしたらいいんだろう、プレゼントはどんなものがいいんだろう、そんなことを思いながらいつの間にか眠りについた。 


     ☆   ☆   ☆


「で、何なの? 意味わかんないこと」
「そーだよ、あのメッセ何だよ?」
 文化祭の準備で学校へ来ている。販売機が置いてある校舎と体育館までの通路のところに集まった。それぞれの部活でやることがあるため、一五分ほど早く来てもらった。覚えている限り夢の話をした。断片でしか話せなかったけれど、この五人でなら答えを導き出せると思う。
「ロカ男、あんまり意味がわかんないな」
「ロカオン、エビバディに集中し過ぎて現実と夢がごっちゃになってない?」
 エビバディとは、ゆきちが書いた文化祭の脚本のことだ。
「違うよ! みんなよく考えてみてよ。考えるたびに忘れていく感じがするけど……」
「そんなこと言ってもな?」
「そーだよね。あたしら……キャッ」
 三咲凛花が柱に手をかけようとしたところ滑って尻もちをついた。
「何やってんの? 大丈夫かよ?」
「うん、ありがと」
 坂戸が三咲に手を差し伸べた。
「あっ」
 手を握った瞬間、三咲が声を出した。動きがゆっくりとなり、何かを思い出しているかのようだった?
「どうした? なんかあった?」
「……えっ? ううん、ちがくて。あたしさ、いや、んー」
「はなりん、どーしたの?」
 …………。
「凛花、どーした?」
 何かを考えているように、腕を組み、顎に手を置いていた。
「ごめん。あのさ、あたしも絽薫の言ってることわかるかも」
「ホント⁉︎」
「うん……」
「ちょっと待てよ! そんなことあるわけねーだろ?」
「そーだよな? 確かに俺も信じがたい」
「うちは興味あるけどな」
「興味とかの問題じゃなくてさ、これが事実なんだって」
「笹井、さすがにこればっかりはなー、わけわかんねーわ」
「コウ、そんなこと言わないでもっと考えてよ。あたしも確信があるわけじゃないけど、なんか引っかかる」
「ふー、まあいいや。そろそろ時間だろ? また話そ」
 やれやれと少し呆れた素振りだった。わからなくもない。急にこんなこと言い出したらバカバカしいと思うのも当然だ。俺自身、本当のところはよくわかっていないんだから。ただ、現実にあったような気がする。温もりを覚えているような感覚がある。声や匂いや、触れた感触、心の音、想像じゃなくて子どもの頃からそこにあったようでならない。
 夢のようで夢じゃない。
 嘘のようで嘘じゃない。
 これがきっと真実なんだと思う。厨二病かよって言われそうだけれど、自分を信じたい。これは事実なんだ。

 このときは、そう信じていた。

 お疲れ様でした!
 文化祭当日、演劇部のエビバディの公演が終わった。初舞台、緊張した。最初の方はちゃんと演じられているのかもわからないくらいだった。頭が真っ白になり、練習どおりにやれているのかやれてないのかさえも、頭の中で考えていられなかった。三分の一くらい過ぎたところだろうか、急に舞台と演者が鮮明になってきた。でも、上の空というか、自分の意識は少し別の場所にあるような感覚だった。練習の時はこんな感覚になることはなかった。台詞を喋っているというかは、自分でもよくわからなかったけれど、普通に会話をしているような感じがした。
 幕が降りると部員みんなが駆け寄ってきた。何事かと思っていると、一際でかい福居が、子どもを抱き上げるかのように高い高いをしてから抱きしめてきた。
「ロカ男! どうしたんだよ? 練習のときはサボってたのかよ?」
「えっ? 何が?」
「ロカオン、すごかったよ。さすが副部長! もう大根役者なんて言われない!」
 部員たちの興奮が伝わってきた。見ていた先輩たちも、袖から舞台に上がってきて握手を交わし、よかったよと言ってくれた。エビバディのできが最高によかったことはわかるけれど、俺自身が何でそんなに褒められているのかわからなかった。
 まさかの主役に抜擢され、部活以外でも福居と練習を何度もした。ムービーに撮ってもらい、細かなニュアンスも納得いくまで、言い回しを変えてみた。ときには福居と意見が合わず、喧嘩になりかけたりと、たぶん、今だからこそできた経験だ。
 大会とは違い、一ヶ月という短い期間でひとつの舞台を作り上げるのはなかなかハードだった。大道具は今あるものを利用して、小道具は歴代使ってきたものや、学校にあるものなど、費用をかけずに集めることができた。目まぐるしい日々の中で、変化して、継続して、不安もあったけれどなんとかたどり着けた。
 ごった返しの舞台を見回した。少し感動してしまい、泣きそうになったけれど、深呼吸をして堪えた。と同時に、違和感を感じた。一ヶ月間、この違和感を忘れていた。完全に消えていたわけではなかったけれど、記憶の奥の方にいっていた。多忙だったからなのか、考えている時間がなかった。
 
 忘れていく——。
 心を通り抜ける風が、教室の窓から吹く隙間風のように、あまり気にならなくなっていた。気にしていたいのに、考えていたいと思っているのに、慌ただしい日々の中で感じることができなくなっている。
 忘れてもいいの? 消えてもいいの?
 夢の中のあの人を思いながら、心でつぶやいた。

「ロカ男、撤収するぞ」
「えっ? ああ」
「ロカオン、余韻に浸りたいよねー」
「先輩たちー!」
「今行くー」

 何もなくなった舞台を振り返る、物静かなその場所は、なんだか寂しく見えた。
 ……いや、自分が寂しいと思っているのかもしれない。公演が終わってしまった寂しさはもちろんあるけれど、やはり、何か足りないと記憶の中を探してしまう。
 もっと時間が経ってしまったら、もっと考えなくなってしまったら、誰がきみを思うことができるのだろう?
 忘れてはいけない気がした。
 忘れたくない気がした。

 
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