5 / 8
幸せな日々は、オール・グリーン
しおりを挟む
~辻田さん~
「ただいまー」
僕が家に帰ると、彼女は寝ころんだままでお腹にヤカンを乗せていた。一体何をしているのかと聞いてみたら、彼女はにべもなく言った。
「体を温めようと思って、お茶を作っていました」
うん、なるほど。そういえば、そんな話をしていた気がする。
「それはわかったけど、なんでお腹の上にヤカンを乗せてるんだい?」
「人間は、へその上でお茶を沸かすのでしょう?」
ああなるほど。それはボイドじゃなくて、へそだったのか。
――と、感心している場合ではない。僕はそれを聞き、慌ててヤカンを払いのけた。プラスチックの彼女がそんなことをしたら、熱変形を起こしてしまう。
床に転がったヤカンは、当然ながら冷たいままだった。
彼女はタオルを持ってきて、淡々とした様子でこぼれた水を拭き始める。
ごめんと僕が謝ると、「水だから楽なもんですよ」と笑ってくれた。
僕はガスコンロの使い方を教えてあげた。でも、直接お腹にヤカンを乗せちゃいけないよ。
プラスチックには新陳代謝というものがないので、汗臭くないかというと、そういうわけでもない。体臭が薄いかわりに、移ってしまったにおいも消えずに残ってしまうのだ。
本人からは何も言わないけれど、女の子なら体臭って気になるはずだよな。ということで、柄にもなく香水をプレゼントしてみた。
香水なんて買ったことがないから、何がいいのかさっぱりわからない。店員さんに選んでもらったが、待っている間はとても居心地が悪かった。
香水は首筋につけるといいだとか聞いたことがあるけれど、プラスチックは撥水性が高いので、彼女の場合は服につけることにした。
後から気付いたんだけど、それって僕の服にも臭いが移りやすいのだ。
仕事場には女の子がいないから変に勘繰られることも無いと思うけれど、少し不安だ。
最近の彼女は、血色が少し良くなった気がする。体の動きも滑らかだ。
普通は冬が近づいて気温が下がると、体が固くなって動きが悪くなるものだ。ずっと室内にいるし、暖房のおかげなのだろうか。
もしかしたら、普通の女の子のように扱っているうちに、普通の女の子になりかけているのかもしれない。だとすれば、来年の夏あたりにはきっと、人間と同じようにばたばたと動くようになっているかもしれない。
そういえば肘のヒビを埋めようとしたら、いつの間にか消えていた。そのかわり、人差し指の付け根に、切り傷のような跡がある。いつの間にできたのだろう。
彼女を連れて、近所の回転ずし屋に行ってみた。店員に変な目で見られた気がするが、気にしないようにしておく。
ワサビを取ろうとして思い出す。そういえばこの子にはワサビボックスがついていなかった。
彼女は玉子にかぶりつく。あ、歯の形状が一つおかしい。
いまさらながら気付いた自分にも呆れるけれど。
「良かったね」
「なにがですか?」
「ん、なんでもないよ」
君をうちにつれて来て、本当に良かったなと思ったんだ。泣きぼくろに八重歯に、二か所も外観に不良があるなんて間違いなく粉砕行きだからね。
照れ臭かったので、僕は笑ってごまかした。
あれ?
彼女の目元の黒点は、いつの間にか消えていた。
まあいいか、異物が取れて落ちることはたまにある。その跡が目立たなければ、良品なんだから。
今日は、取れかけた作業服のボタンを、彼女が付け直してくれた。
器用なものだ、教えたわけでもないのに。いや、もしかしたら、したことがあるのかもしれない。
ふと彼女の前世のことを考えた。どんな暮らしを、どんな仕事をしていたのだろう。
恋人もいたのだろうか、それとも。
日曜日。とてもいい天気だったので、久しぶりに彼女を外に連れ出した。最近の彼女は、本当に人間の女の子のように見える。
特にあても無く歩いていたら、ケーキ屋さんを見つけた。
僕が立ち止まると、彼女も立ち止まりじっと待っていてくれる。僕に合わせてくれるのは嬉しいんだけど、たまには「どうしたの?」の一言が欲しくなることもある。
「この看板、どこかで見た気がするんだよな」
少し考えて、ああ、と思い出した。
そうだ、いつかロッカーに入れてあった、お菓子の紙袋だった。
白紙のバースデーカードが入っていた。彼女と出会った日はばたばたしていたので、受け取ったのは二日遅れだったんだけどさ。
でも、誰がくれたんだっけ?
僕はちょっと引っ掛かりつつも、お菓子屋さんのドアノブに手をかけた。
「ただいまー」
僕が家に帰ると、彼女は寝ころんだままでお腹にヤカンを乗せていた。一体何をしているのかと聞いてみたら、彼女はにべもなく言った。
「体を温めようと思って、お茶を作っていました」
うん、なるほど。そういえば、そんな話をしていた気がする。
「それはわかったけど、なんでお腹の上にヤカンを乗せてるんだい?」
「人間は、へその上でお茶を沸かすのでしょう?」
ああなるほど。それはボイドじゃなくて、へそだったのか。
――と、感心している場合ではない。僕はそれを聞き、慌ててヤカンを払いのけた。プラスチックの彼女がそんなことをしたら、熱変形を起こしてしまう。
床に転がったヤカンは、当然ながら冷たいままだった。
彼女はタオルを持ってきて、淡々とした様子でこぼれた水を拭き始める。
ごめんと僕が謝ると、「水だから楽なもんですよ」と笑ってくれた。
僕はガスコンロの使い方を教えてあげた。でも、直接お腹にヤカンを乗せちゃいけないよ。
プラスチックには新陳代謝というものがないので、汗臭くないかというと、そういうわけでもない。体臭が薄いかわりに、移ってしまったにおいも消えずに残ってしまうのだ。
本人からは何も言わないけれど、女の子なら体臭って気になるはずだよな。ということで、柄にもなく香水をプレゼントしてみた。
香水なんて買ったことがないから、何がいいのかさっぱりわからない。店員さんに選んでもらったが、待っている間はとても居心地が悪かった。
香水は首筋につけるといいだとか聞いたことがあるけれど、プラスチックは撥水性が高いので、彼女の場合は服につけることにした。
後から気付いたんだけど、それって僕の服にも臭いが移りやすいのだ。
仕事場には女の子がいないから変に勘繰られることも無いと思うけれど、少し不安だ。
最近の彼女は、血色が少し良くなった気がする。体の動きも滑らかだ。
普通は冬が近づいて気温が下がると、体が固くなって動きが悪くなるものだ。ずっと室内にいるし、暖房のおかげなのだろうか。
もしかしたら、普通の女の子のように扱っているうちに、普通の女の子になりかけているのかもしれない。だとすれば、来年の夏あたりにはきっと、人間と同じようにばたばたと動くようになっているかもしれない。
そういえば肘のヒビを埋めようとしたら、いつの間にか消えていた。そのかわり、人差し指の付け根に、切り傷のような跡がある。いつの間にできたのだろう。
彼女を連れて、近所の回転ずし屋に行ってみた。店員に変な目で見られた気がするが、気にしないようにしておく。
ワサビを取ろうとして思い出す。そういえばこの子にはワサビボックスがついていなかった。
彼女は玉子にかぶりつく。あ、歯の形状が一つおかしい。
いまさらながら気付いた自分にも呆れるけれど。
「良かったね」
「なにがですか?」
「ん、なんでもないよ」
君をうちにつれて来て、本当に良かったなと思ったんだ。泣きぼくろに八重歯に、二か所も外観に不良があるなんて間違いなく粉砕行きだからね。
照れ臭かったので、僕は笑ってごまかした。
あれ?
彼女の目元の黒点は、いつの間にか消えていた。
まあいいか、異物が取れて落ちることはたまにある。その跡が目立たなければ、良品なんだから。
今日は、取れかけた作業服のボタンを、彼女が付け直してくれた。
器用なものだ、教えたわけでもないのに。いや、もしかしたら、したことがあるのかもしれない。
ふと彼女の前世のことを考えた。どんな暮らしを、どんな仕事をしていたのだろう。
恋人もいたのだろうか、それとも。
日曜日。とてもいい天気だったので、久しぶりに彼女を外に連れ出した。最近の彼女は、本当に人間の女の子のように見える。
特にあても無く歩いていたら、ケーキ屋さんを見つけた。
僕が立ち止まると、彼女も立ち止まりじっと待っていてくれる。僕に合わせてくれるのは嬉しいんだけど、たまには「どうしたの?」の一言が欲しくなることもある。
「この看板、どこかで見た気がするんだよな」
少し考えて、ああ、と思い出した。
そうだ、いつかロッカーに入れてあった、お菓子の紙袋だった。
白紙のバースデーカードが入っていた。彼女と出会った日はばたばたしていたので、受け取ったのは二日遅れだったんだけどさ。
でも、誰がくれたんだっけ?
僕はちょっと引っ掛かりつつも、お菓子屋さんのドアノブに手をかけた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ドSでキュートな後輩においしくいただかれちゃいました!?
春音優月
恋愛
いつも失敗ばかりの美優は、少し前まで同じ部署だった四つ年下のドSな後輩のことが苦手だった。いつも辛辣なことばかり言われるし、なんだか完璧過ぎて隙がないし、後輩なのに美優よりも早く出世しそうだったから。
しかし、そんなドSな後輩が美優の仕事を手伝うために自宅にくることになり、さらにはずっと好きだったと告白されて———。
美優は彼のことを恋愛対象として見たことは一度もなかったはずなのに、意外とキュートな一面のある後輩になんだか絆されてしまって……?
2021.08.13
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる