上 下
28 / 40

日記

しおりを挟む
 時は星河せいががメールを受け取る数十分前、知恵ちえは郷土資料館の地下隠し部屋にいた。

「今更見つかるなんて、もっと早くに見つかっていれば」
 悔しそうに知恵は呟く、その手には一冊のノートブックがあった。革で装丁されたやや厚みのある日記帳だ。山田邦夫やまだくにおの日記だった。この地下隠し部屋の隅に隠されるように置いてあった。

 20××年 8月1日 日に日に三途の川の水量がおちてきている。原因はわからない、水があるうちに知恵ちゃんを助けられて良かった。もしかしたらこの川自体の寿命が尽きかけているのではないかと推測する。知恵ちゃんは聡明で誠実な良い娘だ。私の後を継いでこの三途の川の管理を任せるのは彼女が適任だと思う。

 日記の日付は六年程前、もう遠い昔の事の様に思う。知恵はうっすらとにじみ出た涙を拭った。優しかった邦夫の笑顔が思い出され、胸が締め付けられ、鼻の奥がツンとする。

 8月2日 この水は多分邪神が張った罠なのだろうと私は考える。知恵ちゃんの様に難病の人間が助かることもある。この助かることもあるというのが罠なのだ。飲んだ人間が軒並み全て食屍鬼グールになるとしたらこれほどこの水が有難がられることは無かったろう、助かることもあるが鬼になることもある。これが何百年もの間食屍鬼が現れ続けた理由なのだろう。
 この川を創り出したのは無貌むぼうの邪神だと思われる。無貌の邪神とは古くはエジプトやローマにも表れたとされる邪神だ。人間が水を求めて右往左往したり、鬼になって苦しみながら血を求める様を高みから笑いながら眺めているんだろう。

 川の召喚の触媒になっている夜見山神社のご神体の石を処分してしまうことも考えた。しかしこの水で知恵ちゃんの様に救済される人間もいるのだと思うとどうしても処分できなかった。
 何より私自身がこの川と幻夢境げんむきょうの秘密を解き明かしたかった。そのためにもこのご神体は必要なのだ。

 8月7日 下流の水位がだいぶ落ちてきた。上流の方ではまだ水があるが、明らかに勢いは無い。もっと上流の方や源流を突き止めたかったが、方位磁針も利かずGPSさえ何の役にも立たない場所で、あまり奥まで行くと帰れなくなる可能性がある。そもそもここは地球上にある場所じゃあない、ほぼ間違えなく幻夢境のどこかだ。危険なクリーチャーや邪悪な落とし子と遭遇する可能性もある。ミスカトニック大学で調査隊を組んで川を調べないかと誘いを受けた。迷ったが断わることにした。ミスカトニック大学とこれ以上関わるのは止めにしようかと思う、彼らは川の管理の主導権を握りたがっている。渡してしまったらどんなことになるか予測がつかない。

 9月4日 夜見山神社の社からご神体の石を取り外してもう一月近く経つ、これで洞窟へは近づけないはずだ。川の様子が気になるが今は動くことができない。先日ついにミスカトニック大学の調査隊が引き上げた。これ以上調査をしても三途の川は発見できないと結論付けつろんづけたのだろう。これで私の研究成果もそのほとんどが事実ではないと疑われる結果となってしまった。これで世間的には夜見の里の伝説はたわいもない御伽噺と見られることになる。歯がゆかったが水が悪用されるよりずっとましだ。

 9月5日 今日からまた三途の川の調査を開始する。相変わらず以前より川の水が少なくなっている。水を保存できないか試しているのだが結果は芳しくない、どんなに密封性の高い容器に保存しても三日ほどで水は消えてしまう、蒸発とはまた違う現象の様だ。現世では水そのものの存在が安定しないと仮説を立ててみた。試しに密封性の高いふたつの容器を用意した。それぞれに三途の川の水を入れ、ひとつは現世に持ち帰りもうひとつは川のそばに置いておいた。三日後現世に持ち帰った水が消えてしまった。それから川のそばの容器を回収に行ってみる、水は消えずそのまま容器の中に残っていた。

 どうやら私の仮説もあながち間違えではないようだ。話は変わるがこの実験の時に誰かに後をつけられたようだ。夜見山神社の分社に設置してあった防犯カメラに誰か写っている。帽子を目深にかぶっていて人相は分からない。ミスカトニック大学の関係者がまだ諦めていなかったのだろうか? 幸いこの時は洞窟まではつけられていなかったようで、洞窟にあった足跡は全て私のものだった。相手の正体がわかるまで調査の時は気を付けることにしよう。

 9月6日 守本悟志もりもとさとしがステージⅣの癌であることがわかった。あいつはとても良い奴だった本当の優しさを知っている。単に私の研究のスポンサーであっただけではなく、友人として奴の人柄を尊敬していた。もちろん助けたい、ただ末期癌を治療できるほど水を与えてしまったらほぼ確実に食屍鬼化は免れない。そうなってしまったら血と人肉に対する欲求に苛まされ、そして、一度人肉を口にしたら最後血の乾きから逃れるすべはない。食屍鬼化してしまったら屍鬼切りで始末するほかはない、できれば悟志の首を落とすようなことはしたくない。しかしまず知恵ちゃんに与えたコップ一杯程度の水を飲ませてみることにする。

 9月10日 水の効果が出たらしく、激しく訴えていた末期癌の痛みが緩和されたようだ。だがすでに、手遅れであることは変わらないようだ。後は少しずつ水を与えて痛みを緩和しながら最後を看取ろうと思う。しかしもっと早くに癌を発見できていればと思わずにはいられない。私も、悟志も仕事に打ち込むあまり、自分や周囲もあまりかえりみることが無かった、そのツケが来たのかもしれない。

 そこまで読んだところで知恵は顔を上げた。悟志は山田邦夫の死後、かなり蓄えてあった財産を全て奥さんに譲り、離婚してホームレスになった。本人は仕事そして人生にも疲れたからだと周囲にこぼしていたが、おそらくこのまま奥さんと暮らしていたらその人肉食への欲望を押さえきれないと思ったのだろう。

 ホームレスになって生きたこの何年の間に、彼は何を思いながら過ごしたのだろう。噂では彼はホームレスになってから他人を遠ざけて暮らしていたという、周囲の友人たちは彼の事をかなり心配して、幾人もの人が彼の悩みを聞き出そうとしたらしい、しかし悟志はそういった友人たちからも距離を取ったと聞く。その心の隙間にすっと入り込んでしまった女の子がいた、それが優心にこだ。悟志と彼女がにこやかに会話を交わしていた姿は、近隣住民に度々目撃されている。
 優心は色んな人間の心を掴む不思議な才能をもった女の子だった。近隣の農家のお爺ちゃんお婆ちゃんをはじめ、小中高校生からホームレスまで、老若男女とにかく色んな友人がいるそんな人物だった。

 9月12日 悟志がまた水を求めてきた。もうかなり食屍鬼化が進んできている。腐りかけている肉を生で食べているところを見てしまった。身体が大きく膨張していた、私に気が付くと正気を取り戻し元の姿に戻った。どうやら悟志は食屍鬼化しても元の人間の姿に戻れるらしい。食屍鬼化させたら一番被害が大きくなるタイプだ。迷った末水の提供を断った。このまま水を飲めば鬼になってしまうことを告げた。悟志はただ茫然として「そうか」とだけ答えた。

 9月15日 洞窟で未知のクリーチャーに遭遇した。久しぶりの出来事だ。幻夢境の食屍鬼がさらに水を飲んで変異したものらしかった。だが正体は分からない、討伐したが屍鬼切りのエネルギーをかなり消耗してしまった。数日は屍鬼切りを休ませなければならない。悟志がまた痛みを訴えた、もう麻酔も効かないようだ。もう少し水を飲ませるか、しかし屍鬼切りを持たず洞窟に行くのは危険かもしれない、どうするべきか迷う。

 そこで日記は途絶えていた。もう悟志と会う時間だ、知恵はメールを送信した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R-18】赤い糸はきっと繋がっていないから【BL完結済】

今野ひなた
BL
同居している義理の兄、東雲彼方に恋をしている東雲紡は、彼方の女癖の悪さと配慮の無さがと女性恐怖症が原因で外に出るのが怖くなってしまった半ひきこもり。 彼方が呼んでいるのか、家を勝手に出入りする彼の元彼女の存在もあり、部屋から出ないよう、彼方にも会わないように気を使いながら日々を過ごしていた。が、恋愛感情が無くなることも無く、せめて疑似的に彼女になれないかと紡は考える。 その結果、紡はネットアイドル「つむぐいと」として活動を開始。元々の特技もあり、超人気アイドルになり、彼方を重度のファンにさせることに成功する。 ネットの中で彼女になれるならそれで充分、と考えていた紡だが、ある日配信画面を彼方に見られてしまう。終わったと思った紡だが、なぜかその結果、同担と間違えられオタクトークに付き合わされる羽目になり…!? 性格に難ありな限界オタクの義兄×一途純情ネットアイドルの義弟の義兄弟ものです。 毎日7時、19時更新。エロがある話は☆が付いてます。全17話。12/26日に完結です。 毎日2回更新することになりますが、1、2話だけ同時更新、16話はエロシーンが長すぎたので1日だけの更新です。 公募に落ちたのでお焚き上げです。よろしくお願いします。

女体化ヒモホスト×ホス狂い女

あかん子をセッ法
恋愛
タイトル通り。 元々客の女のニオイ身体に付けてた男が女の子になって女のニオイぷんぷんさせながら唯一残ったホス狂いの彼女の前でみっともない様を晒すだけのお話です。

死ぬ前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?──自称ノンケな欲望担当天使のつがわせお仕事日記

スイセイ
BL
「死ぬ前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?」 時は西暦20××年、日本。元来シャイな国民性を持ち、性愛に対する禁忌感情が色濃く残るこの国では、 死んだ人間がカケラとして残す「一度でいいからあの人とセックスしたかった」という欲望が大地を汚し、深刻な社会問題となっておりました。 事態を重く見た神様が創設したのは、「天使庁・欲望担当課」。 時間と空間を縦横無尽に駆け巡り、「あの日、あの時、あの人とセックスしたかった」という欲望を解消して回る、大事な大事なお仕事です。 病気の自分をずっとそばで励ましてくれた幼なじみ。 高嶺の花気取りのいけすかないあいつ。 もしかしたら、たぶん、いや絶対に、自分のことを好きになってくれたはずの彼。 未練の相手は様々でも、想いの強さは誰しも同じ。 これは、そんな欲望担当課にて、なんの因果か男性同士の性行為専門担当に任命されてしまった自称ノンケの青年天使ユージンと、 彼のパートナーであり、うっかりワンナイトの相手であり、そしてまた再び彼とのあわよくばを狙っているらしい軽薄天使ミゴーとの、 汗と涙とセイシをかけたお仕事日記です。 …という感じの、いわゆる「セックスしないと出られない部屋」の亜種詰め合わせみたいなお話です。章ごとの関連性は(主人公カップリング以外)ないので、お好きな章からどうぞ。 お話上性行為を見たり見られたりする表現もありますが、カップリング相手以外に触れられることはありません。 2022/10/01 完結済み ☆お品書き 【第一章】病に倒れたおれをいつも隣で励ましてくれた、幼なじみのあいつと。 ・鈍感大らか×病に倒れた元気少年、幼なじみ、死ネタあり 【第二章】喪われし魂の救済を求めて、最期まで心を焦がしてやまなかった彼と。 ・陽キャへたれ×厨二陰キャ、一部襲い受け、自殺未遂の描写あり 【第三章】せっくすの仕方がわからないぼくたちが、神の思し召しで遣わされた天使様方に教わって。 ・純真敬語×無口素直、無知×無知、主人公カプあり 【第四章】生涯で唯一一度もお相手願えなかった、気位の高い猫みたいな男と。 ・中性的ドS×両刀攻め専タラシ、調教、快楽堕ち、♡喘ぎ、濁点喘ぎ、攻めフェラあり 【第五章】きっとこの手の中に戻ってきてくれるはずの、今はまだ遠いお前と。 ・いざと言うとき頼りになる地味系×メンタル弱めガラ悪系、デスゲーム風、ヤンデレ、執着攻め 【第六章】壊れてしまった物語を美しく終わらせるために、あの図書室で物語を分け合った先生と。 ・自らの性癖に苦悩する堅物教師×浮世離れした美少年、死ネタあり 【第七章】死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。 ・最終章前編、死ネタあり 【第八章】そして死ぬ前にただ一度だけ、セックスをしたあの人と。 ・最終章後編

A hero from the darkness of chaos. Its name is Kirk

黒神譚
BL
異界の神や魔神、人間の英雄が絡み合う壮大なスケールで描かれる本格的ファンタジー。 人間の欲望や狂気を隠すことなく赤裸々(せきらら)に綴(つづ)っているので、一般的に温いストーリー設定が多いWEB小説には似つかわしくない、かなり大人向けの作品です。(「小説家になろう」からの移行作品。) ※本作は本格的なファンタジー作品で単純にBL作品とは言い難いです。ですが主人公は両性愛者で男女にかかわらず恋愛をし、かなり濃厚な関係を持つのでBL、女性向けタグとさせて頂きました。 ●ストーリー 争いの絶えない人類は魔王ドノヴァンの怒りを買い、粛清(しゅくせい)されるが、そこではじめて人類は戦争をやめて協力し合うことができた。それを見届けた魔王ドノヴァンは人類に1000年の不戦を約束させて眠りについた。 だが、人類は1000年間も平和を保てずに、やがて争いを始めるようになってしまった。 時は流れて1000年の契約期間が終わりそうになってから、人類は自分の愚かさを悔やんだ。 世界が魔王に滅ぼされると恐れていたその時、一人の神官が今から30年後に救いの聖者が現れると予言するのだった。

わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますの。

みこと。
恋愛
義妹レジーナの策略によって顔に大火傷を負い、王太子との婚約が成らなかったクリスティナの元に、一匹の黒ヘビが訪れる。 「オレと契約したら、アンタの姿を元に戻してやる。その代わり、アンタの魂はオレのものだ」 クリスティナはヘビの言葉に頷いた。 いま、王太子の婚約相手は義妹のレジーナ。しかしクリスティナには、どうしても王太子妃になりたい理由があった。 ヘビとの契約で肌が治ったクリスティナは、義妹の婚約相手を誘惑するため、完璧に装いを整えて夜会に乗り込む。 「わたくし、今から義妹の婚約者を奪いにいきますわ!!」 クリスティナの思惑は成功するのか。凡愚と噂の王太子は、一体誰に味方するのか。レジーナの罪は裁かれるのか。 そしてクリスティナの魂は、どうなるの? 全7話完結、ちょっぴりダークなファンタジーをお楽しみください。 ※同タイトルを他サイトにも掲載しています。

【R-18】何度だって君の所に行くよ【BL完結済】

今野ひなた
BL
美大四年生の黒川肇は親友の緑谷時乃が相手の淫夢に悩まされていた。ある日、時乃と居酒屋で飲んでいると彼から「過去に戻れる」と言う時計を譲られるが、彼はその直後、時乃は自殺してしまう。遺書には「ずっと好きだった」と時乃の本心が書かれていた。ショックで精神を病んでしまった肇は「時乃が自殺する直前に戻りたい」と半信半疑で時計に願う。そうして気が付けば、大学一年の時まで時間が戻っていた。時乃には自殺してほしくない、でも自分は相応しくない。肇は他に良い人がいると紹介し、交際寸前まで持ち込ませるが、ひょんなことから時乃と関係を持ってしまい…!? 公募落ち供養なので完結保障(全十五話)です。しょっぱなからエロ(エロシーンは★マークがついています) 小説家になろうさんでも公開中。

TS陸上防衛隊 〝装脚機〟隊の異世界ストラテジー

EPIC
SF
陸上防衛隊のTS美少女部隊(正体は人相悪い兄ちゃん等)と装脚機(ロボット歩行戦車)、剣と魔法とモンスターの異世界へ―― 本編11話&設定1話で完結。

【完結】側妃になってそれからのこと

まるねこ
恋愛
私の名前はカーナ。一応アルナ国の第二側妃。執務後に第一側妃のマイア様とお茶をするのが日課なの。 正妃が働かない分、側妃に執務が回ってくるのは致し方ない。そして今日もマイア様とお茶をしている時にそれは起きた。 第二側妃の私の話。 ※正妃や側妃の話です。純愛話では無いので人によっては不快に感じるかも知れません。Uターンをお願いします。 なろう小説、カクヨムにも投稿中。 直接的な物は避けていますがR15指定です。 Copyright©︎2021-まるねこ

処理中です...