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横浜デート 5(数子)

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鈴田先生は、御主人のⅤネックのシャツをハサミで躊躇なく切り裂いた。

右胸に広がる色味を増した紫色の皮下出血が現われた途端、奥さんは目を大きく見開いて、ひっと息を呑み両手で口を押えた。体全体がカタカタと小刻みに震えている。

私も声を漏らしそうになったけれど、傍に子供達がいるため、奥歯で声を噛み殺した。

双子達はお母さんが息を呑んだ瞬間、敏感に何かを感じ取ったようで、目隠ししている手に力を込めている。
そうする事で一生懸命不安と戦っているように見え、キリキリと胸が痛んだ。

お父さんに背を向けている双子達を正面からそっと両手で抱き、背中をさすりながら二人にしか聞こえない声で「大丈夫よ」と囁いた。
気休めにしか、いいえ、気休めにさえならないかも知れないけれど、そうせずにはいられなかった。

先生は周りを気にする事はなく、御主人の脇の下で手を動かしている。

肋骨を数えるようにゆっくり慎重に動いていた指が一点で止まり、躊躇うことなく、そこをナイフでザクリッ。

私は思わずぎゅっと目を瞑った。

カタリとナイフを置く音が聞こえ目を開けると、指の長い大きな手がストローに通したドライバーを握り締めたところだった。

先生は精神を統一するように、ふーっと溜め息を吐き、一気にドライバーをズブリッと切り口にねじ込んだ。

奥さんは、びくりと肩を大きく跳ねさせ、声にならない声を漏らし、私は双子ちゃん達を抱く手に無意識に力を込めていた。

先生がドライバーをストローから引き抜くと、血液と共にヒューっと空気が流れだした。
その様子を目に映し、耳で感じながら暫く呆然と立ち尽くした。


ふと気付けばお父さんの顔色は随分良くなっていて、呼吸も穏やかになったのが分かる。

終わった……のかしら? 


先生は表情を緩め、溜め息をついた。
その額には大粒の汗が浮かんでいる。

「血液は思ったより出てきませんし、まずは一山乗り越えました。御主人頑張られました」

先生はそう言いながら、Tシャツの上に羽織っているサックスのシャツを脱ぎ、毛布のようにふわりと御主人に掛けてあげた。

不安に支配され強張っていた奥さんの表情が一気にほどけ、安堵の涙に濡れる。

「本当に…本当にありがとう…ございました……」

感極まったように声を詰まらせながら言って、床に額を擦りつけるほど深く頭を下げた。

本当に良かった……。
込み上げてきた様々な思いが瞼から迸り、視界がぼんやりと涙で滲む。

先生は私達の方を向き、明るい声で「終わったよ」と。

我慢して待っていた双子ちゃん達は、手の目隠しを外してくるりと振り返ると、急いでお父さんの傍に駆け寄ってしゃがみこんだ。

「「お父さんっ!!」」

離れた所から見守っていた人達から、安堵の声とともに拍手が沸き起こっている。
泣いている女性もいる。


「しんぱぃ……かけ……ごめ……」

お父さんの弱弱しい声を聞きながら、子供達は安心したようにワッと声を上げて泣き出した。

救急隊が到着したのは、そのすぐ後だ。

「転倒して右側胸部を打撲。おそらく肋骨と肺を損傷して緊張性気胸を起こしています。応急処置はしましたが、なるべく早く病院に搬送して下さい」

「分かりました」

救急隊はそう返事をして、センターへ連絡をとっている。

二,三分後、
「横浜みなと厚生病院が受け入れてくれるそうです。先生も救急車に同乗して頂けますか?」

「ええ」


設備も道具も整わない中での手術。

恐らく先生は自分にも大きなリスクがある事を承知で、今回の処置に踏み切ったのだろう。

我が身の危険を冒してまで御主人を、この御家族を助けようとした彼が、どうしようもなく素敵に見え、涙が溢れた。








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